▼ お天道さまが見てる -エースとサボを宝箱に詰めてみた-
やはりストライカー以外の船を操るのは今後やめておこう。エースはそう心に決めた。
行きに乗ってきた小舟は、今頃、港街の廃船工場にでも引っ張られていることだろう。船には可哀相なことをしてしまったが、嵐の夜に、能力者である自分が半壊した船で何とか陸まで辿りつけたのは、それだけでラッキーだったと言える。難破船で乗り付けた港に、エースの目指す地へと向かう大型商船が停泊していたのは更に幸運だった。何しろ腹が減って仕方がなかったのだ。
見るからに羽振りがよく、食料もたんまり積んでありそうなその大型商船に忍びこんだエースは、船が港を離れて少ししてから、こっそりと行動を開始した。
思えば、昨日の夜から何も食べていない。食料庫とおぼしき部屋を見つけ、連なる木箱の中にあふれんばかりの燻製肉や酒の類が積み込まれているのを目にしたときは、思わず諸手を上げて叫んだほどだ。幸運というものはどうも重なるようで、辺りには見張りの一人もいやしなかった。
「なんだかやけに調子いいな。日頃の行いが良いからか? ──って海賊がそんなわけねえよな」
一人言を呟いてから肩を竦めるが、しかし、この幸運を利用しないはずもない。昔教わった礼儀そのままに「いただきます」と手を合わせ、ついでに頭も下げてから、エースは一人宴会と洒落込むことにした。どうせなら誰かと一緒に食べた方が楽しいのだが、一般商船の船員と海賊が仲良く酒を酌み交わすことは難しいだろう。エースは全く気にしないのだが、試しに酒宴に混ざってみたところで、相手が萎縮するか、或いは震える手で喧嘩を売ってくるかのどちらかなのだ。
食欲のままに手当たり次第食い散らかして、およそ食料と呼べるものが腕を伸ばしても見当たらなくなったころ、エースは「ごちそうさま」と再び律儀に手を合わせた。口の端についていた肉の欠片をぺろりと舌で舐めとってから、さて、次の港につくまでは昼寝でもしようかと大きく伸びをする。
──そこで、エースは漸く、食料庫だと思っていたこの部屋が、単なる食料庫ではないことに気がついた。
「……なんだ、こりゃ?」
食べ物の匂いがしないからと興味を向けることすらしていなかったが、積んである他の荷はあからさまに怪しい。厳重に密封された木箱には『取扱注意』『火気厳禁』の文字。およそ炎そのものと言って差し支えないエースが近寄るには危なげなものばかりである。
「……単なる商船かと思ってたが、そうでもねェみてーだな」
つまるところ、これらは武器や火薬の類なのだろう。しかも、恐らく政府の許可を得たものではない。所謂、武器の密輸船である。そうとなれば、そこいらの並の海賊よりも余程タチが悪い。船員に気軽に声をかけて飲み交わそうとしなくて良かった、とエースは一人肩を竦めた。
とはいえ、エースのやることに変わりはない。たとえ見つかったとしても、いずれにせよエースの敵ではないだろうし、どうせ出港して時間も経っているため海のど真ん中だ。次の港までこっそり昼寝と洒落込む以外にエースに選択肢などない。或いは船ごと乗っ取ったって良いのかもしれないが、たとえ脅しを掛けて船を動かそうとしたって、こんな大きな船で海を渡るだけの航海術がエースにはない。ここは大人しく間借りして静かに出て行く方が双方のためだろう。いちいち武器密輸船を潰してやるほどエースは善人でも悪人でもない、という理由もある。
誰かが見回りに来ないとも限らないので、一際大きな古ぼけた宝箱をぞんざいに蹴り開けてみる。錆びた蝶番のせいか半端にしか開かなかったので、腕で更に割り開いてやった。覗きこんだ中にあったのは金銀財宝などでなく、巨艦用の砲弾だ。宝箱なんかにしまっているのはフェイクなのか、それとも単に荷箱が足りなかったのか。どちらでも構わねェか、と結論づけたエースは「火気厳禁、火気厳禁……ってな」などと呟きながら食料が入っていた箱へとその砲弾をひょいひょい投げ入れる。そうして空となった宝箱におもむろに両足を入れて、そのまま腰を落ち着けてみれば、思ったよりも深さがあった。膝を曲げて座るようにすれば、快適とまでは言えないが小一時間寝るのには充分な個室となりそうだ。
