夏が消える

※特殊転生/死ネタ


 承太郎は海に来ていた。昔、家族で旅行に来た場所だ。
あるホテルのプライベートビーチ…細かい砂が足元で波にさらわれていく。そうだ、この辺りだ。"彼女"を拾ったのは…。




 かつて空条家の隣には、みょうじ家という家族ぐるみで付き合っている家族がいた。その家は空条家とは違い、家柄も何もかもが普通の家庭である。だがそんなことは関係なく、二つの家族は彼らの子供達が産まれる前からお互いに仲良く暮らしていた。
 承太郎が物心ついた時、いつも隣にはみょうじなまえという同い年の女の子がいた。彼女は生まれつき身体が弱く外では遊べなかったが、承太郎は色んなことをなまえに話してやった。今日はどういう遊びをした、母が作った弁当の中身、先生の話、友人の話…なまえは承太郎の口から飛び出す話に嬉々として耳を傾けた。
 なまえの体調が良ければ、外で遊べる日もあった。もちろん走ることは禁止されたが、承太郎は彼女と一緒に過ごすことが一番の楽しみとなっていた。

「だーれだ?」
「なまえちゃんでしょ?」
「うふふ、あったりー!」

 なまえは後ろから手を伸ばして相手の目を覆い、自分が誰かを問う行為が大好きだった。声色を変えてみたり試行錯誤を繰り返すが、いつも遊ぶのは二人だけだったので承太郎はいつもなまえの名前を当ててしまう。それでも、この遊びは会うたびに毎回行われた。今思えば、挨拶代わりだったのかもしれない。

 いつか、彼女に聞いたことがある。

「なまえちゃんは好きな子いるの?」

 子供ながらに大胆な発言をした、と承太郎は浜辺に打ち寄せる波を見つめながら思う。木々の葉が茜色に染まってきた時期のことだ。なまえは耳を赤く染めながら、「いるけど、教えない!」と半分怒りながらおままごとを始めた。
 あれ以来、この話題は禁句となってしまう。問い詰めると、おままごとで承太郎が浮気する、という設定になってしまうのがお決まりだったからだ。あなたが浮気しているのを見たのよ!と、どうやって知ったのかはわからないが、なまえは指差して叱りつける。小さな身体をさらに縮こませて、幼い承太郎は「頼む、もうしないから許してくれ」と、昼ドラのような台詞を言うのだった。

 楽しい日々が終わりを告げたのは突然だった。小学校低学年の頃だ。昼休みが終わった後、担任に呼ばれた俺は職員室へ連れて行かれる。担任の先生の机には電話が置いてあって、促されるまま耳に受話器を当てる。母さんからだった。震える声が、今でも耳に残っている。

「承太郎、落ち着いて聞いてね。さっき、みょうじさんから連絡があったの…なまえちゃんが、亡くなったんだって。心臓がね、びっくりしちゃったんだって」

 その後のことはよく覚えていない。その日は学校を早退し、なまえが運ばれたという病院へ行ったんだと思う。幼い俺が現実を受け止めきれない間に、早くも葬儀が行われた。死化粧をしたなまえの顔は、今まで見た中で一番綺麗で、死んだことなんか無かったかのように…本当は眠っているだけなんだと思わせるには十分だった。
 だが、現実は違う。坊さんのお経は、聞き流していた。それよりも、俺は明日からどう生きていけばいいのか、それだけを考えていた。なまえがいないなんてありえない。
 葬儀が終わり家に帰ってから、自分の部屋で声をあげて泣いた。泣き疲れて眠り、翌日は目が腫れぼったくなってしまった。

 ───足元で、小さな貝が口をあけている。過去の回想から、現実に引き戻される。承太郎は打ち寄せる波の際をただ歩いた。そう、なまえが死んでから数年経った、ある夏の日だ。

 ホテルのプライベートビーチということもあり、客はまばら。俺は一人、浜辺で遊んでいた。両親は若い頃に戻ったかのように、二人でデートでもしているかのようだったからだ。一応、気を使ったつもりだ。
 プラスチックのスコップと同じ素材の小さなバケツを持ち、適当な箇所をほじくる。綺麗な貝があれば拾って持ち帰ろうと思っていた。だが出てくるのは殻が欠けているものばかりで、俺は半分やけくそになりザブザブと海へ入る。
 浅瀬といえど、小さい子供には十分深い。膝まで浸かると、両手を海水へ突っ込み直接足元の砂を触ってみた。すると、ブニ、という独特の感触が伝わる。陽に晒してみると、それはヒトデだった。初めて見るそれは子供の興味をそそるには十分で、俺は暫くぼーっと手の中の星型の生物を眺めていた。

「…え?」

 ヒトデは、最初に見たときは鈍い橙色だった。だが次の瞬間には漂う波の色、そして薄く輝くグリーンへと変化する。それはまるで俺の目の色を映しているかのように、キラキラと反射していた。眩しくて目を逸らしたら、手元のヒトデは元の橙色に戻ってしまっている。振ってみても、海水をかけてみても、先程のような綺麗な色になってはくれない。
 俺はコイツを飼うことにした。もう一度、あの虹のように光輝く姿を見たかったのが一番の理由だ。バケツに放り込み、海水を少しいれてやると、水を得て嬉しいのか五つの腕がゆっくりと動いた。




