▼ 週末同棲えさぼシリーズ:一晩寝かせたサボは美味しいらしい
エースの部屋に泊まるのは毎週金曜夜から月曜朝までと決めている。必要な荷物も全部置いてあるから身一つで部屋を訪ねるだけでいい。所謂、週末同棲ってやつだ。
いい加減普通に同棲しよう、とエースは何度も言ってくれていて、一緒に街中を歩いていても不動産屋の前では必ず足を止める。ガラス越しに物件情報を吟味する横顔は真剣そのもので、きっとおれが首を縦に振りさえすれば、すぐにでも広い家に引っ越して同棲を始めてくれるのだろう。
しかし、おれはこの誠実な恋人の申し出を頑なに断り続けていた。
理由は簡単で、今のおれでは、エースとの同棲生活と学業の両立が敵わないからだ。今だって、月曜から金曜までは殆どエースと顔も合わせず、碌に連絡も取らず、大学での研究とバイトに没頭している。そうやってメリハリをつけて頭と心を切り替えないと、何にも集中出来なくて中途半端になってしまうのだ。
おれとしては、楽しい週末が待っていると思えばこそ頑張れる節もあるのだけれど、エースはこの話題になるといつも不満げだった。「連絡くらい良いだろ」「毎日会いてェんだけど」「お前のアパートの家賃払ってんの勿体ねェって。それ無かったらバイト減らせるじゃん」「いつになったら同棲出来るんだよ」──エースの主張はもはや暗唱出来るくらい耳にしている。
勿論、おれだってエースと一緒に居たい。平日に帰って眠るだけの部屋に高い家賃払っているのが合理的でないのも分かっている。それでも、おれは毎回、心を鬼にして首を横に振らざるを得なかった。
だって、しょうがないだろ? 週末の度に骨の髄まで蕩けさせられて頭がバカになってんだ。毎日一緒に住んだら、もう二度と大学なんて行けなくなっちまう!
まさか「実はお前とのセックスにドハマりしちまってるから本格的な同棲なんてしたら留年必至なんだ」とは格好悪くてエースに言えない。それゆえ、おれはこの話題をのらりくらりと躱しながら日々を過ごしている。
その内きっとエースとのセックスにも慣れるだろう。そうしたらおれの方から改めて同棲を申し出よう──そう決めてはいるのだが、その誓いを立てて一年近くが経過した今も、全くもって状況は変わっていない。むしろ回を重ねる度に感じやすくなっていく身体はもう後戻り出来ないところまで来ている感すらある。
いつになったら同棲出来るのかなんて、本当はおれが訊きたい。
いつになったら、おれはエースとのセックスに慣れるんだろう。
『週末同棲えさぼシリーズ:
一晩寝かせたサボは美味しいらしい』
金曜の夜。
途中のスーパーで買い込んできた酒と炭酸飲料を、エースが別で注文していた宅配ピザの周りに配置する。
エースの部屋に来る前に買い出しをするのはおれの役目で、最初は「自分も行く」と言い張ってわざわざスーパーまで迎えに来ていたエースも、この一年で慣れたのか、今では部屋で大人しく待っているようになった。『おれの嫁』って感じがして良いと思い直したらしい。いつも酒だのツマミだの、いかにも今から宅飲みする男子ってものばかり買って行っているのに、エースは一体どの辺に『嫁』要素を感じたんだろうか。
そもそもおれは男だから嫁にはなれないぞ、と真顔で返して「そこは頬でも染めて照れるところだろうが」と両頬をつままれてしまったことも思い出す。長い付き合いだがエースのツボは未だによく分からない。酔いが回るとたまに「おれの航海士……」なんて言いながら抱きしめてきたりもする。どこかの国の文化では、恋人に対して『私のキャベツ』だの『私のノミ虫』だの訳の分からない呼び方をすることで愛情表現すると聞いたことがあるが、『おれの航海士』はその中でもだいぶ珍しい部類だろうな。
「今なんか笑ったか? サボ」
