うつろな君を抱きしめる
「本当に、花京院くんなの」
「僕じゃあなかったら、一体誰なんだい?」

 地面に転がった空の桶が、風に運ばれて足に当たる。地味に痛い。その痛さが、これは現実なのだということを教えてくれた。花京院くんが、目の前に立っている。両目は痛々しい切り傷の跡がつき、お腹には向こう側が見えてしまう穴が空いているけれど。間違いなく、本人だ。驚きすぎて、ついさっきまで流れていた涙は奥に引っ込んでしまった。
 花京院くんは高校生の姿のままだった。その年齢で死んでしまったのだから当然といえば当然だけれど、彼の「随分と大人びたね」というコメントが長い年月が経ったことを改めて感じさせる。そりゃあ、あなたがいなくなってから10年以上経つもの。その台詞は、ある疑問の前に掻き消えた。

「どうしてなの」

 どうして今、現れたの。花京院くんは手を顎に当てて考える素振りを見せる。私は少なからず怒りの感情を覚えた。そうやって出てこれるなら、何も長いこと黙ったままでいなくてもよかったじゃない。それに、私なんかよりも大切な人がいるじゃない…。先に立っていた二本の線香を思い出し、両手を強く握り締める。花京院くんは私の目をしっかり見ると、君の声が聞こえたから、と言った。彼の話によると、自身が死んでしまったということは自覚していて、真っ暗闇の中をあてもなく歩いていた。途方に暮れたとき私の声が聞こえてきて、気付いたらここだった、という。だが10年以上の時が経っていたとは夢にも思わなかったらしく、一瞬、私が私だとは気付かなかったようである。
 それじゃあ、好きに出てこれるわけじゃあないのね。花京院くんは軽く頷き、自身の墓を見つめる。お腹の向こう側に、私の立てた線香が見えた。

「そうか、10年か…」

 花京院くんがしみじみと呟いた言葉は、橙色に染まる空に溶けて消えていく。カラスが一声鳴くと、また違うカラスが鳴き返した。そろそろ帰らないと、夜になってしまう。私は花京院くんに、これからどうするの、と聞いた。ここでただ突っ立っているだけじゃあ、寂しいだろう。

「私の家に来ない?」

 花京院くんは驚いた表情を見せた。家に一人でいるの、寂しいし。何もしなくていいの。ただ、いるだけでいいの。そう私が言うと、彼は遠慮しながらも、じゃあ、よろしくお願いします。と、頭を下げた。幽霊(ここではこういうことにしておこう)に頭を下げられるのも、なんだか変な感じだ。電車に乗る時も、私は切符を買うのに彼は何もしなくていい。それに、誰も彼の存在に気付かない。私だけが見えているのだった。
 電車にガタゴト揺られながら、花京院くんの姿を見つめる。半透明に透けながら、私の隣に座っている。彼はきょろきょろと辺りを見回し、新商品の宣伝ポスターや外を流れていく景色を眺めることに没頭していた。
 その時、携帯のブザーが鳴る。開くと、メールの受信。彼氏からのものだった。今日の夜、空いてる?短い用件だけが綴られている。
 私は、ごめん、空いてない。と返した。心に傷をつけながら、送信ボタンを押す。ものの数秒で送られ、数分後にはまた返事が返ってくるだろう。
    彼氏とうまくいっていない訳ではなかった。比較的順調に交際は進んでおり、もう4年の付き合いになる。そろそろ身を固めたら、なんていう話も周りからちらほら出始めていた。一歩を踏み出せないのは、私が原因だ。彼のことは好きだ。優しいし、よく気遣ってくれるし…自分に対する悲しみと怒りが湧き上がって、胸の内を穿つ。手にした携帯が震え、返事が帰ってきたことを示した。

 わかった。また連絡する。

 ザワザワとした気持ちが膨れ上がって、喉の奥に引っかかる。何も詮索しようとはせず、自ら身を引くのは彼なりの優しさだ。私は携帯を鞄に戻すと、深いため息をついた。
 そこで、ちょうど最寄りの駅に着くアナウンスがかかる。花京院くんと一緒に電車を降りて、改札を出た。自宅まで10分程の道のり。長くて短いような時間だ。私と花京院くんは、何も話さなかった。鬱々としていたのが伝わったのか、花京院くんは私のすぐ後ろをついてきて何も語りかけることはない。それが今は胸にズキズキと突き刺さる。自宅に着いてからも、私は沈んだまま、出かける前に予め作っておいた夕飯の準備を始める。花京院くんは、テレビを見ていた。彼は何も悪いことをしていないのに、私のせいで空気が重い。

