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▼ 「実はずっと前から好きなんだ」ってそんなこと言えるかよ


『サボが失踪した』。
 ディスプレイに表示されたその通知に、おれは思わず片眉を上げて顔をしかめた。
 ──またかよ。

   ■

「サボー! 寝てんのか、サボ! 寝てんなら起きろ、そんでここを開けろ!」

 鉄製の玄関扉を拳で叩き続ける。近所迷惑極まりない行為だったが、どうせ平日の昼間だ。それほど害は無いだろう。あったとしても咎められた時に謝ればいい。それより今はこの扉を開けさせることが先決だった。

「サボ! おれだ、エースだ! 居ねェのか? また倒れてねェだろうな!? 無事で居るならさっさと開けろよ、サボサボサボサボサボッ!」

 連呼する名前と同じリズムで扉を叩き続けていると、ようやく鍵が開く小さな音が聞こえた。続いて、蝶番を軋ませながら玄関扉がこちら側へと開かれる。
 隙間から覗いたのは、重力を無視して好き勝手跳ねたひよこみたいにフワッフワの髪。無防備な姿が可愛くて仕方ない──が、やっぱ寝てたか。ぶっ倒れてるよりは断然良いけどよ。

「……はよ、エース……あんま叩くなよ、おかげで最近建て付け悪ィんだ」

 欠伸混じりで言いながら、サボはいつもの三分の一しか開いてない目をこする。整った小さな顔には不釣り合いなほどの厳めしい火傷痕が、雑すぎる手の動きにつられて引き攣れていた。だから、そんな触り方すんなって。何度も言ってんのに直りゃしねェ。

「外寒いからじゃねェの? もし扉イカレてるとしても、おれのせいじゃねェよ」

 肩を竦ませながら、ひとまず扉の建て付けに関しちゃ無罪を主張しておく。たとえおれの度重なる全力ノックが原因だとしたって、それの更なる原因はサボなんだから、やっぱりおれのせいじゃない。
 扉が惜しけりゃいい加減合鍵を寄越せ、くらいのことは言ってやりたいところだが、断られた時に「冗談だ」ときちんと笑い飛ばせる自信は今のところ無い。サボの前であからさまに意気消沈して見せるわけにも行かないので、結局、おれはアパートの扉を叩きまくるしかないのだ。

「ん、とりあえず入って……」

 おれの主張を聞いているのか、いないのか。サボはまた大きく欠伸をしてから、扉を大きく開いておれを招き入れる。
 あからさまに寝起きのサボは見慣れた上下グレーのスウェット姿だったが、最近コアラから貰ったという暖かそうなカーディガンも羽織っていた。不自然にならない程度にそれを一瞥したおれは、ほんの少しだけ緊張する。
単にコアラが間違って買った福袋の中身をサボが譲り受けたという代物らしいが、やけに手触りの良いそのカーディガンは、おれにとってはある意味危険なのだ。理性で留めてはいるものの、手の方が暴走して、うっかり用事もなく触れたくなっちまう。
 ──そうだ、『用事』と言えば。
 ここに来た大義名分(もくてき)を思い出して、ブーツを脱ぎながらサボへと告げる。

「コアラが用事あるのに全然繋がらねェって、またおれに連絡あったぞ」
「コアラが? 何の用だ?」
「知らねェよ。とりあえず今すぐ電話しとけ……ってダメか。お前のスマホ、充電死んでるんだった」

 また充電忘れてたろ、と前を歩くサボを咎めるも、サボは「いや、そんなはずは……」などと呟いている。
 そんなはずも何も、おれがここに来る前に電話かけまくっていたら、途中で急に『おかけになった電話番号は……』ってアナウンス流れ出したんだから、そんなはずあるんだよ。
 玄関から狭い台所兼廊下を抜けて部屋に入ると、サボはキョロキョロと辺りを見回し始める。

「っつーか携帯どこ置いたっけ」
「おれので電話しろ、おれので」
「……ごめん」

 振り返ったサボはまだ少し寝惚けているのか、妙に素直に謝った。跳ねたままの髪としゅんとした表情の相乗効果はおれの庇護欲を煽ってやまない。でも、こういう時こそ、ビシッと言っとかなきゃな。