ソファの隣に座ったエースが怪訝な声を上げつつもリモコンを操作する。一緒に追っている海外ドラマの最新話が来たので、今夜はピザを食べながらそれを観る予定なのだ。どちらかと言うとおれが好きで観ていたサスペンス物だが、セカンドシーズンあたりからはエースもハマったらしく「展開が気になるから」と毎回いそいそと視聴準備をしてくれる。
「ん? いや、ただの思い出し笑い」
並べた飲み物の中から改めてコーラのペットボトルを取り上げながら答える。
エースは再生ボタンを押してからリモコンをテーブルに置くと、ソファの背にもたれて口の端をニヤリと持ち上げた。
「思い出し笑いはスケベのやることだって聞いたぞ」
「おれはその『スケベ』って単語自体久々に聞いた」
「サボが言うとなんかヤラシイな。もっかい言って」
「やだよ」
本当ツボが分かんねェ、とおれが笑うとエースが「ツボってなんのことだ?」と言って顔を近づけてくる。太ももの触れ合う距離で、こうやって顔まで近づけられると、おれは条件反射で瞼を閉じてしまう。我ながらよく躾けられたパブロフの犬だ。
予想に違わず重なってきた唇は少しかさついていて、またリップクリームを塗り忘れたのだろうと想像させる。以前、乾燥していて痛くないのかと訊いた際にはあまりピンと来ていない様子だったエースは、それにも関わらず「サボのためだもんなァ」と言ってドラッグストアで安いリップクリームを買っていたのだが、未だに中々習慣づいていないらしい。
とはいえ、実はおれは、メンソレータムの清涼感よりも、エースの熱を感じられる素の唇の方が好きだった。絡まる舌先もエースの方が体温が高く、口の中をくすぐられる度にそこから溶けてしまいそうで心地が良い。
しかし、どんどん深まっていくキスと段々傾いていく姿勢におれは焦り始める。これは、このまま、ここで、今から始まってしまうのでは。
「……っ、エース、ピザ冷めちまうって」
「分かってる。ピザ味になる前にサボの味を堪能してるだけ」
殆ど覆いかぶさって来ているエースの肩を軽く押してやるも、なおもキスは続けられる。テレビからは海外ドラマのオープニングが流れていた。いつもはスキップするからフルで聴くのは久しぶりだ。でも、それらは情報としては耳に入ってくるけど、意識はかき混ぜられる唾液のいやらしい水音にばかり向かってしまう。回された手が何かを確かめるようにおれの身体をなぞる。背中が震えて、手に持っていたペットボトルを取り落としそうになる。ああ、もう良いかも。このまま流されちまっても──。
「……っと、あぶねェ。このままヤリそうだった」
急に唇が離れたかと思うと、エースはそう呟いて身を起こした。目を開けたおれが瞬きを繰り返している内に、エースはもうピザの箱を開け始めている。
「ピザ冷めちまうもんな!」
その爽やかな笑顔を前に、おれはうっかり「いや、もうこのままヤッてくれよ!」と叫びそうになってしまった。流される気満々だったせいで、中途半端に盛り上がったままの身体が切ない。
ただ、ピザが冷めるからなんて最初に口にしたのは自分だ。今更「そんなの後から温め直せばいいだろ」なんて言い出せやしない。それに、まだエースの部屋に来て数分なのに、どれだけ欲求不満なんだよって思われても恥ずかしい。
「あ、そうそう、こいつ前回撃たれたんだったなー」
テレビを指差すエースの横顔は涼しげで、さっきまで人の口の中で好き勝手やっていた相手とは思えないほどだ。こっちは心臓が爆音で鳴っていてうるさいくらいだってのに。でも身体の関係を持ってから一年近く経つのに、未だにこんな風にキスだけで興奮しているおれの方がおかしいのかもしれない。こんなことじゃいつまで経っても一緒に住めないじゃねェか。
──こういうのは慣れだ、慣れ!