「あ」

 軽快な音楽と共に、テレビからCMが流れる音が聞こえてくる。花京院くんが一瞬、驚いた声をあげた。続いて、F-MEGA!とナレーションの声も聞こえてくる。出来上がった料理(温め直しただけだ。花京院くんは、夕飯はいらないと言った。幽霊だからだろうか)を盆にのせ、居間へ移動した。食い入るようにテレビを見つめていた花京院くんは、私が現れた途端くるりとこちらへ顔を振り向き、今のF-MEGAだよね!?とキラキラした表情で尋ねてきた。まるで少年にでも戻ったかのようなそれに驚きながらも、そうだよ、と返す。

「リメイクか、すごいな…」
「もしかしたら、そのゲーム持ってるかもしれない」
「本当かい!?」

 私はテーブルの上に盆を乗せると、テレビ台を探る。すぐにそれは見つかった。パッケージにでかでかと車が描かれている。花京院くんは目を輝かせてそれを眺めた。

「…やる?」
「え、でも…できるかな」

 物理的な問題がある。そもそも、幽霊になってしまった彼は物が持てるのか。私がゲーム機のコードをコンセントに挿して準備をしている間、当の本人は床に置かれたパッケージを触ろうとして、何度も寸前で手を止めていた。もしもそのまま突き抜けてしまったら、ということになるのが怖いのだろう。ゲーム機の蓋を開けると、花京院くんは今にも泣き出しそうな顔でこちらを見る。余程恐ろしいようで、空中で止まっている手が微かに震えていた。

「大丈夫だよ。カセット、ちょうだい」

 そう催促すると、花京院くんはえいっ、と言わんばかりにケースに触れた。持ち上がるプラスチックのそれ。花京院くんは感動のあまり声が出ないようで、私が声をかけるまで微動だにしなかった。

 花京院くんのコントローラー捌きは、素人の私でもわかるくらいに素晴らしいものだった。このF-MEGAというゲームは彼氏のもので、家に置くと朝までやってしまうから、という理由で私の家に退避させていた物である。ちょうどゲーム機の本体もあったし、快く引き受けたのだ。私はあまりレースゲームの類はやらなくて、いつもRPGばかり。なのでゲームソフトをしまっている箱の中にも有名なタイトルは大体入っている。花京院くんはそれには目もくれず、一心不乱に目の前の画面に集中していた。それほど、このゲームが好きなのだろう。
 一通りコースを走ったところで、花京院くんはコントローラーを手放した。夕飯を食べつつそれを見ていた私は、あれ、もういいの、と感想を零す。

「名前がつまらないんじゃあないかと思って」

 目を見張った。やっぱり、花京院くんは違うなあと思った瞬間だった。



 一通り遊び終えると、時刻は零時を回っていた。急いでお風呂に入った後、髪の毛を乾かしながら時計を見ると長針がちょうど6の数を示している。
    そうだ、明日(既に今日だが)は承太郎に電話して、彼に会わせてみよう。私は頭の中で一つの仮説を立てた。"あの旅を経験した者に、花京院典明は見えているのではないか"。私に見えていて、他人には見えない。それなら、あの旅を経験した者だったらどうだろうか。私は深夜ということも厭わずに、承太郎に仕事用の携帯でメールを打った。たしか、つい最近日本に来ていたはずである。返事は朝起きたら届いているだろう。

「……そろそろ寝るけど、花京院くん、どうする?」

 花京院くんは学ラン姿のままでソファに腰掛けている。私はもうパジャマ姿で、足はベッドの方に。幽霊は、眠るのだろうか。私の頭にまた一つ疑問が浮かんだ。もし眠るにしても、あの体格じゃあソファの上はキツそうだ。

「僕は…いいよ。ここでじっとしているさ」

 私はベッドで寝転がりながら、花京院くんは窓を背にこちらを向いて佇む。花京院くんのお腹にぽっかりと空いている穴から、月が見えた。まん丸とは言えないそれは、端の方が少しばかり欠けている。私はそれを見てどうしようもなく切なくなってしまって、花京院くんに向かって手招きを。そして、徐々に近づいてきた彼の手を思い切り引っ張った。半透明の手は、何も感触がない。それでもどこか、冷たいような、温かいような、とても不思議なものを感じた。
 ギシッとベッドが軋む音がして、花京院くんが私に覆い被さるような形になる。目の前に迫る彼の顔はとても焦り、今すぐにでも私の上から退こうとする。それを、自身のスタンドで抑えた。

「そばにいて」

 月明かりが花京院くんの顔を照らす。気付くと、私の目からは涙が溢れていた。ずるいなあ、と自分で自分に思う。花京院くんは黙ったまま、私の隣に寝転んだ。私の頭を、規則正しいリズムで撫でる。花京院くん、ごめんね。謝罪の言葉は、微睡みの中に消えていく。
 私は何時からこんな風になってしまったのだろう。そう思いながら、夢の中へ堕ちていった。
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テーマ「人外ファンタジー」
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