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▼ 「実はずっと前から好きなんだ」ってソレ言うの何度目だよ


「実は……ずっと前から、好き……なんだ……」

 ベッドを背に座り込んだエースがそう呟くから、おれは思わず唇を噛み締めた。
 ──またかよ。

  ■

 親友、いや、『兄弟』と思っている相手からそんな風に告白されて何も思わないほど、おれも冷静な人間じゃない。だから、初めてその言葉を聞いた時は本当に驚いた。
 場所はいつも通りのおれのアパート。いつも通り酔っ払ったエースが担ぎ込まれて来て、いつも通りに水を飲ませて、いつも通りあいつ専用になっている布団だって敷いてやって──そこで急に、エースがおれの腕を掴んだのだ。さっきまで肩を貸してやらなけりゃ歩けなかったのが嘘のように、肌に食い込むほどに強い力で。
 痛いと抗議するよりも先に、エースはそのままおれを引き寄せると、薄っぺらい布団に押し倒し、上からがっちりと両手を掴み直して来た。全てが突然で、おれの脳裏には抵抗という言葉すら浮かばなかった。
 どうしたんだよ、そう言って心配したかもしれない。
 そこで吐くなよ、そう言って茶化したかもしれない。
 自分が何を言ったかは定かじゃないが、エースが何という言葉をどういう顔をして言ったかは、何一つ違えずに記憶している。そして、重なってきた唇の感触もキツい酒の味も、きっと一生忘れられないだろう。
 ──と、まあ、ここまでは良い。
 今になってみると何よりつらいとすら思えるが、少なくともこの時、おれが感じたのは嫌悪でも恐怖でもなかったからだ。なんというか、よく分かってなかったんだと思う。何もかも、唐突すぎて。
 ところがその夜、エースは愛の告白めいた言葉と共に酒臭いキスを寄越した後、唖然としたままのおれを残してさっさと寝落ちした挙句、翌朝、まんじりともせずに起きていたおれに向かって開口一番「あれ、ここ、サボん家か。やべェ、何も覚えてねェ」と宣った。
 これには再びおれも驚かされた。喜ぶべきか悲しむべきか、怒るべきか呆れるべきか。その判断すらつかない。
 それでも最初、おれは『その言葉』はエースの本心であり、酔って理性のタガが外れ、うっかり口を滑らせたのだと──そう思い込んでいた。
 正直なところ、かなり悩んだ。今までの人生で一番悩んだかもしれない。火傷の痕が一生顔に残ると言われた時だって「まあ、そうだろうなァ」と達観してあっさりと受け入れたくらいなのに、その時ばかりは夜も眠れなかった。
 当たり前……と言ってはなんだが、今までおれはエースのことを『そういう目』で見たことがなかったのだ。
 そもそもエースという男は外見も中身も最高に格好良い男で、会えば誰だって好きになってしまうような、引く手数多の、所謂モテる男なのだ。そんな奴がどうしてわざわざおれを好きになんてなるのか、全く理解が出来なかった。
 アレは単なる友情の発露だったのかも、なんて日和見主義の逃げ道が思い浮かぶ度に、あの時の唇の感触が「そんなわけあるか」とハリケーンのように思考をかき乱す。今まで恋を知らずに生きてきたおれの、紛れも無いファーストキス。
 重なった唇の厚さと熱さ。おれの両手を縫い止めた、有無も言わさぬ腕の必死さ。強いアルコール臭の背後に、微かに香ったエースの薫り。あの瞬間に五感で感じた全ては、ふとした瞬間にも鮮やかに蘇り、その度に顔を覆ってそこら中を転がり回りたくなるほどだった。
 そうやって悩んだおれが目の下に隈を作ったり、ようやく眠れたと思ったら変な夢を見て再び転がり回ったりしている間、エースの方はというと──何もなかった。
 電話嫌いのおれのために伝書鳩よろしく伝言を届けてくれたり、外食先から「財布忘れちまったから助けに来てくれ」と連絡して来たりと、全くもっていつも通りだ。
 おれの体調が悪そうだからと、しきりに心配はしてくれていたが、おれのことを『そういう意味』で好きな素振りなんて一切見えやしなかった。
 そこで、おれは不意に思い至った。
 もしかして、こいつ、誰にでもやってんじゃねェか。

