オーバーチュアは唐突に
 承太郎と会わなくなって二週間が経ったろうか。
 私は頭を悩ませていた。春休みに入る前に受け取った成績は相変わらず良くも悪くもないが、英語に関してはリスニングが致命的であった。手元の返却された解答用紙は、その部分だけ真っ赤である。
 それに、自分自身の進路についても特にこれといってやりたいものが無かった。強いて言えば本を読むことが人より多いかもしれない、という位で、承太郎のように明確な答えは出ていなかった。友人らも進路を決め、学校が始まる頃にはその道に向けて進み始めるだろう。いや、既に歩き始めているのかもしれない。

「はあ……」

 ため息をひとつつくと、私は図書館へ出かけることにした。まずは英語力がどれだけ必要か、そして自分の将来を決めるためだ。図書館ならパソコンもある。私の家は父親が仕事で使っているだけで、母親と私は持っていない。家族用のパソコンもない。それに、そういう事に関しては少々疎かった。使いたいときは図書館かネットカフェ、もしくはパソコンを持っている友人に頼んで使わせてもらうしかないのだ。
 簡単に身支度を済ませると、玄関の扉を開ける。外の空気は寒くもなければ暑くもない、春を感じさせる陽気だった。

 そして  調べた。調べる度に、身体がズシズシと地面にめり込んでいくような気分だ。
 アメリカの大学の試験は思った通りそれなりの英語力が必須で、国内で行われている英語の試験でそれなりの点数をとらなけれいけないようである。前途多難だ。

 承太郎はアメリカへ行くだろう。果たして、私も向こうへ行くべきか否か。進路というのは、この先の人生を左右するものだ。下手したら……。
 ただその場の勢いだけで決めても仕方がない。それに、恋愛感情で決めるべきものではない。私は私、承太郎は承太郎だ。夢に向かって突き進んでいくのだ、素晴らしい事ではないか。
 私は、承太郎が羨ましい。いつも思う。一歩も二歩も先を歩き、恐れも無く突き進む。私には出来ない。後ろを着いていくだけで精一杯である。
 結局のところ、何も成長していないのだ。だったら今からでも頑張ればいい。精神的に承太郎に頼り切ってしまっていたのかもしれない。私も、承太郎の隣を共に歩きたい。そしていつかは、私が頼るのではなく、頼ってもらえるような……そんな存在になれたら。

 どこか吹っ切れたような気がして、私は鼻歌交じりに歩き出す。帰ったらおやつは何を食べようか、そんなことを考えながら。





 数日後。眠りから覚め携帯を見ようとして、電源を切っていたことを思い出す。起動すると、着信履歴が入っていた。承太郎からである。結構な数の履歴が入っていたように思うが、よく見ずにすぐ電話をかけ直した。数回のコール音が鳴り、声が聞こえてくる。

「名前か?」
「うん」

 承太郎の声は少し掠れていた。私は寝起きということもあり、上手く返事を返すことが出来なかった。承太郎は数秒黙った後、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「この前の事なんだが……言いそびれたことがあってな」
「何?」
「名前、アメリカへ行く気はあるか?俺と一緒に」

 ベッドの上で正座しながらそれを聞いていた私は、驚きのあまり立ち上がる、と同時に足がもつれ、床へ不時着した。少し足を捻ったかもしれない。

「アメリカに、私も」
「ああ。色々問題もあるだろうが、俺は名前とアメリカへ行きたい……俺はどうやら、お前なしではいられないらしいからな」
「え、あの、そ」

 それはどういうことでしょうか、という言葉は喉の奥に引っ込み、水中の魚のように口をぱくぱくと動かす。空気の泡は出てこないが、変わりに思いきり咽せた。

「今すぐにとは言わねえが  
「ねえ承太郎」
「あ?」
「私もね、夢が出来たんだ」

 翻訳家になって、承太郎が書いた本を翻訳するの。可愛い魚達のイラストも付けて。
 そう言うと、承太郎は暫くした後に笑った。俺は学者になること前提なんだな、と。

「だって、やるって決めたらやるでしょ」
「まだ分からねえよ」

 笑い声が響いた。久しぶりの会話だが、後から後から言葉が出てくる。心が満たされていくのが手に取るように分かる。

 私はこの数日間、悩みに悩んだ。好きなこと、と言えば本を読むことだが、自分で書くつもりはないし司書を目指すつもりもない。
 そしてたどり着いたのが翻訳である。英語力が一番の課題だが、本気で取り組めば道も開けるだろう。翻訳、と簡単に言ってしまったが、私は本気だ。本気だからこそ、目指そうと思ったのである。

「アメリカに行くかはまだ決めてないけど……視野には入れようと思う」
「……そうか」

 承太郎は明るい口調で言い、また電話する、と付け加え通話を切った。
 眠気はとうに無くなり、携帯を握り締める手は心なしか震えている。私は折り曲げていた足を伸ばす。長く正座していたせいか、一歩踏み出す事にビリビリとした感覚が全身を襲った。よろよろとした足取りで階下へ降りると、母親がテレビを見ていた。私はお母さん、と呼びかけ、深く息を吸い込む。

「あのね」
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -