臆病者よ勇気を奮え | ナノ




 なんだか椿に避けられているような気がする。おまけになんだかよそよそしい。

 意外と沈みがちな思考の持ち主である世良は、最近の後輩の態度を顧みる。
 初めて会った頃と比べて、随分と緊張の色なく世良に接してくるようになっていた椿は、何故かここしばらく世良との接触を意図的に避けているようだった。萎縮なく、ごく自然に彼の口からは世良を呼ぶ声が滑り出ていたはずなのに、最近はまるで聞かれない。

「俺、なんかしたっけなあ……?」

 コンビニから寮に戻ってきた世良は、薄暗い寮の廊下を歩きながら独り言ちる。

 世良にとって椿は可愛い後輩だ。達海が監督になってからの椿は活躍も増え、出鱈目な持久力と、たまに見せるまばゆい輝きを見せるようになってからは世良も自然と一目置くようにもなった。自分にはないものを持つ彼への悔しさも多少生まれていたけど、それでも世良にとって椿はやはり好ましい後輩に変わりない。
 だからこそ、これまでの縮まったと思っていた椿との距離に異変が起きている今の状況を寂しく感じた。

「あ」

 世良が二階廊下を歩いていると、世良の自室からいくつか部屋を挟んだ部屋のドアが開く。そこからは世良が今まで頭に思い浮かべていた人物が出て来た。

「椿」

 名を呼べば、呼ばれた当の本人がびくりと肩を震わせる。その些細な仕草を見逃さなかった世良は、胸にちくりとした痛みが走ったような気がした。

「椿さ、いま暇?」
「え? えっと、はい」
「ならさ、ちょっと俺の部屋で話さねえ?」

 断られるかな、と思いながらも世良が誘うと、椿は表情を固くしつつそれに応じた。



 世良がビニール袋の中身を冷蔵庫に仕舞っている間、椿は判決を待つ囚人の如く正座していた。

「俺、お前に何かしたっけ?」

 どうやって切り出そうかしばらく悩んだ世良は、結局考えるのを放棄して単刀直入に言う。椿は目をぱちくりさせて、世良の目にも彼の頭上に疑問符が浮かんで見えるくらいだった。

「いや、俺お前に嫌われるようなことしたかなって」
「そ、そんなことないっス!」

 椿は掌をこちらに向けて、もげるんじゃないかと思う程ぶんぶんと振る。

「だって最近椿、俺のこと避けてるじゃん」
「それは……世良さんに呆れられてるんじゃないかと思って、なんか怖くて……すいません」
「へ?」

 話が見えない世良は、気の抜けた声を出してしまう。椿に対して呆れたことなんてあったろうか、と記憶を探ってみるがさっぱり分からず、早々に椿へ答えを求める。

「この間の神戸との試合で俺、迷惑かけたんで……」

 そこでようやく、世良は椿が言わんとすることに気付く。
雨の中行われたウィッセル神戸との試合は荒れに荒れ、椿の調子も悪かった。ETUの守護神である緑川を怪我で欠いてからは特にそれが顕著だった。

 そんな中で、逆サイドの赤崎から貰ったボールを運ぼうと、世良が敵チームの選手を抜きかけた時のこと。世良の後ろから上がってきた椿が世良に接近し過ぎた為に一瞬隙が出来、そこを敵選手に突かれてしまった。敵ゴールの近くまで来ていただけに悔しさが残り、椿は世良に思い切り叱咤されることになったのだ。
 そういえばあの時から椿の様子がおかしかったような気がする、と世良は気付く。

「そりゃ、あん時はああやって叱ったけどさあ。椿に呆れたりなんかしてないぞ、俺」
「ほ、本当っすか……?」
「本当だって。あの後は動きも良くなったじゃん。それにお前の調子にムラがあるのは今に始まったことじゃないだろー?」

 心底安心したような表情をしたかと思えば、今度は複雑そうな顔になる椿を見て、世良の口元も思わず緩む。

「まあ、椿が俺のこと嫌いになったわけじゃなかったから良かった」
「世良さんを嫌うだなんてそんな!」
「多分これからもああやって注意することあるかもしれないけどさ、あんま深刻に思い詰めんなよ?」
「ウス」

 ここでようやく世良は椿に飲み物の一つも出していないことに気付いて、慌てて冷蔵庫へ向かう。

「……ちゃんと叱ることが出来る人って、凄いと思うんですよ」
「え?」

 キッチンでお茶をグラスに注いでいた世良は、手を止めて椿を見遣る。

「俺って叱るのが苦手で……学生の時も後輩にそういう事出来なかったんですよね」
「確かに誰かを叱る椿って想像出来ないなあ」
「はは……俺なんかが意見したら、お前に言われたくないとか思われそうで言えなくて。後輩からは怒らない良い先輩に思われてましたけど、でも、それって違うんですよね」

 椿は視線を落として続ける。

「俺はただ嫌われるのが怖かっただけで、本当にその人のためを思うなら、ちゃんと悪いところは悪いって言わなきゃいけなかったのにそれが出来なくて。だから、ちゃんと叱れる人って尊敬しちゃうんスよね」

 嫌われたり立場を悪くすることを覚悟の上で自ら憎まれ役になり、他人を叱咤したり諌めることの出来る人はとても貴重な存在である。そういった者の諌言を無視、或いは疎んじた末に破滅の道を歩むことになった国や組織のトップの数は少なくない。
 時には慰めよりも厳しく戒めることが必要な場面があるが、果たしてそれが出来る人間がどれだけいるだろう?
 世良は、一見辛辣そうに見える言葉をかけながらも自分に発破をかけてくれた堺を思い出す。あの出来事が底に沈みかけていた世良を引き上げてくれたと言ってもいい。

「……そうだな」

 世良は冷たいお茶が注がれたグラスをテーブルの上、椿の前に置く。

「椿もさ、俺の悪いところはどんどん指摘していいんだからな?」
「が、頑張ります」
「言いたいことがあるなら遠慮すんなよ?」
「言いたい、こと」

 椿は何故か顔を強張らせ、世良の顔を見たかと思うと慌てて俯いてしまった。両手は固く握られ、拳となって彼の太股の上に置かれている。

「椿?」
「世良さんっ、あの……!」

 椿がテーブルに思い切り手を付いて身を乗り出す。その時、振動で机が揺れ、机上のグラスがぐらりと傾いた。そのままゴトンとグラスは倒れ、勿論中身のお茶はテーブルの上を滑って広がり、端に到達した液体はテーブルの下へ滴り落ちていく。

「うわああっすみません!」
「やばっ、拭く物拭く物! あ、雑巾外に干してた!」

 世良はバタバタとベランダへ駆けていく。一人残された椿は、ドクドクと五月蝿い心音を沈めるべく、胸を押さえた。

「……世良さんが、好きです」

 言いそびれてしまったその言葉は、伝えたい相手には届かなかった。



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