おれは気持ちを無理矢理切り替えて、エース同様に画面を注視する。テレビの中では仲間に裏切られた主人公が「長い付き合いだ。こんな日もあるさ」と皮肉げに嗤ってうずくまっていた。
「うーん……あいつ、結局どっち側だったんだ?」
「二重スパイってことだろうな。今のところは」
ドラマを観終わった後は大抵エースが「あそこの意味が分からない」とか「あいつ誰だったっけ」とか質問をしてくるので、それをおれが説明してやることが多い。普段はアクション物が好きなエースだから、サスペンス特有の入り組んだ人間関係や、裏の裏まであるような複雑な設定は苦手なのかもしれない。
そのくせ、説明途中でおれがついうっかり口を滑らせてネタバレ─とはいえその段階では単におれの推理でしかないんだが─を言ってしまうと、後々になってから「サボの言ってた通りじゃねェか! 脚本ひねれよ!」と何故か怒り出すのだけれど。
そうやってドラマの話をひとしきりしてからは、お互いそこそこ酒も進んでいたため、アルコール抜きがてら風呂に入りつつ、月曜から金曜までのそれぞれの生活について話すのが常だった。ただ、それほど長居はしない。エースの部屋は一人暮らしにしては充分な広さだが、風呂場ばかりは成人男子二人で入ろうとするとどうしたって狭いからだ。それに正直なところ、おれがどうしても『意識』してしまって気が逸るから、というのもあった。
付き合い始める前は、エースと風呂に入ったって何ともなかったのに、不思議なもんだな。今にして思えば、その頃から風呂場でのエースはそれなりに挙動がおかしかったのだが、当時はそれを妙に感じることすらなかった。まさか自分の裸を見てエースが興奮することがあるなんて想像したこともなかったし、未だにその事実は奇跡か何かじゃないかと思っている。おれなんて別に、面白味のある身体してるわけじゃねェし。
「──毎回律儀によく着るよなァ。っつーかサボって普段からボタン多い服ばっか着てね? わざと?」
先に出たおれが着込んだパジャマのボタンを留めていると、風呂の扉を開きながらエースが言う。濡れた髪をかきあげる仕草もいちいち格好良い。
「わざとって何だよ。こういう服の方が着やすいだけだぞ」
「いや、おれに脱がせる楽しみを……みてェなサービスかと。あ、待ってサボ、おれが乾かす」
ドライヤーを手に取った瞬間にエースが制止してくる。エースは何故かおれの髪の乾かし方に文句があるらしく─文句ではないと本人は言っていたが─、毎度のようにおれからドライヤーを奪うのだ。
今夜もまた、おざなりにタオルで身体を拭って下着だけを履いたエースは、自分の髪は濡れたままだというのにいそいそとドライヤーを手にしておれの後ろに陣取る。タオル越しに撫でられるのはどうしたって気持ちいいから、おれは思わず目を細めてしまう。出来れば自分のことは自分でしたいのだが、こればかりは断りづらい。
熱すぎないドライヤーの風、宝物を扱うような優しい手つきに的確な指の動き。お前の髪好きなんだよな、とエースが耳元で言う。自分の髪なんて特に興味もなかったけど、エースにそう言ってもらえるのは嬉しい。
「そういえば、サービスだと思ってたのか?」
「ん? 何?」
先程の話を引き継いでの言葉だったが、いささか唐突だったかもしれない。ドライヤーを少し遠ざけながらエースが聞き返してきたので、おれも声を張り上げる。
「服のこと。サービスってどういう発想だよって思って」
「ああ。だって、そうじゃなきゃ、わざわざパジャマなんて着ねェかなって。おれだって風呂上がりはパンイチじゃん」
「それは──」
つまり、すぐにセックスするのに何故、ということなのだろう。確かに、着た五分後にはもう脱がされていることもあるから、エースにしてみればわざわざ手間をかけているようにも思えるんだろうな。
しかし、おれは対エース限定で自制心が弱い自覚がある。だからこそ、どうせこの後にヤると分かっていても、一度は「この後セックスするのは必ずしも当然ではない」としらを切っていたい。そういう建前でも無ければ、それこそ、この部屋の中で服を着ていること自体が無意味になっちまいそうだ。
「……だって、このタイミングで着ねェと、おれが服着るタイミングなんて無いだろ」
答える声は無いから、小さく呟いた言葉はドライヤーの風にまぎれてエースには届かなかったらしい。エースは何がそんなに楽しいのか、上機嫌でおれの髪を乾かし続ける。もしくは聞こえていたからかもしれないが、追及すると藪蛇になるので黙っておいた。
おれの髪を乾かすのに比べて、エースの方は速攻で終わる。おれがドライヤーしてやろうかと言ってもエースは要らないと首を横に振るので、自分でざざっと乾かしておしまいなのだ。髪フェチのくせに自分の髪には頓着しないもんなんだな。しかし、それでもエースの黒髪はいつも艶めいているから、髪質の問題もあるのかもしれない。
