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 別段、特別なところはなにもない、ごく普通でありきたりな共学の高校。藤穂高等学校の特徴をひとつ挙げるとしたら、元々が女子校であったという点くらいだろう。非常勤講師である塩路にとっては二校目の勤務先となる。勤務先が変わったからといって塩路自身に変化はなく、高校が自宅から遠い距離に位置するために、通勤に便利な場所への引越しを決めた程度だった。
 初々しい新入生たちが制服に着られるようにして眩しい陽を浴びる春、四月。物理講師として塩路が受け持つ三年理数クラスでの物理選択者は、元が女子校というだけあって八人しか居なかった。だが、その内のひとりが授業に顔を見せたことはこれまで一度も無い。そんなわけで、実質たった七人しか居ない授業は、全員に目を配りながら順調かつ平和な雰囲気で進んでいた。
 いつもの通り出席簿と教材を手に教室に入り、まず目につくのは黒板に白チョークで乱雑に書かれた「しつもん!」の文字。そこに書いてあるのは物理に関する質問でもなければ、他教科の質問でもない。複数人で書かれただろう字体がバラバラな質問の内容は「朝ごはん何食べた?」「彼女居る?」「最近読んだ本は?」など、およそ勉強には関係のないものばかりであった。初めの内は戸惑いもあれど、毎回懲りずに黒板を埋められてはすぐに理解した。彼らには、新任講師と親交を深めたい、退屈な授業を少しでも潰したい、という意図があるということを。前者二割、後者八割といったところだろう。愛想の無さが窺えるものの、慣れた様相で全ての質問に簡潔に答えては、その回答に食い付き更に被せてきた生徒の質問を無視して手元の出席簿に出欠のチェックを付ける。欠席常習者の名前から横に伸びる欄は、斜線で埋め尽くされていた。
 木嶋正輝。これが、欠席常習者の名前だ。この木嶋という男は生徒から聞いた話によると、学生でありながらモデルの仕事をしているらしい。学校にはあまり顔を出さず、今年初めから徐々に名が知れ始めた新人モデル。彼に関する情報はそれ以外になく、若者向けのファッション雑誌など手に取らない塩路は当然顔も知らない。かと言って別段、知りたいとも思わなかった。
 三年理数クラス、物理選択者の中にたったひとり特殊な生徒が居るというだけで、受け持っていた他学年や他クラスは至って普通であったのが救いに思う。普通の基準はなんだと問われれば、問題児の居ないクラスに適度な雑談と順調な授業、と答えるだろう。一限、三限、四限、六限。受け持ちのない時間もあれば、時には一限から六限まで受け持つこともある。その都度、着用必須とされている白衣を羽織って授業へ向かう。至って普通の講師生活だ。
 帰りには最寄りの駅で酒と煙草を買い、薄っぺらいコンビニ袋を手に提げて帰宅する。食事と呼べるか定かでないコンビニ弁当をかきこんでシャワーを済ませたならば、引越し以来すっかり定位置となったテレビ前のソファに座り、自分へのささやかな褒美として適度なアルコールを飲み下す。これが、塩路が繰り返す日常である。肩の力を抜いて酔いに浸り、ニュースと明日のスケジュールを確認して就寝する。可もなければ不可もない、そんな日常だった。
 




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