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▼ バイオリンサボくん小説A(原案ツイートbyアルパカチコさん)


 サボの部屋は五階建てマンションの一番下の階だ。
 共同玄関はあるものの、年季を感じさせる分厚い手押しのガラス扉があるばかりで、特にオートロックなどがついているわけではない。だから、エースも送り迎えの際は気軽に玄関先まで足を運んでいたが──それより先に入ったことはなかった。
 昔のサボは、革命軍楽団の指揮者でもあるドラゴンに世話になっていたし、独り立ちした頃にはエースもサボもお互い忙しくなっていたから遊べる機会も少なくなっていた。その数少ない機会だって、サボの方がエースとルフィの住む家へと遊びに来ていたから、エースにとってこの玄関より先は未知の世界だ。
 部屋に入ってみたい、と今まで一度も思わなかったわけでもない。
 ただ、ある意味自分はあぐらをかいていたのだろうとエースは最近密かに反省している。
 中々会えなくなっても自分とサボの関係は変わったりしないし、時間があればサボの方から訪ねてきてくれる。そういうものだとエースは無自覚に思いこんでいた。『あのとき』サボの秘密を知ることがなければ、そして『これほどまでに』サボが周囲からの視線を集めるようにならなければ、きっと今でもエースは根拠の無い余裕を抱いたままだっただろう。
 そういったわけで、今のエースは、少しばかり焦りを感じている。
 うかうかしてらんねェ、と今夜みたく多少強引に押しかけてしまうのも致し方ないだろう。

「マジで何も無い部屋だから退屈させちまうかも」

 そう言ってサボは申し訳無さそうに鍵を開ける。手にしたキーホルダーにどことなく見覚えがある気もしたが、エースはひとまず「お前と居て退屈なんかしねェし」とだけ答え、その背に続いて玄関へと入った。
 サボが壁のスイッチを押すと、鈍い瞬きと共に明かりが点く。「おじゃまします」なんて言いながら靴を脱げば、サボの靴とエースの靴とで、奥行きの狭い三和土(たたき)は隙間もないほどいっぱいになった。

「うおぉ……」

 部屋に入るなり、エースは自分でもよく分からない声を上げてしまう。
 なんというか──全体的にこじんまりとしている。一軒家暮らしのエースだからそう思うのかもしれないが、しかし、それにしたって話題沸騰中の有名バイオリニストにしては随分質素な部屋に見えた。
 前を行くサボを追いつつも、エースは不躾に辺りを見回してみる。玄関を入って左手には冷蔵庫と小さな台所と一口だけのコンロ、右側にはドアが二つ。片方は半透明のガラス張りで、扉に作り付けのバーにはバスマットらしきものが掛けてあった。どうやら風呂場らしい。台所も風呂もあって当然なのに、たったそれだけのことに妙に生活感めいたものを感じて、ここでサボが毎日暮らしてるのだと強く意識してしまった。
 奥の引き戸を開けたサボは、苦笑しながら「狭いだろ? ごめんな」とエースを振り返る。引き戸の先は、机と椅子とベッドだけのとても簡素な部屋だった。こんなに物が少なくて生活していけるんだろうか、なんて思いながらも視線は自然とベッドへと向かってしまう。ここでサボが寝ているのか──と想像すると変に体温が上がりそうだった。
 サボは背負っていたバイオリンケースを下ろすと、肩を竦めてから「食い物とかあんまねェんだけど」と断ってから続ける。

「多分、茶くらいなら出せるから、その辺座っててくれよ……って座布団とか無いんだよな。じゃあベッドにでも、」
「い、いい! 立ってる! 茶も要らねェし!」

 よこしまな視線を気取られた気がして、エースは背筋をまっすぐ正す。安易にベッドなんか勧めるなよ今のこの状況分かってんのか、と内心サボを詰ったが、そうしている内にむしろエースこそがこの部屋に来た理由を思い出した。

「──それより、防音室ってこの部屋全部か?」
「いや、ここは普通の部屋。小さい部屋がもう一つあるんだ」

 こっちのドア、とサボが廊下を指差す。さっき見た二つの扉の内、風呂場じゃない方の扉だ。
 防音室は更に狭いけど、とサボが扉を開く。覗き込むようにして見てみると、確かに四畳半にも満たない小さな部屋だ。だが、どことなく空気が違う。実際に感じる空気の質も違ったが、譜面台や楽譜が無造作に置かれたそこが、外の殺風景な部屋よりも活き活きと見えたせいかもしれない。