髪の手入れをされた後は、そのまま猫でも運ぶようにベッドへと連行される。エースいわく「メシもサボも熱い内に食え」とのことで、風呂からベッドまでの寄り道は殆ど許されない。いよいよパジャマを着る理由が無いが、その辺は、やはり、おれのささやかな矜持というほか無かった。
「あ、また消しやがったな」
先んじて枕元に置いてあるリモコンで照明を落とすと、エースが拗ねた声を上げた。エースは明るい方が好きだと言うけれど、おれは理性がある時は必ず部屋の電気を消すようにしている。
文句は言いつつもわざわざ電気を点け直したりはしないエースだが、完全に真っ暗には出来ないようリモコンを改造しているとは言っていた。実際は改造しているのではなくボタンが潰してあるのだが、ともあれ、そのせいで、室内に広がる常夜灯の光はおれの中でセックスと強く結び付けられている。多分、何でもない時でも、照明を変えられただけで期待してしまうだろう。何だか変な条件反射ばっかり身についちまうな。
「サボの顔、ちゃんと見てェのにな」
「見えるだろ、充分」
「見えるっちゃ見えるけどよ」
軽口を返されながら当たり前のように押し倒されて、啄むキスの合間に当たり前のように身体に触れられる。恋人なんだから当たり前で構わないんだが、その『当たり前』がおれにとってはまだまだ慣れなくて、何度回数を重ねても少し緊張する。いい加減慣れても良さそうなのにと自分でも思うのに、ほんのちょっと触れられただけでも電気のように快感が走って、怖いくらいに気持ち良くなる。おれの身体はどうなってしまったんだろう。
真上に居たエースが僅かに身体を離し、「この辺とかさ」とおれの顔に手を添える。優しい指先がおれの左目の痣から首筋、そして鎖骨までを線でも描くようにスーッと辿った。触れるか触れないか、ギリギリのフェザータッチ。それだけでおれの背筋は浮いてしまって、口からは情けない声が漏れた。
「この辺とかも……おれが撫でるだけでブワッて色付いていくの見るの好きなんだよ。サボ、肌白いからすぐ分かる。顔や耳どころか、首とか胸の方までピンク色になって美味そう。明るいところで見てェなァ」
「だめ、だっ、……てんだろ……ッ!」
今度は逆に鎖骨から首へと、鳥肌を煽るようになぞられて「首弱いな」と揶揄われる。弱いんじゃない、エースのせいで弱くなったんだ。エースがどんどんとおれの弱点を増やしていって、それを喜ぶのが恥ずかしい。
「あっ……んん、はっ、あァ……」
すっかりボタンの扱いに慣れたエースが片手だけで器用に胸元を寛げ、直接素肌に触れてくる。既に期待に硬くなっていた小さな尖りを爪先で引っ掻かれると、おれの瞳にはじんわりと涙すら浮かんだ。こんなところが感じるなんて、一年前は想像すらしたことなかったのに。
悪戯な指先でおれの胸の先をグニグニと弄りながら、エースはちゅっちゅ、と音を立てて、唇から顎、首から鎖骨へと、先ほど指でなぞったのが予告だったかのように吸い付いてくる。そうかと思えば不意に首筋に歯を立ててきて、おれは小さく息を呑みながら『人体の急所ほど感じやすい』という話を思い出した。本当に全部この男に明け渡しているのだと自覚させられる。少しずつ歯が肌に食い込んでいく感触。首は跡が目立つからやめてほしいのに、やめないでもほしくて、自分でもどうしていいのか分からず膝を擦り合わせる。もどかしい。
ふっ、と首筋から口を離すと、エースは触れていない方の乳首をべろりと舐め上げた。
「……首よりこっちのが良いか? こっち側だけ放置プレイだもんな? 噛んでほしい?」
多分、おれは頷いた。もう何も考えられない。まだ下半身に触られてもいないというのに、既におれの脳は蕩けてどこかへ流れて行ってしまったのだろう。
「はー……お前、ほんっと可愛いな、サボ……」
「ひィっ、ん、うぅ……!」
ぎゅっと押し潰すように乳首を噛まれて、その方が気持ち良いなんてどうかしてる。いっそ痛いくらいなのに、過ぎる快感で足の爪先が丸まってしまう。もう、前戯なんていいから早くエースが欲しい。もっと強い快感を知っていると主張するように、腹の奥が勝手にうねった。
「──っと、やべェ、またヤリすぎるところだった」
「……え?」
ダメだダメだ、とボヤきながらエースはおれの身体から降りる。揺らぐ視界の先で、エースはぺろりと舌舐めずりをしてから暫しおれの身体を見下ろして、しかし「うーん……いや、やっぱダメだ!」と水を被ったの犬のように首を振った。
「え……っと、エース……?」
何が起きているのか分からない。いつもだったら、そろそろまたいっぱいキスをして、エースが下を脱がして触ってくれたり、おれがエースのを舐めたり……えっ、本当に何なんだ?