   ■

「あのさ、デュース……変なこと訊いていいか」
「ん? あ、ああ、おれで分かることなら」

 それから数日後。
 再び飲み会で寝落ちしたらしいエースが担ぎ込まれて来た際に、おれは思い切ってデュースに聞いてみた。
 実のところ、普段おれがエースと一緒に飲み会に行くことは殆ど無い。おれ自身がそれほど酒が好きではないからだ。ごくたまに一緒に飲もうということになっても、エースは宅飲みしか有り得ないと言い張っていたし、その時だって缶チューハイを傾けるくらいで、顔色すら変えていなかった。
 寝落ちした時にはうちに連れて来られるから、酔っ払った姿自体は数え切れないほど見て来たが、酔ったエースと会話らしいものを交わしたのは、思えば『あの日』が初めてだったように思う。
 だからこそ、普段一緒に飲んで、寝落ちする前のエースの様子を知っている相手に教わるしかない。

「エースって、その、酔うと……変なこと、言うよな?」

 やんわりと言葉を選びながら問いかけたが、デュースは「うわマジか」と小さく声を上げると、肩を貸していたエースを狭い玄関へ乱雑に転がした。エースは何事か呻き声を上げていたが、悪ィな、今はそこで大人しくしていてくれ。終わったらすぐに布団で寝かせてやるから。

「サボ、知ってたのか」
「……ってことはデュースも覚えがあんのか?」
「覚えがあるっていうか、まあ、ずっと前からだしな」

 仕方なさそうに苦笑するデュースの姿に、自分でも驚くほど胸がざわつくのを感じた。なんだよ、この気持ち。

「こいつ、いつも酔うと上機嫌になって口の滑りがよくなるから、飲み会ん時はむしろソレが定番ってくらいで。今日の飲み会、別店舗と一緒だったから女子も多かったんだけど、そこでも大声でやらかしやがったし」
「女子にも……」
「エースってモテるだろ? そんな奴が『好きだ好きだ大好きだ』って叫ぶもんだから、女子も変に盛り上がっちまって──でも、そうか、そうだよな。サボはそういうのイヤだってことだよな?」

 何となくこの雰囲気で察しはつくぜ、と申し訳無さそうにデュースは頬を掻く。

「でもさ、おれが言うのもなんだが、悪気は無いから許してやってくれよ」
「許すも何も……別におれには関係ねェし」
「えっ?」
「参考になった。ありがとうなデュース」

 どういう意味、と急に慌てだしたデュースをわざと追い立てて玄関扉を閉める。向こう側ではまだ何事か話してくれているようだったが、おれは何も出来ずにその場にずるずると座りこんでしまった。
 目と鼻の先では、フローリングに転がされたエースが、それでも満足気な寝息を立てている。己の中に自覚した感情と、エースのその安らかな寝顔が一ミリも重ならなくて、それがこんなにも悔しくて、虚しい。

「マジで誰にでも言ってんじゃねェか、バカエース……」

 なじるように呟きながらも、本当は分かっている。バカなのはおれの方だ。酔っぱらいがちょっと告白して来て、ちょっとキスして、そんなの大したことじゃないって、少し考えればすぐ分かるはずだったのに。
 背中に感じる鉄扉の冷たい感触が、容赦なくおれの惨めさを加速させる。立てた両膝に顔を埋めても、涙は勝手に零れ落ち続ける。
 心底バカだ。バカすぎる。告白もキスも、最初からイヤなんかじゃなかったくせに。どんな関係であっても一緒に居たいからこそ、夜ごと本気で悩んでいたくせに。あの告白もキスも偽物だったと知った今になって、ようやく気付くなんて──。
 おれが、エースのこと、好きなんじゃん。

