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▼ 家路にて


 スポーツバーで大騒ぎしながら応援しまくって、見知らぬ相手とまで肩を抱き合って勝利を喜ぶ。勿論、サボとどこぞのおっさんの抱擁は速攻で引き剥がさせてもらったけどな。それはそれ、これはこれだ。
 アルコールに後押しされたおれ達の高揚は試合が終わっても冷めやらず、終電もとっくに無くなった深夜の道すがら、繋いだ二つの手は冬だというのに酷く熱かった。

「──最高だったな! さっきの試合!」

 珍しく顔を赤くしたサボが、白い息を吐きながら声を弾ませる。昔は「やる方ならともかく観戦には興味無い」なんて言っていたサボだが、おれが何の気無しに勧めるとあっという間にハマっちまった。今じゃおれよりもずっと詳しいくらいだ。
 特に戦略やら戦術やらを考えるのが好きらしく、さっきのスポーツバーでも、ショットグラスを駒代わりにチェスでもするかのように戦況を語っていた。そのくせ応援となると持ち前の冷静さをあっさりと放り投げ、おれと一緒にタオルぶん回しながら叫んでいるんだからサボは面白い。

「あの時のタイミングがほんっと完璧だったんだよなァ」

 今もまた、今日の試合のハイライトを熱く語っては、幾度目とも知れない感嘆を口にしている。っつーか、酔っ払ってるから同じことばっか繰り返している可能性も否定出来ねェな。今夜のサボは、だいぶ飲みすぎだ。おれのアパートで飲む時を除けば、ここまで酔っているのは初めてかもしれない。

「やっぱ、ここぞって時に決めんのは格好いいよな!」
「ああ、スゲー良かったよな──ってサボ、ちゃんと歩けよ」

 おれの返事の軽さが気に障ったのか、サボはムッとガキみてェに唇を尖らせた。

「なんだよエース。さっきまであんなにはしゃいでたのに」

 おれだって実際はかなり高揚している。なんてったって歴史的勝利だ。とはいえサボの酔いがかなり回ってきていることもあって、逆におれの方は少しばかり冷静になっちまう。ついでに言うと、そろそろおれのアパートが近いから、近所に住んでる大家のダダンに叱られないよう、声をひそめているというのもあった。それをサボに言うのはダセェから黙っておくけど、とにかく、ここまで来たら早めに部屋にしけこみたい。

「あー、アレだ、サボがあの選手のことあんまり褒めるから嫉妬しちまうんだよ」

 足元のおぼつかないサボの舵取りをしつつ、冗談まじりで口にしてみる。大した意味も無いような、単なる軽口のつもりだった。
 しかし、サボはおれに手を引かれながらも、やけに不思議そうな声を上げた。

「エースって……嫉妬とかするんだな……?」
「なんでそんな意外そうなんだよ。いや、選手に嫉妬してるってのは冗談だけどな?」

 冗談──のはずだ。いや、分からねェな。これ以上他の男のこと褒めちぎられたら、そういう意味じゃないってのは分かってても流石に妬けちまうかも……って、そこは今問題じゃねェ。

「っつーか、自分で言うのも格好悪ィけどよ、おれ普段からめちゃくちゃ嫉妬しまくってんだろ。むしろ周りの奴らに嫉妬しすぎてサボのこと束縛しちまわねェよう、相当気ィつけてるくらいだしな?」

 何を今更。知らないとは言わせねェぞ。そんなつもりで返した言葉は、しかし、うつむいたサボの意外なセリフに弾き飛ばされてしまう。

「束縛って……でも、お前、すぐ帰るじゃん」
「何のことだ?」

 さっぱり分からねェ。『すぐ帰る』って──そりゃあ確かに今はさっさと帰ろうとは思ってるが、それはサボが酔っ払ってて危なっかしいからだ。プラスアルファで多少の下心が無いとは言わねェけど、それは別に束縛とかどうとかいう話じゃねェし。
 訝しむばかりのおれに、サボはくぐもった声で続けた。

「デートの後とか、そうじゃない時でも、別れてからもおれは何度も振り返ってんのに──エースは一回もおれの方振り返らねェだろ」

 それだけ言うとサボはその場で両足を止めたので、おれもつられて立ち止まる。真っ直ぐ立っていることも難しいのか、サボはおれの肩に頭を預けんばかりにもたれかかって来たが、そのせいでおれはその表情を見ることが出来ない。ただ、せつなげな声と白い息だけが夜の闇に浮かんだ。

「別に良いんだけどよ……離れがたいのはおれだけだし、そんなことで一々寂しくなんて思わねェし、構わねェけど。どうせおれの方がお前のこと好きだしそんなん前から分かってたし負ける気もねェし負けねェしおれが一番エースのこと好きだしああこんな面倒なことお前に言うつもりなかったのに大丈夫不満とかじゃねェから愛してるぞエース」
「待て待て待て、途中から何言ってんのか分かんねェぞ!? それに離れがたくないわけねェだろ!? そうじゃなくて、」

 おれは焦ってサボの両肩を掴んでこちらへと向かせる。そんな風に思われていたなんて初耳だ。
 しかし、『その行為』に自覚がなかったと言えば──嘘になる。

「その……苦手なんだよ、お前の背中を見送るのが」

 恋人として付き合い始める前から、ずっと『そう』だった。
 通学路の途中で、駅の改札で、サボが住んでる学生寮の前で、その背中を見送ろうとすると煩いくらいに心臓がざわめいて、訳も分からず叫び出したくなる。周りの物も人を何もかも薙ぎ倒して、サボの手を引っ掴んで連れ戻したくなる。
 サボは笑顔で手を振っているのに、ただ家に帰っていくだけなのに、べっとりとした不安が張り付いて息も出来なくなってしまう。
 このまま二度と会えないなんて──そんなこと、あるはずもないのに。

「お前の背中見送ってると、気ィ狂いそうなほど不安になるんだ。二度と会えなくなるんじゃって、二度とこの手は届かないんじゃないかって……おかしいよな? 自分でもどうかしてるってのは分かってんだけどよ……だから、わざとさっさと帰って、お前を見送らないようにしてたんだ。お前が気付いてるとは思わなかったし……、その、悪かったよ」

 途切れ途切れのおれの話は要領を得ず、自分で言っててもまるで雲を掴むようなものだったけれど、サボはじっとその場で黙って聞いてくれた──その時までは。

「でもな、むしろサボのことを愛しているからこそ、」
「一緒に住むか?」
「え」

 不意に挟まれた言葉はあまりにも唐突で、おれの理解は到底追いつかない。

「エースが不安に思うことなんて無いけど、でも、不安に思っちまうもんは仕方ないもんな。それなら同じ家に帰れば良くねェか?」
「それ、は……そう、なのか?」

 確かに、同じ家に帰るならサボを外で見送る機会は格段に減るだろうけど、そういう問題か? 安心出来るっちゃ出来るかもしれねェが、それでも結局家からサボが出る時には見送る機会もあるだろうし、そうだ、だから──。

「今度はサボのこと、家から出したくなくなっちまうかもしれねェぞ!?」
「……おれを監禁したいってことか?」
「バッカ、監禁なんてしねェよッッッ!」
「あはは、エースになら監禁されてみてもいいな」
「あー…………ったく、この酔っぱらいが……」

 サボの軽口に、おれは漸く、そして改めて思い至った。
 サボの野郎、完全に酔っ払ってやがる。
 道理で平気で同棲なんて持ちかけてくると思った。こういうことに関しちゃあ、普段のサボはもっとずっと慎重だ。適当な口約束だけは絶対にしない男だから──でも、それなら、たとえ酔っていたとしても──?
 混乱したままのおれの両頬に、不意にサボの両手が添えられる。片方だけが熱い。長い帰り道で冬の寒さはとっくにおれ達を凍えさせていたらしいが、二人で繋いでいた方の手だけが熱いままなのだ。アルコールのせいでもなければ、高揚感の余韻でもないその体温は、まるで愛そのもののようにすら感じられた。
 そうして、先程までの笑顔が嘘のように目を限界まで潤ませたサボが、悩ましげに眉を寄せながら震える唇をゆっくりと開く。

「酔いなんてとっくに醒めてる……おれの帰る場所になってほしいんだよ、エース」

 ──次の瞬間、おれはサボをめいっぱい抱きしめていた。もう知らねェ、たとえ「酔ってない」ってのが酔っ払いの常套句だとしても、これで家帰って寝て起きてサボが全部忘れてたとしても構うもんか。おれが覚えてるんだからそれで良い。ここまでされて、無かったことになんて出来るか!

「〜〜こっちのセリフだ、サボ!!」

 思わず叫ぶと、必勝の鉢巻を付けたダダンが「うるせェ! 何時だと思ってんだ!」と怒鳴りながら飛び出してくる。
 ちょうど良かった。なあ、ダダン。おれの部屋、今夜から住人増えるから。

                                   【完】


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