僕の代わりに
 電車で再びガタゴトと揺れること約一時間。都会のビルや工場地帯を抜け、一面に大海原が広がる。改札を抜けると、潮風が頬を撫でた。天気もよく、陽の光を存分に受けた水平線がキラキラと輝いている。
 私は、サンダルを脱いで浜辺を歩いた。足に細かい砂がまとわりつくが、海水に浸せば砂は洗い流され、また冷たいそれが火照った身体をいくらか冷やす。そして、再び両足は砂だらけになる。
 花京院くんと追いかけっこしてみたり、水をかけあったり、彼が幽霊だということも忘れて、昔に戻ったかのように大いにはしゃいだ。周りに人気もないので、気にする必要がなかった。花京院くんはいくら水をかけても濡れないので、私ばかりが標的になってしまった。こんなに大きな声で笑うことは、花京院くんと再び出会うまであまりなかったように思う。笑うことで、嫌なこと全てが吹き飛んでしまえばいいのに。そう願いながら、海水を花京院くんに向かって浴びせた。海水は、花京院くんの立っている場所を濡らしただけだった。

「……こんなに楽しいの、久しぶり」

 ひとしきり遊んで、自販機で買ったペットボトルのお茶を口に含みながら砂の上に直接座る。花京院くんは息一つ切らさず、私の隣に座った。片膝を立てたその姿が、なんとも似合っていて眩しい。私はだらしなく広げていた足を慌てて閉じた。

「ねえ、名前」

 花京院くんが不意に呟く。広い空に溶け込んだそれは、危うく聞き逃してしまう所だった。なに?と返事をすると、花京院くんは暫く前を向いたまま、そしてゆっくりこちらを振り返ると口を開いた。

「僕は、名前や承太郎と出会えて、とても幸せだったよ。それに、こうして再会できるなんて、思ってもみなかった」
「花京院くん、そんなこと言   
「名前、ありがとう」

 抱き締められた。急すぎて、中途半端に浮いている両手の行き場が無くなってしまった。感覚はないはずなのに、花京院くんの心音が聞こえてくる気がした。
 離れるのもすぐだった。花京院くんはとびきりの笑顔で、私は少し戸惑って。彼の笑顔が明るすぎるので、もしかしたらこのまま消えていってしまうんじゃあないかと思うほどだった。実際は、私があまりに間抜けな顔をしていたのか、花京院くんが大笑いし始めてしまったのだった。怒ってもやめてくれなくて、また追いかけっこが始まる。

 帰路に着く頃にはくたくたで、エアコンが効いた電車の中は天国かと思うほどだった。幽霊は疲れることもなく、汗もかかない。心底羨ましい。花京院くんにはわかるまい。
 自宅に着いてから、夕飯の支度をした。花京院くんが手伝ってくれたおかげで、早めに支度ができた。私がご飯を食べる姿を、花京院くんがにこにこと見つめる。少し恥ずかしかったが、とても幸せだった。夕飯のあとは風呂に入り、私は酒を飲みながらテレビをつけた。

「そうか、もうお酒を飲めるんだね」
「とっくにね。花京院くんも飲む?」
「僕は未成年だよ。そもそも幽霊だし」
「そっか」

 いま話題のドラマにチャンネルを合わせる。典型的なラブストーリーのそれは、少し私には甘ったるく感じた。もうちょっと変えた方がいい、どう変えるかは言えないけど、と、素人のくせにいっちょまえに批評してみる。気づけばほろ酔い状態になっていて、花京院くんに変な絡みをしないよう気をつけなければならなかった。酒は飲んでも飲まれちゃだめなんだよ、花京院くん。思ったそばから変に絡んでしまった。酒を飲むとすぐこうだ。それでも花京院くんは嫌な顔ひとつせず、私の言葉に丁寧に返す。ドラマを見ながら、こんなの絶対ありえないよね、と零すと、僕は幽霊だよ、と花京院くん。幽霊がいるんじゃあこういうこともありえるかあ、と私。お互いに顔を見合わせて、笑った。

「名前」

 笑いによって溢れた涙を拭いながら、花京院の呼ぶ声に振り向く。その時も、また急だった。よく外国の人がするような、頬と頬を合わせるあの行為。あれを思い出した。花京院くんは自身の両手で私の両手を包み込むように握ると、今度は額と額を合わせた。私の目線の先は、半透明に透けた向こうに見える、自分の手。花京院くんは何も言わなかった。テレビから流れてくるドラマの音楽が、やけに私達の空気を盛り上げているようだった。