「あ、あれバイオリンか? 中身は? ケースだけか?」

 部屋の片面に置かれた横長の棚に、サボが背負っていたのと似たようなケースが幾つも鎮座していた。少し材質は違うかもしれないが、どれも同じような大きさだ。

「全部中身も入ってる──大抵貰い物だけどな。この壁の向こうはユニットバスだけど、それでもこっちは湿度調節もついてるから安心して楽器置いておけるんだ」

 こいつらおれより良い暮らししてるぜ、とサボが笑って棚のバイオリンを指差す。

「この防音室があるからここに住んでるんだけど、そのせいで家賃も高くて……日々のバイト代はこいつらに貢いでるようなもんだよ」

 最近はバイト行けてねェけどな、とサボは笑顔にいくばくかの苦味を加えた。
 元は幾つもバイトを掛け持ちしていたサボだが、顔が売れすぎたこともあって、今は家庭教師のバイトだけしか続けていないのだという。「バイト先に変な奴とか居ないか?!」と心配して詰め寄った時にそう説明されてはいたが、こうやってバイオリンの維持費のことを聞いてしまうと、幾らエースでもサボのバイトが減って安心だと素直には喜べない。
 そこでエースははたと思いつく。

「サボ、お前、楽団の給料とかどうなってんの? チケットすっげェ売れたんだろ? それに動画だって毎回百万再生とかじゃねェか」

 そう、サボのバイオリンは非常に評価されているのだ。勿論その見た目だけに黄色い声を上げている連中だって少なくないだろうが、実際にサボの演奏は群を抜いている。
 そんなサボなのだから、こうやって堂々とバイオリンを弾くようになった今、最早バイトなんてする必要すらないんじゃないだろうか。

「きゅうりょう……給料なァ……」

 エースの問いかけに対し、しかしサボは間延びした返事と共に首を横に傾けた。あたかも給料という言葉を初めて聞いたかのような反応だ。

「うーん、一応ドラゴンさんは気にしてんのか小遣いくれるけど、そもそも革命軍楽団はチャリティーみたいなもんだからなァ。全員それぞれ別の仕事もあるし。おれの場合は研究でも金遣うから、バイト入れまくってた頃と状況は変わんねェかな」

 計算中とばかりに天井に目を遣ったサボが、ハッと気づいた様子でエースへと向き直る。

「なんか恥ずかしい話ばっかしちまったな。それより、バイオリン聴きたいんだろ? お前の前で弾くのは緊張するけど……何かリクエストあるか?」
「何でもいい。サボが弾きたいやつ」
「『何でもいい』が一番困るっての。お前だってバイクで『どこでもいいから連れて行ってくれ』って言われたら困るだろ」
「困らねェよ。バイクなんて一生走らせてやる」

 エースは即答する。もしもサボにそんな風に言われたら、きっと本当にどこまでもバイクを走らせてしまうだろう。いっそ途中下車なんて出来もしないくらいに。
 サボは極端な物言いだとばかりに唇を尖らせたが、すぐに「ちょっとバイオリン取ってくる」と防音室を出て行った。他にもバイオリンはこの部屋に並んでいるはずだが、やはり、いつもの物が良いのかもしれない。
 間を置かず戻ってきたサボは、後ろ手に扉をしっかりと閉めると、弓を張りながら思案気に鼻先を鳴らす。バイオリンを構えて調弦をするサボの伏せた目がやけに艶っぽくて、エースはごくりと喉を鳴らした。

「……じゃあ、コレかな」

 しばしの逡巡の後、ニッと唇の端が持ち上がったかと思うと、サボの弓が勢いよく和音を奏でた。
 エースの知らない曲だが、遊ぶように跳ねる音と軽快なリズムはまるで曲芸のようだ。至近距離で聴くサボの演奏には、ステージやホールで聴くのとはまた違った引力があった。
 ──クソ、こんな演奏、誰だって惹きつけられるに決まっている。
 肌が粟立つ。身体が震える。目が離せない。耳はもっと離せない。
 そうなるのが決して自分だけじゃないのが分かるから、美しい旋律はエースにとっていっそ恐ろしい程だった。息をするのも忘れてしまいそうな音の洪水に、エースはただ目を見開いて立ち尽くしてしまう。
 ところが、当のサボの方は、というと。

「歌えよエース! 知ってる曲だから!」
「…………えっ?」

 演奏の合間に、サボがどこかで聞いたようなセリフを口にする。
 見惚れた上に聞き惚れていたエースは三拍ほど遅れて漸く声を発した。歌うも何も、と急に現実に引き戻されたエースが瞬きしている間に、サボは甘いテノールで歌を口ずさみ始める。歌詞はおろか、どこの国の言語かも分からない。
 ひとしきり奏でて歌って頬まで紅潮させてから、サボは不意にエースを見て驚いたように楽器を下ろした。

