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▼ 破れた傘のその下で


 グレイ・ターミナルに運び込まれる『不確かな物』は雑多にして大量。
 まさにゴミ山と呼ぶに相応しく、そのためエースと同い年の──そしてエースよりほんの少しだけ小柄なサボの身体など、瓦礫や廃材の裏にすっぽり隠れてすぐに見えなくなってしまう。

「サボー! どこだ、サボ? サァボー!」

 だから、鉄パイプを肩に担いでゴミ山の間を走り回り、サボを探すのがエースの日課だった。
 一応、サボとは「明日はあの辺を狙ってみよう」などと事前に話し合ってはいるのだが、その肝心の『あの辺』すら容易に見つからないのがグレイ・ターミナルだ。
 ここで暮らすサボほどでないにしろ、エースとて己の狩り場であるこのゴミ山には明るい方なのだが、日に二回の開門で新たなゴミが追加される度に風景はがらりと変わってしまう。目印になるほど目立つ物なんて長く残るはずもないから、常に煙が上がっているという視界の悪さも相まって、サボと合流するのは毎度少々骨が折れた。

「サボ? おい、サボ! どこだよサボッ!」

 声を張り上げて呼びかけながら、灰色の空と大地の間にあの珍しい金の髪を探す。とはいえ、しゃがみこんでの作業が多い上に、帽子を深く被っていたとしたらあっさり見逃してしまうかもしれない。
 結局、エースはひたすらにサボの名を呼びながら駆け回ることとなる──のだが。

「『サボ、サボ、サボ』……またそれか、小僧が」
「……なんだ? おっさん」

 自分以外の者がその名を口にするのを聞きとがめ、エースはぴたりと足を止める。
 斜めになった大きな瓦礫の下から出て来たのは、枯れ木のように痩せた大人の男だった。ガープよりは年下だろうが、きっとダダンよりは年上だろう。齢十歳にも満たないエースにはそれくらいの想像しか出来ない。
 男は黒ずんだ首筋を痩せた指でかきながら、迷惑そうに首を横に振る。

「いつもいっつもうるせェんだよォ。迷い猫でも探すみてェに、ガキが声張り上げて、馬鹿のひとつおぼえで『サボ、サボ、サボ』……」
「あ?」

 相手からの敵意を感じ取ったエースは、片眉を上げて男をにらみつける。

「……お前には関係ねェだろ。あと、気安くサボの名前を口にすんな」
「おうおう、怖い怖い」

 わざとらしく二の腕のあたりを手のひらで擦ってみせてから、しかし、野卑な笑顔と共に男はなおも言葉を続けた。

「『サボ』ってのは、あいつだろ? あの毛色の違うガキ。あいつだって毎日毎日犬猫みたく呼びつけられちゃたまったもんじゃねェだろうに……まあ、そのうちお前、あいつの首に鎖でもつなぎそうだもんなァ? どうせそうするなら早くやってくれや。うるさくて仕方が、」
「ッ、なんだテメェ! 喧嘩売りてェってんなら買ってやる!」

 エースは即座に身を低くし、構えた鉄パイプの先を男の眼前に突きつける。相手が何が言いたいのかは分からなかったが、それでも伝わるものはあった。要するに、こいつは馬鹿にしているのだ。サボのことまでも。
 鉄パイプを向けられた男は、身をそらすでもなく、ただ目を眇めて「はは」と軽く笑った。それは強者の余裕などでは決してなく、男が人生の何もかもに諦めているからこその反応だったが、それを知るよしもないエースはごくりと唾を飲み込む。
 これ以上、この男に、何か言わせてはならない。そう予感はしているのに、不敵な相手の様子にエースは上手く間合いをはかれずにいる。

「どうした? 図星か? 大人でも負かしちまうって噂は聞いちゃいるが、結局まだまだガキなんだな。ま、いつも随分と不安そうに駆け回ってるもんなァ……ああ、そうか。迷い猫探してんじゃなくて、お前が迷子なのか」

 男は痩せた拳でわざとらしく手の平を打つと、ここぞとばかりに顔を歪ませて嘲笑してみせた。


「──毎日毎日、まるで居もしねェ母ちゃんでも探してるみてェに必死だもんな?」


 カッと目の前が燃え上がって、そこから先のことを、エースは覚えていない。


  □


 気分が悪い。気味が悪い。気持ちが悪い。
 サボと合流してからも、エースの気は晴れなかった。先程の男の言葉が頭のどこかにヘドロのようにこびりついて、悪臭を放つそれのせいで吐き気すら感じる。