「サボ、お前なァ……『失踪』するのは良いけどよ、おれからも連絡取れねェと詰むから、本気で充電だけは忘れんなよな?」

 自分のスマホを渡してやりながら、心を鬼にして厳しい言葉を吐く。言うほどキツくは言えてない気もするが。

「おれは何もお前んとこに来るのがイヤってわけじゃねェよ? でも、サボは自分のことになるとすぐに、」
「悪かったって──あ、コアラか? 何の用だ?」

 おれがまだ喋ってるってのに、サボはさっさとコアラに電話をかけちまう。今すぐ電話しろって言ったのはおれだけど、ったく人の電話だってのに随分手慣れたもんだぜ。
 とはいえ、慣れているのも当然といえば当然だった。こういうこと──サボの『失踪』は今に始まったわけでもない。
 昔からサボは対面以外での連絡を何かと無視しがちで、周りからは『失踪癖がある』とまで称されている。本当はどこにも行っていないし、それどころか昼夜逆転して家で眠りこけているだけなんだが、まあ、その点についちゃ、おれも人のことは言えねェか。昼夜逆転していても授業にもバイトにも遅刻無しの皆勤賞な分、サボの方がおれよりずっと真面目だしな。
 ともあれ、連絡を返さないのはサボの癖みたいなもので、そこには何の意図も無いのだが、初めは大体みんな「サボに嫌われている」と勘違いする。おれやルフィ──幼い頃に互いに『兄弟』と認めた相手にはきちんと返事もするし連絡もするのだが、その他には酷くあっさりとしているのだから無理もないだろう。
 直接会って話せばこんなに優しくて気の良い奴なのに、変に誤解されちまうのは可哀想なような、鬱陶しい虫が寄り付かなくてちょっとばかり安心なような。おれとしては複雑な気分だ。

「──分かった。……っと、ありがとなエース」

 今もまた、昔からの顔なじみであるコアラ相手でも、挨拶ひとつ付け加えず一方的に通話を切っている。きっと今頃電話の向こう側では『この要件人間!』と喚いているに違いない。

「まァた速攻で切りやがって」
「電話あんま好きじゃねェんだよ」

 通話を終えたスマホをおれに返しながら、サボは困ったように眉を下げる。困っているのは周りの連中なんだけどな? 可愛いから良いけどよ。

「電話だけじゃなくて、メールだの何だのも未読無視って聞いたぞ? おかげで今じゃお前の知り合いは全員おれに連絡してくるぜ、『またサボが失踪した』ってな」

 からかい半分に笑ってやると、サボは「失踪なんて大袈裟だ」と唇を尖らせる。

「単純に、重要な用事もそうじゃないのも一緒くたに来るのって疲れんだよ。だから、つい通知オフにしちまうってだけで……あ、でもお前とルフィのはちゃんと通知来るようにしてるぞ」
「当たり前だ」

 おれの通知までオフにしていたら許さねェよ。そうでなくとも、ここのところサボの充電忘れが多くてイラついてんのに。
 連絡が取れなくなって、この部屋に着くまで全速力で走っている最中、おれがどれだけ不安でどれだけ心配か、サボには想像もつかねェんだろうな。
 それは、おれがサボに『本当のこと』を言ってないせいでもあるが。

「でもお前、『失踪』するだけならまだしも、家ん中で『遭難』してることもあるだろ。普段はおれと同じくらいよく食うくせに、なんで食うこと自体を忘れられんのか理解に苦しむぜ。先月なんて、行き倒れてそこの廊下にぶっ倒れたりしてたしなァ?」
「うっ」

 あからさまに痛いところを突かれたというように、サボが視線を逸らす。

「あといい加減スマホ買い換えろ、バッテリー絶対イカレてんぞ。いざというときに自力で救急車も呼べねェだろうが。もし次におれから連絡取れなかったら、おれが勝手にお前の買うからな? 文句言うなよ?」
「ぐっ」

 何か言い返しかけて、しかし何も言えずにサボが呻く。正論で詰めても仕方が無いが、サボにはもうちょっと自分を大事にしてもらいたい。普段は高貴な猫のように気紛れなふてぶてしさすら醸し出しているくせに、それでいてサボは自分自身への興味が薄すぎるきらいがある。何度おれがそれを指摘しても、本人はいまいち自覚して無いようなのが、余計にタチ悪ィ。