「……あれ? 防音室だし歌っても叫んでも近所迷惑にゃならねェぞ?」
「いや、知らねェ曲だから。しかも知らねェ言葉だしよ」
「知ってるって。ほら、昔ガープが連れて行ってくれたレストランで生演奏されてたじゃねェか」
「覚えてねェよ! そりゃ、あの海上レストランのことは覚えてるけど!!」

 確かに、ガープの気まぐれで高級レストランにルフィ共々連れて行かれたことがあったが、それだってもう何年も前の話だ。生演奏があったかどうかすらエースには定かじゃない。

「覚えてねェの? あんなに良い曲だったのに。一緒に弾きたいくらいだった」
「弾きゃあ良かったじゃねェか。サボの腕なら飛び入りでも大歓迎だろ」
「そんときは、なんつーか、お前たちの前で弾く感じじゃなかったから……」

 サボが語尾を濁して言いよどむ。どう返して良いか分からないエースも押し黙ってしまったから、密閉された防音室を満たすのは沈黙ばかりだった。お互い、「しくじった」と気まずそうに目が泳いでいる。

「あー、えっと、サボ、」
「そうだ、エースも弾いてみるか?!」

 先陣切って静寂を破ったのはエースだったが、それに重なるようにサボが明るすぎる声を上げた。言うやいなや、エースの返事も待たずに手にしていたバイオリンを渡してくる。

「おれはいいって。ガラじゃねェ」
「んなこと言うなよ。きっと似合うぜ、エースは指長いし運指しやすいかも」

 勢いで受け取ってしまったバイオリンは想像以上に軽く、壊れ物めいていた。エースが思わずしっかりと持ち直している内に、サボはエースの後ろに回って背中側から抱き込むように腕に触れてくる。

「左肩に軽く乗せて、顎はここ、ん、もう少し寝かせて……んで、左手はこの位置。ぎゅっと握るんじゃなくて優しく添えて……ほら、すげェ似合う。お前って何やってもカッコイイよな」

 何の気無しにそんなことを言うサボの、その小さく整った顔が、エースの顔の真横にある。
 優しく触れてポジションを教えるサボの、その白く長い指が、エースの指に重なる。
 後ろから話しかけてくるサボの、その柔らかい吐息が、エースの鼓膜をくすぐる。
 先程、内心サボに問いかけた言葉がブーメランのように自分へと刺さる。『今のこの状況分かってんのか』。

「──ッ!」

 『状況』に気付いたエースが思わずサボを振り返ってしまうと、唇と唇が触れ合わんばかりに二人の顔は近づいていた。目を瞠ったサボの大きな瞳に、同じくらい驚いた自分の顔が映っているのがエースには見えた。

「わっ、」

 小さな叫び声と共に、よろめいたサボが後ろへと倒れる。咄嗟に伸ばしたエースの手はサボへと届いたけれど、弓を持っているせいで肩を掴むところまでは行かない。むしろ、それでバランスを崩したのはエースの方だった。
 そうして二人揃って床へと倒れ込んでしまった音は、防音室でなければ隣室に確実に響いていただろう。
 ギリギリのところでバイオリンと弓だけは壊れないよう死守したエースだったが、上手く受け身を取れなかった身体は肘と肘とでサボを挟み込む形で着地した。


 つまり、まるでサボを押し倒して腕の中に閉じ込めてしまったかのように。


「──悪ィ、サボ! どっか怪我してねェか?!」
「いや、大丈夫だ、けど……」

 サボはエースの顔を見上げながらそこまで言うと、下唇を噛んで恥じらうように視線をずらした。エースの髪がサボの頬に当たるくらいの近さなんだから当然かもしれない。そう分かっているのに、その表情がまだエースの鼓動を早める。

「……その、バイオリン、は、無事だから」

 心臓がありえない速度で高鳴る中、エースは漸くそれだけ口にする。
 だが、サボを安心させるために言ったはずの言葉なのに、言った当人ながら「これで安心してくれるな」と相反した気持ちを抱いてしまう。事実、エースは今、サボを腕の中に閉じ込めたこの体勢のまま、どうしても身体を起こせないのだから。
 確かにバイオリンは無事だったけれど、これからサボ自身が無事かどうか、今のエースにはとても保証出来そうにない。


【完】
※サボがバイオリン弾けるの黙っていた件で、二人には一度デカめの喧嘩をしていてほしいなと思いました。それ以降その件は何となくタッチしちゃいけない感じになっていると良い(勝手な性癖)


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