侘助女体化注意。
名前→椿設定。









私は愛を知らない。



「椿、ご飯」
「ん」



開けっ放しの納戸から、理一に声をかけられた。そういえば、もう外は暗い。本を読んでいたのに気づかなかったのか。自分でも不思議だ。本を閉じて立ち上がる。制服のままだが、別に問題ないだろう。理一を見ると、ちゃっかり着替えている。生徒会の仕事で私よりも遅くに帰ってきたのに、マメなことだ。戸の前で私を待っている理一を追い越して居間に向かう。
正直、飯の時間は好きじゃない。家族全員が居る場所は、とても居心地が悪いからだ。味なんか楽しんでいるヒマもないくらい、とにかく居づらい。
居間に入るとすでに全員が席に着いていた。視線を合わせないようにして、自分の席に座る。隣からばあさんの視線を感じたが、特にそっちを見ることも無く。理一が席についてから、皆食事に手を付け始めた。皆それぞれ話しをしているがそれに加わるなんてことはせず、淡々と箸を進めた。味は、しない。茶碗に入っているご飯と味噌汁を全て平らげて、一人足早にあの納戸へ向かう。後ろからばあさんに名前を呼ばれたが振り向かずに居間を出て行った。腹は膨れてない。
あの居間に比べて、この納戸はとても落ち着く。静かで、誰も居ない。腰を下ろして読みかけの本に手を伸ばした。
私には父親と母親が居ない。正確には居たが、もうこの世に居ないのだ。母親は私を産んでから、元々身体が弱かったからだろう、病院で息を引き取った。父親は、どうだったのだろう。きっと寿命だ。そもそも、会ったこともない。少々複雑な事情があるから。簡単に言うと、私の父親と母親は不倫関係だったということだ。
この家に引き取られたのは母親が死んでから、間もない頃だった。全く知らない土地を、全く知らない人と歩く。母親が居ない、誰も知っている人が居ない、まるで地獄だった。そんなもの、地獄の入り口でしかなかったことは、今になって分かったことだが。
それからいろいろなことを知らされた。自分がどうしてこの家に引き取られたか、というのが主な内容だ。自分は妾の子で、家の中でも歓迎されていなかったということ。本当なら知らぬ顔でいたかったところを、親戚の居ない私を引き取ろうとばあさんが言い出しそれに従ったこと。この家はばあさんの言うことを忠実に守るのだ。
そんな、いわゆる一人ぼっちのこの場所で、誰かを信用して生きていくなんて無理な話だ。周りは自分を良く思ってない人ばかりで、敵だらけで。どうしてこんなところに連れてきたんだとばあさんを恨んだし、そもそも何故そんなに入り組んだ関係だったのに自分を産んだのだと母親すら恨んだ。もちろん、父親も。
それでもここに居ることしか道が無い私は、



「椿、風呂空いたよ」
「………」「椿?」
「分かってるっ」



時計を見ると時間は十時を越えていた。もう風呂に入るやつもいない。ちょうど読み終わった本を置いて、自分の部屋にタオルや着替えを取りに行く。今日は、もうここに来ないだろう。
夕飯の時と同じように理一の横を通り過ぎる。どうしてこいつは、いつもこういう役回りを引き受けるのだろう。それが本家の、長男としての役目だからだとばあさんにでも言われたのだろうか。アホくさ。
風呂に入って、自分の部屋に戻る。適当に勉強をやっていれば、いつの間にか日付が変わっていた。もう寝なければと思ったが、明日から学校は無い。夏休み、というやつだった。なら、もう少し起きていても問題無いだろう。部屋の電気は机のスタンドだけで外に光が漏れ出すこともないし、勉強するだけだから騒がしくもならない。そもそも勉強をするのだ、誰も文句は言わないだろう。
そう考えて、問題集を開く。何をやろうか迷ったが、とりあえず数学の問題に目を通した。私はどうやら理系らしい。ややこしい国語の文章なんかより、数学のきっちりとした数式のほうが好きだからだ。
そして二時を過ぎた頃、私は布団に入った。



「椿、起きてる?椿」
「ん……なに」
「ご飯で来たから呼びにきたんだよ。行こ」
「……行かない」
「え?」



時間を確認すると、確かに朝食の時間だった。しかし、食べる気にはなれない。夜中遅くまで起きていたせいかとにかく眠いし、朝は食欲が湧かない質なのだ。それに、また朝からあの家族と顔を合わせるのが嫌だというのもある。というかそれが大半だ。
理一にこの理由を言ったところで大人しく引き下がるとは思えない。今までの経験からそうだと感じる。とにかく私は食べないと言って布団に潜り込んだ。
しきりに椿、と名前を呼ぶ理一だが、突然その声が止む。諦めたか、と安心したのもつかの間で布団から顔を出した瞬間、襖が開いた。



