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▼ Call Slowly


 今このグランドラインで最も注目されている人物といえば、スペード海賊団の若き船長、ポートガス・D・エースで間違いないだろう。
 元より新聞にその名を見ない日は無いほどの活躍ぶりだったが、最近七武海へ勧誘され、それを一蹴したことで更に有名となっている。懸賞金額も結成一年目の新興海賊団とは思えないようなスピードで上がっているらしい。
 それだけ一気に名を上げた男だから、良くも悪くも、革命軍内で話題になることも多かった。
 特におれは同世代─らしい─ということもあって「こういうルーキーが居るらしいが、お前はどう思う?」「新世界でも通用すると思うか?」などと記事が出る度に意見を求められる。そもそも本当に同世代かすら分からないのにな。見た目なんて当てにならねェし、おれはおれ自身の正確な年齢も知らねェし。
 それに、政府に与することなく自由に海賊をやっていて、派手な名声の割には一般市民を傷つけたという噂も聞こえてこないのだから、本来はおれにも革命軍にもそれほど関係のない相手だ。
 関係ない──はずだったのだが。
 実のところ、おれはその名を聞いた時から何かが心に引っかかって仕方がなかった。新聞を開く度に勝手に目がその名前の並びを探してしまう。記事に載った不鮮明な顔写真を穴が空きそうなくらい見つめてしまう。そのどれもが無意識で、だからこそおれを悩ませた。馴染みのないはずの名前を不意に口にしては自分で驚いたり、直接見たこともないはずの顔が寝る前に瞼の裏に浮かぶなんて、どう考えたって普通じゃない。
 恋でもしてるみたいだね、とコアラにからかわれたのには納得いかないが、おれが相手を意識してしまっているのは残念ながら事実だった。
 きっと──勝手にライバル視してしまっているのだ。同じ海で縦横無尽の活躍を見せている、同世代らしきその男のことを。
 本当に同世代かも不明だなんて自分が一番よく分かっているものの、幾度となく「火拳のことをどう思う?」と意見を問われ続けていると、どうしたって気になって自分と比較してしまう。たとえ同世代だとしても、名誉を求めるわけでない革命軍が『海賊の名声』を気にかけたって仕方がないのに。
 それに、おれはドラゴンさんの意向で、今はまだ対外的には存在自体が秘匿されているから、どれだけ任務先で功績を上げようが、向こうはおれのことなんて何一つ知らないままなのだ。そう思うと、なんて一方的で、なんて無意味な競争心だろうか。
 それでもおれの目は、今日も紙面にその名を探してしまう。急き立てられるような焦燥感は今までに感じたことがない感情だった。
 だから、革命軍での任務の帰路、情報屋から偶然同じ島の同じ街に『その男』が来ているのだと聞かされたおれは、思わず正確な居場所を問いただしてしまった。
 ひと目見てみたい、と思ってしまったのだ。
 ポートガス・D・エースという海賊を。

   ■

 ──『アレ』が、そうなのか。
 夕暮れ時の古びた食堂で、カモフラージュのために買った地方新聞を読む振りをしながら対角線上のテーブルを盗み見る。
 今まで掠れた白黒写真でしか知らなかった『ポートガス・D・エース』は、着込んだ黄色い半袖シャツの前を豪快に開き、鍛えた身体をあらわにしていたが、しかしグランドラインにおいては珍しくおれと同じくらいの背格好の男だった。
 そばかすの散った顔もどこか少年らしさが抜けきっておらず、両頬にひたすら皿の上の食事を詰め込んでいる様子は、とても新進気鋭の海賊団の船長とは思えないくらいだ。
 こちらを警戒する素振りも全くない。もっとも、おれが慎重に気配を消しているから、というのもあるだろうけれど。