 両親はヒトデを飼うことに何も言わず、むしろ後押ししてくれた。特に母のホリィは俺の部屋に来るたび「花子ちゃん、今日も元気ね!」などと水槽の中の生物に声をかけて出て行く。花子、と呼んでいるが、果たしてこのヒトデは雄なのか雌なのか…。母は勝手に雌にしているようだが。
 休み時間に学校の図書でヒトデについて少し調べてみたが、どうやら雄と雌を見分けるのは難しいらしい。俺は特に性別に関してはどちらでもよかったし、母の言う通りひとまず雌として扱うことにした。だが花子、と呼ぶのは憚られた。あまりに典型的だったからだ。
 犬や猫ならば、すぐに名前は決められただろう。ヒトデ、ということが問題だ。しっくりくる名前が見つからない。俺は机に頭を突っ伏しながら唸った。このままでは花子で決定される。それだけは嫌だ。

「……なまえなら、どんな名前をつけたんだろう」

 数年ぶりに口にした彼女の名前。水槽を見ると、ヒトデは海水に浸ったままボツボツした溝に大量の小石を詰まらせていた。そのままにしておくのも可哀想なので、詰まった小石を掃除用の爪楊枝でかきだしてやる。ヒトデはスッキリしたとでもいうように腕を動かした。
 時折、コイツは意志を持っているのではないかと思うような行動が多々あった。今だってそうだし、餌の時間になれば水槽の側面に張り付いている。餌の時間が遅れると、小石をめちゃめちゃに掻き回す。

「おい。お前、花子って名前がいいか?」

 手の中の星は微動だにしない。

 ポチ、スター、太郎、色んな名前を思いつく限り並べるが、どれも無反応。やっぱり意志なんて無いか、とヒトデを水槽の中に戻す。その瞬間に、俺でも何を思ったのか分からないが、「なあ、なまえなんてのはどうだ?昔、友達だったんだ」と呟いた。ちょっとしたひとり言、そんなつもりだった。
 するとどうだろうか。水槽に張ってある海水に浸そうとした瞬間、ヒトデはもぞもぞと反応を示したのだ。「なまえ」ともう一度語りかけると、側面に張り付いたソイツはまるで挨拶をするかのように、五星の中の一本の腕を動かす。

 ヒトデの名前は、なまえと呼ぶことに決定した。
 もちろん、これは一人で部屋にいるときだけだ。母は相変わらず「花子」と呼んでいるし、父はヒトデ、コイツ、お前、と様々。俺は両親がいるときは、何も言わなかった。

「なまえ、餌だぞ」

 最初のうちはどうも慣れなかったこの名前も、数ヶ月経つ頃にはしっくり馴染んだ。もう数年経つ頃には違和感は消え、星型の姿はすっかり家族の一員となっていた。
 なまえ…この名前を呼ぶたび、彼女の姿を思い出す。忘れていたわけではないが、亡くなって数年経ち隣に住んでいた彼女の両親も引っ越してしまったので、日常で考えることはほとんど無くなっていた。
 なまえは逝ってしまった。これから何十年も生き、人生を謳歌することもない。水槽の中のなまえは餌をたいらげ、「どうしたの?」とでも言うようにじっとしている。姿は違うのに、俺にはこの生物がなまえの生まれ変わりのような、そんなありえない錯覚を起こす。何故そう思ったのか…彼女のことを考えていたから、なのかは分からない。星型の棘皮動物となったなまえを手の中へ掬い上げると、ボツボツ、ブニブニ、そういった感触が伝わった。

「なまえ。お前は、なまえなのか?」

 こみ上げてくる熱を抑えつつ尋ねる。幾許か低くなり始めた声は、あれから随分と年月が経った事を伝える。
 手の中のなまえは動かない。動かなかったが、不思議なことが目の前で起こった。

 それは、拾ったとき以来だった。始めは透き通るような海の色、次は太陽のように薄く輝く赤色。俺の瞳の色を映したような淡いグリーン…。虹色に、輝いた。
 ものの時間にして数分の出来事だったが、何時間もその光景を見ているように感じた。万華鏡を何倍にも大きくして覗いたようなその情景に、目を奪われた。

 最期の瞬間、なまえは真っ白に光り輝いた。その光は部屋全体を白くする程で、俺は思わず目を瞑った。
 とん、と右肩に小さな重みが乗る。それに驚いて目を開けると、生前の、幼い姿のままのなまえが後ろ向きで目の前に立っていた。俺は歩いて近付こうとした。だが、俺の足は動かない。なまえはどんどん遠ざかってしまう。待って、と声をあげることもできない。

「承太郎」

 名前を呼ばれた。なまえの声だ。なまえ、なまえ、俺は声にならない声をあげる。目からは大粒の涙がこぼれ、手の中のなまえを濡らす。
 そして気がつくと、元の自分の部屋だった。全身汗びっちょりで、着ているシャツに染みをつくっている。
 周りを見回しても、彼女の姿はどこにもない。時計はそれほど進んでいないし、手の中にもヒトデが変わらず存在している。
 そう考えたところで、俺は愕然とした。手の中のそれは、さっきまでは橙色だった。だが今は、くすんだ灰色へと変化してしまっている。どこを触っても何も反応しない。見る見るうちに美しい星型は崩れ、歪になる。死んでしまっていたのだ。

 家族に見守られながら、それは庭の土へと埋められた。涙は出てこなかった。不思議と落ち着いていたのだ。
 薄暗くなった空に、蝉が煩く鳴いている。

 大人になった承太郎は、今まで歩いてきた道を振り返る。浜辺につく足跡は、波にさらわれてしまったのか消えていた。
 彼女はもういない。この世にもう、存在しないのだ。
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