Novels📝



▼ 潜入作戦の一環として闇オークションで売られたサボをエースが六億とんで二百万ベリーで競り落とす話


 鋼鉄製の手枷は冷たくて不快だけれど、身体の前で拘束されたことだけは僥倖だった。乱雑に巻かれた左目の包帯が痒くて仕方がないのだ。

「おい、『三百二十番』、包帯外すんじゃねーぞ! キズモノだって知れりゃ値段が下がっちまう!」

 のんきに頬を掻くおれを傍らの大男が怒鳴りつける。
 その不気味な火傷の跡さえなけりゃ顔のつくりは良い、もうちょっとマトモな服がありゃあ、などと褒めてんだか貶してんだか分からねェように続けられたところで、いずれにせよ人買いの言葉だ。嬉しくも悔しくもない。服装にしたって、いつもの服では流石に拙いだろうとハックの着古しを譲ってもらっただけだ。サイズが合わなかろうと今回の作戦には支障ないしな。

「今日は金髪なら男女問わず金払いの良いお得意様の変態野郎が来てるから、きっと百万からのスタートだ。煽りのサクラも使えばもっと上がるに違いねェ。全く、小奇麗な金髪で良かったなぁ?」

 下卑た笑い声と共に小突かれても溜息すら出なかった。そんなことより早く自分の番にならないものかと、舞台の袖から会場をそうっと観察する。サーカスの天幕のような移動式の会場は、その客席の六割ほどが埋まっていた。どいつもこいつも、自分と同じ人間を物みたいに金で買って奴隷にしようと考えるクソ野郎どもだ。そう広くないテントの中、少しでも『商品』の状態を確認しようとオペラグラスを片手に前のめりで競売に興じている。
 シャボンディ諸島で行われている本格的で組織的な人身売買、つまり政府がのうのうと言ってのけるところの『職業安定所』とやらと比べれば、目の前で行われている人身売買は随分と規模の小さいものだった。顧客に天竜人が名を連ねることもなく、単にこの近辺の海域の成金や犯罪組織の輩が寄り集まっているだけで、動く金もそう大きくはない。ちょっとばかり調子に乗った陸のギャング崩れが、見よう見まねで始めた興行といったところだろう。
 しかし、規模の大小に関わらず、人身売買なんてのは看過出来るもんじゃない。「子どもが誘拐されたというのに政府は取り合ってくれない」──そう泣きながら革命軍へと助けを求めてきた人のことを思い出す。おれたち革命軍は今この世界で正義を名乗ることなど出来やしない。だが、自由を願い助けを求める人々の訴えを反故にすることは決してないのだ。

「──さて、次の商品をご紹介致しましょう! 皆様お待ちかねの金髪、この度は若い男を仕入れて参りました」

 舞台の真ん中で司会の男が拡声電伝虫に向かってひときわ声を張り、同時に舞台袖へと目配せをする。合図を受け取った大男が、背中を突き飛ばすようにしておれを舞台へと押しやった。
 両足首も肩幅程度の鎖で繋がれているため、ほんの少しだけよろめいたが、転ぶことはなく舞台の真ん中へとたどり着く。直接じろじろと、あるいはオペラグラス越しに自分を値踏みする視線の気持ち悪さは、想像以上の代物だ。思わずこみ上げてきた吐き気を堪えようと僅かに俯けば、阻むように司会の男に顎を掴まれた。

「御覧ください! 少しばかり片目が腫れているため包帯姿ではありますが、滅多に出ない美品でございます!」

 このように歯も全て揃っております、と調子づいた声と共に無理矢理太い親指を口にねじ込まれる。ちょっと歯に力を込めれば食い千切れそうだったが、それではわざわざ潜入した意味がない。やけに自慢気に人の歯を指でなぞる乱暴な仕草に嫌気がさしつつも、倦んだ目で客席の顔を端から順に記憶していく。
 興行元を潰すだけならばおれ一人でだって小一時間とかからず出来るけれど、それじゃあ今まで売られた人々の居場所が分からない。だからこそ、人身売買の憂き目にあってまで得たこの機会に、会場に集まった顧客の顔をしっかりと覚えなくては。ついでに顧客全体とつながりを持つ中心人物──先程舞台袖で聞いたような『お得意様』に至っては、一旦大人しく家までついていって内情を探りたいところだ。勿論、その後は思い切り暴れさせてもらうが。

