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▼ わが愛憎のピアノフォルテ(仮題)


 駅の構内で、最初に『それ』を発見したのはルフィだった。

「サボ! ピアノ、ピアノあるぞ!」

 まるで特大のお宝でも発見したかのように袖を引っ張ってくる弟につられ、サボは怪訝な視線を投げる。てっきりピアノ関連のポスターか何かかと思いきや、自動販売機の近くに置かれていたのは本物のアップライトピアノだった。

「ああ、ストリートピアノってやつだな」
「なんだそれ? 面白そうだ!」
「面白そうって、ルフィ、おれ達は今から卵に豚肉にトイレットペーパー……って聞いてねェし!」

 今日買い出しをしなければならないタイムセールの品々がサボの頭に幾つも浮かぶが、思いついたら即行動の弟はというと、スーパーのある西口ではなく反対方向の──つまりピアノの方へと駆け出してしまう。

「自由に弾いて良いんだってよ! 『アレ』弾いてくれよ、サボ!」

 飛び跳ねんばかりの様子のルフィが指し示した譜面台には、確かに「ご自由にお弾きください」というポップな文字が、ファンシーな動物のイラストと共に踊っていた。いかにも地域活性化のためといった風情だ。

「自由っつったって……」

 難しい顔をしながらサボは辺りを見回す。
 帰宅ラッシュにはまだ早い時間帯。置かれたピアノに興味を示す者は他におらず、元々少ない駅の利用客が足早に去っていくばかりだ。多少音がしようが誰も気にも留めないだろう。
 ──っつってもなァ、エースがここに居たら絶対嫌がるだろうし。

「……弾かねェよ。タイムセール始まるぞ?」

 サボは軽く肩を竦めるが、はしゃぐ弟はというと既に兄の話など聞いてもいない。人差し指で鍵盤をつつきながら「サボのピアノ久しぶりだなァ」と勝手に楽しみにしている。
 ルフィの単純な指の動きに合わせて鳴るC3。いささか響板がなじんでいないようだったが、調律は確かだった。

「あの指がバーッてなるやつ、久しぶりに見てみてェ!」
「『バーッてなるやつ』じゃなくて『マゼッパ』な」
「『混ぜっぱ』! それだ!」

 どことなく発音の怪しいタイトルを繰り返す弟の目は、完全に期待に輝いていた。
 貰い物の腕時計で確認した正確な時刻は十六時二十九分。四十五分からのタイムセールには、少しだけ猶予がある。しばし悩んだ後、サボは結局白旗をあげた。

「──最初だけだぞ? 久しぶりで指が動くか分からねェし」

 ──弟相手だとおれも大概甘いな。
 そう自覚しているサボは渋々ながらも椅子に腰掛けた。ルフィは頭の上で大げさに拍手までしてくれる。ここまで楽しみにされては、出し惜しみするわけにもいかないだろう……兄として。
 椅子を調整して、長い足をペダルに添える。両手の指を大きく開いて、息を吸って止める。幕開けは印象的なアルペジオだが、それ以上に、最初の休符こそが肝心だ。
 人もまばらな駅の一角で、弟のために戯れに奏でるリスト。
 まさか、あんなことになるなんて、サボは思いもしなかった。

   □

【ストリートピアノ】イケメンのピアノが死ぬほど上手い【超絶技巧】

 ─再生回数エグくて草
 ─エンドレスでリピってます
 ─これってピアニストってこと?
 ─かっこよすぎ!
 ─横で聞いてる子もかっこいい
 ─顔ファン帰れ
 ─これ本家じゃないよ本家の動画は消えてる
 ─何の曲か分かる人よろ
 ─リスト超絶技巧練習曲第四番マゼッパ
 ─特定班やば
 ─別の人が弾いてるニュースやってなかった?
 ─プロの犯行
 ─この人だれなの?有名な人?
 ─もっとください

   □

「……サボ! おい、サボ! 帰ってんだろ!」

 帰宅するなり、エースは「ただいま」も言わずに大声でサボを呼びながら台所まで走ってくる。

「おう、おかえり。どうした、血相変えて」
「どうしたはこっちのセリフだ! ナニがどうなって『こう』なってんだよ!」
「は?」

 鞄もおろさないままのエースは、時代劇の印籠のごとくスマートフォンをサボの眼前に突き出してくる。何事かと覗き込んだ画面に映っていたのは、どうやら最近流行りの動画共有サイトのようだった。
 あまりサボはそういったもに興味は無いのだが──。

