フラクタルな日常
雨が続く中、今日は久々の晴れ。休日ということもあり、近所の公園では子供達が元気に汗を流しながら走り回っていた。私は母親から受け取ったメモを見ながらスーパーへ向かう。これを見る限り、今夜のメニューはカレーだろう。
スーパーには主婦や、私と同じようにおつかいで来たと見られる人達でごった返していた。お金は十分貰っているので、余ったらチョコかなにか買ってしまおうか。軽くなった足取りで自動ドアをくぐる。
外は少しジメジメしていたが、店内は冷房がかかっているのか涼しかった。メモを見ながら目当てのものを買い物かごに入れると、お菓子コーナーへ足を向ける。子供向けの玩具付きのものや、ファミリーパックの大きなものまで様々な種類が並べられている。どれにしようか。
(うーん…これにしようかな)
手に取ったのは、最近CMが流れ始めた…所謂新商品というやつだ。さくらんぼ味のチョコ。アーモンドが入っているみたいで、食感がよさそうである。味は食べてみないとわからないが。
チョコをかごに入れ、もう一度メモを取り出す。買い忘れは…なし。
会計する為に並んだレジは混んでいて、重みを増したかごを何度も持ち直す。やっとこさ会計が終わり外へ出ると思いのほか時間が経ってしまっていたらしく、空が赤みを帯び始めていた。そうだ、夕方から見たかった番組があったんだ!腕時計を見ると、あと30分くらいだろうか。急いで帰れば間に合いそうだ。
店の前の横断歩道を渡り角を曲がったところで、大量の買い物袋を持ちふらふらと歩いている女の人がいた。袋はとても重そうで、その人は息を切らしながら歩いている。
「あの…すいません、大丈夫ですか?持ちましょうか?」
無視するのは胸が痛い。通り過ぎていく人は見てみぬフリをしているようだ。普段だったら私もその中の一人だろう。
だがどうして、今回は無視できなかった。見たい番組も迫っていたのに。
根っからの善人になろうという訳ではないが、「助けなきゃ」という信号が頭のなかで点滅を繰り返す。次の瞬間には、声をかけていたのだった。
「あら!まあ〜ごめんなさいね…一人じゃ持ちきれないわって思ってところなの。助かるわ〜!」
「いえいえ、良いんですよ!どこまでお持ちしますか?自宅まで持ちましょうか?」
だいぶ軽くなったであろう買い物袋を持ち直しながら、女の人は「じゃあ家までお願いしようかしら」と上機嫌で答える。つられてこちらも温かい気持ちになって、天気の話から学校の話まで、色んな話題が口をついて出てきた。
学校…というと、教科書を返してから空条くんはあまり学校に来ていなかった。来る日もあるが、いつもの「おはよう」だけで特に会話らしい会話もない。本来のあるべき姿に戻ったといえるが、まさかあのメモ用紙に描いた似顔絵のせいなのでは…と思い始めている。いや、多分そうなのだろう。
教科書を借りる以前までは、少ないながらも空条くんと会話ができていた。そのことで舞い上がってしまったのかもしれない。はあ…と重い空気を吐く。今度からは気を付けよう。あまり出過ぎた真似はせず、また笑顔で挨拶するように心がけよう。
「あ、ここよ、ここ!ここが私の家なの!」
指さされた家は、立派な日本屋敷。私は驚きで口をあんぐりと開けた。門まである。そして私はあるものを目にし、口をさらに大きく開けて驚きを示した。視線の先には達筆な文字で大きく「空條」と書かれた表札がかけられていた。くう、じょう?くうじょう、と読むのだろうか。もしかしたら、ここは…。心臓がドクドクと脈打つ。
「本当にありがとう!助かったわ〜今度お礼させてちょうだい!」
「え、いやそんな!お構いなく…!」
「いいのよ、遠慮しないで!ちょっと待っててね、いま連絡先書くから」
女の人は鼻歌混じりに私から買い物袋を取り上げ、門を開き自宅の方へ小走りで去っていく。私はその場で呆然と立ち尽くしたままだ。引き戸がガララ、という音と共に開く様子を門のこちら側から見守る。そのうち、メモ用紙を手に戻ってきた。電話番号が記してあるようだ。