「…………お前には迷惑かけてると思ってるよ」

 俯いてしまったサボが、カーディガンの裾を指先でいじりながら拗ねた声を上げる。ガキかよ。『弟』の前じゃ絶対やらねェだろ、それ。
 っつーか、迷惑ってわけじゃなくて──おれがそうフォローを入れようとしたと同時に、サボは急に顔を上げ、「でもな!」と語気を荒らげた。

「エースだってよくメシ食った後に財布持ってなくて、おれに『来てくれ』って言うじゃねェか! スマホでも払えるようにしろって何度言っても面倒臭がってやらねェし。その無駄な現金至上主義は何なんだよ。クレジットカードだって作っただけで放置してるしよ」
「うっ」

 突然の反撃に思わずたじろいでしまう。その辺は突かれると痛い。スマホ払いもカード払いも性に合わないと突っぱねている割に肝心の財布を忘れちまう、ってのは一度や二度の話じゃないからだ。
 おれの場合は『財布を忘れる』というよりも、むしろ『外でメシを食ったら金を払わなければいけない、という前提自体が不思議と頭から抜け落ちてしまう』と表現した方が正しいかもしれない。その度にサボに迎えに来てもらってるおかげで今のところ食い逃げまではしていないが、そうじゃなけりゃ今頃、地元のつまらねェニュースくらいにはなってたかもな。

「あとバイト先の飲み会でお前が寝落ちする度に、デュースもマルコもみんな、近いからっておれの部屋に担ぎ込んで来るし。おかげでこんな狭い部屋なのに、お前用の布団も服一式も歯ブラシも髭剃りも全部置いてあるんだぞ? 別にイヤじゃねェけどよ」
「ぐっ」
「あと一番酷ェのが、その、お前って酔っ払うと──」
「分かった分かった! お互い様だってのは認める!」

 降参だとばかりに両手を挙げる。耳が痛いのもそうだが、ヒートアップしたサボがぐいぐいとおれに近寄って来るのが心臓に悪い。
 起きたばかりのラフな格好で、二人きりの部屋の中、すぐ真横にはまだサボの体温が残ったベッドがある──そんな状況でぐいぐい来られちゃ、なけなしの理性なんてシャツのボタンみてェに弾け飛んだっておかしくない。

「あー、っと、それよりサボ、コアラの用事なんだったんだ? 今から何かあんの?」

 誤魔化すように話を変える。落ち着け落ち着け。言ったら最後、手を出したら最期だぞ、おれ。

「いいや? むしろ今夜バイト無くなった」
「じゃあ一緒にメシでも行くか? 今日はおれも財布持ってるし」
「お、いいな! ちょうど腹減ってきたところだ」

 眼前の男が有り余る欲望を必死で抑えていることなど露知らず、サボはすっかり機嫌を直して笑ってみせる。
 そのくるくる変わる表情も、きらきら輝く笑顔も、すべてが大好きなのに、同時に酷く胸が苦しい。痛いほどに分かっているからだ──寝起きだろうと部屋に上げてもらえるのも、酔っ払ったおれを毎度泊めてくれるのも、全部、おれたちが『兄弟』だからだってことを。
 本当は、告げてしまいたい秘密がある。 
 本当は、伝えてしまいたい感情がある。
 本当は、言ってしまいたい言葉がある。
 けれど、そうしたら、この関係はもうどうしようもないほど壊れちまうんだろう。それにきっと、サボは優しい奴だから、告白したおれよりもずっと悩んで苦しんでしまうに違いない。

「──それにしてもサボ、寝癖スゲェな。おれのワックスあるだろ、直してやろうか?」
「えっ」

 身体の中で渦巻く欲望と恋情に蓋をしながら、さりげなくサボの髪に触れる。これくらいは許せよ。お前が知らねェだけで、いつもスッゲェ我慢してんだから。それだっておれの勝手な努力だけどよ。

「な、うわ、先に言えよ」

 急に顔を赤くしながら必死で髪を押さえ始めるサボは愛しくてたまらなかったけれど、なんとか『兄弟』としての顔を保ってみせる。こうやっておれさえ我慢すれば、二人はずっとこのままで居られる。そうだろう?
 だからおれは喉元まで来ているその言葉を、この甘く苦い恋を、吐き出すことなく必死に飲み込み続ける。
 
 実はずっと前から好きなんだ。
                       【完】


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