▼ 怒りは悲しみ
「というわけだ」
唖然とする那智にニヤリと笑ってみせる隆宗は今まで見たことがないくらいに生き生きとしていた。
「楽しそうじゃあないか?」
「楽しそうって・・・本気で言ってるの?」
隆宗の家へ来たときには明るかった外も既に薄暗く、決して短くはない話を要約すると、こうだ。
「本気で・・・その、審神者とやらになるつもり?」
驚きを通り越して、呆れ。・・・を通り越し一周して驚いた。
「楽しそうなことには目がないもんでな」
「いやだって・・・仕事はどうするの」
全国チェーンの営業、いわば挨拶顔である男が簡単に大きな会社を辞めることができるとは思えない。
だからこそ、驚いた。
「辞めた」
昨日付けで辞めた、と。
その事実にも驚いたし、何よりも今まで一言も聞いたことがなかったそれに悲しさを感じた。
「だから、今日で会うのは最後なんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
もう審神者というものが存在するもの前提として話が進んでいることに頭が痛む。
「といっても、まあ今生の別れというわけでも無いし。また会えるだろうさ」
だから、一旦さよならってところか。
何てことでも無いように笑ってキッチンへと向かった隆宗の背を見つめ目頭に涙が溜まっていくのが自分でも分かった。
「・・・・・・・・・・・・帰る」
「ん?ご飯は食べていかないのか?」
「・・・・・・ううん、いい」
なんてことないように、隆宗に言ってやった。
「さようなら」
馬鹿じゃないの。馬鹿じゃないの。馬鹿じゃないの。
心の中で毒付きながら足を進める。
なにが審神者だ。なにが政府だ。なにが九十九神だ。とんだ新興宗教だ。
次々に浮かんでは消え、浮かんでは消えの繰り返しだった。
別に、大手企業を蹴ってまで訳のわからない仕事に就いたことに怒りを覚えた訳ではない。
別れの寸前まで、一言も無かったことが、とてつもなく悲しかった。
「・・・・・・ッ」
溢れそうになる涙を堪えながら帰路を急ぐ。
そう遠くない距離のはずだというのに、今日に限ってやけに遠く感じた。
そこで思い出した。
いつもは家まで送ってもらっていたのだと。
初めて一人で帰ってきた道のりは随分と長く、重いものになった。
エントランスに着いた頃には落ち着きも少しだが取り戻し、郵便受けを確認しエレベーターに乗り込んだ。
「・・・・・・馬鹿だなあ、私・・・・・・」
大切なものは、なくなって初めて気付く。
今や有名なそのフレーズは、幼い頃から親に言われつづけて育った那智にとって、言葉以上に意味をもつものとなっている。
見慣れた扉に鍵を差し込み、玄関に足を踏み入れる。
ふと、と何かを踏んだ気がした。
「・・・何か落ちたのかな・・・」
ヒールを退けてみると、白い玄関の床には無いはずのものに眉を寄せた。
それは、見覚えのある茶封筒だった。
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