「はい!家の番号よ。今度の週末にでも連絡してちょうだい!」
「は、はい…ありがとうございます」
私はメモ用紙をポケットに忍ばせながら、くうじょうはくうじょうでも、別人の「くうじょう」だ。うん、きっとそうだ。そうに違いない、と自身に言い聞かせていた。そのせいで、彼女の名前がホリィさんだということ、そして私の名前を聞かれていたことを危うく聞き逃すところだった。慌てて自分の名前を伝えると、ホリィさんは手を合わせて喜ぶ。
「名前ちゃんっていうのね!私のことは気軽にホリィさんとか、聖子ちゃんって呼んでちょうだい!もう本当に嬉しいわ〜こんな娘がいたら私
」
え、あの、と言う暇も無く、ホリィさんは次から次へと言葉を紡いでいく。太陽のように明るい笑顔で、あれやこれやと話すホリィさんは見ていてとても心が癒されるが、そろそろおいとましたい。だが、遮るタイミングが見つからない。
ホリィさんの言葉に相槌をうっていると、後ろから「おいアマ」と低い声が聞こえてきた。この声は、聞き覚えがある。いつも聞いている。カッと顔が熱くなる気がした。ホリィさんは私の後ろに立っている影に向かって「あら承太郎!聞いてよ〜この子がね、ああ、名前ちゃんっていうんだけど」と、思い描いていた人物の名を口にする。ああ、もう間違いない。ホリィさんは空条くんの母親だったのだ!
空条くんは「オヤジから電話」とホリィさんに告げる。ホリィさんは「貞夫さんから!?」と嬉々として自宅へ駆けていった。
残された私達は無言で互いを見つめる。かなり気まずい空気だ。
「あの、今日、買い物行ったら困ってる人がいて、それがホリィさんでね…」
「……」
空条くんは何も言わない。普段着のせいか、いつもと雰囲気がガラリと変わっている。眉間の皺は相変わらずだが。
他に会話らしい会話が続かず、「雨あがって良かったね!」「それにしても最近は暑いよね」等と脈絡も何もない単語を探しては口から吐き出していると、空条くんは不意に「迷惑かけたな」と短く答えた。
「悪いな…迷惑かけた」
「ああいや…こちらこそ」
てっきりお決まりの文句を言われるかと思いきや、謝罪の言葉を投げかけられ拍子抜けする。思わず姿勢を正してしまった。また無言になってしまったが、先程までの気まずい空気は無くなった。
「もう帰れ」
「え?でも、ホリィさん途中で…」
「別にいい。今はオヤジと電話してるから、ここで待ってたら夜になっちまう」
だから帰れ、と空条くんは顎で示した。動作こそ荒々しいが、全く嫌味は無い。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、空条くんはこちらをじっと見つめてくる。あ、威圧感。学ランじゃないだけマシなのかもしれない。
「今度、ウチに来いよ」
「え!?」
「あのアマは一度言ったら聞かないからな」
あのアマ、とはホリィさんのことだろう。誘われた手前行かないのも悪いが、正直私は迷っていた。買い物袋を持つのを手伝っただけなので、お礼までとなると向こうに迷惑をかけてしまうと思ったからだ。
だが、空条くん本人からも「来いよ」と言われてしまったら行くしかない。自宅から聞こえるホリィさんの高い声に、空条くんはやれやれとでも言うように首を振った。
「また明日な」
「うん、またね」
いつかもこんなやり取りをした気がする。腕時計を見ると、見たい番組は既に終わってしまった時間になっていた。後ろを振り返ると、空条くんがポケットに手を突っ込んだ姿勢で立っていた。
今度空条くんの家に遊びに行くんだ!信じられないような夢心地のまま帰宅する。母親からは「遅かったじゃない、もう」と小言を言われた。買い物袋から食材を取り出し冷蔵庫に入れていると、ドロッとした感触が手に触れた。
「…あ」
すっかり忘れていた。新製品のチョコが、包装紙の中で溶けている。隙間から中身が漏れてはいないようで、ひとまず安心するとそのまま冷蔵庫のポケットにそっと忍ばせた。