四角い二人
 空条くんの家に行ってから暫く経ったが、朝の挨拶に加えて少し世間話をするようになったくらいで特に進展はなかった。あんなに意気込んでいた友人も、ここのところは風船が萎んだようになってしまっている。

「なんで当事者よりショック受けてるの…?」
「だ、だって…応援してるんだもん…」

 はいはいありがとね、と友人の肩をポンポン叩くと、友人から「名前ももっと頑張りなさいよアホ」と、半分ヤケクソだと思われる台詞を頂いた。
 そりゃあ、わかっている。せっかく隣にいるのに、会話をするのは一日に数回だけ。むしろ、取り巻きの女の子達の方が(一方的に)会話しているだろう。うるさいのは嫌いみたいだからそこまで会話はしないにしても、もう少し話題を広げることくらい出来やしないかと自分を呪う。
 そこで、はて、と首を傾げる。一つの疑問が頭に浮かんだ。
 私は、空条くんの何を知っているのだろう。好きなもの、嫌いなもの、よく見るテレビ番組、好きな子のタイプ……何も知らない。いつも話すのは、朝ニュースでやっているような内容ばかり。梅雨が明けていよいよ夏本番である、とか、動物園から猿が逃げたらしい、とか。基本的には私から話題を振り、空条くんがそれに頷いたり、軽く返答してくれるくらいで他は何もない。

「はあ…」

 放課後の図書室で、一人小さくため息をつく。空条くんのことは好きだ。最近やっと、緊張せず普通に話せるようにもなった。でも思えば、相手のことをほとんど知らないなんて。
 思い切り深く、大きく声に出してため息をつきたい気分だが、図書室には一週間後に控えた期末テストに向けて勉強している生徒が何人かいる。迷惑になるし、何よりそうすることで余計に鬱々とした気持ちになってしまいそうなので、私も教科書とノートを広げるとテスト勉強をすることにした。




 30分は経っただろうか。ペンをくるくる回してみたり、無意味に鞄を漁ってみたり。正直言って、全然はかどっていなかった。問題が全くわからないからだ。
 教科書を開いたまま机の上に立てて読んでみても、何も変わらない。ペンでつつくと、教科書は音を立てて倒れる。思いの外大きい音が出てしまったので、周りから痛い視線を送られてしまった。

「おい」

 再び教科書を顔の目の前に立てて伏せていると、頭上から低い声が聞こえてきた。驚いて顔を上げた拍子に、今度は教科書が床に落ちてしまう。慌てて拾おうとしたが、先程の声を発した人物によってそれは拾われる。空条くん、だった。私の隣に座り、ノートを覗き込んでくる。無意味な線しか引かれていないのを見て、空条くんはため息を零した。

「気が向いて寄ってみれば…これじゃあ結果は目に見えてるな」
「うん…私もそう思う…」

 教科書を範囲のページに広げると、空条くんは足を交差させたいつもの状態で座り、腕組みをしながら「見てやろうか」と呟いた。もちろん、私の勉強を、だ。

「ほんと?いいの?」
「ああ」

 私は大歓迎だが、空条くん自身の勉強は大丈夫だろうか…と思って問いかけると、「教科書読んどけばなんとかなる」という返事を頂いた。なんでも、いつも試験勉強はギリギリまでやらず、前日に教科書を読む程度らしい。末恐ろしいことである。その頭脳を分けてもらいたい。
 とにもかくにも、空条くんに勉強を見てもらうことになった。当面は放課後に図書室で。本棚の影になっていて、入り口付近から死角になっている場所も見つけた。ここなら、周りを気にすることもないだろう。
 それから、日曜日にどちらかの家で勉強会も開こう、ということにもなった。試験は月曜から…追い込みである。

「じゃあ、この前は空条くんの家にお邪魔したから今度はうちに来なよ」
「いいのか?」
「うん。贅沢なおもてなしは出来ないけど…」

 ホリィさんのようにはできないだろう。キッチンも見させてもらったが、アメリカの家庭にでもそうそうないような大きいオーブンが備え付けられていた。私が出せるのは、せいぜい中途半端に焦げたクッキーか市販の菓子類くらい。空条くんは「構わない」と、心なしか嬉しそうである。