「名前、僕は……」
「……なに?」

 花京院くんは、ふ、と笑って、「ごめん、何でもないんだ」と呟いた。なんでもなくないでしょ、と言いたかったが、花京院くんが切なそうな、だが満足気な微笑みを浮かべているのを見て、口を噤んだ。その表情に、今日の午後、海で抱きしめられたことを思い出す。あの時はとびきりの笑顔で。今も笑顔だけれど、遠くに行ってしまいそうで、今度は自分から抱きついた。花京院くんは一瞬、驚いた声をあげたが、ゆっくり私の頭を撫でてくれた。

「ねえ、今日も一緒に寝てくれない?」

 花京院くんの胸の中でそう呟くと、頭上から優しい声で肯定の返事が降ってくる。机の上に広がった酒を片付け、テレビを消し、歯を磨く。寝る準備を済ませて布団の中へ潜ると、もぞもぞと隣に花京院くんが潜ってきた。花京院くんは再び、私を抱き締める。彼の背中へ手を回すと、空洞の部分に触れる。先ほどとは違う涙が溢れそうになるのを、ぐっと堪えた。

「おやすみ、名前」
「おやすみ、花京院くん」

 花京院くんは、私が眠るまで見守ってくれた。規則正しく頭を撫でてくれる手が、心地よい眠りへと誘う。夢の世界へ堕ちていきながら、私は明日が来ないことを願った。だって今日の花京院くん、可笑しかったんだもの。何、変なこと言ってるの。そう笑い飛ばせたら、どんなに良いか。
 意識がなくなるその時、何かが耳元で囁く。聞こえることのないその言葉は、夜の帳に消えていった。



 早朝に目が覚めた。早朝ということに気付いたのは、カーテンの隙間から見える空がまだ薄暗かったからだ。酷い喉の渇きに襲われて上半身を起こし、唇を触る。カサカサで、ひび割れそうだった。舌で舐めると、少しだけだが潤いが戻った。唾なので、不快感は拭えない。

「ねえ花京院くん、私キッチンに   

 その先の言葉は出てこなかった。そして、隣を振り向くことがとても怖かった。全身の血の気が引き、ぼやけていた頭が覚醒していく。花京院くん?もう一度呼んでみたが、返事はない。意を決して視線を隣へ向けると、そこには誰もいなかった。いた、という形跡もない。昨日はそこにいたというのに、跡形もなかった。
 私は、家中を探した。ジャージに着替えて、近所を探しもした。花京院くんは、どこにもいなかった。ふらふらとした足取りで自宅に帰り、ベッドへ力なく倒れる。再び眠る気にはなれなかった。昨日から、そんな予感はしていた。そういう時に限って、予感というものは当たる。涙も出なかった。ただどうしようもない虚しさだけが漂っていた。

 いつまでそうしていたのだろうか、ただベッドの上で大の字になったまま、ピピピ、という携帯の着信音に現実へ引き戻される。電話だ。私は一縷の望みにかけてそれに出た。もしもし、という自分の声がとてもしゃがれていた。

「もしもし、名前か?」

 彼氏の声だった。私は再びベッドに倒れ込んだ。内容は、大事な話があるから今から会えないか、というものだった。そういえば、メールでこの前来たんだった。私はとても小さな声で、了承の返事をした。心ここにあらずであった。

 自宅近くの、小さなファミレス。そこへ、時間通りに彼は来た。彼は、とても落ち着きがなかった。私は、逆の意味で落ち着いていた。私はいま、普段通りの表情でいるだろうか。なるべく普段の状態に近づけようと、そればかり考えていた。少しでも気を抜くと、狂ってしまいそうだからだ。

「なあ、名前。俺達、付き合って長いよな」
「うん」
「喧嘩も、したよな」
「うん」

 ああ、先の言葉が予想できる。プラスか、マイナスか、どっちかだ。

「名前。俺と、結婚して欲しい」

 けっこん、上の空で言葉を繰り返す。彼氏は、祈るような表情で私を見つめている。
 その表情が、花京院くんと重なった。ぶわっと色んな感情が溢れ出てきて、頬を濡らす。ああ、そうか。自嘲気味に口の端をあげる。私は彼に、ゆっくりと返事を返した。

「よろしく、お願いします」
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -