この手を取って
 鋭く、刺すような風が頬を撫でる。もう冬は目の前だ。先日押し入れから引っ張り出してきたばかりのマフラーを首に巻き、寒さに耐えながら学校までの道のりを歩く。もう少し厚めのシャツを着てくればよかった、と思ったが、朝は時間が無いのでそうも言っていられなかったのだ。天気予報では午後からさらに気温が下がると言っていたっけ。
 やれやれ、と誰かさんのように呟いてみる。さらに強い風が吹き始め、私は歩くスピードを速めた。

 学校まであと半分のところで、後ろから声をかけられる。振り返ると、花京院くんだった。

「花京院くん、おはよう」
「おはよう、今日は一段と寒いですね」

 いつもより早く起きちゃったよ、と言う花京院くんに、私は驚いた。私なんかいつも通り睡魔と格闘したよ、と話すと、花京院くんは笑った。薄く、白い息が空に消える。

「あと五分だけ……と思って寝ると、三十分経ってますよね」
「そうそう!これからもっと寒くなってくるし、ますます布団が恋しくなっちゃうよ」
「布団だけ……ですか?その後は順調と聞いてますが」

 花京院くんの口元が意地悪くつり上がる。私はその表情を見て、顔に熱が集まった。知らない!と早口で言うと、足早にその場を立ち去る。花京院くんが「あ」と一言漏らす頃には、私はさっさと横断歩道を渡り校門まで来てしまった。ちょっと悪いことをしただろうか。
 でも、と私はより一層マフラーへ顔を埋めながら思う。ああ、彼と付き合うようになって暫く経つというのに、姿を思い浮かべる度に今でも心臓は早鐘を打ち、脳の隅々まで沸騰してしまうのだった。

 学期が変わり、席替えが行われたことで私は承太郎の隣ではなくなった。あのひと夏で、私はとんでもない躍進を遂げてしまった。ドッキリでした、と看板を掲げた人が現れても大して驚かない自信がある。それでも鞄に入れていた携帯が震え、メールの着信を告げた音を聞き、その相手が承太郎だとわかると   私は毎回ホッと胸を撫で下ろすのだ。
 承太郎からメールが来ることはさして珍しいことではない。だが、それは世の中の恋人同士が送りあうような文面ではなかった。隣同士の時に交わしあっていた朝の挨拶が、口から手元へのコミュニケーションに変わっただけである。その証拠に、メールの文面は「今日は行かねえ」の一言だけであった。

「”わかった。承太郎の分もしっかり聞いとくね”……っと、送信」

 画面に送信完了の文字が出る。担任の先生が教室の扉を開けて入ってきたので、私は慌てて鞄の奥底へ携帯をしまいこんだ。



 一限が終わり、先生が教室から出たのを見計らって再び携帯を取り出す。メールの着信を知らせるランプが点滅していた。誰から送られてきたのかは明白である。
 文面は先程と同じく、素っ気ないものだった。「放課後に俺ん家」とだけ綴られている。私は満面の笑みでその文字を見つめ、了承の返事をした。

 手を繋ぐことはあっても、それ以上のことは無い。キスだって、夏祭りのあの時だけだ。友人に言わせれば「奥手、純粋、悪く言えば意気地なし」と専らの評判だけれど、私はむしろこのままで一向に構わない。向こうの姿を確認しただけでも全身が溶けてしまいそうな錯覚に陥るというのに、これ以上何を求めると言うのか。

「名前、もっと貪欲になりなさいよ。せっかく大物をしとめたのに」
「お、大物って……そんな魚みたいに」

 カラカラと笑う目の前の友人は、購買から買ってきた菓子パンを一口サイズに千切りながら言う。やれ魚だ大物だと揶揄しているが、なんだかんだで一番真剣に私のことを考えてくれるのは彼女なのかもしれない。
 承太郎といえば女生徒からの人気が凄まじいが、友人は以前から「ああ、イケてるよね」と言いつつもあまり関心は寄せていなかった。私が「今日はあんなだった、こんなだった」と報告しても、笑いをこらえながら頷くだけであった(たぶん私の興奮した顔が余程可笑しかったのだろう)。

「ああ、気にしてたの?だって、苦労しそうだもん。色々とね」
「色々?」
「そ、色々。私はジョジョ意外に気になってる人いるから  
「え、うそ、誰!?教えてよ!」
「教えなーい。名前のノロケ話聞いてるだけで十分!」
「ずるい!それに、そもそも私のはノロケ話じゃない!」

 友人は残った菓子パンを一口で頬張ると、だんまりを決め込んでしまった。ニヤニヤ顔も忘れない。私は再度、やれやれとでも言うように短く息を吐く。決して真似をしているつもりはないが、そう思わざるを得なかった。友人は私の動作を見て、ますますニヤニヤしている。そんな友人に「バカ」と呟いたところで、昼休みの終了を告げるチャイムが響いた。



「え」

 下校前のホームルーム中に私の携帯が震えたので見つからないよう確認すると、また承太郎からのメールであった。「放課後 裏口」……またしても素っ気ない内容であるが、え、と声を漏らしたのは、その後に綴られていた内容があまりにも彼らしくないからだった。

 ホームルームが終わり急いで裏口へ行くと、承太郎が壁に背を預けながら煙草を吸っていた。私の姿を捉えるや否やすぐさまそれを消す。辺りにはまだ煙の匂いが残っていた。……承太郎の香りだ。私は思わず顔を綻ばせた。
 承太郎は行くぞ、と呟くと、私の鞄を半ば強引に奪い、空いた手を握り締めてくる。驚いて見上げるが、承太郎はいつもより帽子を目深に被っているせいか表情がわからない。ただ、触れている手はとても熱かった。それだけで、私の顔にも一気に熱が上がってきたように感じるのだった。
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