「とりあえず、今日は数学からやるぞ」
「いきなり数学ですか…」
「文句あんのか」
「いえ、ナイデス」

 数学は最も嫌いな科目だ。勉強は大体嫌いだが、数学はその中でもダントツで嫌いである。カタコトで返事をした私に、空条くんは抑えた笑い声をあげる。…なんだろう、空条くんの沸点、最近低すぎやしないか。だがクラスにいるときは至ってクールだし、やかましい!と一喝することもしばしば。案外、根は笑い上戸な所があるのかもしれない。お笑い番組とか見るのだろうか。

「なにボーッとしてやがる。問題解くぞ」
「ご、ごめん」

 空条くんは頬杖をつきながら、私が問題を解いている様子を見つめる。はっきりいって、かなり緊張する。やっとこさ一問解き終わると、ペンは手汗でぐっしょり濡れていた。慌ててハンカチで拭き取る。
 その後も何問か解いていった所で、先程うんうん唸っていた問題が出てきた。どうしても解けなかったものだ。

「あの、これなんだけど…」

 空条くんに聞く。だが、返事が返ってこない。俯いていて、時折頭が上下に動く。…どうやら、居眠りをしているようだ。勉強見てやる、なんて言いながら寝てるなんて!
    ちょっとした悪戯心が芽生え、私は空条くんを起こさないよういつも被っている帽子をそっと取り外した。それを彼の座っている椅子の下に置くと、肩を揺すって目を覚まさせる。
 空条くんは起き上がると、寝ぼけ眼のまま手を頭の上に置く。帽子がないことに気付くと、辺りを見回し始めた。

「おい、俺の帽子知らねえか」
「し、知らないよ」

 内心冷や汗をかきつつも白を切る。空条くんはしばらくの間黙ったままかと思うと、次の瞬間には手元に帽子が戻っていた。まるで手品のような早業である。

「名字、お前か?隠したのは」

 私は小さく、ごめん、と呟くことしかできなかった。空条くんの目が、とても冷たかったのだ。普段からクールな所は多々あるが、これほどまでに冷たい表情を見るのは初めてだった。蛇に睨まれた蛙のように、私は身を縮こませる。
 だがそれも瞬時のうちに消えたかと思うと、いつものような雰囲気に戻った。空条くんはつり上がった眉尻を下げ、帽子のつばを手で掴む。

「悪かった…」
「ううん、私もごめん…」

 空条くんは最後に「そこまで怖がらせるつもりはなかった」と呟くと、私が解いた問題を確認し始めた。未だ鋭く脈打つ胸元を押さえながら、深く深呼吸する。
 チャイムが鳴り、図書室を出た後も会話は無かった。帰りの道中でさえも、重苦しい空気が漂う。私は別れる直後、再度ごめんなさい、と謝った。深々と頭を下げ、放課後の出来事を詫びる。

「名字の問題じゃない。俺の   こちら側に、理由がある」
「…え?」
「今は言えない。だが、いつか必ず伝える。あの時のは、俺の勘違いだったしな」
「勘違い…?」
「また明日な、名字。今日のことは気にするなよ」

 私の頭を軽く叩くと、空条くんは歩き出す。気付けば、自宅の目の前だった。空条くんが怒ったのは、私が帽子を隠したせいだ。空条くんが居眠りしたからって、悪戯したせいだ。本人に気にするなとは言われたけど、気にせずにはいられない…。
 明日の朝も、会うだろう。なんだって隣の席なのだから。
 先程まで晴れていたのに、見上げれば暗雲が立ちこめている。まるで今の気分のようだ。墨汁を流し込んだようなそれは、かき混ぜれば更に深い色に染まるだろう。
 …今の私は最低だ。重い足取りで、玄関の扉を開けた。
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