本当は甲板に出て帽子を顔に乗せ、太陽の光と海の風を感じながら眠りたいところだが──と悠長なことを考えていると、扉の向こうに気配を感じた。すぐさまエースは息を潜めて宝箱の蓋を閉める。エースだからこそ気づけたが、気配の消し方が確実に一般人のそれではない。思ったよりも拙い船に乗り込んでしまったか、と宝箱の中でエースは耳をそばだてた。場合によっては先手必勝と洒落込む必要もあるかもしれないからだ。
件の『気配』は、極々静かに扉を開け、やはり極々静かに室内へと入ってくる。後ろ手に扉をしかと閉めたのか、僅かな金属音がした。どうも、見回りにしては慎重すぎる。まるで、忍び込んだ時のエースのようだ。
『気配』は幽霊かと疑うほどの存在の薄さで、よく鳴るはずの船床すら軋ませずに動き回っているらしい。小さな、ほんの小さな呼吸音だけが、『気配』が生きた人間であることを知らせる。エースは宝箱の中で膝を抱えながら、拙いな、ともう一度思った。一般人ではない、どころではない。相手は相当な手練だ。しかも、どうやらエースと同じく食料か何かを求めて乗り込んだ密航者である。
いっそのこと、密航者同士仲良く出来ねェもんかな。エースは一人宝箱の中で首を傾げて想像してみるのだが、相手はもしかしたら密輸船の捜査に来た海軍かもしれない。「よっ! おれも密航者なんだ、よろしくな」などと宝箱から飛び出たが最後、非常に面倒な事態に陥る可能性も高い。だが、このままじっと宝箱の中で息を潜めているのも嫌だし、何よりそのうち『気配』の方がこの宝箱まで開けてしまうかもしれないのだ。
どうしたものか、と珍しく頭を悩ませるエースの耳に、外から今度はまるっきり隠れもしないガヤガヤとした話し声が聞こえてきた。途端に、室内の『気配』が揺れる。近づいてくる話し声、「一応、倉庫も見ておくか」「ついでに酒でもいっぱい頂戴するか」「勝手に飲み食いしたら夜の点検でバレるぞ」──今度こそ間違いなく船員たちがやってくるようだ。そして扉のノブへと安易に触れる音がしたと同時に、エースの入った宝箱が薄く開かれ、滑りこんできた『何か』がエースの上に降ってきた。
「「???!??!!」」
驚きの言葉をお互い呑み込んだのは、流石だったと言えるだろう。宝箱を閉じる音は扉の開く音とぴたりと重なり、船員たちはうるさい足音を立てながら「異常無し」「無しだな」「荷箱だけ数えるか」などと怠そうな声を上げている。気付いた様子は皆無だ。
だが、宝箱の中は静かな混乱の只中にあった。エースの身体の上に降ってきたのは、人間の身体、それも同じくらいの背丈の男だ。それが先ほどの『気配』の主であるのは自明だが、それより何よりエースを驚かせたのは、その正体である。相手もまた、飛び込んだ隠れ先に先客が居たことに驚き、そしてその先客がエースであることに、元より丸い目を更に丸くして息を呑んでいる。
──なんでサボが降ってくるんだ。
──なんでエースが中に居るんだ。
声には出さないものの、鼻先がぶつからんばかりの至近距離にあるお互いの顔が驚きのままにそう告げている。丁度、期せずして降ってきたサボを抱きとめる形となっているエースは、久しぶりに見る恋人の顔をまじまじと見つめながら、口の動きだけで話しかける。
『なんで サボが ここに』
『エースこそ なにやってんだ』
『おれは はらへったから ただメシくいに』
『おれは ぶきみつゆの しょうこあつめ』
なるほど、武器密輸船を追うのが海軍だけとは限らない。むしろ、巨艦用の砲弾があったことを考えると、この船は政府側と裏で繋がっている可能性すらある。革命軍が調べに来るのも強ち有り得なくもないが、だが、こんなところで二人が出くわすのは一体何万分の一の奇跡だろうか。素直に喜びたい気持ちはあれど、その喜びをおおっぴらに表現出来ないこの状況がエースの口をねじ曲げる。サボはそれをどう受け取ったのか、眉を下げて『わりぃ』と口を動かした。サボは何も悪くないのだが、エースの胸に縋るようにして身体を密着させている状態でそんな表情をするのはどうかとも思う。
