しおりを落とした

 花京院は休み時間になると、必ず本を読んでいた。空条承太郎がいれば彼のところへ行きいくつか言葉を交わすが、生憎、彼は学校へ来ていない。そもそも、学校へ来る方が珍しい。承太郎がいないと、花京院は決まって本を開くのであった。
 花京院には、友人と呼べる者が少なかった。それは彼の背後にいつもいる───普通の人間には見えない者がいることにより、花京院は自分から他者と交わることを極力避けていたからだ。

「……」

 今読んでいるのは、所謂ファンタジーに括られる小説だ。剣と魔法の世界、勇者が捕らわれた姫を助けに行く、王道なストーリー……。僕は、あまりこういう類の小説を読んだことがない。どちらかといえば、純文学を好む。だから僕がこういう本を読むことは、殆ど無い。ちらりと目線を斜め左に移すと、窓際で、いま僕が読んでいるものと同じ作者の小説を手にする女子がいた。───みょうじなまえ、だ。
 みょうじは、普通の女の子とは違うような印象を持つ。これは僕が勝手に思っているだけだが、そこにいるだけで場が和やかになるというか、しかし窓際でああして本を読んでいる姿がなんとも凛としているというか、とにかく、僕にとって彼女の存在は斯くも大きなものである。学校生活の中でとくに声をかけるきっかけも無く、僕はこうして彼女のお気に入りの作家の本を読んでいるのだ。なんと情けないことだろう。世の日本男児なら、声のひとつもかけるだろうに。だが、僕にはそれが出来ないのだ。ああ、情けない。





 下校前の、ホームルームの時間の事だった。先生の口から発せられる言葉は、明日の予定だとか、宿題のことだとかでいつもと大差代わりはない。だが、「それでは気をつけて帰りましょう」の挨拶はなかなか出てこようとはしない。僕は小説の続きを読もうと、鞄の中から本を出した。ペラペラとページを捲りしおりを探すが、なかなか出てこない。書店で売っている文庫についてくる、よく見るあの長方形の紙が無い。ついに最後のページまで捲ってみたが、しおりが出てくることは無かった。
 別にしおりがなくたって物語は読めるのだが、表紙のカバーを代わりに挟むというのは気がひける。自分のお金で買った本だし、丁寧に扱いたい。鞄の中をもう一度探ってみたり机の周りに目を向けても、やっぱりしおりは見つからなかった。

「あの…」

 諦めて読んでいたページを探していると、頭上から声が聞こえた。顔をあげると、みょうじさんだ。彼女は少し恥ずかしそうに俯いて、自分の鞄を見つめている。
 そういえば…と辺りを見回すと、いつの間に挨拶が終わったのかクラスの人達が手に鞄を持ち教室から出ているところだった。

「僕に、なにか?」
「あの、さっきしおりを拾って…花京院くん本を読んでたでしょ?近くに落ちてたから、もしかしてと思って」

 みょうじさんはゆっくりと僕の手に何かをのせる。しおりだ。それは紛れもなく僕のもので、近所の書店の名前が記されている。
 僕は努めて冷静にそれを受け取ろうとした。しかし、しおりを手渡してもらう際に彼女と指先が触れ合い、驚いて床へ落としてしまった。「ごめん!」と謝り、拾おうと身を屈める。

 ───ゴツン

 彼女も同じように屈んでいたようで、彼女の額と僕の額がぶつかってしまった。じんじんと痛み、右手でその箇所を押さえる。みょうじさんも、同じようにぶつけた箇所を押さえていた。鏡に映したような姿がなぜだか可笑しくて思わず吹き出すと、彼女も同じようにして笑う。
 改めてしおりを受け取ると、みょうじさんは自分の鞄の中から一冊の本を出した。それは僕が好きでよく読んでいた作家のもので、どうして、という口のまま固まる。

「最初は、花京院くんの読んでる本が気になったの。でも、そのうちに花京院くんが本を読んでる姿が素敵だなって思って、それで私も読んでみようって…ごめん、勝手な事して…迷惑、だよね…」

 クラスには既に誰もいなくなっていた。赤い夕日が窓から差し込んで二人の頬を照らす。花京院は開いたままの口が塞がらず、その場で立ち尽くす。彼女は、自分と全く同じ行動をしていたのだ。花京院は大袈裟だと思ったが、運命的なものを感じていた。彼も同じように、自らの鞄から彼女がよく読んでいた作家の本を取り出す。
 みょうじなまえは花京院が手にしたものを見て、とても驚いた表情をした。そして、小さく笑い出す。花京院もつられて笑う。

「…同じことしてたんだね、僕達」

 週末に彼女と近所の書店へ行ってみようか、一緒にファミレスに入って語り合うのも良い。彼女は賛成してくれるだろうか。断られてしまうだろうか。

 みょうじさんは鞄を持って、僕の帰り支度が終わるのを待っている。もう、悩むのはよそう。きっと、彼女も同じ事を考えているはずだ。日曜日、一緒にでかけよう。好きな本のことをいっぱい話そう。もっとお互いのことを知ろう。
 帰り道の話題を頭の中で決めながら、僕は自分の鞄を持ち「さあ、帰ろう」と呟いた。
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