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▼ 始まりはミルクティーのような恋で


 高校の屋上は【立入禁止】として施錠されているが、実は一定の操作をすると呆気なく開いてしまうのだ。
 冷たいドアノブを握り込んで、上に一度持ち上げ、それから右に三十度ほど傾けてぐっと押し込む。そこから左右に僅かに揺らしながら、小さな金属音がするのをポイントを探る。カチリ、と音が鳴ってしまえば、後は多少の抵抗を無視して一気に押し回すだけだ。
 この鍵の開け方はエースから教わった方法で、エースはウチの卒業生でもあるバンドメンバーに聞いたらしい。結構な年上だったはずだが、その当時からずっと直ってないのだと思うと何だか面白い。

「エース……は、まだか」

 扉を開けて、すっかり涼しくなってきた秋風と青空に出迎えられたけれど、そこに居るはずの姿が見当たらない。購買に寄ってから来る分、いつもはおれの方が遅いんだけどな。
 高いフェンスを背にコンクリートの床に一人腰を下ろして、ビニール袋の中身を取り出す。パンが三つと、五百ミリリットルの紙パック飲料。毎回買ってるから、何も言わずとも曲がるストローを付けてもらえるようになった。
 紙パックの口を開いてストローを差し込んで、とりあえずの水分補給。甘いミルクティーだからどっちかと言えば糖分補給か。パンに手をつけるか悩ましいけど、すぐにエースが来るかもしれないし、少し待とう。
 昼食は大体、エースと一緒にこの屋上で食べている。二年に上がってクラスが分かれてしまったからという理由も無くもないが、それは殆どおれ側の都合だ。エースからすると、賑わしい喧騒から離れてゆっくりメシを食いたいというくらいの理由なんだろう。
 丁度一年前の秋の文化祭ステージ以来、エースの人気は留まるところを知らず、下駄箱には毎朝ファンレターだのプレゼントだのが詰まっているし、放課後には学外の生徒までもが校門で出待ちをしている始末だ。
 こんな漫画みてェなことってあるんだな、とおれは若干うろたえてしまったが、当のエースは「ライブハウスに来てくれるならありがてェが学校にまで来るなよ」と日々迷惑そうにあしらっている。
 ライブの時の神対応が嘘のようなその冷たい態度に驚くファンも多いと聞くが、それも仕方ないだろう。いくら好きでも、相手が嫌がっているのに自分の都合だけで無理矢理気持ちを押し付けてしまえばファン失格だ。いつもと同じ反応を求めるのは無理がある。
 おれも、エースの幼馴染として、同じファンとして、周囲の迷惑行為をやめさせたい気持ちはあった。時にはも壁となり、エースめがけて押し寄る人の波を体を張って引き留めたりもしている──エースは「サボがそんなことすんな」とキレるけど。
 しかし本当は、偉そうな顔してファン失格がどうとか言う資格なんて、おれには無いのだ。

 だって、幼馴染なのに、親友なのに、純粋にエースの歌声が好きなのに──まさかの所謂『ガチ恋』なのだから。

 確実に恋だと気付いたのは中学の頃だったけど、多分それより前からずっと好きだった。つまり、この十六年間の人生の半分以上を秘密の片想いと共に過ごしていることになる。エースと一緒に居るのは本当に楽しいけれど、いつも同じくらいの後ろめたさを抱えていた。
 おれに見せる笑顔も、おれだけに聞かせてくれる歌も、『友達』としての役得なのに、おれはそのひとつひとつに、どうしようもなく胸をときめかせてしまうのだから。
 せめてエースには、欠片もこの恋を悟らせないようにしたい。それだけがおれに出来る精一杯だ。おれ達の間に隠し事は無しだとエースはよく口にするけど、おれはもう随分と嘘と演技が上手くなってしまっていた。
 色々と考えている内にストローの先を噛んでしまっていたらしい。ろくに飲めてもいないミルクティーを横に置いて大きく溜息をついていると、金属製の扉がガチャガチャと特徴的な音を立てた。一度締めるとオートロックよろしく締まるから、向こうから改めて『操作』しているのだ。

