水底の情 後編 | ナノ






 椿は摂取したアルコール量も少なく、飲み会が始まって間もなく撃沈したこともあってか、酩酊状態から抜け出すのが早かったようだ。
 彼は赤崎が自分と世良に毛布をかけてくれていたその時に、意識を取り戻していた。

 目覚めた当初は自分がいつの間にか店ではなく、誰かの自室に移動していることに戸惑った椿だったが、静かに巡らせた視線の中で横で寝転がる世良と座り込む赤崎を見つけ、この状況の経緯をなんとなく察した。
 恐らく、赤崎が自分と世良を彼の部屋に運んでくれたのだろう、と。

 最初に浮かんだのは、先輩である赤崎に面倒をかけてしまったことによる申し訳なさだった。
 幸い、酔いはかなり抜けているようで、一人でも自分の部屋へ戻ることが出来そうだ。これ以上迷惑をかけまいと、椿が身体を起こそうとしたちょうどその時。

「んー……」

 いきなり発せられた世良の声に椿は驚き、動きを止める。
 世良も起きたのだろうかと、首を捻ってそっと様子を窺う。すると、赤崎が世良の頬に触れているのが見えた。

 普段から、先輩であるにも関わらず世良に対してぞんざいな態度をとることが多い赤崎のことだから、今度は悪戯でもしているのだろうかと椿は思考を巡らせる。
 だが、事態は思わぬ方向へ転がり出した。
 赤崎が急に、寝ている世良に覆い被さったのだ。これには椿も固まった。そこでようやく、赤崎の様子がいつもとは違うことに気付く。

 寝ている椿や世良を起こさないようにとの配慮からか、部屋は真っ暗なままだ。だが、完全には閉め切られてはいないカーテンの隙間からは月明かりが差し込んでいて、その明かりのお陰で椿は赤崎の表情を鮮明に見てとれた。

 彼の瞳は常では見られないくらい、熱を孕んでいた。そこから生まれる熱い眼差しは、一心に世良へ向けられている。

 人の色恋に疎い椿にでも、分かってしまった。赤崎が世良を好いていることに。

 赤崎の気持ちを知ってしまった途端、椿の心臓は早鐘のように鳴り出す。

――そんなの駄目だ

――ザキさんが相手じゃ俺なんかに勝ち目は―……

 そこで椿は、はたと思考を一時停止させる。
 次いで無意識の内に去来した、まっさらで偽りない自身の本音を前にして、彼はひどく狼狽した。

 そんなの駄目だなんて、一体何が駄目なんだ? ザキさんも世良さんも男だから? だけど、俺が口を出すことじゃないだろ。
 それに、勝ち目ってなんだよ。俺はザキさんと何を競うつもりだ? 世良さんを好きなザキさんと、何を……。

 ぐちゃぐちゃとした己の感情を頼りなげに吟味していく中で、椿は朧げに答えを掴もうとしていた。その彼の目の前で、赤崎は吸い寄せられるかのように世良との距離を縮めていく。
 赤崎が何をしようとしているのかなんて、考えるまでもなく歴然だ。

 椿は反射的に嫌だ、と思った。

 それは同性同士のキスシーンを目の当たりにすることへの嫌悪感などではなく、赤崎に、世良へ触れてほしくないという子供じみた我が儘から生まれた感情だった。

――触れないで……!

 気付けば椿は、赤崎を横から突き飛ばしていた。



 ほろ酔い程度で意識を失うまでではないしろ、赤崎も間違いなく酔っていた。でなければ、こんな失態は犯さなかっただろう。
 普段はおくびにも出さない感情をこのような形で露呈させ、あまつさえ隣に転がしていた後輩が目覚めたことにも気付かずに決定的な現場を見られてしまうなど。

 いきなり突き飛ばされた衝撃と必死な眼をした椿の顔に驚いた赤崎は、しばし呆然とした後に、軽率な行動をとった自分を呪わんばかりの勢いで嫌悪する。
 しかしすぐに、これは丁度良い機会なのではないかとも直感的に感じた。

 赤崎が世良への感情を認めざるを得なくなった原因の当事者である椿には、その時のことを改めて聞きたいと思っていたところだ。
 それに何よりも、先程椿が垣間見せた表情の真意を問いたかった。自分と同じ感情を、世良に対して隠しもっているのではないかと。

 今が好機だろうと判断した赤崎は、椿を連れてベランダへと話し合いの場を移した。その間、椿は一言も口を開かなかった。


 ほどよく冷たい夜風に当たる。
 連れ出したのはいいが、どう切り出したものかと赤崎は考えを巡らせていた。椿は椿ですっかり萎縮してしまっている。お互いに重苦しい沈黙を続けていたが、それを打破したのは意外にも椿だった。

