▼ 弟が来る前のコルボえさぼが肉屋を襲う話
肉屋を襲おう。
エースがそう言い出した時、サボは端町へと行くのだと当たり前に想像していた。
あの大門を子ども二人だけでどうやって突破する気なんだ、と眉をひそめたサボの表情を見てか、エースが「違ェよ」と笑う。
「お前、今どうやって大門抜けようかって考えただろ? そっちじゃねェ、村だ、村。村の肉屋を襲おうって話だ」
エースいわく、『フーシャ村』というその村は、端町とは真逆の、コルボ山の向こう側に存在するらしい。しかし、サボは─エースの言葉を疑うわけではないが─更に眉を寄せた。高町に居る時も、グレイ・ターミナルに来てからも、一度もそんな村の名を聞いたことがなかったからだ。
サボの不安を感じ取ったのか、またしてもエースはサボが口を出す前に「大丈夫」と言ってから、足元の鉄パイプを蹴り上げて空中でキャッチした。
「おれは、ガープのジジイに連れられて何度か行ったことがあるんだ。肉屋の場所も分かるし、逃走ルートだって想像がつく」
「それなら良いけどよ……でもエース、どうしてわざわざそんなところの肉屋を襲うんだ?」
サボは首を傾げる。別に肉なんて狩りをすれば幾らでも手に入る。最近は二人とも腕っぷしが強くなってきたから、よほど大型の獣相手でない限りは、肉にありつくのに苦労などしない。
するとエースは片眉を上げ、手にした鉄パイプで己の肩を軽く叩きながらいささか言いづらそうに口を曲げた。
「っと、ほら、なんつーか……いつもの味付けにも飽きてきたなって話してただろ? 肉屋から『すぱいす』とか奪って来たら、もっとサボとうまいメシ食えるんじゃねェかって思ってよ」
「あ……」
確かに、それは以前からエースとサボの間で幾度となく話題になっていた『問題』だった。
つまり、焼いて食うだけの肉が──あまり美味くないのだ。
それもそのはず、多種多様な肉こそ手に入るものの、味付けはエースがダダンの戸棚からくすねてきた塩だけで、ろくに肉の臭味だって消えやしない。
サボとて特別美味いものが食べたいわけでもないが、かといって毎日似たような味ばかり口にしていると、別の調味方法があっても良いのでは、と考えてしまう。
実際のところ、サボは密かに幾つかのアイデアを持ってはいた。マデラ、バルサミコ、ヴァンブラン、ヴァンルージュ。ソースの名前だけでも思い浮かぶものは多い。
だが──それを口にするのは憚られた。エースに問われるのが怖かったからだ。
なんでお前がそんな料理知ってるんだよ、と。
どうしても言えないことがあるせいで、自分の考えの全てをエースに伝えることが出来ない。答えを持っているのにわざと知らないふりして黙っているような後ろめたさ。エースにそんな意地の悪いことをしたいはずもないのに。
「ダダン達は、なんか色々混ぜたやつ使ってやがるけど、『やり方教えてくれ』って頼むのも負けたみてェで嫌だしな。かっぱらってこようにも食事の度に作ってるみてェで難しいし……サボだって、あいつらのがうまいメシ食ってんの腹立つだろ? おれが、おれ達が獲ってる肉なんだから、おれ達が一番うまく食って良いはずだ!」
エースは腕を伸ばし、鉄パイプを空へと差し向けて高らかに宣言するが、隣のサボはハッと息を呑んでいた。己の後ろめたさにかまけて、重大な事実を見落としていたと気付いたからだ。
サボは今の今まですっかり忘れていたのだ──山に住んで長い山賊達は塩を振って焼く以外の方法を当然知っており、エースは彼らの作る別の味付けの料理をしっかりと食べているのだ、ということに。
そうなると、と途端にサボは瞳を揺らす。もしこの状況が続いたら、肉の味に飽きたエースは次第にこちらへ来なくなってしまうかもしれない。今度からメシは全部向こうで食うわ。じゃあな、サボ──そう告げるエースの姿は、想像だけでも存分にサボの体温を下げた。
そんなのは、絶対に嫌だ!