「──おっ、サボ。悪ィ、遅くなった」

 扉から顔を出したエースは片目を眇めるようにして謝ると、大股でこちらへとやって来ておれの真隣に速攻で腰を下ろした。手には二段重ねのデカい弁当箱。エースが世話になってるダダンが毎日作ってくれている弁当で、見た目や彩りはともかく、味の濃さとボリュームには定評があった。たまに分けてもらってるけど、手料理の温かみがあっておれも好きだ。

「遅かったな、エース」
「文化祭実行委員に捕まってたんだ。ウチのクラス喫茶やるから、シフトどうするかって話で……ほら、ステージの時間あるだろ?」

 あー腹減った、とエースは早速ケースから箸を取り出している。おれもつられてパンの袋を開けながら、しかし眉を寄せて聞き返してしまった。

「えっ……喫茶の方もエース出るのか? すっげェ混乱しそうだな?」

 ただでさえ学校の内外を問わず熱狂的人気を博しているエースだというのに、そのエースがウェイターなんてやってたら人が殺到するに決まっている。最悪、怪我人すら出るかもしれない。

「ん、そうそう。混乱しそうだから当日はシフト無しで、前準備とか後片付けとか、そういうの頑張ってくれって話だった」
「ああ、そういうことか。まあ、その方が良いだろうな」

 おれが危ぶむくらいのことは実行委員もとっくに考えていたらしい。いくら集客出来たって事故でも起きたら後が怖いもんな。

「サボのとこはクラスでステージ取ってたよな? 結局何やることになったんだ?」
「なんか創作劇ってやつ? 間にダンスとかも入るやつ」
「えっ……それサボも出んの?」

 ガツガツ音がしそうなくらいに弁当かき込んでいたエースの箸が止まる。口の周りに米粒そんだけ付いていても格好良いなんてどういうことだよ、全く。

「いいや? おれは裏方。それこそ準備と片付けだけだから当日はほとんどフリーだ。お前のライブステージも観に行ける──チケット当たったらな」

 自分で付け加えたその『条件』に自分で弱気になってしまう。そう、今年のエースのライブステージは、昨年とは違い、事前申請済みなのだ。
 ちなみに昨年は、参加登録していた余所のバンドのボーカルが彼女と喧嘩したとかで急にバックレたので、そのピンチヒッターとしてエースが出演したという経緯だったのだが、その後の影響がとんでもなかったので、今年は学校側によってほぼ自動的にステージ予定が組み込まれたのだ。
 しかも、学内先行ではあるものの、チケットはまさかの完全抽選制。あまり運の良くないおれには厳しいものがある。先着順なら負ける気しねェのに。
 普段のバンドメンバーと一緒に歌っているのが至高だとはいえ軽音部の荒削りな演奏との相乗効果も高校生ならではって感じで楽しみだし何より普段のライブではオリジナルを歌うエースの久々のカバーだしカラオケで歌ってるのを聴くのとはやっぱり違うし絶対聴き逃がせないに決まってるそりゃあ勿論バンドのオリジナル曲が一番好きなのは揺るぎねェけどあんな淡く切ない歌詞がエースの書いたものだと思うと胸がギュッとなっちまうからそういうの抜きで聴けるのもそれはそれで貴重っていうか結局おれはエースのどんな歌声も聞き逃したくないからどうにか頑張ってチケット手に入れないとってそういやあんま知らねェ先輩が絶対取れるから譲ってやろうかって話しかけてきたけどアレってマジなんだろうかでも絶対大金で売りつけられるパターンだろうしそもそも転売になっちまうし後はもう神頼みしか……。