「な、」
「椿、朝だって言ってるだろ?いい加減起きなって」
「開けんな!って、入ってくんな!出てけ!」
「起きないのが悪い」
「っ、くそ」



布団に包まりつつも、なんとか起き上がる。理一は机の上を見たのか勉強してたんだな、とどこか関心したように呟いていた。私は勝手に見るな、と言う気にもなれず箪笥からタオルを掴み部屋を出た。朝食は食べないが、顔は洗わなくてはいけない。そんな私の考えなど知らず理一は嬉しそうにその後をついてくる。行き先は洗面台だというのに。
顔を洗って、もう一度部屋に戻ろうとすると理一に行く手を阻まれた。そっちは居間じゃない、とでもいうかのように。私は別に居間に行く必要はないのだ。朝食は要らないから、さっさと部屋に戻って服を着替えたいのに。
退け、と言えばそっちじゃないぞ、と腕を掴まれる。咄嗟に、その腕を払った。



「つ、ばき?」
「……退け」
「けど」
「いいからっ!」



理一の肩にぶつかるようにして、なんとかそこを通る。部屋に戻ってから、私は布団に入ることもなく着替え始めた。短パンと、タンクトップ。どうせ田舎だ、誰かに見られることもない。それに、大体この辺はこういう格好ばかりだ。財布だけを短パンのポケットに入れ、部屋を飛び出した。
玄関でサンダルを履き、そのまま家を出る。行き先なんか決めていない。それでも、この家以外ならどこでもよかったのだ。
私の家は、ここ長野の上田以外にはない。前に住んでいた家は、きっともうないのだろう。母も死んで私も居なくて、親戚すら居なかったのだから不動産の責任者か父親が何かしたに違いない。けれどもし、その家がまだ使えたら。まだそこに家があるなら、そこに戻りたい。そこに居た記憶すら無いに等しいのに、それでも戻りたいだなんて。
たとえそこにたどり着いたとして、どうにもならない。しがない田舎娘が、誰も助けてくれる大人が居ないそこで生きていけるわけがない。所詮、叶わないのだ。
ふと気がつけば、どこか見た景色だった。一本道の両脇に朝顔がたくさん咲いていて、道の先には入道雲。この目の前の景色を、どこかで見た気がする。



「椿!」
「……またお前か」
「どうしたんだよ、急に飛び出して」



走って来たのか、理一は汗をかいていて息も上がっている。どうしてわざわざ、こんなところまで追いかけてきたのか全く分からない。もしかしたらばあさんに頼まれたのかも。だからなんだ、そんなもの私には関係ない。



「何しに来たんだよ」
「何って、迎えに来たんだ」
「いい」
「え?」
「……一人で、帰るよ」
「いつ?」
「そのうち、に」



強い風が吹いて、辺りの音を消す。その中で、理一のため息だけが聞こえてきた。
さっさとここから居なくなろう。そう思い歩き出すと理一に腕を掴まれた。朝の、あの時のように。



「何すんだっ」
「そんな顔してんのに、一人にさせれるか」



私は愛を知らない。理由は、分からない。ただ愛は母親から教えられるのだと聞いたことがある。もしそれが本当なら、私はこれからも愛を知ることはないのだろう。なら、今この感情はなんだというのだ。
本当は誰も恨んでいなかった。お母さんが居ないのはとても嫌だったけど、それでも産んでから少しだけ一緒に居た記憶はぼんやりとある。優しく笑ってくれたり、子守唄も唄ってくれた。お父さんだって、写真なんかで顔を知りたくなかった。けど部屋にある昔プレゼントしてくれたらしいぬいぐるみは、今でも大切なものだ。ばあさんにだって、恨んでなんかない。もしかしたら施設で一生を過ごすかもしれなかった私を、妾の子である私を引き取ってくれた。私はそれを一生背負い、大切に生きていかなければならない。
まさかこれが愛というものなのだろうか。



「帰ろう」
「……ん」
「帰ったら、お昼ご飯だな、時間的に」



ぎゅっと握られた手はお互いに汗で濡れていた。それでも不思議と嫌な感じはしなくて、理一の手のぬくもりがただ心地よかった。





限りなく愛に近いなにか








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -