覚えていますか、僕のこと
 お盆に合わせて休暇をとった。いわゆる夏休みと呼ばれるものである。世間はやれ海だ山だと連日の大混雑をワイドショーに流しているが、私は「超」がつくほどのインドア派なので自宅から出るなどということはしなかった。帰省しようかとも考えたが、親戚が一同に集まってくるあの空間がどうも苦手で、ここ数年は帰ることもなくなった。なんて親不孝者なのかと自分でも思う。そろそろ両親も高齢になり、色々不便なことが出てくるだろう。お姉ちゃんはどうして昔からそうなの、と電話口で妹に何度言われたかわからない。その次には必ず、彼氏いるんでしょ。そろそろ結婚したらどう、なんて言われるものだから(このことに関しては親戚からも言われることが多々ある)、私はすぐさま通話を切ってしまうのだった。

 そんな出不精で甲斐性のない私が、毎年欠かさず行く場所がある。最寄り駅から電車に乗ると、寒いくらいに涼しい空気が肌を滑っていった。電車を二本乗り継いで約一時間。お昼過ぎに出たので、太陽が一番高く昇っている時間だった。その場所は日陰もないので、じりじりと肌が焼けるような感覚が襲う。温度差に身体があまりついていかない。持ってきていた日傘を差すと、いくらかましになった。
 砂利を踏みしめながら道を歩く。足元が悪いのは知っていたので、運動靴を履いてきて正解だった。いつかの年にあまりに暑かったのでサンダルを履いてきたら、すぐに靴擦れを起こしてしまったことを思い出す。すごく痛かったので足を見てみたら、皮が捲れていたっけ。
 蝉の鳴く雑木林を右手に道なりに進むと、立て札が見えてくる。目的地はもうすぐだ。

「まあ、名前ちゃんじゃないの、今年も来たんだねえ」
「あ、トミエさん、こんにちは」

 道の向こうから初老の女性が歩いてきた。彼女とはこの時期にしか出会わないが、お喋りな人のようでいつの間にか名前を呼び合うまでの仲となった。毎年ここで出会うだけの関係。不思議なもので、彼女と会うのはいつも目的地への立て札を少し越してからなのだ。これも、何かの縁というやつなのだろうか。
 トミエさん、今年もお元気そうで何よりです。あら、そう?名前ちゃんはまた綺麗になったわねえ。いえ、そんな。月並みな挨拶を交わした後、お互いの近況を報告し合う。大抵、トミエさんの話でほぼ終わってしまう。10分ほど話を聞いたあと、彼女はハッとした顔で「ごめんなさい、また私ばかり話してしまったわ」と一言。これも、毎年の決まり文句だった。逆に私がトミエさんに話すことといえば、ニュースで取り上げているような世間話だけ。会社のことを話すわけにはいかないし、自身のことについても取り立てて面白いと思う出来事はない。トミエさんの口からは滝のように色んなことが語られるので、私はそれが羨ましかった。

「じゃあね、名前ちゃん」
「はい、さようなら」

 そろそろ喉の渇きを覚えたところで、トミエさんと別れる。また来年も、この場所で出会うのだろう。鞄からペットボトルのお茶を取り出し、口に含む。さらさらと喉を流れていき、渇きを潤した。ついさっき買ったのに、この暑さで若干ぬるくなってしまっていた。
 足を進めると、特徴的な香りが鼻を掠める。目的地に到着だ。4列目の、左から1、2、3、4…ああ、ここだ。去年と変わらない姿で、佇んでいた。真っ直ぐに立っている、その堂々とした姿を見つめる。
 私が来た場所は、墓地だ。先程通り越した立て札の先に分かれ道があり、左に曲がると寺。右に曲がると、ここに出る。誰かが先に来たのか、目の前の墓には線香が二本煙をあげていて、両脇には花が生けてあった。
 鞄の他にもう一つ、反対の肩に大きめのトートバッグを提げている。その中から桶と、近所で買ってきた花を取り出す。まず花を生けたあと、墓地の片隅まで行って桶に水を汲んだ。水道が通っていて蛇口を捻るのだが、その蛇口がとても固かったので回すのに苦労した。