「──って、おい、聞いてんのか? サボ」
「あ、悪ィ。ぼーっとしてた。何の話だっけ」

 ついついチケットのことを考えて意識ここにあらずとなってしまっていた。
 ったく……と仕方なさそうに肩を竦めたエースは、玉子焼きを挟んだままの箸の先でおれを指す。

「だから、サボのチケットはもう取ってあるんだって」
「えっ」

 驚いてパンを袋ごと落としてしまったおれに、エースは玉子焼きを一口で食べると、殆ど噛まないまま飲み込んで続ける。

「演者には招待チケットあるって言われたから勝手に取っといた。一応、本当は保護者用らしいけどな」
「い、良いのか? そんな貴重な物を……?」
「サボには最前列で聴かせてェし。それに、どうせ抽選外れたらこの世の終わりみたく落ち込むんだろ?」

 自信に満ちた笑顔。からかうような、それでいて優しい口調。口の周りの米粒取りながらでも、それでもやっぱり格好良い。最高に格好良い!

ありがとな、エースッ!」

 思わぬ朗報だ、これ以上ない吉報だ。嬉しさのあまり、祈るように己の両手を組んでしまう。でも本当に神頼みでもしようかと思っていたところだったんだ。前のめりになってしまうのも許してほしい。

「お、おう、別にこれくらい何ともねェし……っつーかサボ、なんか甘い匂いする……」
「え、そうか?」

 エースが僅かに声を裏返すので、焦って自分の制服の袖あたりを嗅いでみる。この間までの夏服とは違って制汗剤の匂いもしないし、特別何かが香ってる感じもしないけどな。

「うーん、特に……自分じゃ分かんねェだけかな? あ、ミルクティーの匂いとか?」

 床に置きっぱなしにしていた紙パックを手に取る。これ結構甘いもんな。
 エースは「多分違ェけど」とか何とか語尾を濁らせて目を泳がせたかと思うと、すぐにいつも通りのいたずらな笑顔を向けてくる。

「──でも、サボは確かに最近、いつもミルクティーだよな。しかも毎回同じやつ。甘ったるそうなのによく飲むぜ」
「甘いから腹持ち良くて助かるんだよ、おれはどっかの誰かみたく授業中に隠れてパン食ったりしてねェし? それにお前、コーヒーに牛乳ガンガン入れる派なんだから、ミルクティーだって好きなんじゃねェの?」
「おれは紅茶自体飲まねェし。ソレも飲んだことない」
「飲まず嫌いだったのかよ、エース。試してみるか?」

 笑いながら、手にした紙パックのミルクティーをエースの前に持って行って──そこで気付いた。


 これじゃ、間接キスになっちまう!


「──いや、でも、弁当には合わねェよな! 今度別の時に買って飲んでみろよ!」

 誓ってわざとじゃない、そんなこと望んでもない!
 誰にともなく内心言い訳をしながら、慌てて引っ込めようとしたおれの手首をエースが掴む。
 あっ、と小さく上がったおれの声を無視して、エースはおれに紙パックを持たせたまま、先の少し潰れたストローをくわえた。
 さっきまでおれが口を寄せていたストローに、エースの少しかさついた唇が触れている。


「…………すっげェ甘ェ」


 少しだけ飲んですぐに口を離したエースは、顔を背けてそれだけ呟いた。想像以上の甘さだったらしい。
 でも、今こっちを見ないでくれて助かった。自分でも分かるほどに顔に熱が集まっている。きっとおれの顔は耳まで真っ赤になってしまっているに違いない。
 回し飲みくらい普通のことだ。クラスメイトとだって出来るんだから、それを親友のエースとやったっておかしくないはずなんだ。
 そう分かっているのに、そう演じるべきなのに、おれはとても真顔じゃ居られなかった。いや、真顔じゃ逆に変なのか? もうどれが正解かも分からない。

 お前がこちらを振り向くまでに、おれはどんな表情を作っていれば良い?
 おれとお前は一体どれくらいの距離で居れば良いんだっけ?

 答えを出せず硬直したままのおれは、気の利いた一言だって言えやしない。手にしたままの紙パックの中では、どうやったら残りを飲めるのかも分からないミルクティーが戸惑う恋のように揺れていた。


【完】




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