折り畳み傘

夏の日差しも幾許か収まり、秋の気配が見え隠れしている。なまえは返し忘れた本を返却するため、放課後の図書室にいた。

(うーん…少し勉強して行こうかな。中間テスト近いし)

友人達は先に帰ってしまい、今は一人。周りにも、中間テスト前の最後の部活だからか生徒もいない。環境的にはやりやすい雰囲気だ。
勉強というのは、やりにくいものである。やりたくはないのに、やらなければならない。誘惑があれば、すぐそちらに傾いてしまう。本当に、嫌な奴だ。
かくいうなまえもその一人で、勉強は出来ればやりたくないと思っていた。だが、やらなければ成績は上がらない。赤点もとってしまう。

「……よし、やろう」

数分の格闘の結果、なまえは意を決し席に着いた。教科書とノートを取り出し、テストへ向けて問題を解き始める。
彼女は勉強は嫌いだが、悪い成績もとりたくない。なので、人並みの成績はとっていた。
今回も例に漏れず、そこそこの勉強でそこそこの成績をとるつもりなのだ。





「……ん?」

ふと窓の外を見る。いつの間にか日が陰り、窓のガラスには水滴が滴り落ちていた。ザーザーという音も聞こえる……雨だ。
自分の腕時計も確認すると、下校時刻までもうすぐだという事がわかった。受付にいた人も、いつの間にか居なくなっている。ちょ、ちょっと…教えてくれたっていいんじゃないですか!?と、なまえは心の中で憤慨した。

「…そろそろ帰らなきゃ」

なんにせよ、勉強の方ははかどれた。さあ帰ろう、と荷物を鞄に詰めたところで、なまえは思わず声をあげそうになってしまう。

「あ、やあ。こんにちは」
「う、うわっ」

いつの間に来たのか、目の前には男子が座っていたのだ。相手も私と同じように荷物を鞄に詰めると、眉尻を下げて苦笑する。

「ごめん、驚かせちゃったかな」
「い、いや。大丈夫、です」

その男子は「そっか。それなら良かった」と言うと、私の顔をじっと見つめた。そして、「君…みょうじさん、だよね?」と尋ねる。

「え、はい。どうして知ってるんですか?」
「手塚から聞いたんだよ。危なっかしい子がクラスにいるって…。だから、敬語じゃなくていいよ。同級生なんだし」
「あ、うん。そうだね。……あ、もしかして、大石くん?テニス部の」
「うん。そうだよ。……ひょっとすると、手塚から聞いてる?」
「うーん…あんまり話さないんだけど、"お前は見ていて危ない"って話をされたような……気がする」
「あー…また適当なこと言うなあ、手塚は」

大石くんは、はは、と乾いた笑い声をあげる。うーん…手塚くん、私のこと危ないやつだと思っていたのか……。確かに、よく転んだりはするけど…。でも、手塚くんに見られてたのは、ちょっと恥ずかしいかな…。
なまえは、はあ、と短いため息を吐くと、大石を見て、一番疑問に思っていることを口にした。「なんでここにいたの?」と。テニス部なのだから、部活をしていたはずである。
すると大石君は、ああ、と返事をし、いきさつを話し始めた。

大石くんらテニス部の部員は練習をしていたが、急な雨により練習を中止せざるを得なくなってしまったらしい。顧問の竜崎先生からも、テストが近いという理由で今日は終いになり…大石くんは私と同じように、返し忘れた本を返しにきた、というわけだ。

「帰ろうと思ったんだけど、みょうじさんの姿が見えたから……俺も勉強しなきゃなって思って。それで…」
「ああ…なんか、ごめんね。気付かなくて」
「ううん、いいんだ。みょうじさん、真剣だったし。俺も集中できたから」

窓の外から雨音が聞こえる。そして、下校を知らせるチャイムが鳴った。私達はどちらともなく並んで歩き、図書室を後にする。





昇降口に着くまで、お互いに何も話さなかった。湿り気を帯びた空気が、辺りに漂う。
先程まで普通に交わしていた会話が、何故だか今はとても難しい。それは雨のせいか、少々低い気温のせいかは分からない。それでも、私達の会話は図書室から出た以降、途切れてしまった。
下駄箱で革靴に履き替えると、鞄から折り畳み傘を取り出す。外はまだ雨が降っていたからだ。今朝の天気予報で、雨の降る確立は40%と言っていたから、持ってきていたのだ。

「大石くん、どうしたの?」

なまえは、鞄の中を一心不乱に漁っている大石を見て声をかける。大石はあせった表情のまま、「あ、うん。なんでもないよ。みょうじさんは、先、帰ってていいよ」と早口で話した。
その様子を見て、なまえは納得しなかった。あの様子を見ると、十中八苦、傘を忘れてしまったのだろう。なまえは折り畳み傘を広げると、大石のほうへ差し出した。

「大石くん、使いなよ」
「え?」

大石くんは驚き、私の差し出した傘を暫く眺めた。私は「ん」と言うと、もう一度、念を押すように傘を差し出す。

「そんな、悪いよ。それ、みょうじさんのだし…俺は濡れても平気だから」

大石くんは頑なに断ろうとする。だが、このまま帰ると、彼は濡れてしまう。大石くんはテニス部の副部長で、テスト後も大事な大会が控えていることだろう。いまここで雨に濡れて風邪を引いてしまっては、元も子もない。

「大石くん、濡れちゃうでしょ。私は平気だから…それに大石くんは、テスト後も大会があるだろうし…」
「みょうじさん、でも………」

二人は折りたたみ傘を挟んで、再度黙り込んだ。雨は次第に強くなり、鼻を擽る草木の香りも強くなる。校庭は薄く靄がかかり、昇降口を照らす蛍光灯の光が、やけに明るく感じる。双方とも無言で、自らのつま先を見つめた。まだ乾いているその靴は、これから雨に打たれることに憂いているかのようにも感じる。この状況でそんなことを思ってしまう自分が可笑しくて、なまえは小さく口角をあげた。

「……帰ろう、大石くん」
「……うん、そうだね」

普通より小さい傘を差して、外へと歩みだす。瞬間、大量の雨粒がバララ、と降り注いだ。二人の肩が、左右対称に濡れる。大石は左、なまえは右。二人で持つ傘の柄は、濡れない。革靴が、土に汚れる。鞄が、濡れる。髪の毛も、濡れる。
なまえは心の中で、放課後まで残ってしまった自分を呪った。心臓が張り裂けるくらいに鼓動を打っているからだ。このままでは、倒れてしまいそうなくらいに。





「…あの、ありがとう。俺は、ここ右なんだ」
「あ、うん…こちらこそ」
「本当にありがとう。じゃあ、また学校で」

結局、昇降口を出てから一言も話さなかった。会話はゼロだったのに、あの空間にもう少し居たい、という思いが胸をしめる。

「うん。じゃあね」

小さく手を振って、大石くんを見送る。
学校を出た時よりは、雨はいくらか落ち着いていた。小雨は降っているが、空には時折晴れ間も見える。
私は折り畳み傘を丁寧にしまうと、大石くんが駆けていった方向をちらりと見、自分も家路に着くため駆け出していく。
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