「──はい、おまちどーさん」
「うわっ」

 ポートガス・D・エースを観察するおれの視界に、食堂のおかみさんが割り入って来て一瞬驚いてしまう。ちょっと集中しすぎていたみたいだ。おれの方こそ警戒心が足りてないかもしれねェな。
 アンタ若いんだからもっと肉食べないと大きくなれないよ、等と小言を言われながらテーブル上に供されたのは、刻んだ野菜が満載のサラダと、グラス一杯のミルクだった。何でもいいやと適当にメニューを指差して注文してしまったせいで、こんな草食動物みたいな組み合わせになってしまったらしい。
 おれだっていつもならこんな注文なんてしないが、かといって食わない選択肢は無いので、刻まれたキャベツを仕方なく口に運びながら横目で観察を続ける。
 今のところ海賊らしさは腰に下げたナイフの存在と微かに漂う潮の香りくらいだ。特徴的な帽子も首に引っ掛けているが、あれはどっちかっていうとカウボーイのそれだろうな。
 こう見ていると、一人でおとなしくメシを食っているだけの青年で──いや、そうでもないか。あからさまに激辛そうな真っ赤なパスタを勢いよくかき込んだかと思うと、たった今テーブルに並べられたステーキに直接フォークをぶっ刺してかじりつくといった、そのがむしゃらな食べ方には確かに海賊らしい豪快さもあった。
 見ていて気持ちの良い食べっぷりに、思わず「おれもあのステーキが良かった」などと考えて、ごくりと喉を鳴らしてしまった。でも、今はメシよりポートガス・D・エースだ。こんな風にコソコソと観察して、それで何かしたいというわけでもないんだが。
 食事の後はどうしよう、尾行してみようか、でも尾行したところでおれは何を知りたいというんだろう。自分が何をしたいのかも分からないまま、手にしていた新聞を折り畳んでテーブルに置く。ひとまず口の中の千切りキャベツをミルクで流し込もうとグラスを手に取った──まさにその時だった。

 ポートガス・D・エースが、突然テーブルの皿の上へと突っ伏したのだ。

 鳴り響いた音に驚いて、カモフラージュもないまま斜め向かいの席を注視してしまう。同時に視界に飛び込んできたのは、銀色に鈍く光るカトラリーナイフの切っ先。咄嗟のことで、思わず指で挟むようにして空中でキャッチしてしまって──すぐさま後悔した。
 おれの注意が逸れた一瞬を縫ってわざと音を立て、カトラリーナイフを投げたのかもしれない。こちらが観察しているのがバレていて、力量をはかろうと罠を仕掛けられたのだったとしたら、条件反射で動いてしまうだなんてあまりにも初歩的なミスだ。
 しかし、見つめた先の男は未だに顔を上げない。糸が切れた人形のように微動だにしないので、罠や陽動を疑うよりも逆に相手が心配になってきてしまった。だって、急に顔面から皿にダイブしてるんだぞ!?

「え、あ、アンタ、大丈夫かい……?」

 食堂のおかみさんが恐る恐ると言った様子で声を掛けると、誰もが息を呑んで見守る最中、倒れ伏したのと同じくらい勢いよく男は顔を上げた。

「あ……悪ィ。一瞬寝てた」
「はあ?!」
「このステーキとさっきのパスタソースの相性良すぎるな。今度からこいつをこいつにもかけた方が良い」

 周囲の動揺を全く意に介さないまま、ポートガス・D・エースはひとり感慨深げに頷くと、膨らんだ頬の中身を平然と咀嚼し始めた。皿はいくつか割れているし、顔にはソースやら何やらがめいっぱい付いているが、どうやら怪我はしていないらしく、何かの毒や病気でもないようだ。
 良かった、と内心安堵してしてしまったおれの視線が、不意にポートガス・D・エースのそれとかち合う。
 ──マズい、あからさまに見過ぎちまった。
 今更さりげなく視線をずらしてみるも、何を思ったかポートガス・D・エースは椅子から立ち上がるとおれのテーブルへと向かって足を進めて来る。
 ──『見てんじゃねェよ』って喧嘩でも売ってくるつもりか? やたら血の気の多い奴だって噂だしな……。
 そうなったらそうなったで、場所さえ変えればおれだって別に買わない喧嘩じゃない。だが、無意味な私闘に応じるのも革命軍としてはどうなんだろう。ただ、噂のルーキーの実力を知りたいという気持ちも──正直なところ、無くはない。わざわざ居場所を突き止めてまで見に来たのは、もっと知りたくてたまらなかったからだ。
 おれの心に引っかかって仕方がない、この、ポートガス・D・エースという男を。

「悪かった。怪我してねェか?」

 しかし、やって来た男はこちらの襟元を掴み上げるでも、突然テーブルを叩いて宣戦布告するでもなく、おれに向かって潔く頭を下げた。
 完全に予想外の言動だ。おれは僅かに首を傾げてしまう。