 ゆらゆらと立ち上る独特の香りを放つ煙を肺の奥に吸い込みながら、柄杓を使って墓へ水をかける。墓石を触るととても熱くて、これじゃあ熱中症になっちゃうね、幽霊も熱中症になるのかな、ねえ、どうなの、とぼそぼそと口に出しながらその単純作業を繰り返した。傍から見れば怪しい人物なのだが、私以外ここには誰もいない。これも、毎年変わらないことだ。
 線香が、一本増える。私が立てたそれは、元からあった二本よりも長い。しゃがんで両手を合わせて、目を瞑る。そして数秒間じっと待ったあと、呟く。

「花京院くん」

 そのあとはお喋りでもするかのように、次々と色んなことが語られた。先程会ったトミエさんのことや、仕事の話。昔の思い出話に、最近の悩み事。話していくうちに、私の気持ちはあの頃に戻っていた。50日の旅。ジョースターさん、承太郎、花京院くん、アヴドゥルさん、ポルナレフさん、イギー。儚くも思い出深い、あの日々。私もスタンド使いの端くれで、肉の芽に支配されて。その時の記憶はおぼろげだ。承太郎達に出会わなければ、今頃どうなっていたことか…それから私も、一行に同行することになったのだ。
 アヴドゥルさんとイギーについても、私は語った。アメリカにいて、ジョースターさんが管理してるみたいだよ。コーヒーガムをあげるの忘れないようにしてるんだって。イギー、怒っちゃうもんね。アヴドゥルさんの苦労が増えるもんね…。
 あの戦いの後、私はSPW財団に就職した。私のスタンドは戦い向きではなかったが、何かの役に立ちたかった。そう思わずにはいられなかった。目の前で命が散っていくのを見るのは、耐えられなかった。
 毎年ここに来るのは、何か特別な理由があるわけでもない。何故だろう、そもそも、理由を考えたこともなかった。花京院くんの墓の場所を承太郎から知らされたのがちょうど高校を卒業してからで、それから毎年欠かさず来ていた。アヴドゥルとイギーの所へも、毎年とはいかないが足を向けた。ジョースターさんは相変わらず元気で、年を感じさせず…。

 カァ、とカラスが鳴いた。その声で現実に引き戻されると、自分が汗だくになっていることに気付く。
 きっと私は、現実を受け止めたくないのだ。スタンドという超常現象、吸血鬼の存在、それに操られていた自分、死んだ仲間。何もかもが非現実的で、信じたくなくて。私の見た目は立派な大人なのに、中身は昔のままだ。ふとした瞬間に感情を抑えられなくなって、あとから涙が溢れて止まらなくなる。ほら、今も。そしてこういう時は決まって、緑の学ランを着た彼の姿を思い起こす。
 もう優しい声をかけてはくれない。相談に乗ってはくれない。肩を並べて歩くことも、ない。
 重い鎖が全身に巻き付いたような感覚に襲われ、その場に蹲る。カァカァと、カラスがあざ笑うかのように頭上を通り過ぎていった。ミンミンという昼間の蝉の鳴き声は、カナカナと物悲しいものに変わって響き渡る。
 思い出したくなくても、一度染み付いてしまった映像は簡単には消せない。一瞬で決まった決着。腹にぽっかりと空いた、穴。自分で自分の肩を抱き締め、私は前を向いた。線香の煙は何事もなかったかのようにゆらゆらと揺れている。

 そこで、私は目を疑った。煙が一瞬だけ真横に、まるで人がすぐ側を通ったかのように揺れたのだ。かき消えたかと思ったそれは、何事もなかったかのように再び立ち上る。
 風は吹いていなかった。だらだらと流れる汗を顎の下で拭う。念のため、スタンドを発現させた。戦闘は苦手だが、万が一ということがある。全神経を集中させ、辺りを見回す。

「誰かいるの」

 いくら待っても、答える者はいなかった。攻撃も仕掛けてこない。なんだ、気のせいか。私は安心してスタンドを解除した。
 胸をなでおろしながら振り向いた時、思わず大声をあげそうになる。…否、大声は喉の奥底に仕舞われた。両足が地面に引っ付いて動かない。

「名前?」

 半透明の姿でお腹に穴を空けた花京院典明が、そこにいた。
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