「あーしかし疲れたな、夜まで交代なしだしよ」
入ってきた船員の一人が、ぼやきながら宝箱へと座り込む。座り方が雑だったためか、一瞬、箱の口が開いて中の二人は同時に身を竦ませる。すぐさま閉じられたが、箱の上には船員が座ったままだ。流石に身動ぎすれば振動が伝わって中を改められてしまうだろう。先程身を竦めた結果、サボを更にしっかりと抱きしめてしまっていたエースは途方にくれた。生殺しという単語が頭の中で明滅する。
『いっそのこと のしちまうか?』
触れ合った身体の距離が近すぎて読唇も出来ないため、吐息だけでサボの耳元へと囁く。宝箱の外では船員たちが下らない話を続けているため、この程度ならあちらに聞こえることは無いだろう。サボは一瞬、ビクリとエースの腕の中で身体を緊張させたが、静かに息を吐き出すと、エースの耳元で『だめだ』と小さく囁いた。派手に暴れるのはよろしくないらしい。
『じゃあ どうすんだよ』
『このまま じっとしてろ』
じっとしてろ、と言うのは簡単かもしれないが、エースにとってはかなりの難題だ。宝箱は、自分一人が小一時間寝るにはまずまずのサイズだったが、恋人と二人で息を潜めるには余りにも小さすぎる。少しばかり薄い酸素とサボの香りに満ちた箱の中、隙間なく密着した身体から感じるしっとりとした熱と緊張、吸って吐く呼吸に合わせて上下する胸と、そこから伝わる鼓動の速さ。
意識しないようにと思えば思うほど、絡まった足の付根が若さとスリルに後押しされて痛いほど張り詰めていく。それがまたサボにも伝わっているのだろう。エースの耳に、サボの色づいた吐息が流れこんでくる。
『ばか えーす やめろよ』
『やめられるか ばか』
暗に勃起するなと言われたところで萎えるはずもない。エースは思う。もう、良いんじゃないだろうか、バレても。今すぐ上に座ってる船員ごと宝箱ぶちやぶって、とりあえず黙らせて、とりあえず一発キメてから、とりあえず船長でも船員でもなんでも人質にとって船を動かせば良いのでは。エースでは無理でも、サボが居れば航海に支障は出ないだろうし、どうしてもというなら密輸船ごと海に沈めて自分達は救助船で悠々と近くの島を目指したって良い。そうだ、そうしよう、もう無理だ、生殺しに耐えられるほど枯れちゃいない。
そうエースが決断した次の瞬間、再び宝箱が僅かに揺れる。座っていた船員が立ち上がったのだ。男たちは口々に「あんまり油売ってちゃドヤされるぜ」「違いねェ」「面倒くせェなあ」と文句を言いながら、貨物室の大いなる『異常』を看過したまま出て行く。完全に船員たちの気配が遠のくと、エースの腕の中でサボが大きく息を吐いて弛緩した。
「……あー、ビックリした」
「そりゃおれの台詞だぜ。昼寝しようかと思ったら突然サボが降ってくんだからよ」
「おれだってまさか宝箱の中に人が居て、それがエースだなんて思いもしねェよ」
でもまあ偶然だけど会えて嬉しいよ、と笑ってからサボは身を起こそうとする。だが、エースはサボを引き寄せた。
「まあ待てよ、サボ」
「……おれは任務中だぞ」
「まだ何も言ってねェだろ」
「言われなくても、その、分かるだろ、そりゃ。でも今はダメだ、また見回り来たらどうすんだ」
そう言ってサボは眼と鼻の先でエースを睨みつけてくる。だが、その顔が、目尻が赤らんでいる理由について、サボの鼓動を、その高鳴りを身体で聞いていたエースには絶対的な自信があった。
「大丈夫、なんか今日のおれはツイてんだ」
日頃の行いが良いからかもしんねェな、と笑いながら唇を寄せれば「海賊のくせに」とサボがくすぐったそうに声を上げる。
腹はいっぱい、邪魔者は一旦退場、そして腕の中には予期せぬお宝が準備万端とくれば──海賊稼業といえどもお天道さまは見るべきところは見ているに違いない。
【完】