「怪我……?」
「指で挟んでるナイフ、おれがさっき吹っ飛ばしちまったやつなんじゃねェの?」
「あ、」

 そうだった。飛んできたナイフを空中でキャッチして、そのままにしていたんだった。そりゃあ向こうにしてみれば、ナイフを手にしたままじっと見てくる相手なんて、気にかかって当然かもしれない。

「そうだ、いや、大丈夫だ。全然当たってねェから」

 くるりとカトラリーナイフを回して差し出すと、顔を上げた男はソースまみれの顔を手の甲で拭いながら、しかしナイフを受け取ることもなく眇めるようにおれの顔を凝視してきた。おれの顔写真は出回っちゃいないはずだから、当然向こうがこっちを知っているはずはないのだが──こんなにも明け透けに眺められると流石に居心地が悪い。海賊稼業ならば火傷顔なんて珍しくもないだろうに。

「どうかしたか?」
「……いや、まさかな」

 耐えきれずに問いかけたおれに、ポートガス・D・エースは独り言のようにぽつりと呟くと、ナイフを受け取ってから、何故かおれの対面の椅子に腰掛けた。
 本当になんでだよ、と思っていると、相手はテーブルに肘を付きながら「それ何食ってんだ?」と気安く話しかけてくる。

「普通のコールスローサラダとミルクだが……」

 面食らったおれは─別に好物でも何でもない料理だが─何となく自分の側に皿を引き寄せつつ答える。とはいえ、ポートガス・D・エースは特にサラダ自体には興味ないらしく、おれの顔ばかり見ながら愉しげに唇を持ち上げた。

「へェ? そういうの好きなのか?」
「……まあ、それなりに」

 本当は全然サラダなんか好きじゃねェが、好きでもない物を食べていると知られると話が長引きそうなので、適当に返事をして誤魔化さざるを得ない。しかし、なんなんだ、この会話は。なんでこいつ、おれの真正面に座ったまま、こんなどうでもいい世間話をしてくるんだ?

「──なあ、それ食い終わったら、店変えて一緒に飲まねェか?」
「は?」
「ここで会ったのも何かの縁だろ? なんつーか、アンタのこと見てると気が焦っちまうっつーか、落ち着かない気分になるっつーか……多分、その髪とか目とか服装とかが──っつってもおれでもよく分からねェくらいだから、そっちにとっちゃ全然分からねェよな。ま、別に分からねェままでいいから、飲みに行こうぜ」

 急に意味不明な理由で観察対象から誘いかけられてしまって、訳が分からない──と突っぱねてしまいたいところなのに、残念ながらおれには『分かって』しまった。
 おれもずっと同じだからだ。記事で見る度に、噂に聞く度に、妙な焦燥感で落ち着かない気分になる。胸の中で何かが、早く、今すぐにと急き立てて暴れ回るこの感覚が目の前の男にも覚えのあることだとしたら──。

「おっと、そういや一緒に酒飲もうってのに名乗ってもなかったか。おれの名前はポートガス・D・エース。エースでいい」

 改めて名乗られるまでもなく知っていたが、その顔から、その口から発せられるその名には不可思議なほどの懐かしさがあった。胸が締め付けられて、なんだか泣きたい気持ちになる。
 というか、既に飲みに行くことは決定しているみたいだが、まだ返事してないよな?  でも、悔しいけれど、おれは首を縦に振ってしまうだろう。だって、おれはこの焦燥の理由が知りたい。なんなんだよ、この感情は。お前になら分かるのか。なあ、ポートガス・D・エース。

「お前は? なんて呼べばいい?」

 柔らかく細められた目で見つめられて、おれは一瞬言葉に詰まる。偽名を使うべきなんだろうか。一応伏せておくに越したことはないだろう、しかし、おれの本名だって別に売れちゃいないんだから構いやしないのかもしれない。
 少しばかりの逡巡の後、おれは意を決して口を開く。

「おれの名前は──」

 しかし、上手く聞き取れなかったのか、眼前の男は掠れた声で呟いた。

「……悪ィ、もう一度、ゆっくりはっきり言ってくれるか……?」

 まるで幽霊でも見たかのようなその顔がおかしくて、おれは思わず笑ってしまった。

                                             【完】

おまけ

「ゆっくり……? おれの名前は、サボ、だ」
「っ、もっかい……」
「サ・ボ! そんな変わった名前か?」
「もう一度頼む……」
「だから!! S・A・B・O!! サボッッ!! ……ってなんでお前泣いてんだよ?!」

※タイトル提供byアルパカチコさん




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