「どうしたんだよ、エース」
「……どうもしねェ」
「どうかしてるから言ってんだよ。親友のおれにも言えねェことなのか?」

 心配そうにサボはエースを覗き込んでくる。透き通るような青い瞳はこんな灰色の世界であっても唯一綺麗なままで、エースはそれを密かにとても気に入っていたけれど、今はむしろその美しさが逆にエースの感情を波立たせた。
 きっと、サボはこんな気持ちになんてなったことがない。頭の中のヘドロがどろりと垂れてくる心地がする。

 『あいつだって毎日毎日犬猫みたく呼びつけられちゃたまったもんじゃねェだろうに』──そんなことない。
 『そのうちお前、あいつの首に鎖でもつなぎそうだもんなァ?』──そんなことしない。
 『毎日毎日、まるで居もしねェ母ちゃんでも探してるみてェに必死だもんな?』──そんなんじゃない!

「言いたくねェってんなら無理には訊かねェけど、」

 なおも気遣わしげなサボの言葉を遮って、エースは大声で叫んだ。


「──お前が! サボが、あちこちフラフラ歩き回ってるせいだろ!」


 口から飛び出た言葉はどう考えたって八つ当たりで、エース自身それが分かっていたのに、滑り出した口は止められない。思ってもないような言葉が闇雲に吐き出され続ける。

「いつもいつもいっっっっつも! おれがどんな気持ちでゴミ山ん中お前を探し回ってると思ってんだ! どうしておればっかり!」
「な、なんだよ急に……探し疲れたからって怒ってんのか?」
「疲れてねェ! たまにはお前がおれを探せ!」
「はあ? 探せっつったって、お前がいつごろ来るかなんて、おれには──」
「知るか! じゃあ、せめて呼んだらすぐに出て来いよ!」
「なんだよそれ、犬や猫じゃあるまいしよ!」

 サボはムッと眉根を寄せて反論してくる。思わずエースは息を呑んだ。
 そんなつもりなどなかったのに、まるであの男の言う通りみたいで──。

そういうんじゃねェよ! バーカ!」

 どうして良いのか分からず、けれど素直に謝ることも出来やしない。追い詰められた心地のエースはサボを乱暴に両手で押しのけると、「もう知らねェ!」という幼稚な捨て台詞と共にそのまま駆け出した。


   □


 大雨も既に三日目で、山賊のアジトはそこかしこから雨漏りがしている。
 天井からは壊れた蛇口のように水が流れ込んで来ていて、さっきから山賊たちは点在するバケツをひっきりなしに交換してばかりだ。
 屋根の修理を手伝え、バケツの交換を手伝え、とダダンが喚いていたが、エースはそれを無視して床に寝転がっている。この三日間、ずっとだ。
 サボに言いたいだけ言って走って帰って、その翌日からずっと雨だったせいで、エースはあれからグレイ・ターミナルへ足を運べていない。
 山賊の家からゴミ山までの山道は『修行』と称するだけあって相当な悪路で、土がぬかるみ木々も倒れるような嵐の日にそこを抜けることはまずもって不可能だ。だから、今までもこんな大雨の日は渋々アジトで大人しく雨が止むのを待っていたが──こんなことは初めてだった。

 サボと喧嘩したまま別れて、しかも三日も会えていないだなんて。

 起き上がって、外の様子を窺う。轟々と空気が揺れ、雨に叩きつけられた大地は沸騰しているかのようにすら見えた。穴だらけとはいえ一応屋根のあるこの山賊のアジトですらこの騒ぎなのだ、サボはこんな嵐の中一体どうしているのだろうか。
 どうにも落ち着かなくなって、部屋の中をうろうろと歩き回ってしまう。ダダンが「歩いているだけならバケツを交換しろ」と再び喚く。
 不意に、空が光って、数秒後に地鳴りのような音が響いた。どこか近くに雷が落ちたのだ。

「……なんだい、随分デカかったな?」
「ゴミ山の方ですかニー。あの辺は落ちやすいんで」

 山賊たちも驚いて手を止める。嵐は一向に収まる様子などない。
 けれど、エースはもう待てなかった。
 何してんだ、というダダンの素っ頓狂な声すら置き去りに、エースは全速力で嵐の中へと飛び込んだ。


   □


 張り付いた髪の合間から見るグレイ・ターミナルの風景は、昼間だというのに灰色を通り越して炭のように黒く、人の影すら見えなかった。
 雨は容赦なくエースを打ち付けるが、ここに至るまでの泥と血を洗い流すのには役に立ったと言える。順調に冷えていく体温にもかかわらず、先程倒れてきた大木を受け止めた右腕だけが酷く熱いのはまずかったが、エースは一旦それを無視した。今は、それどころじゃない。