驚きに声を失うおれをよそに、エースはおれのパジャマのボタンをひとつひとつ締めていく。ぷっくりと腫れた乳首が擦れて思わず身を捩ってしまうが、多分、今はそれどころじゃない。
エースはおれのパジャマをすっかり元通りにすると、そそくさと布団まで掛けてきて、それからおれの隣にするりと入って来た。なんでだ? いや、エースの家のエースのベッドなんだから、持ち主がここで寝るのは普通なんだが──そうじゃなくて。
「よしよし、サボ。いっぱい感じて偉かったぞ。今日はもう終わりにして寝ような」
──なんで突然おれのこと、寝かしつけようとしてるんだ?!
信じられないものを見る目をしたおれの隣で、エースは横向きになって肘枕をつくと、掛け布団越しにおれの胸あたりをぽんぽんと叩きながらおもむろに歌い始めた。
「んん……、サボはァ良い子だねんねんころりィ」
「ちょ、え、子守唄?! なんで?!」
流石におれも引っくり返った声を上げてしまう。だっておかしいだろ? さっきのさっきまで前戯してくれていた恋人が、今からって時に急に自分を寝かしつけてくるなんてどう考えたって変だ。たとえエースが欲しすぎておれの頭がバカになってるとしても、それを差し引いた上で、やっぱり変だ。
「なんかのドッキリか? ……ってエース、寝てんのか?!」
子守唄を歌っていたかと思いきや、ものの数秒でエースは大きく口を開けて眠っている。寝つきがいいにも程があるだろ。しかも歌ってて自分が寝ちまうとか。
「いや……寝るってお前、こんな……おれはどうしたら……?」
月曜から金曜まで一生懸命頑張って、やっとエースに会えたこの夜に、中途半端に手を出されたまま放置されて寝落ちされるなんて──初めてのことで頭がパンクしそうだ。摘んで舐られて噛まれた胸の先はじんじんと次の刺激を待っているし、反応し掛けた下半身も熱の持って行き場が分からず戸惑っている。
──嘘だよな。流石に起きるよな?
寝息まで立て始めた恋人の隣で頬を引き攣らせるも、小突いてみてもつねってみてもエースの起きる気配はない。不完全燃焼の身体をもぞつかせながら、おれは恨みがましくエースの顔を睨むことしか出来なかった。
そうやって過ごす夜の、なんと長いことか。ただでさえ夜中に考え事をするのが好きではないのに、眠ることも出来ないから、ひたすら布団の中で悶々とした心と身体を持て余すばかりだ。
幸せそうな寝顔にアイアンクローでもして「今すぐ起きろ」と揺さぶってやりたい気もしたが、セックスしたさに起こすのもどうかと思っておれはひたすらエースの隣で寝転がるだけだ。たとえ、それで起きてヤッてもらっても、無理矢理させたみてェで悲しいし。
夜の深さというのはいたずらに人をネガティブにするもので、常夜灯を見つめるおれの思考も段々と悪い方へと傾き出していく。
もしかして、エース、勃たなかったんじゃ……だとか。
もしかして、おれの反応で萎えちまったんじゃ……だとか。
もしかして、もうおれを抱く気になれなくなったんじゃ……だとか。
一度そちらへ転がりだすと、坂を下るようにどんどんと連想がつながっていった。いつまで経ってもセックス上手くならないからじゃ、欲しがってばかりで呆れられたんじゃ、同棲断るくせに毎週末通ってるから鬱陶しくなったんじゃ、こんな面白みもない硬い身体を今まで抱いていたことが奇跡なんだからエースにかかっていた魔法だか催眠術だかが解けてしまったんじゃ──冷静になればそんなはずないだろうと思えるようなことでも、夜は全てのマイナス思考を肯定する。マイナスにプラスを掛けてもマイナスが増えるだけなのに。
そして奇しくも思い出すのだ。すぐに脱ぐと分かりつつもパジャマを着る己のちっぽけな矜持のことを。「この後セックスするのは必ずしも当然ではない」──おれの放ったつまらない建前のブーメランは、とても綺麗なカーブを描いて、胸のド真ん中にしっかりと突き刺さった。
■
まんじりともせず迎えた土曜の朝。