「ザキさん、あの……さっきはすみませんでした」

 椿は馬鹿丁寧に頭を下げる。
 体育会系男子らしく、徹底した年功序列社会に身を置いてきた彼にとっては、先輩を突き飛ばすなんて暴挙は相当とんでもないことに違いない。

「……謝る必要ないだろ」

「でも、」

「悪いのは俺なんだからな。お前には礼を言わなきゃならないくらいだ」

「お礼なんて……」

 それこそ必要ないものだと椿は思った。
 あの時の行動は世良を思ってのものではなく、椿自身の利己によるものだったからだ。世良に触れてほしくないという、ただその一心で。

「椿、お前に聞きたいことがあんだけど」

 椿はびくりと肩を揺らす。

「お前と世良さんってさ、デキてたりしないよな?」

「……デキて、って……えええええ!?」

「馬鹿ッ、声デカイ!」

 赤崎は慌てて椿の口を塞ぐ。リビングの様子を窺い、世良が起きてこないことを確認してからようやく椿を解放した。

「す、すみません」

「……世良さんが、お前の部屋に泊まって一緒のベッドで寝たとかいうから気になってたけど、その様子じゃ違うんだな」

「あ、あれは……」

 言いかけておいて迷っているのか、椿は視線をうろうろさせて落ち着きがない。口外しないと世良と約束しているだけに、ここで言ってもいいのか判断に困っているのだろう。

「世良さんには黙っておくから」

 椿の心情を察した赤崎は、後押しして続きを促す。それが効いたようで、椿はぽつりぽつりとあの夜の真相を語りだした。


「……要はホラー映画にビビった世良さんが、怖くて部屋に戻れなくてお前と一緒に寝たってこと?」

「ウス」

 赤崎はずるずるとしゃがみ込むと、堪らず額に手を当てた。変に勘違いしていた自分がなんとも恥ずかしくて、思わず世良を思い切り蹴ってやりたくなった。

「あの、俺からも一つ、聞いていいすか」

 意を決した椿の声音に、ああこれはくるな、と赤崎は感じ取る。

「ザキさんは、その……世良さんのこと……」

「好きだけど?」

 赤崎は牽制の意味合いも込めてそう言い切った。未だに認めたくない感情ではあるが、椿の気持ちを知ってしまった以上、彼の前でごまかすことは出来ない。

「お前もそうだろ」

「……よく、わからないっす」

 赤崎は思わず顔を上げた。自分を突き飛ばした時の椿の表情を知っているだけに、世良への想いを自覚しきれていない椿には驚かざるを得ない。

「世良さんは、凄くいい人で……俺が寮に来たばかりの頃もよく色々と気遣ってくれて……だから、先輩だけどあんまり緊張せずに居られる、というか……でも、ドキドキする時もあって……」

 椿は赤崎の隣に腰を下ろし、膝を抱え込む。そうやって口下手な椿がたどたどしく紡ぐ言葉を、赤崎はただじっと聴き入る。

「俺より年上なのに、なんか可愛くて、頭とか撫でたくなるような人で……他の人がそうしていると羨ましいっていうか、ずるいって思ったりして、俺も……その、触りたいなあって思ったり」

 それきり俯いてしまった椿に赤崎はやれやれと溜息をつきたくなった。
 いくら小柄で童顔だからといっても世良は成人済みの男性で、顎には髭があり、スポーツマン故にほどよく筋肉がついた身体つきをしている。
 それを可愛く思うのは百歩譲って有りだとしても、ドキドキしたり触れたいと思っている時点でチームメイトとしての情の範疇を越えているだろ、と赤崎は思った。

 そこで赤崎は今後の自分の身の振り方について考える。
 このまま椿を上手く丸め込んでしまえば多分、恋愛事に疎いであろう彼は世良への好意を自覚出来ないままだろう。それは同じく世良へベクトルを向ける赤崎にとって喜ばしいことである。

 椿を丸め込むのは容易い。だが、そうすることに赤崎は引っ掛かりを覚えた。

 彼は大層な自信家である。それだけに、恋敵である椿を勝負から遠ざけるような画策をすること自体が、負けへの恐れを表しているようで気に入らなかった。
 そして何よりそれ以前に、赤崎はスポーツマンなのだ。

「お前さ、このまま自分の部屋に戻れる?」

「え?」

「お前がいなくなると、俺はここで世良さんと二人きりになる。そうなるとまたさっきみたいなこと、するかもしれねえけど?」

「っ、それは……!」

 咄嗟に椿は赤崎の服を掴む。服に深く皺が寄るのを見て、赤崎は再認識した。

「嫌だろ?」

「……ウス」

「じゃあお前も俺と同じ気持ちなんだろ」

「同じ……」

 ゆるゆると、椿の手から力が抜けていく。
 ようやく彼は、胸の奥底にあった世良への思慕を見つけて、掬い上げることが出来たのだ。

――ったく、手のかかる奴

 わざわざ敵を増やすようなことをした赤崎だが、そこに後悔はない。
 ただ、負けるものかという強い思いだけが静かに渦巻いていた。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -