花色ひと重ね
 あっという間に日曜日になった。空条くんは少し遠慮がちに、私の部屋へと足を踏み入れる。無論、私はガチガチに緊張していた。
 図書室でのことは、あれから話題にものぼらない。翌日、空条くんはいつもと変わらない様子だったし、再度話題にしたことによって雰囲気が悪くなるのは避けたかったからだ。放課後は毎日、図書室の隅の方で勉強を教えてもらっていた。空条くんの教え方はわかりやすい。それに、的確だ。
 今だって、わからない問題を聞いたらすぐに答えてくれる。私はポテトチップスを一枚だけ口に放りこむと、また問題にとりかかる。

    こうやって一緒にテスト勉強をしているなんて、不思議な感覚だ。この前までは、話すことすらままならなかったというのに。そして、空条くんが普通に勉強している姿を見るのも「高校生だなあ」という感じがする。もちろん同い年であることに変わりはないのだけれども、空条くんは大人である。不良で、大人なのだ。
 時々、空条くんがどこの学校の誰と喧嘩したらしい、なんて噂が流れることもある。私は不良の喧嘩事情なんて、これっぽっちも知らない。その話を聞いたときは、怖いと思った。怖かったが、空条くんは理由なしに誰彼構わず殴る人ではないんじゃあないかとも思った。空条くんは、良い人だ。今だって、私の勉強も見てくれているし。根は、結構優しいんだと思う。不器用、なのかな。私が言えることではないけれど。
 そこまで考えて、私はハッとする。

(私、空条くんのこと本当に好きなんだ)

 どこか他人事のような感覚だが、じわりじわりと胸の中に確かに広がってくる。心臓の鼓動が心なしか跳ねた気がした。

 ボーッと空条くんを見ながら考えていたら、頭を小突かれた。「真面目にやれ」と。はい、と軽く返事をする。たったそれだけのことなのに、とても嬉しい気持ちになる。思わず、口角が上がってしまった。私はそれを隠すように、オレンジジュースを口に含んだ。




 時計の長針が二周半程したろうか。これで大方、範囲は片付いただろう。フーッと長く息を吐く。

「さすがに、これだけやれば何とかなるだろう」
「うん。空条くん、本当にありがとう。これでテスト頑張れそうだよ!」

 色々な言葉や数式やらでごっちゃになり、机の上に散らばった紙を片付けながら言う。二人でかなりの枚数を消費した。いつ見ても、空条くんの字は大胆だ。大胆であるが、繊細さも兼ね備えていると思う。ちょっとクセのある、空条くんらしい字である。
 対する私は…と、重ねてある紙を最初の方から見てみる。一枚目から二枚目くらいまでは、頑張って綺麗に書こうと努力している痕跡が見て取れた。だが半分を過ぎた辺りで、辛うじて読めるくらいの汚い字へと変化してしまっていた。「辺」という字が、汚すぎてただの四角に見えてしまう。空条くんに見られないよう、すぐに元の位置へ戻した。

 明日から期末試験が始まる。それが終われば、もう夏休みだ。そして新学期が始まれば、席替えが行われるだろう。…空条くんとも、お別れである。
 この数ヶ月間、とても幸せな日々を過ごしてきたと思う。好きな人と隣の席になって、色んなことを話すようになって、こうして一緒に勉強しているなんて。本当に、夢のようだ。そんな夢のような時間が終わりを告げようとしていることを考えると、やはり胸が痛んだ。もっともっと、と欲が出てきてしまう。そう思わずにはいられなかった。

「…なあ」
「んー?何?」

 頬杖をつきながら上の空で返事をする。エアコンをかけてはいるが、窓から入ってくる陽射しが少々暑い。加えて、長時間机に向かったことにより疲労も出ている。いつもならばちょこんと出ている空条くんの前髪が、今は見当たらない。撫でつけているのだ。前髪が出ていないだけで、こうも雰囲気がガラリと変わるものなのか。
 向かい合わせに座る空条くんの姿を見つつ、そんなことを考えていた。だから私は、空条くんの言葉を聞き逃してしまったのだ。慌てて、もう一度言ってくれるように頼む。

「…だから、今度祭り一緒に行かねえかって誘ってんだよ。何聞いてたんだテメーは」

 空条くんは頭の上まであげかけた手を首筋へ持って行き、ポリポリと掻く。学帽を被っていたなら、目先まで深く被り直していただろう。気恥ずかしそうにそっぽを向く。
 私は、そんな空条くんの様子をただ黙って見つめた。祭りに行こうと誘われたことにより、時が止まってしまったのだ。空条くんが私の肩を揺するまで、まばたきすらしていなかったように思う。焦点が合った途端、乾きを潤そうと涙が出てきた。慌ててそれを拭う。

「行く、空条くん、行くよ!」
「なに泣いてんだよ」
「これは、目が乾いちゃって…」

 拭った拍子に睫毛でも入ってしまったのか、それとも余程目が乾いていたのか、あとから涙が溢れてくる。嬉し泣きだとかそういうのではないが(それでも嬉し泣き出来るくらい嬉しい出来事である)、止まらなくなってしまった。
 空条くんの視線が私の視線と絡む。身をかがめて、私の肩をがっしりと掴み、頬に手を当てる。目蓋を少し上に引っ張ったり、目尻を横に引っ張ったりして、空条くんは私の目をじっと見つめる。ものの数秒後、空条くんの指先には睫毛が乗っかっていた。

「名字の、睫毛」

 フッと息を吐いたつもりもないのに、取り出された睫毛は宙を舞って姿が見えなくなった。それをじっと見つめた後、空条くんとの距離の近さに私は思わず息をのんだ。
 肩に添えられた手はそのまま、目の前には空条くんの指先、視線をすぐ右に向ければ端正な顔。大きな瞳、凛々しい眉。空条くんの視線が、再びこちらを射止める。

「あの…お祭りはいつなの?」

 心臓が破裂しそうな中、苦し紛れに出た言葉は祭りはいつか、の一言だった。その言葉で空条くんは素早く「テスト最終日の夜」と告げる。いつの間にか、元の場所である目の前に座っていた。

「…俺はもう帰る」
「うん。テスト、頑張るね。お祭りも、楽しみにしてる」

 私は何事もなかったかのように立ち上がり、玄関まで見送る。空条くんの姿が見えなくなると、へなへなと座り込んだ。全身の力が抜け、胸の辺りを押さえる。

(これは、完全に、まずい)

 祭りへ行く。何人で?空条くんは人数を指定していなかった。他に人は来るのか…だがそれならば、伝えてくれる筈である。私と、空条くんの二人だけ、だ。
 喜びと緊張と色んな感情が混ざって、思考回路は停止する。震える足をなんとか踏ん張って自分の部屋へ戻ると、私はクッションを顔に押さえつけてベッドへ寝転んだ。…もう、テストどころではない。どうするんだ。今から、どんな気持ちで過ごせばいいのだろう。
 あー!とかうー!とか、クッションの中でくぐもった声をあげる。机の上に、重なった紙が置いてあるのが見えた。ああ、初日から数学のテストだ。空条くんの書いた数式がある…。私はクッションをベッドへほぼ叩きつけるように投げると、未だフラフラとした足取りのまま翌日に備え問題に取り組み始めたのだった。
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