縋りつく午後

 強くもなく弱くもない雨が窓を打ちつける。午後はなまえと散歩にでも出かけようと思っていたのだが、躊躇してしまう。別に雨が降っていても構わないが、どちらかといえば晴れていたほうが良いだろう。

「ゲームの続きしようよ、典明。外は雨だし…」
「そうだね…君と散歩でもしようと思ってたけど」

 なまえはソファに座って僕が握っていたコントローラーを指差す。早くしろ、という合図だ。
 今テレビに映っているのは、ゾンビが街を徘徊しているシーン。それを銃や鈍器で倒し、隠された謎を解明していくというゲームだ。所謂ホラーに括られるもの。なまえは僕の隣で、ときおり短い叫び声を上げながらもちょくちょく画面を見つめている。

「典明!」
「大丈夫だよ、これはヘッドショットを狙えばいい…なまえ、怖いなら画面を見なければいいじゃないか」
「うん…そうだけど」

 なまえは僕の着ている服の袖を強く握る。皺ができるな、と思いつつも、注意しないのは彼女に対する甘えだ。ああ、またゾンビが出てきた。なまえは鼻先を僕の肩口に押しつけ、目を瞑っている。そうされるたびに彼女の香りが漂ってきて、僕は危うくコントローラーを落としてしまうところだった。
 なんとか画面に意識を集中させてゾンビを一掃すると、「終わったよ」と声をかける。

「ほ、ほんと?また急に出てこない?」
「この先はボス戦だからもう出てこないよ」

 なまえは僕の言うことを信じていないようで、隣にいたが僕の後ろに回りこみソファと僕との、僅かな隙間に無理やり身体を押し込んだ。そのせいで背中が窮屈だ。

「なまえ、そんな狭いところにいなくてもいいじゃないか」
「……怖いの出てくるでしょ」
「そう言ってるけど、さっきからチラチラ見ているんだから…気になるんだろ?」

 一旦ゲームをポーズ画面にし、目線を変えぬままなまえに向かってそう語りかける。後ろからはうんともすんとも聞こえてこないが、たぶん図星だろう。
 少しいじわるをしたくなって、僕は彼女を無理やり足の間へ座らせた。抵抗するのを両の二の腕でがっちり捕らえ、手にはコントローラー。完全包囲だ。
 後ろから、鎖骨の窪んだ部分に顎を乗せる。そうすると、なまえは抵抗するのを止め画面を凝視───ではなく、目を瞑って完全拒否の体制に入った。

「そんなに苦手なのかい?」

 なまえは無言で首を縦に振る。つい先程はゲームの続きを催促していたのに、威勢はどこへいったのだろうか。僕がソファに座り続きを始めた途端、彼女の顔はみるみるこの世の終わりのようなものへと変わり、僕は可哀想なことをしてしまったと後悔する。

「ごめん。他のにしようか」
「…ううん、このままでいいよ」
「え?」

 どういうことだろうか。苦手ならば、他のゲームに変えるのが得策ではないのか。再開した画面を見てコントローラーをガチャガチャ動かしながら、僕はなまえの返答を待つ。
 敵の体力を大幅に削り取ったところで、なまえは僕と向かい合わせになった。腰に両手を回してきて、顔を胸板に押し付けてくる。そちらに気を取られてしまって、僕は敵から大ダメージを食らってしまった。しまった、回復アイテムを使わなければ。

「……」

 なまえは何を言うわけでもなく、僕に抱きついて画面を一切見ようとはしなかった。僕は心臓がドキドキしてしまって、ときおり操作ミスをしてしまったが何とか敵を倒す。なまえに再度「終わったよ」と声をかけるが、彼女は離れるどころかますます僕に抱きついて離れなくなってしまった。
 ボス戦前で止めればよかっただろうか。ああ、僕は彼女になんて酷いことをしてしまったんだろう。だが、なまえが驚くたびに僕に縋りついたり、抱きついてきたり。そうされる毎に嬉しくなっていた自分が否定できない。やましい感情を持ってしまったことが恨めしい。
 なまえに、何て謝ればいいのか。

「なまえ、ごめんね。苦手、だったんだよね…」

 陳腐な言葉しか並べられず、自身の語彙力を呪う。なまえは僕に抱きついたまま、顔をこちらへ向ける。なまえの香りが鼻を掠った。

「私も、ごめん」

 僕が思っていた正反対の言葉が、彼女の口から飛び出した。僕はわけが分からなくて、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

「その…典明と、違和感無いようにくっつくには怖いのが一番かなって思って…怖いの苦手だし、典明ホラーゲーム好きだし、それで…あの…」

 羞恥で頬が赤く染まっていくなまえを見て、僕は反射的に彼女を抱きしめていた。僕の顔は今、とても気持ち悪いものになっていると思う。くっつきたい、それだけの理由で苦手なホラーゲームを見ていたのか。ああ、君って人は。

「典明、苦しい」
「なまえが抱きついてきた時も、わりと苦しかったよ」

 なまえは耳まで赤くなって、僕の背中に腕を回した。雨の音はもう聞こえなくなっている。うん、散歩にでも出かけようかな。
 なまえに語りかけると、彼女は小さく頷いた。
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