追い立てるオーケストラ
 二時間目が終わったあと、教室がざわめいた。空条くんが登校してきたのだ。ガラッという音と共に扉が開かれると、途端に女の子達が取り囲んでいく。険しい顔で「やかましい!」と一括した空条くんは、地に足つかない彼女達を一瞥して私の隣へと座る。直後チャイムが鳴り、先生が入ってきてしまった。空条くんに朝の挨拶をする暇もなく、授業が始まる。
 心にもやもやができたまま、先生の言葉をノートに書き取る。ちら、と隣を見ると、空条くんは授業を聞いているのかいないのか、教科書を開いたまま足を組んでじっと座っていた。まるで教科書に喧嘩でも売っているようだ。空条くんが成績が良いことは誰もが知ることなので、そういう意味での喧嘩では無いのだけれども。なんとなく、そう思った。

「それではここを…名字」
「は、はい」

 指名され、慌てて黒板へ顔を向ける。英文が何行か書かれていた。あの文を日本語に訳せばいいらしい。

「えーと、"私は…"」

 たどたどしくノートを見ながら答えると、先生は「大体良いかな」とコメントし、大事な部分にチョークで線を引き始めた。私はホッとして自分のノートへ視線を落とす。クラスの人達も、黒板の方を向いている。
 ただ一人だけ、じっとこちらを見続ける目線を感じて振り向いた。空条くん、だ。空条くんは私の目を見つめてくる。窓の景色を見ているかもしれないと思ったが、空条くんの目はかっちりと、私を捕らえて離さない。

 「…え?」

 空条くんは口を動かした。声に出して喋ったわけではない。形の良い口が紡いだ言葉は、私が思うに「よかったな」だった。「よかったな」…訳を答えられたこと、だろうか。空条くんがまた前を向く前に、私も口だけを動かし「ありがとう」と言った。少しだけヒュウヒュウと空気が漏れたが、誰も私達が言葉をもたない会話を繰り広げているとは気付かない。
 空条くんは口角をあげると、被っている帽子で顔を覆ってしまった。顔色を伺うことはもうできない。

 瞬間、私は顔を真っ赤に燃え上がらせた。あの空条くんと会話したんだ、とか、笑った顔初めて見た、など、その後の授業の内容は全く頭に入ってこなくて、あとで友人にノートを見せてもらう羽目になってしまった。




 お昼休み。友人らと楽しく昼食を食べ、担任に呼ばれていたことを思い出す。課題を出し忘れた…等ではなく、頼みごとをされたら断れない性分の私は一週間に何回か担任から頼み事をされる。備品を整理してほしいとか、資料を運んでほしいとか、様々だ。
 失礼します、と職員室へ入ると、担任の先生は申し訳なさそうな顔で手招きをしていた。

「悪いな名字、理科実験室の扉を閉めてくるのを忘れたんだ。頼めるかな」
「はい。わかりました」
「よろしく!」

 先生は書類を片手に職員室を飛び出して行った。何人か同学年の担任をしている先生がいないことを見ると、会議だろうか。私は受け取った鍵を握りしめ、失礼しました、と理科実験室へ向かうため言葉を発した。




 実験室へ近付くと、人気は全くといっていいほど無くなってしまった。校舎から離れた位置に建てられている為、よほどの暇人でない限りは皆近付かない。先生によると、大事な薬品が厳重にしまってあるとか何とか。生徒達の間では七不思議のひとつに上げられる場所だ。
 そういう類のものは信じない方だが、一人で、しかも空が曇り空なせいか薄暗い廊下はヒヤリと冷たい空気を纏っている。

「いやいや、まさかね」

 理科実験室の前まで来ると、扉は少し開いていた。そのまま閉めればいいのに、好奇心が抑えきれなくて私は教室へ足を踏み入れた。

 薬品の香りが漂っている。その教室の片隅で、大きい影がゴソゴソと動いている。声をあげそうになって口元を抑えたが、よくよく見ると影の正体は空条くんであった。机の上に、弁当を広げている。

「お前は…」
「あ、あの、おはよう」

 思わず口走ったのは、言いそびれた朝の挨拶だ。空条くんは箸を右手に持ったまま「ああ」と返してきた。その後すぐ、「どうしてここに」とも。
 私が教室の鍵を閉めようとやって来た事を伝えると、空条くんはさして驚いた様子もなく「そうか」と返事をした。
 私は心の中で、教室に入ってよかったと安堵のため息をつく。もしもそのまま鍵を閉めてしまったら、危うく空条くんを閉じこめてしまう所だった。でもなんでここに…と口に出す前に、校舎のあちこちでとある人物を探し回る女の子達を思い出す。お昼くらい静かに食べたいよなあ、と一人納得してしまった。

「すぐ食べ終わるから、待ってろ」
「うん。わかった」

 空条くんはその大きな身体に合うように、お弁当も普通より一回りも二回りも大きかった。それを大口を開けて食べている空条くんは年相応に見える。普段は無口で表情も殆ど変わらないが、心なしか柔らかい雰囲気を帯びている気がした。
 そしてこの場は私と空条くん二人だけなわけで、そのことに気付いた私は手元の鍵を弄ぶ作業へと没頭する。特に会話らしい会話もなく、空条くんがご飯を食べる咀嚼音が少し耳に響くくらいで私はすぐさま走り去りたい衝動に駆られた。それができないのは空条くんに「待ってろ」と言われたのもあるし、もう少し一緒にいたいと思っているからだ。

「鍵、貸せ」

 空になったお弁当の包みを鞄に戻すと、空条くんは私の手から鍵を持っていく。一緒に実験室を出ると、カチリ、と軽快な音と共に彼の手で鍵がかけられた。

「お前は授業があるだろ。俺が返しておく」
「え、でも…」

 空条くんはさっさと歩き出してしまった。慌てて後ろへついて歩く。空条くんは歩幅が大きいので、私は少し小走りになってしまう。
 会話も無いまま、いつの間にか職員室の前に来ていた。授業開始5分前のチャイムが鳴る。
 空条くんはさっさと職員室に入り、さっさと出てくる。どうやら先生達は誰もいないようだった。担任の机の上に置いてきたらしい。私は空条くんの後ろへと目線をやり、職員室を見渡した。担任の先生の机の上に、乱雑に置かれた紙の束が溢れている。パッと見て分かりやすいような位置に、実験室の鍵は置かれていた。

「またな、名字」
「あ、うん。またね」

 名前、覚えててくれたんだ。私はその事実に驚きながら、空条くんの後ろ姿を呆然と見つめる。ん?待てよ、「またな」ってことは、私はもう一度空条くんと会話ができるということなのだろうか。
 廊下に本鈴のチャイムが鳴り響く。私は考えることを放棄し、早く教室へ戻るために走り出した。
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