「ッ、そ、そうだな! もっと美味いもん食いてェよな! 肉屋を襲うってのはすげェ良い作戦だと思うぜエース! 早く実行に移そう!」
「お、おう! それなら、もう今から行っちまおうぜ!」
毎日同じってのには飽き飽きだ、と続けたエースの言葉が、肉の味でなく自分自身に言われているような気までしてしまって、サボはグッと鉄パイプを握りしめた。
■
肉屋の襲撃が本当に『良い作戦』だったかは分からない。考えてみれば、スパイスが欲しいのであれば精肉店でなくレストランか商店を襲った方が量も種類も豊富だったことだろう。
とはいえ、エースに連れられて降りたフーシャ村─想像よりもずっと小さな村だった─の肉屋で、サボは二、三のスパイスらしき瓶をポケットに入れることが出来たし、ついでに身の丈もあるほどの特大の骨付き肉を奪って逃げることにも成功した。
店主にはバレたし大声で追いかけ回されもしたが、他の村人は「どうした、またがなにか面白いことでもしたのか?」と知らない名前を口にしていたから、何かしら勘違いでもしてくれたのだろう。そのおかげか、海岸を経由して山に入る頃には、追手の気配なんて微塵も感じられなくなっていた。
無事にやり遂げた、初めての襲撃。しかし、骨付き肉の端と端を持って前後に並んで歩く二人の目下の話題は、まったく別のものだった。
「やっぱ、あの船、すごかったな!」
コルボ山へと向かう獣道を登りながらサボは声をはずませる。きっと同じ言葉をもう三度は繰り返していたが、まだまだこの気持ちには足りない。
『あの船』というのは、逃げる道すがら海岸付近を走り抜けた際に見かけた、大きな船のことだ。しかも、帆こそ畳んであったが、おそらく──否、間違いなく海賊船。
間近に見た『本物』を思い出すと、それだけでサボは高揚感に身震いするほどだった。
「なあ、エース! おれ達もあんな船、いつか買えるのかな!」
前を歩くエースに、サボは浮かれた調子で語りかける。
急いで逃げている最中だったからまじまじと見ることはかなわなかったが、夢にまで思い描いた、理想そのものの船だった。あんな船に乗って航海に出る自分達を想像するとそれだけで足がむずむずとしてどこかへ駆け出したくなってしまうほどに。
エースは少し振り返ると、ニッと笑ってから「そのための海賊貯金だからな」と答え、そして少し考える素振りをしてから「いや、」と続けた。
「──おれ達はもっともっと良い船に乗るぞ! そんで海へ出て、仲間を集めて、世界中に名を馳せるんだ!」
エースはどこか対抗意識のようなものも見せていて、その視線の熱さはとっくに山向こうに隠れた例の船を射抜かんばかりだ。
こういうエースの負けず嫌いなところはサボにとって好ましいところでもあり、同時に心配なところでもある。興奮に水を差したいわけではないものの、一応サボは「おれはエースとだったらどんな船でも平気だけどな」と呟いてみるのだが、先に前を向いてしまったエースの耳には届かなかったようだ。ほとんど重なるようにしてエースは更に意気揚々と続ける。
「海に出たら、まずは腕の立つ料理人を探さねェとな? 長い航海になる。毎日のメシに飽きちゃつまらねェ!」
肉屋を襲撃した理由でもあるその言葉が、再度サボの胸に刺さった。ポケットの中でスパイスの入った瓶がぶつかって小さな音を鳴らす。
いつか海に出る。
今日見たような、あんな大きな船に乗って。
いつか仲間も増える。
あの船にいっぱいになるくらいの、頼れる仲間達が。
だからこそ不意に心配になる。
その『いつか』の時、エースが『サボ』に飽きてしまわないなんて保証はないからだ。
変わっていく環境、きっとエースも変わっていく。それでも、言えないことだらけのサボは、今までどおりの『サボ』を続けることしか出来ない──かもしれない。
こんな退屈な船長になんかついていけねェ、もう飽き飽きだと言われるところを想像して、サボはぶんぶんと頭を振った。けれど、不安はサボにべったりとくっついていて中々離れてくれそうにはない。
エースと共に居る今の『サボ』こそが『本当の自分』だと確かにそう思うのに、家での記憶と知識がそれを邪魔する。いっそ全部忘れてやり直せたなら、きっとこんな風に戸惑ったりもしないのに。
……………………まで書いてボツにしました