アニマルセラピー | ナノ




 バタバタと騒々しい駆け足が聞こえて、村越は曲がり角の手前で足を止めた。足音は向こうからどんどん近づいてくる。間を置かずして、一つの影が飛び出してきた。

「わわっ!」

 飛び出してきたのは世良だ。勢いよく駆けていたせいで急に止まることも出来ず、そのまま村越にぶつかった。村越はある程度この展開を予測していたこともあり、衝撃自体も予測内のものだったのでさほど驚かなかったが、相手はそうはいかなかった。
 世良は自分が衝突した相手を確認する為に顔を上げる。村越と視線が合致した世良はしばらく固まると、火がついたように慌てだした。

「す、すみません越さん! 俺、前見てなくて……!」

 世良は勢いよく頭を下げる。

「クラブハウスの中は走るなって言われてるだろ」
「っす! すみません!」
「怪我しないように気をつけろよ」

 村越は世良の肩をポンと叩くと、そのまま角を曲がって行く。世良は角の先に消えていく背に向かい、もう一度頭を下げた。

「…………」

 世良があの場を離れる足音を耳にした村越は、がしがしと頭を掻く。そうしないと己の中の欲求を紛らわせられそうになかったからだ。
 村越には誰にも明かしたことのない秘密がある。──それは彼が、小動物好きだということだ。中でもとりわけ、仔犬に弱い。

 今から十年程前、達海猛というETUの中心人物とも言える男が去ってから、チームは勢いをなくし二部落ち、それに伴いサポーターは日に日に減っていった。それを目の当たりにした村越はこのままではいけないと、自らリーダーの役割を担い今まで奮闘してきた。
 チームの低迷と、リーダーとしての責任。それらは当然彼に多大なストレスをもたらした。お陰で胃を痛めたこともあった村越だったが、そんな生活を送る中で彼はあるものに心を奪われた。それが小動物なのである。

 きっかけはテレビで放送されていた動物番組だ。
 オフの日、自主トレーニングも終えて夜の時間を持て余していた村越が、何気なくテレビをつけると、生まれて間もない子猫が映った。ちょうど動物の赤ん坊を特集していたらしく、その後も様々な小動物が紹介されていく。
 初めのうちはなんの感慨もなく映像を捉えていた村越だったが、段々とその姿勢が変化する。CMに入ったら見るのを止めるつもりが、それがずるずると先延ばしになっていく。目が離せなかったのだ、頼りない赤子から。

 生まれたばかりでふかふかとした毛布に包まる小さな仔犬を見ていると、得も言われぬ気持ちになり心が癒されるのを、その時彼は自覚した。小動物の中でも特に仔犬に惹かれたのは、恐らく犬の一途さが彼にとって好ましかったからだろう。彼もまた、ETUという居場所に一途なだけに。

 それからだ。村越がペットショップの前を通り掛かる時についつい足を止めてしまうようになったり、パソコンを開けば動画サイトで犬の動画を検索したり、仔犬を延々と映したDVDやペット育成ゲームを購入したりするようになったのは。
 要するに、彼はすっかり犬にハマってしまったわけだが、そのお陰で適度にストレスを解消出来ていた。この趣味がなければ、今頃彼の頭にはいくつもの円形脱毛が出来ていたに違いない。

 そこまでのめり込むと実際に犬を飼いたい気持ちもあったのだが、如何せん職業柄遠征などで家を空けることもよくある為、そこは彼も我慢するしかなかった。しかし映像を見たり、たまにこっそり近所の飼い犬を触るだけでも彼の心は充分に癒されていたので、別段問題はなかったのだ。──…問題、なかったのだが。


「もーっ、止めてくださいよー!」

 村越が用事を済ませてロッカールームに戻ると、丹波が可愛がりという名目の若手弄りをしている真っ最中だった。標的は世良だ。淡い茶色の髪の毛をわしゃわしゃと勢いよく撫でられている。

「ぐしゃぐしゃになるじゃないっスか!」
「だってつい撫でたくなるんだもん」
「だもん、って……いい年した丹さんが言っても可愛くないっすよー」
「なんだとー!」

 丹波が更に乱雑に世良の髪を掻き乱すと、世良の口からは「ごめんなさいごめんなさい!」と半分は笑いながら謝罪の台詞が連発された。
 周りの者からも笑い声が沸き起こる中、村越は一人なんでもないような態度で着替えを始める。しかし内心ではああやって世良を構いたおせる丹波が羨ましくて仕方なかった。

 丹波や石神達は揃って世良を犬のようだと称する。それには村越も同意だ。フィールドをせわしなく駆ける姿といい、態度や言葉で素直に好意を表せるところといい、周りに構われて嬉しそうにしているところといい、体育会系らしく先輩の言うことには聞き分けが良いいところといい……とにかく動物に例えるなら犬なのだ、世良は。

 だからこそ村越にだって、目一杯世良を可愛がりたい気持ちはある。だが彼自身、自分がそういうキャラでないことは充分承知しているが故に、そんな行動に出られるはずもなかった。

 そんな中突然、村越に世良と接触する機会がやってきた。

 それは達海が監督としてやって来て初めての夏キャンプ三日目の夜のこと。ミネラルウォーターを買いに、村越が自動販売機が設置されているロビーに行くと、ロビーの長椅子で誰かが横になっていた。

「……何やってんだ、世良」
「あ、越さん。聞いて下さいよー! 俺今日王子と同室になっちゃって……」

 その説明だけで世良がこんなところで横になっていた理由が分かった村越は、相変わらず自分主体なジーノの行動に溜息をつきたくなった。

「王子も、越さんが同室者ならこんなことしないんでしょうけど」

 同じ部屋で寝ることを許されず追い出された世良は、力無くうなだれる。その様子が村越の目には、捨てられて傷心状態の仔犬に見えて仕方ない。

「……俺んとこの部屋で良かったら来るか?」

 不憫な状況の世良を一人置いていくことなど村越に出来るはずもなく、気付けばそう提案していた。


「お、お邪魔しまーす」

 村越の後から小声で挨拶しながら、恐る恐るといった様子で世良は部屋に入る。事前に村越から同室者が緑川で、既に就寝していることを聞かされていたからだ。部屋に入ると、奥の窓際のベッドが膨らんでいるのが見えた。そっちに緑川が寝ているのだろう。世良は手前側の、まだ乱れのないベッドをちらりと見遣る。

「あの、越さん。本当にいいんスか? ここに二人じゃギリギリのスペースしかないっスよ?」
「嫌か?」
「いや、俺は構わないですけど、越さんが……」
「いいからほら、明日に備えて寝るぞ」
「ウ、ウス」

 思いきって世良はベッドに潜り込む。やはり固い長椅子よりベッドの方が寝心地がいい。だが、すぐ隣に村越がいるせいか緊張してしまって落ち着かない。何度ももぞもぞと寝返りを繰り返してしまう。

「……寝られないのか?」
「あ、すみません! 越さんが寝られないですよね」
「気にするな、余計寝られなくなるぞ。なんなら読み聞かせか、子守唄でも歌うか?」
「えっ!」
「……冗談だ」

 世良は呆気にとられて言葉をなくす。しばらくすると、じわじわと笑いが込み上げてきたらしく肩を震わせる。

「越さんが言うと冗談に聞こえないっスよお」
「そうか?」

 そうっスよ、と世良は笑いを噛み殺しながら村越のこうした気遣いに気を緩ませた。

「なんか、嬉しいっス」
「何がだ?」
「俺って越さんにあんまり好かれてないのかなあと思ってたんで」

 村越は思わず世良の顔を凝視してしまう。世良を嫌ったことなどないし、ましてやそんな素振りを見せた記憶もない。身に覚えのないことを言われて、村越としても困惑する。

「だって越さん、俺が丹さん達と騒いでると必ず睨んでたりするじゃないですか」

 うっ、と声をあげそうになった村越は、どうにかそれを飲み込んだ。恐らく、自分が世良に構っている丹波達を羨ましく思いながら見ている時のことだ。あの時の村越の視線を、世良は悪い方に勘違いしているらしかった。
 ああいう時は撫でたい欲求を我慢しているせいで、村越もつい険しい顔つきになっているのだろう。何もその時ばかりではなく、普段から険しくなりがちな顔をしてはいるが。

「そん時いつも丹さん達に、お前越さんになんかしたんじゃないかって言われますし……」

 村越にはピンときた。丹波が自分の視線の意味を分かっててわざと世良の不安を煽り、からかっているのだと。つまり丹波には全てばれているに違いない。普段は率先して馬鹿騒ぎしている為見誤りそうになるが、彼は経験を積んだベテラン選手であり、実は周りや他人の感情を慮ることに長けている。

「この際だから、はっきり言って欲しいっス。越さんが俺に対して思ってること」

 世良が真剣な面持ちで言うものだから、村越はこれ以上変な誤解を生まない為にも打ち明ける他ないだろうと判断する。そもそも丹波にはばれてしまっているのだから、と彼は潔く腹を括った。


「あー……そういうことだったんスね」

 村越のカミングアウトを全て聞き終えた世良は、しみじみとした口調で呟いた。

「幻滅したか?」
「え? いや、そういうのよりも……越さんに嫌われてるわけじゃなかったんだーって安心した気持ちの方が大きいっス」

 俺本当に気にしてたんですから! と力説する世良に、村越も表情こそ変えないものの安堵する。

「それから、今度からは我慢しなくたっていいっスよ。俺、撫でられるのって別に嫌いじゃないですし。相手が年上の人だと、可愛がって貰えているんだなって思いますし」
「いや、丹波達ならともかく俺にはそういうのは似合わないからな……」
「人目が気になるなら、皆がいないとこですればいいんスよ。あ、今なら誰も見てないっスから、どうぞ!」

 名案とばかりに世良は村越との距離を詰める。世良本人から許可が出ていて更に、周りにはもう一方のベッドで眠りについている緑川以外人もいない。まさに願ったり叶ったりの状況だ。このチャンスをものに出来なければ男じゃない、と己を叱咤した村越はゆっくり手を伸ばした。




「……なんでこいつら一緒に寝てるんだ?」

 昨夜は早めに就寝したからだろうか。カーテンの隙間から朝日が差し込む中で目覚めた緑川が見たものは、一つのベッドを共有しながら眠る村越と世良だ。

「幸せそうな寝顔してるなあ。折角だから写真でも撮っとくか」

 緑川は愛用の携帯を手にすると、未だ眠る二人を写真に収める。
 写真の中の世良は村越に擦り寄るような格好で、一方の村越はそんな世良の頭に手を添えていた。


 後日、緑川がその時の写真を広報に提供した為にチーム内であらぬ混乱を巻き起こすことになるのだった。


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -