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▼ 何でもなくない日おめでとう!


「エースって、『誕生日』あったのか!?」

 サボは驚きと共に振り返った。ゴミを選り分けていた手も思わず止まってしまう。

「そりゃ当たり前だろ。産まれちまってんだから」

 エースは鼻で笑うと、鉄パイプの先をガラクタの山に突き刺して奥を探った。
 いつも通り、二人きりで探し集める換金物。寒空の下の単純作業だって海賊貯金のためと思えば苦ではないけれど、最近ロクな物が見つからないせいかゴミ山を見つめるエースの表情は幾分か厳しい──あるいは、この話題が嫌なのか。
 しかし、サボは構わずに話を続けた。

「当たり前っちゃ当たり前だけど……一月一日なんて、もう明後日じゃねェか!」

 もっと早く教えろよ。そうも言いたくなったが、思い返してみれば、その手の話題を避けていたのはむしろサボの方だったかもしれない。
 それというのも、エースと出会った当初、年齢を訊かれて「五歳」と即答した際にエースが少し目を丸くして言ったのだ──「よく知ってんな、孤児なのに」と。
 しまった、とサボは思った。当時のサボは、孤児を騙るにはまだまだ世間知らずだったのだ。ゆえに「このままでは貴族の子だとバレてしまうかも」と、年齢に関わる話題は曖昧に躱して来たし、己の誕生日のことだって一度も口にはしなかった。今でこそ、このグレイ・ターミナルでの生活にも慣れて来たが、当初は誕生日だの何だのどころではなかったというのもある。

「別に、一月一日なんて何でもない日だろ──誕生日なんざ、めでたくもねェし」

 エースは心底興味なさそうに、肌を刺す空気よりも余程冷たい目でサボを見つめ返してきた。その怨恨とも諦念ともつかない瞳の暗さはエースがまれに垣間見せるもので、その度にサボの心は訳も分からずに締め付けられる。

(どうしてエースが、そんな目で、そんなこと言わなきゃならねェんだ)

 己の産まれた日を語っているとは思えないようなエースの無関心さに、サボは静かに下唇を噛む。親友のそんな姿を見ているのは悔しいし、悲しい。
 サボの心情を知ってか知らずか、エースはすぐにいつもの勝ち気な表情に戻ると、鉄パイプで自分の肩を叩きながら明るい声を上げた。

「ま、新年って言やあ新年だから、山賊連中はまたちょっとしたごちそうでも食うだろうな。どっかに隠してやがった肉や味のついた米くらいだけどよ」

 サボの分もかすめ取って来てやるよ、とエースは声を弾ませる。その言葉に、サボは何度か大きくまばたきをした。

「それ……、いいな」

 勿論、自分がごちそうを食べられるから、などではない。良いと言ったのは、一月一日に『ごちそう』と呼べる物が手に入るという、その一点に尽きる。

(当日に『ごちそう』があるってんなら、『他の物』さえ用意すれば──)

 先程までの悲しい気持ちはどこへやら、サボは急に頬の血色を良くする。
 サボは気付いたのだ。
 エースが『何でもない日』だと言ってのけたとしても、サボが『何でもなくない日』にしてやれば良いのだ、と。

   ■

 とはいえ、誕生日の思い出となると、サボにだってロクなものはない。
 恐らく世間的に言えば、これ以上ないほどに理想的な誕生日だったのだろう。
 豪奢で豪勢で豪華な誕生パーティーには数え切れないほどの貴族たちが集まって、サボの小さな手では到底抱えきれないほどのプレゼントをくれたし、大広間に並んだテーブルには食べ切れずに捨ててしまうほどの料理が所狭しと並んでいた。
 けれど、そこに『サボ』の存在意義など、あるはずもなかった。
 必要なのは『貴族の嫡子』の誕生パーティーという名目だけだ。本当にサボの事を想って集まった者など誰一人として居るはずもなく、定期的に設けられる社交の場のひとつでしかない。
 プレゼントだって、どれもこれも打算と値踏みのためだけの物ばかり。一度なんて、相手がサボ個人に興味が無いせいか女児用のきらびやかなドレスを贈られて、サボの両親はそれはもう聞くに堪えないような嫌味を並べ立てて応じていた。思い返すだけでも気が滅入るような誕生日の記憶だ。
 だから、むしろサボは誕生日が苦手だった。誕生日にこそ、自分には貴族の嫡子であるという、それだけの価値しかないのだと実感させられる。
 けれど、だからこそ──というわけでもないけれど、サボは密かに決心していた。

(エースの誕生日だけは、心から祝ってやりたい)