寝不足のせいもあってすっかり不信と不安に染まったおれは「朝イチで開口一番エースから別れ話を切り出される」という事態すら懸念していたが、はたしてエースはというと……普通だった。
普通というより、むしろどこか浮き足立っている。おはようサボ、とおれのこめかみにキスを落とし、腹減ったなと伸びをする。いつも通りのエースだ。だが、その動作のどれもが謎の期待に満ち満ちている気がして、もしやおれ無しで始める新生活へのときめきなのではと訝しんでしまう。エースがそんな奴じゃないのは頭の奥で理解しているのに、転がりだした疑念は雪だるま式に大きくなっておれの思考を押し潰していた。
エースのことを思えば、別れを告げられる前に自分から切り出してやった方が良いんじゃないか。エースは優しいから上手く言えないでいるのかも──でも逆に、この話に触れなければまだ一緒に居られるかもしれない。いや、それ以前に別れたくないんだがどうしたらいい? エースがどう思おうとおれはエースを愛している、これで終わりになんてしたくない。ああ、でも、エース、エース、エース……。
おれの頭と心は、忙しかった一週間と直近の寝不足も相俟ってぐちゃぐちゃだ。しかし、上体を起こしたエースはそんなことお構いなしに、横になったままのおれに「さて、と。サボ、今日どっか行きてェところある?」と太陽みたく微笑みかけてくる。もしかしてソレが最後のデートになるんだろうか、なんて再び悪い予感がよぎった。いっそ泣きそうな気分だ。こんなことならもっとエースのために出来たことがあるんじゃないかと後悔を数え上げてみたが、その合間にも楽しかった思い出の数々が走馬灯のように駆け巡って、余計に込み上げてくるものがあった。それでも涙を零さないのは、男として残った最後のプライドだ。
「どこも行かねェか? じゃあ……朝から頂いちまおうかな」
少し声を低くしてそう言うと、エースは目を細めながら顔を近づけてくる。おれは条件反射で目を閉じかけて──ギリギリで耐えた。パブロフの犬にだって飼い主の手を噛むことはある。
「な、にしようとしてんだよ!」
エースの身体を押し返してから、おれもベッドの上で身を起こす。鋭い視線で睨みつけてやるとエースは二度三度まばたきをした。
「何って……キスに決まってんだろ。あと朝セックス。あ、歯磨いてからがいいか?」
「そうじゃなくて!」
セックスまでするのかよ、と混乱する。ほんの数時間前のことを忘れたのか、こいつは。
「おれのこと、もう抱かねェんじゃねェのかよ!」
「は? 誰がそんなこと言った!」
「お前だよ!」
よくよく考えるとそんなことは誰も言っていない。言っていないのだが、言ったも同然だった。エースは「はあ?」とさも不思議ですと言いたげに首を傾げやがる。お前がしていい表情じゃねェからな、それ。
「いや絶対言ってねェし。っつーか言うわけねェだろ? 週に十四回はお前のこと抱きてェわ! これ最低ラインな!」
「だって昨日、お前途中で……」
「……ああ! アレ、もしかして、説明しないで寝ちまった?」
そりゃあ悪かった、とエースは頭をかきながら語りだす。
「あー、バイト中にサッチと恋バナ? っつーの? まあ、サボの話をしてて……んで、サボと同棲したいけど中々良い返事がもらえねェっつったら『マンネリって思われてんじゃねェのか、いっつも家に呼んでヤッてばっかなんだろ』って言われちまって……んなことねェよって言い返したけどなんかその言葉が気に掛かっちまって──丁度そん時に別件でサッチが『同じタネでもカレーでも冷蔵庫で一晩寝かせると味わいが違う』って話してて、それだ! って思って、それでサボも一晩寝かせてやろうと、」
「そうはなんねェだろ?!」
思わずエースの説明を遮ってしまう。真摯に語り出すからこちらも真面目に聞いてしまったが、何をどうやったらそこに着地するというのか。おれがいつから作りすぎたカレーになったっていうんだ!