「それでは二百万からスタートしましょう!」

 やっとおれの口から指を抜いた司会者が、手を振り上げながら謳うようにオークションを始める──って、ちょっと高すぎやしねェか。
 舞台袖の大男は百万スタートだと言っていたが、その倍から始まるとは。シャボンディ諸島でだって、人間の男は五十万スタートが相場だという。相場の四倍からで果たして値がつくんだろうか。件のお得意様とかいう変態野郎はおろか、誰にも競り落とされもせずに終わってしまえば作戦成功とは言い切れない。自分の背負った参謀総長の肩書を思えば、思わず口の端が引きつるのも仕方がなかった。

「二百!」
「二百三十」
「二百五十」
「三百!」

 しかし、おれの懸念を余所に、想像以上のスピードで羽振りよく金額が跳ね上がって行く。それはそれで正気を疑わざるを得ない。おいおい、お前らなに考えてんだ? 力も何も見せちゃいない、ただの二十やそこらの男だってのに……さっきのアレか? 歯が揃ってるからか?
 疑問と居心地の悪さを覚えつつも、少なくとも作戦失敗は回避出来たので、気を取り直して客の顔を確認する作業へと戻る。右から順に一人ずつ、顔だけでなく身につけているものや仕草から職業や出身地まで推定しながら、しかし決めつけるのではなく確実に──と真剣なおれの視界へ急にまばゆい光が差し込んできた。
 大きく開け放たれた中央奥の出入口、逆光が切り取る二人分のシルエット。誰もが驚き振り返ったその先で、影の内の一つが、やけに聞き馴染みのある声で低く言い放った。

「──六億。それと……二百万」

 静まり返った会場内、もう一つの影が後ろ手に扉を閉ざせば、途端に露わになるその姿。
 見紛うはずもない。どう見たって……エースだ。
 何故ここに、と声に出さないまでも驚きのままに目を瞠るが、エースはそんなおれをちらりと見遣ると、思い切り眉間に皺を寄せてからスッと視線を剥がした。隣に立っていたマルコはというと、やれやれと謂わんばかりに両肩を上げ下げしている。
 エースはおれから背けた視線でそのまま会場内を睨みつけると、よく通る声で再度告げた。

「聞こえなかったか? ならもう一回言うぜ、六億飛んで二百万だ。それより出せる奴居んのか? 相手になるぜ?」

 余裕綽々に顎を反らすエースに、マルコが何かしら耳打ちする。それからマルコはもう一度大仰に肩を竦めると、片手を振ってするりと外へと出て行った。おれを含め、会場の全員がその後ろ姿を呆然と見送る。
 いや、全員じゃねェな。エースだけはマルコを目で追わず、腕を組んで仁王立ちしたまま客達を睥睨していた。

「……ろ、六億なんて有り得ないだろ! 誰だお前!」
「そうだ、冷やかしなら帰れ!」
「いや、捕まえろ!」
「警備はどうなってる!」

 完全な沈黙状態にあった会場内だったが、次第にあちこちから野次と罵声が上がり始めた。そりゃそうなるよな。三百万で争っていたところに六億なんて馬鹿げているし、どう考えたって普通じゃない。
 だが、問題はエースが至極真剣な顔をしていることだ。
 気圧されたらしい司会の男が「六億……?」と小さな声で復唱してから、おれの顔をまじまじと見つめてくる。顔中に疑問符貼り付けている勢いだが、おれに答えを求めるのは勘弁してくれ。おれだって何がどうしてこうなってるか分かっちゃいねェんだから。
 そうこうしている内に会場の中には多少物を知っている奴も居たようで、野次や罵声以外の、怯えたような声も上がり始めた。

「ちょっと待て、あれ、火拳のエースじゃないか……?」
「火拳のエースって、白ひげのところのか?」
「あの悪魔の実の能力者の、」

 ざわめく会場の中、先程おれに三百万を付けた客が立ち上がり、真っ赤な顔と裏返った声と共にエースを指さして叫んだ。

「ううううるさい、白ひげがなんだ! あんな『老いぼれ』怖くなんざ、」

 その言葉を耳にしたと同時、おれはこの作戦の失敗を確信した。エースの片眉がぴくりと上がるのを視界の端におさめつつ、おれは諦めて己の両手両足の枷を千切るようにして外す。真横を向けば、司会者はいよいよ哀れなほどに狼狽し、おれと落ちた鋼鉄製の枷の間で視線を往復させていたので、おれは少しだけ同情的な気分になって柔らかな苦笑を投げかけてから──胸ぐらを掴んで勢い良く床へと叩きつけた。


