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▼ too late


 男を格好良いと思っている内はまだ大丈夫。
 でもね、可愛いと思い始めたら、もう手遅れ。

 そんなセリフを耳にしたことがある。
 情報収集のために潜伏していた酒場で、訳ありそうな女が二人、溜息交じりに語った言葉だった。
 勿論その話題に割って入ることなどしなかったけれど、おれの頭には一人の男の姿が浮かんだ。そう、『格好良い』を体現したようなおれの恋人──エースの姿だ。
 男らしく精悍な顔、鍛え上げられた身体、ふとした仕草にすら薫る洒脱さ、自信に満ち溢れた立ち姿。ほんの外見だけでも、エースは誰もが惚れ惚れするほどに格好良い。もっとも内面は、それ以上に格好良いのだけれども。

 しかし、そんな男のことを、おれは既に『可愛い』と思ってしまっている。


『too late』


 絡めた舌から伝わる刺激が、頭の奥をじんと痺れさせる。
 エースの言葉を借りれば「真っ昼間からしけこんだ」この宿で、おれの背中は少しばかりの性急さを持ってシーツへと押し倒されていた。
 なおも続くキスの合間、器用におれの服を脱がせていくエースの指。昔は「サボの服、一体どういう構造してんだ?」なんて苛立っては燃やしかけていたくらいなのに、随分と上手になったよな。
 それでも──。

「……んだよ。足癖悪ィぞ、サボ」

 唇を離して見下ろしてくるエースの視線は焦げ付きそうなほどの熱を帯びていて、それはたった今、いたずらに片膝を立てて『確認』した先でも同じだった。
 互いの衣服越しでも感じる、熱さと硬さ。おれの唇の端は自然と持ち上がってしまう。

「──エースって、おれの服脱がせるだけでも硬くしちまうよな」

 キスだけなら外でもしているし、その時にはどちらかといえばエースの方が余裕ぶっている。
 それなのに、おれの服を脱がす時には、いつも『こう』だ。
 数えきれない夜を共に過ごしてきたというのに、たったこれだけで興奮しているのかと思うと、己の身体の上に陣取った恋人があまりにも愛しくてたまらない。

「ほんっと可愛いなァ、エースは……」
「あ?」

 訝しげに眉を寄せる、その表情ですら可愛いと思ってしまう。あの酒場で聞いた言葉のとおり、おれはとっくに手遅れに違いない。
 グレイ・ターミナルに居た頃はまだ少し──ほんの少しだけエースはおれよりも強くて、その時のエースは相棒であると同時にライバルでもあった。日頃はおどけて見せても、決める時には格好良く決めるエースの姿を、誇らしさと羨ましさの両方の視線で見つめていたように思う。言ってみれば、あの頃のおれにとってエースは「悔しいほど格好良い」ってところだったんだろうな。
 でも、大人になって再会してからというもの、おれは格好良いだけじゃないエースの魅力を知ってしまった。
 
 少年のようにあどけなく笑うところ。
 おれと会う前にわざわざ香水を付けてくるところ。
 別れ際にいつまでも手を振って名残惜しそうにするところ。
 そして、何度も抱いた身体から衣服を脱がすという、たったそれだけのことで未だに興奮しているところ。
 挙げていけばきりがないほどに──エースは可愛い。
 
 ただ、例えばハック達に「エースってとんでもなく可愛いよな」と同意を求めても、いつも「格好良いの間違いじゃないのか?」と難しい顔をされてしまう。どっちも正解なんだ、と説明しても一向に分かっちゃくれない。
 格好良いと可愛いを両立させたエースという男の、その奇跡的なまでの魅力は一体どうやって説明すれば伝えられるんだろうか。格好良いの方は分かってもらえているんだから、可愛さをもっと──。

「……なに考えごとしてんだよ、サボ」

 不意にエースがおれの耳元で低く唸る。首に引っ掛けていた帽子を外しながら見下ろしてくる目つきは険しかったけれど、おれは顔がニヤついてしまうのを抑えられない。

「ああ、悪ィ、エースの可愛いところについて考えてた」

 含み笑いで答えたおれをたしなめるように、エースは首筋に唇を寄せてくる。湿った肌の上で「集中しろよ」とくぐもった声を滑らせる、その拗ねたような様子すらもどうにも可愛くて仕方がなかった。

   □

 エースの普段の服装と言えば、服装という言葉を用いて良いのかと悩むくらいには軽装だ。昔はマキノからもらった服なんかも含めてそれなりに着込んでいたのだが、今は背負った誇りを隠したくないからか、上着を羽織ることすら滅多にない。
 しかし、今日は──今日だけはいつもと様相が異なっていた。

「え、エース!?」

 久々のデートとはいえ、恋人の姿を見紛うはずもない。
 それでも一瞬、己の目で見たものを疑ってしまう。

 待ち合わせ場所に現れたエースが、見るからに仕立ての良いスーツを着ていたからだ。

 いつもの帽子と同系色のそのスーツは、当然ながら初めて見る代物だ。ジャケットの中は艶めいた黒いシャツで、炎のように赤いネクタイは派手なのに少しも下品じゃない。爪先の尖った革靴は、機動力には欠けるだろうが普段よりずっとエースを大人びて魅せていた。
 むしろいつもと比べて肌の露出は少ないというのに、見慣れぬスーツ姿から醸し出される男の色気は、おれを圧倒させるには充分すぎる代物だ。

「ん? 似合わねェか?」
「に、似合うに決まってるだろ! すっげェ格好良い!」

 思わず食い気味に即答してしまう。もしもエースのこの姿を「不似合いだ」と見做す奴が居たら、きっとおれは親切心から医者を勧めるに違いない。頭か目かどちらかに異常を来しているだろうからな。
 頭のてっぺんからつま先まで隙なく決めたエースは普段の海賊らしさとはまた違った魅力を備えていて、あまり格式張ったものを好まないおれですら思わず唾を飲み込むほどだ。
 でも──だからこそ思う。

 なんでだ?
 
