▼ A ship in a harbor is safe, but......(てのひらエーサボvol.4)
マリンフォードのはずれにある古ぼけた見張り小屋は、エースにとって格好の隠れ家だ。備え付けの仮眠用ベッドは、激しい使用と幾度もの修理を経て現在は足が折れたままになってしまっているけれど、その代わり、わざわざ持ち込んだ寝袋─勿論海軍からの支給品を拝借して来ている─を敷いて寝床代わりにしてあった。
寝袋の上に仰向けに寝転んで、立てた膝を組んでから目を閉じる。元よりどこでも眠れる性質なので、意識は海の底へと沈むように一瞬で夢の世界へと誘われるはずだった──予告なく開かれた扉の音と、よく通る耳馴染みの良い声さえ無ければ。
「エース! やっぱりここだったか!」
見開いた視界に映るのは、帽子に刺繍された『MARINE』の文字と、その下から覗く兄弟兼恋人の慌てた顔。たった七日見なかっただけなのに既に懐かしい。
「サボ、戻ってたのか! 良いところに来た、一緒に寝ようぜ」
「寝てる場合かよ、ガープが悪鬼みてェな顔して探してたぞ! 一体何したんだ?!」
何をしたと問われても、むしろガープの命令を無視して『何もせず』昼寝を決め込むところだ。表立った作戦には登用しないくせに、雑用めいた仕事ばかり押し付けられては嫌にもなる。同じ階級のサボは何度も遠征して功績を上げているというのに。
サボは「とにかく」と呆れ声と共に両肩を竦めてみせる。
「お前が何かしてもしなくても、速攻でおれも共犯扱いなんだ。次の用事もあるってのに、帰港するなり『エースを連れてこい』って追い回されちまった」
「共犯上等だろ? サボも用事なんて放って置けよ。一緒に寝ようぜ?」
寝転んだまま身じろぎをして、自分の真横にスペースを空けてぽんぽんと手で指し示してやる。エースの挑発的な視線も相まって、その『誘い』の意味するところはサボに正しく伝わったらしい。僅かに顔を赤くして「まだ昼間だぞ」と首を横に振るのがいつまで経っても初心で可愛い。本当に引っ掴んで押し倒してやろうかとすら思う。
「構うに決まってんだろ、風呂にも入ってねェし……っつーか、つる中将とロシナンテ少将に呼ばれてんだ。今回の報告も兼ねてるから、流石に無視は出来ねェよ」
「また参謀部か。あそこはサボのこと狙ってっからな。油断ならねェ」
「おいおい、未来の大将候補が参謀部を信頼しなくてどうすんだ」
「大将なんて興味ねェよ、不自由なだけだ」
鼻先で笑い飛ばしたエースに、しかしサボは柔らかい視線を落としてくる。
「でも、狙うならトップだろ? お前が『最高の名声』を手に入れるためなら、おれは何だってしてやりてェんだ。参謀部に協力してるのもその一環だしな?」
悪戯めいてサボは笑うものの、実際のところ、エースの求める『名声』はそんな程度のものではなかった。
『その事件』は、十年も前のことなのに、己自身の目で見たわけでもないのに、エースにとって──あまりにも鮮烈すぎた。
元の家族へと引き戻されてしまったサボが、そこから逃げ出して一人出航し、天竜人の船の前を横切ってしまった時、撃ち殺されそうになったところを救ったのは他でもないガープだったのだ。ドグラの話によると、天竜人に随行していたガープは銃弾が発射されると同時にサボの小船へと飛び、身を挺してその小さな身体を守ったのだという。ただ、ガープの巨体のせいで小船は呆気なくひっくり返り、溺れかけたサボはショックでその前後の記憶を未だに失ったままなのだけれども。
後になればなるほど、ガープのその行動が、この世界に住まう者として、海兵として、どれほど無謀だったのかが分かる。そして、それが許されたのは、純粋な強さだけが理由ではなく『海軍の英雄』という揺るぎない名声があったからだということも。
何も守れなかったちっぽけな自分に比べて、憎らしかったはずのガープの背中の何と大きいことか。海賊王と対等に戦った男の立つ場所の、何と遠いことか。それでも挑まないという選択肢はエースには無かった。海賊貯金の末路を思い出す度に、他人の手によって奪い返してもらったサボを見る度に、心底思い知っていたのだ。
守りたいだけじゃ意味がない──守れるようにならなくては、と。
海賊になりたがっていたエースが海兵になることを承諾した時、サボはエースの心変わりを不審に思ったことだろう。それでもサボは付いて来てくれた。広い世界を見て回れるのならば方法は何だって構わないのだと、そしてエースの栄光を間近で見ていたいのだと笑ってくれた。この笑顔を己の手で守り抜きたいからこそ、エースの野望は大将なんかでは足りない。ガープを、海軍の英雄を、超えてやりたい。
「……っつーかガープの野郎、やっとルフィが来るからってはしゃいでんだよな」
「仕方ねェさ、三年ぶりだし。おれも楽しみだ。強くなってるかなァ、ルフィの奴」
自分達の後を追うように遅れて海軍へとやってくる弟の姿を思い浮かべているのか、サボは東の方角へと懐かしげな視線を投げていたが──急に「あっ」と呟くと、わざわざしゃがみこんで、エースの耳元で囁いてきた。
「そういや、その……おれ達のこと、どう説明する?」
兄二人がコルボ山を去り、海軍に入って三年。まさか『こんな関係』になっているとはルフィは想像もしていないだろう。説明したところで理解出来ないかもしれないし、あるいは興味すら無いかもしれない。まだまだ弟は子どもだろうから。
「あー……まあ、何とかなるだろ」
エースは鷹揚に言うと、しゃがみこんだサボの頭をチャンスとばかりに引き寄せる。重ねた唇からは知らない潮風の味がして、それが更にエースの心を焦れさせた。
【完】