そもそも同棲を断っているのだって、マンネリだからじゃなく、むしろ『マンネリになっていないせい』だ。エースに抱かれると何もかもどうでもよくなっちまうくらい毎週のセックスにドハマりしてるから、それが毎日出来る環境になるのが怖いのであって──って、それはエースには秘密にしているのだから、知らないことを責められはしないのだが。
「いやマジで冷蔵庫に入れるわけじゃなくて、泊まりに来ても一晩セックスしない日を作ってみようぜってだけだぞ?!」
「冷蔵庫入れようとしてたら刑事事件だ、バカ! っつーか一晩セックス我慢しようっていうなら、なんでそれ先に言わねェで、おれに火ィつけるだけつけて寝ちまうんだよ!」
一晩セックスを我慢してみようと先に言ってくれたなら、おれだって─ちょっとはソワソワしちまうだろうけど─別に構いやしなかったのに。というか、月曜から木曜の間はそもそもセックスをしていないのだから、今更もう一晩置いて何になるというんだろう。
「言うつもりだったんだけど忘れてたんだよ! 風呂出たら言うつもりだった! ただ、お前があんまり可愛いからつい手ェ出しちまって……味見くらいならって……でも途中でやめて寝かしてやっただろ?」
「あんな盛り上がってたのに途中で寝かしつけられて、『おう、分かった』って眠れるかよ! 自分の子守唄で眠るお前と一緒にすんな!」
「それは悪かった!!」
言い合いをしながらも素直に謝ってくるエースに、一気に肩の力が抜けてしまう。休みの日の朝から、ベッドの上で、おれ達は一体何をしているんだ。
はあ、と大きく溜息を吐く。半分は呆れだが、もう半分は安堵だった。悪い予想なら幾らでも思い付いたし、酷い妄想なら幾らでも繰り返した。あまり夜に考え事をするのが好きじゃないのは、大抵こういう感情になるからだ。でもそれが全部徒労だったのならば逆に良かったとも思える。
「もう良いけどよ……おれは、てっきりお前がおれに飽きたのかと思って、一睡も出来なかったんだぞ」
「サボ……」
苦笑するおれの両肩を、エースは思いの外強く掴んで真正面を向かせる。そして燃えるように真剣な瞳ではっきりと告げた。
「それだけは絶対有り得ねェよ。サボが嫌だって言ったって、おれは絶対お前のこと逃さねェから。たとえ、お前に他に好きな奴が出来ても、お前の幸せがここ以外にあっても──おれは手を離してやれねェ」
真っ直ぐこちらを射抜いてくる視線はじりじりと焦げそうなくらいに強いのに、不思議なことに、同時に悲しみや不安すらも感じられた。まるで置き去りにされた子どものような瞳だった。
そんな顔するなよ、おれはどこにも行かないから。そう言おうか迷っている内に、エースは急に声を弾ませて抱きついてくる。
「……なんて、カッコ悪ィよな! 分かってる、サボはいつもしっかり切り替え出来てて大人だもんなァ。おれは毎日毎晩お前のことばっか考えてんのによ」
「そんなこと、」
「つらいこと想像させちまったなら悪かったけど、サボは昨夜一晩おれのことで頭いっぱいだったんだろ? それは正直、なんか嬉しいわ」
ごめんな。ありがとう。
抱きしめたままそう続けられたというのに、もう怒ってはいられないだろう。おれの肩に顎をのせたエースの、今の表情が見られないのが気がかりで、おれは背中に回した手で優しくポンポンと合図してやる。これで仲直りだな。
と、油断していると、急にエースの手がおれの尻を掴んだ。
「わっ?!」
「あー、こうやってると早く抱きたくてたまんなくなる……開発されすぎて何やってもどこ触っても感じまくっちまって、一番キモチイイところから降りれなくなって顔真っ赤にして泣いてるサボすっっげェ可愛いからなァ。逃げられないようガッチリ抱き締めながら一滴残らずサボに注ぎてェ……やべ、思い出したら顔ニヤけてきた」
明け透けな物言いと共に尻を揉まれると、その刺激のせいでおれもまた既知の快感を反芻してしまう。何度味わっても慣れることのない、エースとのセックスを。
「……『スケベ』だぞ、エース」
呆れた声を作ったつもりだったが、どうにも声に期待が滲んでしまっていたらしい。「サボの方こそ」と低く笑うエースの声が身体に響く。それだけで胸の奥が疼いてどうしようもなくなってしまうから、おれ達の週末同棲はまだまだ続くことだろう。
【完】
オマケ
Q、一晩寝かせたサボは結局美味しかったんですか?
A、とっても美味しかったので今度は二晩寝かせてみるかとエースが言ったところ、若干吹っ切れたサボが「そんなことしたら今度は勝手にお前の上に跨ってやる」と言ったそうです。エースは「それも良いな」と思ったとのことでした。