   ■

 ──などと、自覚したところで、幸か不幸か何ひとつ変わらないのだ。
 おれがエースのことを好きになろうと、それを告げることなど有り得ない。エースはおれのことを『兄弟』だと思っているからこそ特別気を許して接してくれている。もしも、おれが誤って告白でもしようものなら、この関係はもうどうしようもないほど壊れちまうんだろう。
 だから、おれは精々あの日のキスを一生の思い出にして、後は『兄弟』の顔をして付き合っていくしかない。何だか騙しているみたいでエースには申し訳ないけれど、一度自覚した恋心を消すことなんて出来ないのだから。
 とはいえ、困ったことに、酔ったエースはその後も度々おれを口説くのだ。この半年で、もう何度目だろう? 
 キスまではしないものの、辿々しくも熱のこもった声で「実はずっと前から好きなんだ」「お前のことが可愛くて仕方ねェ」「無防備すぎて食っちまいそう」だの言われ続けているんだから、いい加減気が狂いそうになる。
 酔っぱらいの戯言と分かっていても、片想いの相手からの睦言だ。耳元で囁かれれば鼓動は信じられないくらい早まるし、同じことを他の奴にもやってるんだろうと冷静に考えれば、別の意味で胸が苦しくなる。それでも健気に介抱してやってるんだから、おれは結構我慢しているんじゃないだろうか。

「エース、酒飲むのほどほどにした方がいいぞ?」

 だから、エースが配信映画でも観ようとアパートにやって来た時に、つい釘を刺すようなことを言ってしまった。酔ったエースに口説かれる人数を少しでも減らしたいと願うのは当然だろう?
 勿論、おれのことも口説かなくなるってことだけど、嘘の告白と分かりつつ一時のときめきを享受し続けるのも、虚しくて苦しいし。

「ん? 今日飲んでねェけど?」
「それは見りゃ分かるよ。そうじゃなくて、普段から酔っ払うほど飲むなっって話」
「あー、まあな、でも酔わなきゃ酒じゃねェしなァ」

 元々飲み会好きのエースは、おれの部屋のテレビを勝手に調整しながら間延びした返事をする。対面のベッドに腰掛けたおれは、僅かに舌で唇を湿らせると、なるべく自然に聴こえるように口を開いた。

「──でもお前、酔うと誰彼構わず告白するだろ。もし本気にしちまったら、そいつも可哀想じゃねェか」
「は?」

 エースが俊敏にこちらを振り向く。まるで街中で見知らぬ相手に急に頬をひっぱたかれたのような、怪訝と驚愕を混ぜ込んだ真顔だ。

「……何だって?」
「デュースからも聞いた。飲み会で大声で叫ぶのが定番だってな? おれの時は叫んじゃいなかったが……」
「待て待て待て!」

 大声で制止しながらエースがベッド際へと戻ってくる。腰掛けたおれに視線を合わせようとしてか、床に膝をついてまで詰め寄ってきた。

「嘘だろ、デュースから『も』? 『おれの時は』?」
「……そんなに意外かよ、お前が酔っておれに告白してきたのが」

 一度や二度じゃねェぞと吐き捨てながらも、エースを直視出来ずに目を逸らしてしまう。分かっていても、本人にそういう反応をされるとつらい。
 しかし、エースはそれ以上、何も言葉を発しない。沈黙に耐え切れず、背けた顔を恐る恐る戻してみると、エースは顔を真っ赤にして口元を手の平で覆っていた。泳ぐ目、震える指、初めて見る表情。何かがおかしい。

「……エース?」

 そっと名前を呼ぶと、エースは覆っていた手で今度は額を押さえてから、大きく息を吐いて続ける。

「その……アレだ、まず、誤解がある。おれは酔ったからって誰にでも告白なんて絶対しねェ。好きな奴にだって言えねェ……と思ってたのに、そんなこと出来るかよ」

 見たこともない顔をしたエースは上擦った声でそう言うと、おれの方をじっと見つめながら続ける。

「で、デュースが言ったのは多分、おれが酔うと所構わずサボの話ばっかする……ってことだと思う」

 なんだそれ、どういうことだよ。それが本当なら、あの告白は、あのキスは、誰にでもじゃなくて──。
 混乱の極地にあるおれの前で、エースは再び熱のこもった溜息をついてから「ああ、畜生」と呻いた。

「……あのな、サボ。そんな顔されると、おれはどうしたって都合良く受け取っちまうんだが……いいのかよ」
「──ッ、なんだよ! いつも朝になると忘れちまってたくせに! おれが、おれがどれだけ……!」

 自分がどんな顔しているかなんて知るか。ただ、耳の先まで熱いのは分かる。視界が潤む。予感に身体が震える。ふざけんな。あんなに悩んで、必死で諦めて、それなのに、まさか。
 やがて、エースの両手が肩に置かれ、聞き慣れたはずの言葉が聞き覚えのない真剣な声音で告げられる。

 実はずっと前から好きなんだ。
                       【完】


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