 ここは何の変哲もない港街のはずだ。
 いつもどおり、互いが居た島の中間地点だからという理由で来ているだけの、言ってしまえば若干寂れた街だ。
 今日は何の変哲もない日のはずだ。
 いつもどおり、ただ会いたいからと約束を交わして待ち合わせただけで、記念日でも何でもないだろう。
 いずれにせよドレスコードが必要な店に入るわけでもないだろうに、エースがこんなに変わった──もとい、改まった服装をしている理由が分からない。
 おれが何度も瞬きをしながら見つめていると、エースはそんなおれに呆れたのか、安心させようとしたのか、フッと柔らかい苦笑をこぼした。

「そんなに驚くなよ。たまにはこういうのも良いだろってだけだ──最近サボ、『余裕そう』だからなァ」
「どういう意味だ?」

 その言い振りに妙な緊張感を覚えて問い返すも、エースは意味深に目を細めるばかりだった。

   □

 きっかけは、そう──客室の扉を閉めるなり唇を合わせてきたエースが、キスの合間に軽い調子で言ったのだ。
 たまにはサボが脱がせてみるか? と。 
 普段『軽装』のエースのその提案に、おれは二つ返事で乗った。恋人の服を脱がせてみたいと思うのは別におかしいことじゃないだろう? いつも脱がされてばかりなら尚更だ。

 でも……なんで、こんなことになってんだ?

 指先が震える。
 香りだけで頭がくらくらする。
 喉がからからに渇いて、耳のあたりが熱くてたまらない。

「可愛いなァ、サボは」

 どこかで聞いたようなセリフには揶揄の響きがふんだんに混ざっている。何か言い返してやりたかったけれど、自分の心臓の音がうるさすぎてそれどころじゃない。
 絹の肌触りに指が滑る。ネクタイを掴んだまま拳を握ってしまう。こんなこと、なんてことないはずなのに、一体どうしたっていうんだ。

 立ったままのエースの、上等なジャケットこそ何とか床に落としたけれど──『その先』に進めないなんて。

「ッ……」
「どうしたんだよ、随分時間かかってんじゃねェか。着たまま抱いてほしいってか?」

 それもそれで魅力的だな、なんて軽口すらも叩けない。緊張のせいで頭まで痛くなってくる。勢い余ってネクタイを力任せに引っ張り、エースに「おっと」なんて笑い声を上げられてしまった。
 ──何焦ってんだ、おれは! ただ『服を脱がせる』ってだけなのに! まだベッドにすら行き着いてねェんだぞ!
 見慣れぬ服装のエースに心拍数上げられっぱなしだったことも原因かもしれないが、それにしたって、相手の衣服を脱がしていくという行為だけでこんなに緊張させられるなんて。裸だって数え切れないほど見ている仲なのに、今更、どうして。

「サボ、もう降参か? ネクタイの外し方分からねェ?」
「……んなわけねェだろ。自分でも、ネクタイすること、あるし」
「そうだっけ? おれは見たことねェと思うが……今度してきてくれよ。色々使えそうだしな」
「何にだよ……」

 緊張だけじゃない。思考がまとまらない。瞳が潤んで、うまく目が開けていられない。落ち着かねェと、と深呼吸を試みても、ただ自分の吐息の熱さを思い知るばかりだ。
 布地の擦れる音が、少しずつ露わになる肌が、むせかえるような色香が、眼前の男の全てが、今この自分の指で解かれていくのだと思うと──どうしよう。

 信じられないくらい、興奮する。

「……サボも大概スケベだよな」

 何がスケベだよ、バカ。あまりの羞恥に俯けば、すぐさま意地の悪い指先で顎を掬い上げられる。舌なめずりでもするような好奇の視線で眺められると、居た堪れなくなって勝手に睫毛が震えてしまった。

「おれの服脱がすの、そんなに興奮すんのか? ボタンひとつロクに外せねェくらい? 可愛すぎるな、サボ」

 そうやって満足そうに微笑まれて、おれは漸くエースが今日わざわざスーツを着てきた理由に思い至った。
 ──こいつ、おれが前回「人の服脱がせるだけで硬くしてるなんて可愛いな」って言ったの、根に持ってやがるな……!
 しかし、それが分かったところで最早どうしようもない。長い指で顎を持ち上げられながら、泣き出しそうなくらい興奮した顔を愉しそうに観察されている。指先はおろか膝下まで震えているのにだって、きっと気付かれている。こうなったら、もう、今回ばかりはおれの負けだ。
 エースの服を脱がせることを諦めたおれは、せめてもの抵抗とばかりに顔を横に振って、己を辱める指先から逃れる。
 しかし、それは先の質問を否定したいからではなかった。
 おれは眼前の男の手から逃れておきながら、けれど同じ男の胸元に額を押し当てて大きく息を吐く。

「…………めちゃくちゃ興奮するな、これ」
「おれの気持ちが分かったか。こっちだって必死なんだから、あんま揶揄ってくれんなよな」
「揶揄ってねェし。エースが可愛いのは事実だ」
「この状況で言うか? どう考えたってお前のが可愛いだろ、サボ」

 悪戯げな口ぶりと共にエースはおれの背に手を回す。必死だなんだと言いながらも重ねた夜の分だけ慣れたその指先は、流れるような自然さでコートを脱がしにかかった。

                      【完】



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