ここは愛の街。
「つまみと酒をくれないか」
カウンターでコップを磨いているとお客さんが前に座った。白髪のおじさんだ。白のスーツに柄シャツ。なんて派手なんだと思ったけど似合っているからいいのだろう。私は普段地味めな色しか着ないから少し羨ましい。バタピーと適当にお酒を出す。お酒が合わないなら変えるだけだ。おじさんは大丈夫だというようにぐっとお酒を飲む。
「なあ嬢ちゃん、さっき歌ってた曲なんだ?」
「え、聞こえましたか」
今日はカウンターに人が来ないから暇でつい鼻歌を歌ってしまっていたのだ。でも小さい声だったし大丈夫だと思ったのに。意外と地獄耳なのかもしれない。油断大敵ということだろうか。空になったグラスにお酒を注ぐ。
「なんて曲なんだ?」
「昔の曲ですよ」
昭和歌謡というジャンルらしいとおじさんに教える。最近の曲も好きだけど昔の曲だって好きだ。最近ネットで見つけて少し聞いたくらいだからそんなに知らないけど。私の中のイメージで昭和歌謡は悲しい歌ばかりだと思ってたけど違うみたいで。昔の曲というだけでなんだか詩的な感じもしてしまう。ノスタルジック万歳。使い方あってるかな。
「何か軽く食べれるもの、ないか?」
「ちょっと厨房行ってきます」
厨房を覗くとちょうど手が空いているみたいで軽く食べれるものを頼むとペペロンチーノを渡された。量も無いからこれでいいか。フォークとナプキンを持っておじさんのところに戻る。おじさんは勝手にお酒を注いで飲んでいた。ボトルはもう空になっている。早いなと思いながらペペロンチーノを出した。
「ついでに、そこの酒も頼むよ」「日本酒ですね」
お酒の詮を抜いて新しいグラスに注ぐ。白く濁ったお酒だ。ペペロンチーノにならワインとかの方がいいんじゃないかとも思ったらけれど好き嫌いも人それぞれだからいいのか。一人納得しながらさっきまで使っていたグラスと空になったバタピーの皿を片付ける。カチャカチャと音が鳴らないように気をつけて片付けるがやっぱり無理だった。どうやればいいのか全く分からない。真実は一つだと言うから方法はあると思う。私は見た目も頭脳も子供だから無理だけど。ふとおじさんが何かの歌を口ずさむ。さっき私が歌ってた歌だ。
「知ってるじゃないですか」
「嬢ちゃんが歌ってたからな、なんとなくだよ」
この曲はどれぐらい前の曲だったんだろう。昭和ということくらいしか私は知らない。そういえばおじさんくらいの人は昭和生まれじゃなかったっけ。
「あれですよ、昔といっても昭和ですから」
「なら、分からないのも当然だな」
おじさんはメディアに疎かったのかもしれない。今はテレビとかが普通に家にあるけど昔は違ったし。それでも歌えるのはどこかで聴いたからだろう。有名な曲みたいだから。
「寂しいもんだな、分からないのは」
「そうかも、しれませんね」
食べ終わったペペロンチーノの皿を下げる。そんなに量が無かったのもあってか綺麗に完食されていた。お酒を注ごうかと思ったがおじさんはすでに日本酒を空にしていた。なんて早いペースなんだ。顔が赤くなっていないことに驚きを隠せない。アルコール度数いくつなんだろ。いくつでも顔は赤くなると思ってた私の常識が崩されていく。ふと涼しげなその顔が寂しそうに見えた。店内が薄暗いからかもしれない。もしかしたら店内が薄暗いから顔が赤く見えないのかもしれない。なら私の常識は間違ってない。どうでもいい話なんだろうけど私の中では意外と重要。
「何か分からないことでもあるんですか」
「まあ、そういうことになるのかもな」
難しい。大人はみんな難しいことを言う。1+1が2っていうくらい簡単なことを言って欲しい。そうすればみんな頭を抱えて悩むこともないしスムーズに事が進むはずだ。国会だって多数決で決めるのにそれまでにいろいろありすぎてよく分からなくなる。王様があれこれ決めてた方がいいんじゃないかと思う時が実はあるけど我が儘な王様は嫌だ。どうせ王様になる人を決めなければいけないのなら赤ちゃんでいい。いろいろ楽しそうだ。ばぶーしか言わないから何を言いたいのか分からないし。おじさんはもう行くよと席を立った。グラスにあった残りの日本酒は綺麗に飲み干されている。おじさんを見るとやっぱり顔は赤くなっていなかった。またどうぞと言うとおじさんはさっきの続きだと言うように口を開く。
「歳を取っても分からないことはあるし、分からなくなることもあるんだよ。きっと死ぬ間際まで、分からないままなんだろうな」
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赤木さんの話。
忘れるっていう感覚がよく分かりませんがとりあえず。
赤木さんの考えていることを理解するまでに私は何百年とかかる。