 場所は森の中だし、参加者は主役を除けばサボだけだし、プレゼントだって間に合うか分からないし、ごちそうなんて山賊の酒盛りをかすめ取った代物の予定だ。贅を尽くした誕生日会には程遠い。でも、大事なのは祝う側の気持ちだというのをサボはよく知っている。
 そうと決まれば、サボの行動は早かった。
 エースには秘密で事を進めることにしたので、夜中にボロボロのランプ片手に一人きりでゴミ山を漁る。二人で集めた海賊貯金は将来海賊船を買うための物だから、勝手にサボの一存で使うわけにはいかない。エースの誕生日祝いのための金は、新たにサボ一人で稼ぐ必要があるのだ。
 しかし、先日からずっとハズレばかりのゴミ山で夜中に必死に歩き回っても、金目の物など早々見つからない。眠っていた老人に怒鳴られたり、野犬の群れに囲まれたりして時間と体力を消耗し、疲れ果てて眠ってしまえばもう朝日が昇っていた。

 つまり、エースの誕生日は──もう明日なのだ。

 かき集めた品物の値打ちはどう考えても心もとなかったけれど、今日はもうプレゼントを買うために町へ繰り出さなくてはいけない。
 【町でひとかせぎしてくる】とエースへの書き置きを中間の森に残し、サボは大人の荷車にこっそり潜んで門を抜ける。年の瀬の空気に満ちた町を駆け回り、そこかしこへガラクタを持ち込んでは粘り強く交渉し、少しでも高値で買い取ってもらおうと必死に努力した。
 しかし、日が暮れる頃にサボが手にした現金は、千ベリーと少し。
 早々に閉まりゆく店々を何とか覗いてみても、エースに心からあげたいようなプレゼントを買うにはどう頑張っても手持ちが足りない。

(やばい、そろそろ門が閉まっちまう……!)

 金も時間も足りなくて、気持ちばかりが焦ってしまう。煤けた服装のサボを避けるようにして人々はあたたかい家へと帰っていく。漂ってくる夕食の匂いに腹が小さく鳴って、そこで漸くサボは、自分が今日一日飲まず食わずだったことを思い出した。

(思ったより時間かかっちまったもんな。エースも今頃きっと山賊のアジトに帰って、おれが居なかったからってムスッとしながら山賊連中とメシでも食ってんだろうなァ……明日ちゃんとネタバラシして謝らねェと……あー、それにしても腹減った……)

 一度自覚すると急に空腹が耐えがたくなってくる。しかも、サボの手の中には食事にありつくだけの金があるのだ。
 再び、ぐうと鳴った腹をじっと見つめる。かじかむ手は赤くなっていて、鼻先は取れそうなくらい冷たい。今すぐあたたかいシチューの一皿でも食べられたならどれほど幸せなことか。

(──ダメだ! これはエースへの誕生日プレゼントを買うための金なんだから!)

 サボはぶんぶんと頭を振って、一瞬脳裏をよぎった考えを追い出そうとする。そうしていると、暗くなってきた路地の角に、一軒の小さな店があるのを見つけた。飾りっぱなしのリースの下、木製の看板に書かれた飾り文字にじっと目を凝らす。

(……ケーキ屋だ)

 そこでサボは思い出す。以前、二人で狩りをした後、エースの味付けがあまりに辛かったせいもあって、サボが「デザートが食いたくなるな」と冗談を言った時のことだ。
 エースがさも初めて聞いたというように「でざーと……?」と眉を寄せていたので、「食後に甘い物を食べると楽しい気持ちになる──らしいぜ」と、あくまで噂で聞いたのだと誤魔化しながら説明したのだ。その時、エースは興味深そうな顔をして頷いていたように思う。

(プレゼントじゃなくて、デザートでも良いかもしれねェ)

 何と言ったって、誕生日祝いにはケーキがつきものだ。年の数だけロウソクを立てて、エースに吹き消してもらうのも良いかもしれない。
 サボはコートについた泥を落とすと、ごくりと唾を飲み込んでから、店のドアをそっと押した。

   ■

 結果として、サボの記憶にあるような『誕生日ケーキ』は到底無理だったが、小さな丸いケーキを一つだけ買うことが出来た。店を閉めるところだったというケーキ屋のおかみさんが、一年の最後だからと特別に安くしてくれたのだ。
 小さなロウソクも八本付けてもらって、きれいなリボンも結んでもらったその箱をを大事に抱えながら、しかし、サボは出来る限りの速度で道を急いだ。もう門が閉まってしまう時間だからだ。

(グレイ・ターミナルに戻ったら、他の奴らにバレないように隠さねェと。それで、明日エースがごちそうを持って来たら、食べた後にいきなり『ほらエース、デザートも食おうぜ。お前の誕生日なんだから特別だ!』って言って出してやろう)

 きっとビックリするぞ、と想像するだけでサボの顔はにやけてしまう。壁の辺りまで来てみると、辺りはもう真っ暗だけれども門はまだ開いていて、しかも都合の良いことに門番たちの姿はない。

(よっし! このまま抜けられるぞ!)