「……ボ、……サボーッ!」

 雨音に負けないようにと張り上げる声は、しかし荒々しい風にさらわれる。それでもエースはサボの名を呼びながらゴミ山を駆け回った。
 視界は常よりも更に悪く、一寸先すらろくに見えやしない。まるで世界に一人、置き去りにされたかのような錯覚すら覚えた。あるいは、それは錯覚でもないのかもしれないし、今に限ったことでもないのかもしれない。

「サボー! どこに居るんだ、サボー!」

 しかし、今はそれすらどうでも良かった。エースはひたすら駆けずり回りながら、サボの名を繰り返し呼ぶ。この身の孤独も、あの男の揶揄も、胸に刺さって抜けない棘の数々よりも、今はただサボに──。

「なっ、まさか……エース?」

 その小さな声を、嵐にかき消されそうな問いかけを、しかしエースは聞き逃さなかった。足を止めて振り返る。

「──サボ!」

 そこには森を背にして、破れた大きな蝙蝠傘をさしたサボの姿があった。走り回っている内に、知らず知らずグレイ・ターミナルと森の境界あたりまで来てしまっていたらしい。

「エース! お前、どうしてこんな嵐の中……とにかくこっち入れよ!」

 サボはエースの腕を引いて己の傘の中へと招き入れてくれるが、負傷した右腕だったせいでエースは小さく呻いてしまった。

「うっ……」
「どうした? って、お前ケガまでしてんじゃねェか!」

 とりあえず大木の下まで行こう、とサボはエースの肩を抱いて森の奥へと足を進める。
 木々が重なる森の中はゴミ山よりかは幾らか静かで、森一番の大木の下ともなれば雨も大分しのげた。だが、滴り落ちてくる雫のためか、サボは大きな傘をたたむことなく器用にその柄を顎で支えながら、エースの腕にそっと触れてくる。

「折れてるかもな。痛いだろ? 動かさない方がいい」
「別にこんなケガどうだっていい。ほっときゃ治る」
「『どうだっていい』ってお前……どうしてこんな天気なのにこっち来てんだよ。死ぬ気かよ」

 この死にたがり、とサボは呆れたように言ったが、どうしたってその語調には心配が滲んでいた。

「どうしてって……」

 どうして、と改めて問われるとエースにも分からない。
 サボのことが心配だったからだろうか。それもあるだろう。サボと喧嘩別れしたままだったからだろうか。それもあるだろう。
 でも──どれも間違ってはいないけれど、正解でもない気がしてしまう。
 どう答えるべきかとエースが口をもごもごとさせていると、その内にサボは傘を持ち直してから静かに呟いた。

「…………もう来ねェかと思ってたんだ」
「え?」
「『もう知らねェ』って言われて、それっきり姿見せねェから……雨のせいだってのも分かってたんだけど……だから、その……くそ、この傘、良い物拾ったと思ったけど雨漏りすごいな、顔にまで垂れてくる」

 サボは乱雑に自分の腕で顔をごしごしと拭うと、やけに明るい調子で「ごめんな、エース!」と続ける。

「おれって酷い奴だよな! お前が嵐の中こっちに来るのなんて危ないだけだってのに、なんか、おれ、今すっげェ嬉しくなっちまってて……おかしいよな、ごめん」

 次第に声のトーンを下げ、泣き笑いのように「ごめん」とサボは繰り返す。潤みきった瞳の青さと無理に擦った目尻の赤さは以前とは別の意味でエースの心をざわつかせたけれど、しかし、今度は素直で正直な言葉が口の戸を叩いた。

「いや、謝るのはおれの方だろ。その……ごめん、サボ。あんなこと言っちまって」

 傘の下で二人、顔を突き合わせての謝り合い。
 しばしの沈黙の後、二人は揃って噴き出してしまう。

「へへ、なんか変な感じだな。おれもお前も」
「本当にな! っつーかエース、もしかして、今日はわざわざ謝りに来てくれたのか?」
「あー、そうだな。いや、うーん……」

 サボに問われて、先程答えあぐねていた問題が再び浮上する。サボが無事で良かったとも思う。謝れてすっきりもした。けれど、確かに切っ掛けではあったにしろ、それが目的かと言われると、むしろ──。
 あっ、とエースは小さく声を上げる。そうだ、やっと分かった。思いついてみれば単純なことではないか。
 エースは傘を握るサボの手の上に自分の手を重ねながら、満面の笑みと共に端的に答えた。


「サボに会いたかったから来た。それだけだ」


 嵐だろうと何だろうとお構いなしに、会いたくなって駆け出してしまう気持ちを何と呼ぶのか。
 驚いて「へっ!?」と高い声を上げたサボが、思わず頬を赤らめてしまったのは何故なのか。
 芽吹いたものの正体も知らない二人は、今はただ、破れた傘の下で小さな身体を寄せ合うばかりだった。

【完】




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