   ■


 突然の闖入者によって大幅に狂った作戦だったが、結果として、客全員をひっ捕まえ、今まで買った人間達の居場所を吐かせることに成功した。
 本来ならこういったシチュエーションに縺れ込んでしまうと、それなりに面倒くさい尋問をしなきゃならないものだが、白ひげを侮辱されてブチ切れたエースが客席を灼き尽くしたのが余程恐ろしかったのだろう。だれもかれもが震える口を開き、訊いてもないことまでベラベラとよく喋った。毎回上手く行く遣り方じゃないが、少なくとも今回は終わりよければ全て良しってところだ。
 ──それはそれで良いんだが。

「だから、たまたま寄った酒場で人攫いどもが騒いでやがったんだよ。それよりサボ、その服デカくねェか?」

 おれを手伝って会場の奴らを踏み縛っていたエースが、どこか拗ねたような顔をしながらぼやく。
 服のことは適当にごまかしながら、この場に現れた理由について更に問い質してみたところ、エースがこの島に来たこと自体は本当に偶然だったようだ。補給の必要があってふらりと立ち寄り、ついでとばかりに酒場でマルコと飲んでいたところ、おれがわざと捕まった相手である人攫い達が同じ場所に居たらしい。

「そいつらの話している今回の『商品』の特徴がサボそっくりだったから厭な予感がして、軽く締め上げてオークション会場の場所を吐かせたってだけだ」
「それは、つまり心配してくれたってことか?」

 そんな不確かな情報と予感だけで駆けつけてくれたのならば悪い気はしないが、かと言って、そう易々と心配されてしまうのも引っかかる。お互いの強さは認め合っているはずなのに、その辺の奴相手に遅れを取るなどと予想されるのは若干心外だった。
 だが、エースは「心配ってわけでもねェけどな」と断ってから、そばかすの散った頬を決まり悪そうに掻く。

「チラッと覗き見て本当にサボだって分かったとき、カッとなったおれをマルコが止めたんだ。『サボがあんな奴らに捕まるわけないだろよい』って。何か意図があってやってるから邪魔するなって……おれも確かにそうだとは思った」
「おいおい、エース。分かってたなら、どうしてわざわざオークションに参加するような真似したんだよ」

 結果として上手く行ったから良かったが、危うく潜入作戦が台無しになるところでもあった。正直、分かっていたならそっとして置いてほしかったのが本音だ。

「オークションってことは、あそこで一番高い金額つけた奴のモノになるってことだったんだろ?」

 エースはおれの顔をじっと見つめ、今しがたの自分の想像に悪寒が走ったとでもいうように、低く冷たく、しかし確かな声音で答えた。

「たとえ作戦でも演技でも一瞬でも、サボが他の奴のモノになるなんて、おれは、絶対、イヤだ」

 それで拗ねてんのか。さっきから。
 結局のところエースは、おれが作戦とはいえ、誰かの元に売られるような真似をしたこと自体が気に入らなかったのだ。いつものエースならば形ばかりであってもヒューマンオークションになんざ参加しないだろうに、わざわざあの場で有り得ないような高額を提示したのも、おれが誰かに一時的であろうと『所有』されるのがイヤだったからで──ああ、畜生、こんなことで嬉しくなっちまうなんて良くねェな。良くねェぞ。
 予想外の答えに緩みそうになる自分の頬を何とか叱咤しながら、話を逸らそうと話題を探す。

「っと……そうだ、なんで六億と二百万ベリー?」
「ああ、丁度ここに来る前にぶちのめした賞金首が十五人合わせて合計賞金額六億くらいだってマルコが話してたからな。あと人攫いが持ってた現金が二百万ベリー。船に宝乗せてねェからよ、ソレがおれの全財産」

 中にそのカツアゲした二百万ベリーが入っているのだろう、ズボンのポケットをぽんぽんと叩いてみせる。妙に自信あり気だが、どうやら大きな誤解があるようだ。

「あのな、エース……賞金首が賞金首捕まえたって金はもらえねェんだぞ」

 そもそも海軍に引き渡せるはずもない。マルコあたりは分かっていたことだろう、そういえば呆れたように肩を竦めていた。

「そうなのか? ケチくせェ話だな」

 エースはそう言ってから呆れ顔のおれを引き寄せ、漸く機嫌を直したように笑う。そのまま左目に巻かれた包帯を断りもなく外すと、あらわになった火傷の跡に躊躇なく唇を落としてきた。

「……まあ、元々本気で金なんざで買う予定じゃなかったし、良いだろ?」

 瞼の上に慈しむように何度も小さなキスを落としながら言われちゃ反論のしようもない。そりゃそうさ、そうに決まっている。元々おまえのものなんだからな。


【完】


※マルコが外に出る前にエースに耳打ちした言葉=「明日の夕方までには帰って来るんだよい」




- ナノ -