水底の情 前編 | ナノ


 赤崎は両肩にのしかかる重みに辟易しながら、なんとか自室の鍵を開けた。
 彼の両肩に乗っかっているのは、すっかり酔い潰れた椿と世良である。赤崎はずりずりと半ば引きずるように二人を運び、カーペットの上に転がした。






 明日がオフということもあり、今夜はETUのメンバーで飲み会が行われた。
 椿は開始早々、乾杯のビールに酔って沈没。それなりに酒が呑める世良はベテラン組――主に丹波と石神にしこたま酒をすすめられて途中であえなく潰された。

 先輩相手に物怖じすることなく「No」と言える赤崎は、自分のペースで呑み進めていたのでほろ酔い程度だ。だがそのせいで、酔って意識も曖昧な二人を連れて羽目になったのである。
 勿論赤崎は面倒臭がったが、他の寮住まいの選手はそのまま二次会に直行してしまったので、初めから彼に拒否権は無いに等しかった。

「ったく……」

 寮の前まではタクシーに乗ってきたから楽なものだったが、それからが大変だった。部屋までは一人で二人を運ばなければならなかったからだ。
 ようやく二人の重みから解放された肩を解しながら、休む間もなく赤崎は予備の毛布を引っ張り出しにかかる。流石に何もかけずに寝かせる訳にはいかないだろうと、思いながら。

 赤崎の苦労など知りもせずに、並んで寝こけている椿と世良にやや乱暴に毛布をかける。仕事は終えたとばかりに赤崎は二人の横に腰を下ろして、二つの寝顔を見遣った。

 椿と世良。この二人を見下ろす赤崎の脳裏には、先日の出来事が自然と思い起こされる。

 数日前に、椿と世良が揃って寝坊で遅刻してきたことがあった。たまたま同じ日に寝坊したとしても、二人一緒の出勤時間になるものなのか。周りもそこが引っ掛かったようで、練習後に二人は当然そのことに関してチームメイトに問われていた。

『昨日は椿の部屋に泊めて貰って一緒に寝てたんすよ』

 世良の言葉に赤崎は思わず着替えの手を止めた。

『え、一緒のベッドに?』

『そうっすよ』

 事もなげに世良は頷く。赤崎は内心驚いてツッコミを入れた。
 いやいや、子供ならともかく、普通は成人した男同士でベッド共有はしないだろ。

――そういう関係でもなきゃ。

『よく男同士で寝られたなあ。そもそもシングルベッドじゃ、サイズ的にもキツイだろ』

『まあ、世良とならペットと一緒に寝てるようなもんだろうし。サイズもほら、この小ささだから問題なかったんじゃねえ?』

『タンさん、ひっでえ!』

 世良の反応に、ロッカールームにはいくつもの笑い声が響き渡る。その中には赤崎の声は含まれていなかった。とてもそんな気分ではなかったからだ。
 赤崎はなんでもないような様子を装って、一番気になっていたことをそれとなく世良に尋ねた。

『つか、なんで椿のとこに泊まったんすか?』

『え、それは……』

 丹波達からの質問に淀みなく答えていた世良がいきなり言葉を詰まらせる。迷ったような素振りを見せた世良は結局、小さな声で秘密、とだけ返した。

――おいおい、マジかよ。

 赤崎は焦った。それではまるで、本当に椿と世良がそういう仲のような物言いではないか。まさかこの二人に限ってそんなことはないだろうと思いつつ、赤崎は内心穏やかではない。
 その後、彼は何度か同じ質問をしてみたが、世良からははっきりとした答えは聞き出せなかった。ならば、と矛先を椿に変えるも、世良に釘を刺されているようで、こちらも口を割らなかった。

 それからというもの、赤崎の胸中にはもやもやとした気持ちが燻り続けている。

 赤崎は幼い頃から聡い人間だった。その、もやもやとした感情の正体にだって勿論見当はついていたが、敢えて気付かないふりをして見ないようにしていた。更に言うなら、もうずっと前から世良に対して抱いている特別な感情にも、目を背け続けている。
 どれだけ大人を装っていても、彼はまだ成人して一年の若者だ。そして人一倍高いプライドを持っている。それ故に受け入れ難いのだ、同性へ恋慕の情を持つ自分を。