 サボはケーキの箱を抱え直して、早足で門を抜け──ようとした。

「ガキ、何を後生大事に抱えてんだ?」
「えっ」

 不意に暗がりから伸びてきた腕が、サボのコートの首根っこを掴み上げる。猫の子よろしく持ち上げられたサボが必死に後ろを見ると、背の高い門番の男が怪訝そうな顔でサボをじろじろと眺めていた。その横にはもう一人、背が低くでっぷりとした別の門番も居る。

(クソ、気付かなかった──ー!)

 どうやら、暗がりに居た門番たちを見落としてしまっていたらしい。浮かれていたからとはいえ、とんだ失態だ。

「離せ、離せよ! 下ろせ!」

 足をばたつかせて抵抗するも、今は武器となる鉄パイプだって持って来ていない。屈強な大人の男からすれば、サボの抵抗などそれこそ仔猫を相手取るほどの代物だっただろう。

「おうおう、暴れんなクソガキ。なんだこりゃ、盗品かァ?」
「いーや、どう見たってケーキだろ。取り上げてみろよ」
「ッ、触んな! やめろ!!」

 声の限りにサボは叫ぶが、大事に抱えたケーキの箱は背の高い門番によって易々と奪われてしまう。男は乱雑に箱を放り投げ、傍らの背の低い門番がそれを受け止める。太い指でリボンをむしり取って下に落とすと、これみよがしに箱を開けて見せた。

「ほらな? 本当にケーキだっただろ?」
「けっ、つまらねェ……どうやって手に入れたんだ? 残飯漁ってばっかの浮浪児が」
「知るかよ。それより物自体は真っ当みてェだぜ? 小せェけどな、はは!」

 背の低い門番はケーキを片手で掴むと、さも当然とでも言わんばかりに、大きく開けた口で躊躇なくそれにかぶりついた。

(……え?)

 サボは目を瞠った。
 あまりのショックで、目の前で起こっていることが理解出来ない。
 どうしてエースの誕生日のためのケーキが、こんな奴に奪われて、笑いながら貪られているのか。

「ッ、──クソッ! よくもエースの、エースのケーキを……!」

 泣き出しそうになりながら必死に手足を動かすが、門番たちはサボの怒りも嘆きも意に介さず、平然と世間話を続ける。

「うげ、よくそんな甘そうなもん食うぜ。浮浪児が持ってたようなモンをよォ」
「普通のケーキだっての。いいだろ、お貴族様どもは夜通し食い放題飲み放題のパーティーの最中なんだ、こんな日に真面目に門番やってるおれへのご褒美だよ」

 背の低い男はほんの数口でケーキを食べきると、箱をぐちゃぐちゃに潰してからその辺りに放り投げた。

「貴族と比べてどうすんだ、って、おっと、そろそろ門を──、」

 サボの首根っこを掴み上げたままの男が、そう言って後ろを振り返った、その一瞬の隙をサボは見逃さなかった。相手の横顔を狙って後ろ蹴りを叩き込む。

「うぐあッ、いてェ! このガキがァッ!」

 途端に、背の高い男は腕を振るようにしてサボを放り投げた。離れたゴミ山に突っ込んでうめき声を上げるサボに、なおも憎々しげに舌打ちを寄越してから、門番たちは何事か文句を言いながらも門扉の向こうへと消えていく。
 大仰な音と共に閉ざされた扉の前では、踏みつけられたリボンが寂しげに横たわっているばかりだった。

   ■

 年が明けても、一歳年を取っても、エースは本当にいつも通りの様子で中間の森へとやってきた。何でもない日だと思っているのは本当らしい。

「サボ、お前昨日は……って、どうした? 腹でも痛ェのか?」

 対するサボの方はと言うと、それはもう目に見えて意気消沈していた。いくらエース本人に秘密にしていたとはいえ、張り切って誕生日を祝おうとしていたのにまともに用意も出来なかったからだ。急いで集めた金で頑張って買ったケーキだって、奪われ食われて何も残っちゃいない。己の弱さが理由だと思えば、なおさらサボの顔は曇る一方だった。

「なァ、サボ、聞こえてんのか? とりあえずメシ食うか? ダダンの野郎、山賊のくせに今年はタコなんて盗って来てやがって──、」

 何も知らないエースは純粋にサボを心配し、元気づけようとしてくれている。

(主役のエースに心配かけてちゃいけねェよな。いつまでも凹んでられねェ。『このくらいのこと』しか出来なかったけど……)

 意を決したサボは、後ろ手に隠していた画用紙をエースの目の前に突き出しながら、ぐっと目をつむって大きな声で半ば叫んだ。

「その、エース……これ、受け取ってくれねェか!?」
「……へ?」

 サボが恐る恐る目を開いて様子を窺うと、エースはサボが広げた画用紙を見つめながら口を丸く開いて固まっていた。

(うっ、そりゃあ、そういう反応にもなるよな)

 折角買ったケーキを奪われたサボが、それでも夜を徹して用意したエースへの誕生日プレゼント──それは拾い物の画用紙とクレヨンで描いた、エースの似顔絵だった。
 少しでもエースを祝う気持ちが伝わればと一生懸命描いた絵ではあったが、しかし、過去のことを思い返せば、漂う沈黙はサボの心をちくちくと苛んでくる。

(実の親ですら破り捨てるくらいの絵しか描けねェってのに、こんなので誕生日祝いだなんてエースも困るよな……本当はもっとちゃんと喜ばせるつもりだったのに)

 それでも、言い訳だけはしたくなかった。だからサボは固まったままのエースのあ然とした表情を、申し訳ない気持ちで盗み見ることしか出来ない。
 居心地の悪い沈黙はサボにはあまりに長く重く感じられたが、実際はほんの少しだったらしい。エースは食い入るように画用紙を見つめると、そっとサボの手からそれを引き取った。

「これ……サボが描いたのか?」
「あ、ああ。手紙にしようかとも思ったんだけど、エース、まだ勉強している最中だし、絵のが良いかなって」

 たまにサボがエースに字を教えてはいるものの、まだまだ読めないものも多い。似顔絵の方がサボの気持ちも伝わると思ったのだが──。

(この様子だと、『また』失敗しちまったかな……)

 サボが己の靴先へと視線を落とすと、頭の上からエースの声が降ってきた。


「サボ、お前……すっげェ上手いじゃねェか!!」


「えっ?」
「ほら、見てみろよ! 鏡にうつしたみてェだ!」

 驚いて顔を上げると、エースは興奮に満ちた瞳をきらきらと輝かせながら、手にした画用紙を自分の顔の隣に掲げて見せている。

(よ、喜んでくれてる……のか?!)

「サボは絵描くのも上手かったんだな! でも、どうしておれの絵なんて描いてくれたんだ?」

 エースは満面の笑みを浮かべながら「おれがカッコイイ船長だからか?」と本気か冗談か分からないことを口にする。でも、どうやら今日が『一月一日』だからとは思ってもいないらしい。本当に何でもない日扱いなんだな、とサボは眉を下げた。

「そりゃあ、今日がお前の誕生日だからだよ。横にも描いてんだろ? 誕生日おめでとう、エース」
「おれの……?」
「お前自身とか他の奴がどう思ってるかは知らねェけど……おれは祝いてェよ、お前の誕生日。他でもないエースが産まれた日なんだから」

 エースは驚いているとも呆然としているとも取れる表情のまま、サボを見つめてまばたきだけを繰り返している。きっと思いもしなかったことを言われている気分なのだろう。そしてサボは、エースにとって、いつかこれが『思いもしなかったこと』で無くなれば良いと強く願った。
 だって、一月一日は、誰が何と言おうと──。

「何でもない日なんて言われたって、おれにとっちゃ特別な一日なんだ」

 不思議と潤んでしまった目を細めてそれだけ言うと、途端にエースが抱きついてきた。
 思わぬ行動と背中を掻き抱いてくるその腕の強さに驚いて、「ひゃっ」だか「ぴゃっ」だかと締まらない声を上げてしまったサボだったが、エースはそんなサボを笑わなかった。
 ただ、強く強く抱きしめたまま、何か言いたげにもごもごと呟いてから、結局一言だけを確かに口にする。

「……一生、大事にする」

 きっと、エースは『ありがとう』と言いたかったのだろう。けれど、それを簡単に口に出来ないだけの理由があるのだ。そうと悟ったからこそ、あえてサボはエースの背中をぽんぽんと優しく叩きながら、おどけた声で答えた。

「──来年はもっともっと祝うからな! 再来年も、その先もずっと!」

 覚悟してろよ、と宣言すると、エースは「何の覚悟だよ」と肩を震わせて笑った。

                                   【完】


※タイトルは不思議の国のアリスに出て来る「happy unbirthday(何でもない日おめでとう)」から
※ダダンは一応年齢にちなんだ(?)ごちそうを用意するくらいはしていたようです。10歳の時はイカかな。
※この後きっと「おれだけ祝われるんじゃフェアじゃねェ。サボの誕生日も教えろよ、分かんねェならおれ達で決めちまおうぜ」ってなると思います!


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