「……おれじゃん」

 そこにはアップライトピアノの前に座って演奏しているサボの姿が映っていた。昨日の夕方、駅のストリートピアノを弾いたときの映像だろう。弾き始めた頃にはルフィ以外そばに居なかったのに、弾き終える頃には人々がピアノの周りに何重もの輪を形成していたことをサボは思い出す。その時の聴衆の一人が勝手に撮影して勝手にアップロードしたのかもしれない。
 もっともサボはルフィと共に「タイムセールだ!」とその場を駆け出したので、その時集まっていた面々など顔も覚えてはいないのだが。

「『おれじゃん』じゃねェよ、なんでお前がピアノ弾いてる動画がこんな出回ってんだよ!」

 掴みかからんばかりの剣幕に圧されて、サボは「落ち着けよ」と両手でエースを制する。

「出回ってるのは知らねェけど、駅の東口のとこにストリートピアノあって……あ、ルフィも映ってんな! あいつ、こんなに目ェキラキラさせながら楽しそうに聴いてたんだなァ」

 映像はほとんどサボを映したものではあったが、まれに端にちらっと見える弟の顔が本当に楽しげなので、ついついサボは嬉しくて微笑んでしまう。タイムセールからの帰り道でも弟は「サボはスゲーな!」と嬉しそうにしてはいたけれど、演奏中の表情までは知らなかったので何だかくすぐったい。普段は見られない弟の反応を知ることが出来たという点では、この無断撮影動画もありがたいと言える。
 ──って、全然ありがたくねェよな!?
 ハッと気づいた時にはエースは既に怒りゆえにか、わなわなと肩を震わせていた。

お前、もうちょっと危機感持てよ! こんなバズっちまったら、そのうち『気付く』奴も出てくるだろうが!」
「バズってんのか?」
「元の動画がどうとか言ってるが、とりあえず今のこの動画だけでも何十万回って再生されてんだよ! みんな好き勝手コメント書きやがって!」
「うっ、そりゃあ困るが……でも『気付く』ったって、もう十年も前の話だぞ? 世間もそんな暇じゃねェだろ」
「世間はともかく、お前の親は確実に覚えてんだろうが! ッ、だから外でピアノ弾くなって、おれがあれほど──」
「このくらいの演奏、大したことねェよ。あいつらが今更おれのこと気にかけるわけもない。大丈夫だよ、エース」

 ごめんな、と付け加えてサボはエースの肩を優しく叩いてやる。弟の頼みを断れなかったことでも、外でピアノを弾いたことでもなく、エースに嫌なことを思い出させてしまったことを申し訳なく思った。
 十年も昔のことだというのに、エースはサボ当人よりも余程『あの時のこと』を気に病んでいる。

  □

【天才ピアニストステリーと例のイケメンの演奏を比較してみた】

 ─天才っつーか転載じゃん怒られるぞ
 ─国際コンクールの人、まだ十代なんだっけ?
 ─ニュースで見て以来のにわかステリーファンです
 ─私は街角ピアノの演奏のが好きかも
 ─プロとアマを比べるなよ……って両方プロ?
 ─同じ曲なのにイケメンの人の方が優しい音だよね
 ─なんだステリー大したことないじゃん
 ─じゃあお前が弾いてみろ
 ─イケメンの演奏の方が好きだわ
 ─私も

   □

【この映像は権利者の申し出により削除されました】

   □

 削除の連絡を受け取った後、ステリーは手にしていたスマートフォンを床へと叩きつけた。
 動画がアップロードされたから三十分も経っているなど、あまりにも行動が遅すぎるだろう。こんなもの、ステリーが命じる前に消しておくべきだというのに。あの広報担当はクビだ。無能すぎて吐き気がする。
 しかし、己に本当の意味での吐き気を催させているものが何なのか、ステリーはよく知っていた。

「ふん……あてつけのつもりか? 『兄様』」

 よりにもよって、先日の国際コンクールでステリーが弾いたのと同じ曲を弾くなど、もはや宣戦布告としか思えない。ブランクを存分に感じさせる指使いは見ていて笑えたが、しかし、それでも嬉しそうに弾いている様子にはヘドが出る。
 ──だが、庶民に持ち上げられて良い気になっていられるのも今だけだ。
 粗末な格好で、粗末な場所で、粗末なピアノを弾く義兄の姿は無断転載を繰り返されて今もなお動画サイトを駆け巡っている。ステリーが命じればすぐにでも居場所は割れるだろう。このままでは終わらせない、とステリーは唸った。

「『死んだ』くせに、どこまでも癪に障る奴だ……!」

 家名も栄光も捨てて『死んだ』義兄が、落ちぶれてなお幸せそうに生きているなんて、それだけでステリーに対する不敬だ。それこそ「ステリーが命じる前に消しておくべき」だというのに──義両親ですらかくも無能なのかと思うと、再び吐き気がこみ上げてきた。


【完】


書きたいところだけ書いたので続きそうで続きません


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