私が終わる音

 幾度目かの叫び声がどこからか響いてきた。今夜はひっきりなしにあちこちから聞こえてくるそれは、暗い部屋で月を見ているなまえの耳にも届いていた。
 ギィ、と音をたてて扉が開いた。瞳は赤く燃えるようで、爛々と輝いている。金色の髪を夜風に靡かせ、ディオは妙に上機嫌でなまえの前へ座る。

「どうだ、人間をやめた気分というものは?」
「……」

 なまえは答えなかった。口を開くことも億劫になっていた。血を欲したくなるからだ。それに、この男  ディオに屈した気分になるのも嫌だったからだ。

 なまえは数人の女達と共に、この屋敷に拉致された。恐怖で全身が震えていたが頭は冷静で、様々なことを思い返していた。
 なまえは、貧民街出身だった。今でこそ身なりはそれなりなものの、ついこの間まではボロを纏ったような格好をしていたのだ。
 数週間前に、街のとある裕福な家に使用人として引き取られた。そこで待っていたのは  ……娼婦でももう少し良い扱いを受けるだろう。なんとか貞操は守ったものの、二度と思い出したくないようなことばかりだった。

「顔色が悪いぞ」
「……」
「フン、相変わらずつれないな」

 なまえがディオを初めて目にした時は、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。それでいてバターをたっぷりつかった菓子を食べているような、幸せな気持ちにもなった。危険な雰囲気を感じたが、その危うさに逆に惹かれていく。そんな印象だった。なまえは怯え、一歩後ずさったが、周りの女達は瞬時に虜になっていた。正気を失ったように、彼に縋る者もいた。その人は命乞いをする為だった。

 なまえらは一室に案内された。暖炉に火がくべられているが、暖かさを微塵も感じない。芯から恐怖で凍えていたのだ。
 しばらくすると、部屋に短身の東洋人の男が入ってきて、一人ずつ呼ばれて出て行った。なまえも途中で呼ばれた。男に着いていった先には、ディオがいた。椅子にゆったりと座り、暖炉の前でワインを飲んでいた。彼の足元には、先ほどの女達が恍惚の表情を浮かべたまま倒れて動かないでいる。

 恐怖で震えているなまえを見ながら、ディオは口を開いた。

「なまえといったか……君はいま、恐怖に怯えているね?私が、その恐怖を取り除いてあげよう」

 神経毒のように骨の隅々まで染み渡ってくる言葉に、なまえはゆっくりと息を吐いた。だがディオの手が目の前まで迫ってくると、我に返ったようにそれを払いのける。なまえは今までの人生で学んでいた。甘い言葉には、必ず裏があるのだ。幼い頃は考えるような頭もなかったので、何度も騙された。
 意地でも生き抜いてやると、その頃から強く思うようになったのだ。

 ディオは手を払われ、顔には出さないが内心驚いた。震えが止まった様子の彼女の目は、夜の海底よりも暗い。ディオはその目に見覚えがある。幼い頃なので記憶は曖昧だ。酷い父親と、そんな父親を愛した母。母が、父親を見ている時の目だ。

「興がさめた……下がれ」

 ディオの脳裏に、なまえの目が焼き付く。彼女は部屋を出て行ったが、未だそこにいるかのように感じさせる。
 次にやってきた女は、部屋に入るなりディオに縋りついた。命ばかりは助けてほしいと、泣きながら何度も繰り返す。そのうち、干からびた死体が転がった。
 血を吸っても、何度女を抱いても、埋まらない何かがある。ディオにはそれが分からない。彼女の目が見つめてくるような気がする。

「ディオ」

 なまえが名を呼ぶ。つい先日、彼女を己と同等の存在にしたディオは、その声を甘んじて受け取った。ディオは彼女を吸血鬼にするつもりは無く、ただの蓄えとして生かしておくつもりだったが、予定が狂ってしまった。

「……私、どうしても……血が欲しくなってしまって……」

 ディオはその言葉に口の端を上げ、なまえは例の目でディオを見つめた。
 寝台に彼女を連れて行き、自身は下に、彼女は上に。元々薄着だったので、ディオはすぐに首筋から鎖骨にかけてを晒し、なまえが喉を鳴らす様を見上げた。

「食えよ」

 吸血鬼の血は果たして美味いのだろうか。なまえが恐る恐る牙を突き立て、漏れ出た血を舐める動きを感じ取りながらディオは考える。目の前にあったなまえの首筋に爪で傷をつけ、舌で擽るように舐めとる。
 彼女の血はとても美味しかった。熟したワインのようだ。

 二人で互いの血を分け合った後、再び顔を見合わせる。唇は赤く、端から血が滴っている。ディオはそんななまえの姿をじっくりと眺めると、ゆっくりと滴り落ちるそれを舐めとった。
 ディオは眉根を寄せた。自分の血はとてもまずかった。

title:ジャベリン/コンクリートガール
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