 相手が世良という点も、赤崎を頑なにさせている原因の一つだろう。

 元来、男という生き物は自分よりも優れていて、力のある同性に憧れ惹かれる傾向がある。子供の時は勉強もスポーツも得意な男の子が男子達には好かれ、輪の中心になることが多い。
 達海が監督してやって来る前のETUにもそれは如実に表れていた。なにせ、仲間から心酔される程の実力と統率力のある村越が皆を纏めるという図式で成り立っていたのだから。

 世良という人物はそんな、同性が惹かれるような存在とは掛け離れていると言っていい。
世良に対する赤崎の評価は、サッカーの才能に溢れている訳でもない平凡な選手で、背もチーム内で一番小さく力があるとは言い難く、落ち着きもない騒々しい人間、だ。
 世良本人が聞いたら憤慨することは間違いないが、こんな風に赤崎にとって世良は憧れも敬いも抱かない取るに足らない相手だっただけに、なんでこんな人を好きになっているのかという反発心が拭えないのである。

 更に言えば、世良への好意を認めてしまったら負けるような気がして、赤崎は独りでに意地を張っていた。

 しかし、いざ世良が他の者と親密にしているのを目の当たりにすると、いとも容易く意地は揺らぐ。今回の椿との件を知った時だって、一番最初に先行した感情は焦りだった。
 世良を盗られてしまったのではないかという思いからくる焦りである。世良は赤崎のものでもなんでもないのだから、盗られるというのもおかしな表現だ。それに気付いた赤崎はどうしようもない自己嫌悪に陥った。あれだけ自身のことを優れた人間だと自負している彼が、だ。

 心の中で悪態をつきながら、赤崎は彼の感情を著しく乱す根源である世良に目をやる。なんの憂いもないと言わんばかりの寝顔を見ていると、人の気も知らないで、と文句の一つでも言ってやりたい気分になる。
 寝ている相手にそんなことを言ったところで虚しいだけなので、赤崎は代わりに世良の頬を摘む。酒のせいで赤くなった頬は見た目通りの温かさがあって、冷えかけていた赤崎の手に僅かに温もりをくれた。思いの外それが心地好くて、掌を開いて世良の頬に触れる。

「んー……」

 すると、世良はぐずるような声を漏らすと同時に赤崎の掌にすり、と頬を擦り寄せた。
その瞬間、赤崎の背筋に得も言われぬ、だけど決して不快ではないと断言できる感情が駆け抜けていく。強烈なまでの感覚に、彼はただ瞠目するしかなかった。

 優しく抱きしめたい思いと、力任せに抱き潰してしまいたい衝動が綯い交ぜになって赤崎の背を押してくる。押されるがまま、彼は世良の寝顔の左右に手をついて覆いかぶさった。
 瞬く間に心拍数が上がっていく。意識のない相手にこんなことをすべきではないと、赤崎の中にある良心が囁くが、今の彼は激しい滝の流れにのまれた木の枝のようなもの。後は滝壺に落ちていくしかない。

 上体をゆっくり屈ませ、赤崎は世良との距離を縮めていく。今までにないくらい間近に迫った世良の顔。
 同じ男とここまで近く顔をつき合わせているのに、嫌悪感は湧かなかった。つまりはそういうことなのだろう。また一つ、赤崎が抱く世良への感情を裏付ける事実が増える。

 だが今の赤崎にはそんなことを考える余裕がなかった。僅かに開かれた世良の唇に、自分のそれを重ねたい欲に思考が支配されていたからだ。

 世良が漏らす呼吸が肌に触れる程にまで迫る。

――だが、そこから先に進むことは叶わなかった。

 ドン、と横から衝撃を受けた赤崎が、そこで我に返ってとっさに身を引いたからだ。

 彼は失念していた。

 世良と一緒に連れて帰ってきた、後輩の存在を。




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