天岩戸には隠せない | ナノ




 意識の遠くから聞こえてきた水音に、湯沢はゆっくりと目を開いた。

(……今、何時だろ)

 壁にかけた時計を確認しようとした彼は、時計がないことに気付くと同時に、ここが自分の部屋ではないことに思い至る。
 オフの日に、湯沢は世良の部屋に来ていた。世良が新しいゲームを買ったからと湯沢を呼んだのだ。二人はついつい夢中になって数時間に渡ってプレイし続けていたが、前日に夜更かししていた湯沢が途中で睡魔に耐え切れず脱落した。

 休日を共にする仲のいい先輩と後輩。他の者にはそう見えるだろうが、実際には二人の仲はそれ以上だったりする。

 湯沢は薄いカーペットの上でごろりと寝返りをうつ。そうするとミニキッチンで溜めに溜めた洗い物をしている世良の後ろ姿が見えた。恐らく湯沢が離脱している間、手持ち無沙汰になって後回しにしていた家事をしだしたに違いない。
 そんな世良を、湯沢は下からじっと見詰める。百八十センチを越える湯沢が百六十六センチという、男性としては小柄な世良を下から見上げることなどそうそうないことで、彼にとっては酷く不思議な光景に思えたのだ。

(後ろ姿だと高校生にも見えるなあ)

 Tシャツにハーフパンツ、それから踝ソックスという出で立ちが小柄さと相俟って、一層世良を幼く見せる。後ろ姿では彼が年相応に見られるべく生やしている髭も見えないせいで尚更だ。

 湯沢は剥き出しの脚に目をやる。プロサッカー選手らしく鍛えられた脚がそこにはある。柔らかさのない、硬く張り詰めた筋肉を纏うそこから視線を下げて行けば、きゅっと引き締まった足首に辿り着く。
 世良恭平という人間は色気とは無縁の男だが、この足首だけは別だと湯沢は常々思う。

 そろりと出来るだけ音を立てずに立ち上がった湯沢は、目の前の洗い物に意識を持っていかれている世良に後ろからゆっくり近付いた。

「わっ」

 自分の後ろから覆いかぶさるように、シンクの縁に手を付いて密着してきた湯沢に世良は驚く。

「こら湯沢! コップ落とすとこだったろ!」

「んー……」

「寝ぼけてんのか?」

 答える代わりに世良の淡い色をした髪に湯沢が鼻先を埋める。まるで動物がじゃれつくような動作に、世良が小さく笑った。仕方ないなあと受け入れる世良のその笑みは、湯沢の好きなものの一つだ。 世良恭平という人間は、湯沢にとって数少ない、執着の対象である。

 元々湯沢はサッカーにしか興味がなく、サッカーだけに自分の全てを傾けてきたと言っていい。サッカー以外に夢中になれるものが彼にはなかった。但し今はサッカーと、彼の腕の中にすっぽりと収まっている世良以外、ということになるのだが。

 何故世良なのか、湯沢は更に世良にくっつきながら考える。

 世良は普段は落ち着きのない子供みたいな言動なのに、いざフィールドに足を踏み入れたら男の顔付きになり、しかしベンチに戻されると途端に地団駄を踏んでまた子供みたいになる。端から見ていてちっとも飽きないのだ。
 それと、身体のサイズに反比例して、懐が大きい。赤崎から厭味を言われるとその場で怒りはすれど、決して避けたり疎んじたりしないし、先輩から辛辣に近いことを言われても意外と赤崎みたいに反発しないで堪えられるのが世良だ。
 今のように湯沢の唐突な行動もあっさり受け入れることが出来るところなんかも、湯沢にして見れば世良が酷く大人びて見えて、一歳だけしか違わない歳の差を思い知らされたりする。

 シンクの縁に置いていた手を、世良の腹にまわしてぎゅうっと抱きしめる。

「お前って、この体勢好きだよな」

 柔らかくもない身体抱きしめたって楽しくないだろ、と世良は手元の食器に目をやったまま続ける。

「……楽しいとかじゃなくて」

 湯沢は一旦顔を上げると、世良の耳元に口を寄せて呟く。

「こうしたら、隠せるかなって」

「え?」

「世良さんのこと」

「……小さいって言いたいのかよ?」

「んー、そうじゃなくて……俺以外に見せたくないってこと」

 時に理解の遅い世良でも湯沢が言わんとしていることが分かって、気恥ずかしさから思わず黙りこくる。
 普段はぼけっとしていて自分の気持ちを表にあまり表さない湯沢だけに、こんな風に独占欲の一片を口にされると世良はいつもどうしていいか分からなくなる。それを悟られまいとすると、茶化すような返答になってしまうのが常だ。でもそれで湯沢が気分を害した様子は今まで一度もないので、彼はきっと世良の照れ隠しなどお見通しなのだろう。

「んなこと言ってたらさ、お前とサッカーできないじゃん」

「それは困ります」

「うん、俺も」

 同じ気持ちを持ち合わせている事実が胸を擽り、自然と笑みが零れる。

「なんかサッカーしたくなったなあ」

「いきなりですね」

「いいじゃん、サッカーしに行こうぜ」

「いいですけど、あともう少しこうしてていいですか?」

「おう」

「それと、帰ったらエロいことしていいですか」

「えっ、えろ……!?」

「駄目ですか?」

「……考えとく」

 湯沢は更に笑うと、囲う腕の力を強くした。


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