急ぎ足の恋人達 | ナノ


 空色のパーカーにジーンズ姿、頭にはキャップ、肩には愛用ブランドであるディアドラのエナメルショルダーバッグを斜め掛けという出で立ちで、世良はクラブハウスの前に立っていた。クラブハウスと言っても、敷地内に掲げられ風に棚引く旗は青地で、中央には円で囲まれた十字をバックに大砲が描かれている。

 ──そう、世良はETUではなく敵チームである大阪ガンナーズのクラブハウスの前にいるのだ。彼が夕焼けで辺りがオレンジ色に染まる最中、非常に緊張した面持ちで建物を見上げているのはそのせいだった。





 世良はリーグ前半での大阪ガンナーズ戦をきっかけに、ガンナーズの選手である寺内とメールや電話でやり取りするようになった。そうした何ヶ月ものやり取りの末、色々あって今では二人は恋人同士という関係に収まっている。
 だが東京と大阪、しかもお互いプロのサッカー選手で所属するチームが違うとなると、恋人らしく顔を合わせることもデートもままならない日々を過ごしていた。

 そんな中でETUの選手達に降って湧いた二日間のオフ。ある者は里帰り、ある者は家族サービス、ある者は自主トレーニングと、各々オフの計画を立てていく横で世良は寺内に内緒で大阪に行くというサプライズを思い付いた。調べてみたところ、ETUの二日間のオフの間にガンナーズは試合もないし、オフ後に控えている試合はホーム戦だから遠征もない。これはチャンスだと思った世良はオフ前日の練習後に新幹線に飛び乗り、今に至る。

 ガンナーズの練習は流石に終わってるようで、ネットの先のグラウンドはがらんとしていて誰もいない。

「もう帰った、とかないよな……?」

 やっぱり連絡の一つでもしておけば良かったかなと、世良が不安を滲ませて呟いた時だ。

「そこの坊主! 練習ならとっくに終わっとんで!」

 人気のない辺りによく響く大きな声に、世良は肩を跳ねさせた。振り返れば、二人の青年がずんずんと歩いて世良の方へやって来るのが見えた。一人は黒髪に狐目、もう一人は金髪で太眉の男だ。

(──片山さんに、畑さん!?)


 ガンナーズの関西FWコンビの登場に世良は大いに焦る。敵チームのFWである自分がこんなところにいるのがバレたら、どうなるかわからない、と。慌ててキャップを深めに被り直す。

「こ、こんにちは」
「おう。自分、見学に来たんか?」
「え、えっと……」
「んん?」

 いきなり畑に何かを探るような目つきで顔を覗き込まれ、世良は一歩後退する。

「どないした、畑」
「こいつの顔、どっかで見たような気ぃすんねんけど」

 正体を気付かれかけている世良の顔が青くなる。これ以上ここにいればまずい。

「あ、あのっ! 俺もう帰らないと……わっ!」

 深く被っていたキャップのつばで半分遮られていた視界が、完全に開ける。キャップが畑の手に握られているのを捉えた世良は、次にくるであろう衝撃に身構えた。

「あ───っ!!」
「うっさいわ畑! なんやねんお前!」
「アホ! こいつETUの奴やんけ!」
「なんやて!?」

 二人にずいっと詰め寄られた世良は、ただただおろおろするしかない。

「ホンマや、前の試合ん時ギリギリでゴール決めた奴や!」
「おかしい思たんや、サポーターやったら俺にサインねだるんが当たり前やからな!」
「お前のサインなんぞ需要あるかいボケ!」
「なんやて片山ぁ!」

 今にも食ってかかりそうな畑を無視して片山は世良に人差し指を突き付けた。

「そないなことより、ETUの選手がなんでうちにおんねん!」
「し、知り合いに会いに……」
「あれやろ、偵察!」
「そないなことしても無駄やで! 次はうちが勝つんやからな!」
「いやだから、違いますって!」

 ETUにはいないタイプの人間なだけに、世良としてもどう対応すればいいのか判断に困る。元々、異常なテンションの相手との付き合いは不得手な世良だ。まさにそういった騒がしさの二人が目の前にいるのだから、困惑するのも当然だった。

 止まることない、二人の捲くし立てる声。それはクラブハウスにも当然届いた。


「何やってんだ、あいつら」

 外の喧騒にいち早く気が付いたのは、平賀と共にクラブハウス一階の廊下を歩いていたGKの今井だった。廊下の窓を開けて、いつものような騒がしさを発揮している片山と畑を観察する。

「もう一人、誰かいるみたいだな」
「サポーターか?」
「にしては、あの二人の態度が悪いような気がするが……」

 二人して首を傾げていると、ロッカールームの方から私服姿の寺内が歩いてきた。帰り支度を終えて今から帰るところらしい。

「お疲れ様です。……何かありました?」

 今井と平賀が揃って窓の外を眺めているのを見た寺内は、さほど表情も変えずに問う。

「いや、関西コンビが外で騒いでてさ。誰かと話しているみたいなんだが、様子が変なんだよ」
「サポーター相手にしては横柄な態度だし。だから誰なのか気になっててな」
「はあ……」

 二人がスペースを開けてくれたので、寺内はそこから外を眺める。確かに、背を向けていて顔は窺えないが片山と畑が誰かに詰め寄っているのが見えた。正体の分からない人物は彼等の向こう側にいるのでなかなか捉えられないが、小柄な人物らしかった。
 どこかの学生だろうか、なんて寺内が思ったところで畑がキャップを持った片手を上げる。問題の人物はそれに必死に手を伸ばしているが、身長差があるせいで軽くいなされるばかりだ。

「いい加減返して下さい!」

 痺れをきらして張り上げられた声に、寺内は自分の耳を疑った。なぜならその声は最近電話越しでよく聞いている、遠距離恋愛中の恋人のものにそっくりだったからだ。
 まさかと思いながらも、寺内は窓枠に手をかけて僅かに身を乗り出す。

「本当に偵察なんかじゃなくてっ! 俺はただ、好きな人に会いに来ただけなんですってば!」

 姿が見えなくたって、寺内には分かった。あそこにいるのが誰なのか。
 だから彼は、躊躇なく窓枠に足をかけて、そこから飛び出した。驚く今井と平賀を残して。


「好きな女追っかけて大阪まで来たんか、自分」
「……まあ、そんな感じです」

 実際は女ではないが、心労からか世良は訂正もせずに、やけっぱち気味に相槌をうつ。片山はそんな世良の肩をポンと叩いた。

「東京のもんは冷めてるやつばっかりやと思てたけど、違うんやな」
「で、相手は誰や? うちのスタッフか?」
「いや、それは……」

 本当のことを言うわけにもいかず、世良がまた困り果ててしまった時だ。

「ぐえっ!」

 いきなり片山と畑が呻き声をあげる。何事かと世良が驚いて顔を上げると、二人の後ろで彼等の服の襟首を掴んで持ち上げている人物がいた。

「寺内さん!」

 世良と寺内の間には、まるで猫のように襟首を捕まれ藻掻く片山と畑がいるのだが、世良の目にはもう寺内しか映っていないようだ。

「ちょっ、寺内さんギブ! ギブ!」

 後ろに引っ張られているせいで襟元が首に食い込んで苦しい二人は、首を反らしながら訴える。寺内は手を放すと、ぜいぜいと喘ぐ畑から世良のキャップを無言で奪い取って、それから世良の右手を握った。

「行こう」

 ぐいぐいと力強く手を引いて足早に歩くものだから、世良はなんとか彼について行こうと歩調を早める。そんな二人を、片山と畑はぽかんとした様子で見送った。


 ずんずんと無言のまま足早に進んでいく寺内の背を、世良は気まずい思いで見詰める。連絡もなしに突然やって来たことや、ここへ来た目的を迂闊にもぽろっと片山や畑に漏らして、自分達の関係が露呈するような軽率な言動を取ったこと。それらに対して怒っているのではと思った世良は、叱られた仔犬のようにしゅんとする。

「あの、寺内さん……すみません。」

 車ばかりで誰もいない駐車場に入ったところで、世良は沈んだ声で告げる。

「俺、びっくりさせたくて内緒でここまで来ちゃったんですけど、自分の都合ばっかりで寺内さんに迷惑かけちゃって……すみま」

 途中まで謝罪を口にしたところで、世良は急に立ち止まった寺内の背にぶつかる。思わずぶつけた鼻を手で押さえると、上からキャップが被せられた。つばを引き下げられるせいで、視界が真っ暗になる。

「あの、寺内さん?」
「謝ることなんてないよ」
「え」
「いきなりでびっくりしたけど……会いたかったから、嬉しい」

 素直に喜びの心情を語る寺内の言葉に、世良はじわりじわりと顔を赤くしていく。やはり面と向かってこういうことを言われると、気恥ずかしさや嬉しさの度合いが違う。キャップが顔の半分を隠してくれていて良かったと世良は思った。しかしそこで、もしかしてと、ある可能性に気付く。
 世良が寺内の手を押し上げて、キャップのつばの下から彼の顔を見上げる。

「…………」

 寺内は世良と同じように、気恥ずかしさから顔を赤らめて目を逸らしていた。世良はぎゅうっと心臓を掴まれたような感覚を覚えて内心、うわわっと声をあげる。フィールド上では常に冷静であまり表情を変えない寺内がこんなに感情を表に表していることもそうだが、何よりそうさせているのは自分なんだと思うと世良は堪らない気持ちになった。

「世良くん」
「っ、はい!」
「いつまでこっちに居られるの?」
「あ、明後日のお昼くらいまでなら」
「泊まるとこは?」
「こっちに来てから探そうと思ってたんで、まだ……」
「それなら、うちに泊まればいい」

 驚く世良の手を再び寺内が引いていく。

「そうすれば出来るだけ長く一緒に居られる」

 世良はしばし瞠目する。寺内が足早になっている理由がなんとなく分かった世良は、ぎゅっと強く寺内の手を握り返した。恥ずかしさから今は上手くまわらない口の代わりに、自分も同じ気持ちだと伝えるために。



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -