Novels📝



▼ 半月通信


 半月に雲のかからない夜。
 互いに波音が聞こえる場所。
 それが『彼』との電伝虫が繋がる条件でした。

   ■

 『彼』と話す時、サボはいつも海岸をひとり歩くことにしていました。任務の話よりも、ずっとずっと秘密の会話をしているからです。家族のような仲間達にも、尊敬する総司令官にも、このことだけは一切告げていません。

『──んで、どうやらおれは、食ってる最中にいつの間にか寝ちまってたみてェなんだ』
「あっ! じゃあ、顔面血だらけだって思われたのはトマトソースのせいか!」
『そういうことだ。いやァ、あん時は参ったな』
「っつーか食ってる最中で寝る奴が居るかよ」
『居るんだな、ここに』
「なんでちょっと誇らしげなんだ」

 夜の海風は身を切る寒さですが、『彼』の話があまりに可笑しいのでサボは顔が火照るほど笑ってしまいます。相手の表情を模している小電伝虫も、サボの掌の上で愉しそうに大口を開いていました。小電伝虫がどちらの顔になるかは不規則に決まるものですが、サボは「いつも相手のものだったら良いのになァ」と思わずにはいられません。声しか聴いたことのない『彼』のことが、幾分か身近に感じられるからです。

   ■

 顔も名前も知らない『彼』と話をするようになったのは、もう半年以上も前のことでした。その日、たまたま夜風に当たっていたサボのポケットの中で、小電伝虫がぷるぷると鳴きました。参謀総長に直接連絡出来る人間など限られています。それゆえサボも、「きっと別行動中のコアラだろう」と深く考えずに通話に出たのでした。
 しかし、そこから聞こえてきたのは、全く知らない男の声だったのです。
 最初はサボも驚き、そして警戒しました。他の誰も知らないはずの番号です。しかし、掛けてきた相手の方も『あれ? なんで勝手にかかってんだ?』と不思議そうな声を発していました。あらゆる意味で、様子がおかしいのです。
 この時、本来であれば、サボは決して警戒を解いてはならなかったのでしょう。革命軍参謀総長という、とても重要で、とびきり危険な立場にあるからです。そのまま無言で切るのが適切ですし、そうでなくとも元より用件人間と呼ばれるサボなのですから、不要な通話などすぐに終わらせてしかるべきでした。
 けれど、その時のサボは、どうしてか通話を切る気になれませんでした。そればかりか、つい助け舟を出すように「間違い電伝虫だぞ」と返事をしてしまったのです。
 『なんだそりゃ、そんなことあるのかよ』と、掛けてきた当人にも関わらず『彼』は呆れた声を上げました。「それはこっちが聞きてェよ」と、サボは思わず会話を続けました。
 『おれが掛けたって言いてェのか?』「実際そうだろうが」『おれは寝てたんだぞ』「じゃあ寝ながら掛けたんだろ」『そういや変な夢は見た気がするな……どっかの島で誰かに呼ばれて、そんで、』「ちょっと待て。今からそれ語る気か?」──ああだこうだと要領を得ない会話をしている内に、可笑しくなって二人はどちらとも知れず笑い出してしまいました。見知らぬ相手と重なる笑い声に、サボは自分が高揚しているのを自覚しました。こんな風に、立場も忘れて大声で笑うのはいつぶりでしょうか。まるで自分が何の変哲もない、ただの二十歳の男のようにすら思えました。
 初めて話したとは思えないほど噛み合う会話のテンポのおかげでしょうか、それとも夜中に見知らぬ相手と話しているという非日常のせいでしょうか。二人が驚くほど意気投合するのに、時間はそれほど必要ではありませんでした。
 そうして、その夜、二人は古くからの友人であるかのように、大いに会話を愉しんだのでした。

  ■

『おっと、そういや、やっぱ雨だとダメみてェだったぞ。さっきまでは何度触ってみてもどこにも繋がらなかったんだ。急に晴れたから良かったけどよ』
「成る程な。それなら、晴れた半月の夜、海のすぐ近くでっていう条件で間違い無さそうだ。特定の条件下でだけ勝手に繋がるってのも、どういう仕組みなのかは全然分からないが……不思議だな」

 本当に不思議な話でした。『彼』の言によると、番号を押さずとも、ただ電伝虫に触れているだけで勝手に繋がるのだそうです。他の人のところに繋がったことは今までただの一度も無いとのことで、それは通話を受けるサボの方も同じでした。仲間以外から電伝虫がかかってくるのは、この『彼』からの通話、ただそれだけです。

『こんだけ喋ってんのに、お互い名前も知らねェもんな』

 まるでからかうように『彼』は言います。しかし、『彼』は決してサボの素性を問い質そうとはしませんでした。名前も、年齢も、何をしているのかも一切訊いては来ません。サボもまた、『彼』にそれを尋ねることはありませんでした。だから、二人は顔も名前も知らないまま友達になったのです。
 それでも、言外に伝わる雰囲気というものはあって、サボは『彼』がその辺の一般人ではないことは薄々感づいていました。ただ、そこに踏み入ってしまうことで月に一度のこの関係が終わってしまうのは、あまりにも勿体無い話でした。
 サボには十歳より前の記憶がありません。気がついた時には既に今の環境に居たので、青年へと成長してからも漠然と、まるで見知らぬ物語の中に一人ぽんと投げ込まれたかのような心地がしていました。だからサボにとって『彼』は、『物語の外』で出来た、唯一にして初めての友達なのです。

「おれなんて、こっちから掛ける方法もねェんだぞ」

 サボは友達である『彼』にそう答えて唇を尖らせます。
 通話を掛けられるのは『彼』からのみで、こちらから何度試してみてもこの不思議な現象は起こせませんでした。サボはいつも電伝虫がかかってくるのを待つばかりです。もしこの関係に『彼』が飽きてしまったら、サボには引き止めることも出来やしないでしょう。それは想像するだけでもとても寂しく辛いことですが、けれど、原因は『彼』でなく自分にありました。

「おれは番号教えても良いんだけど、そっちがダメなんだろ?」

 『彼』も少しばかり拗ねたように言いました。
 そう、確かに以前から『彼』は、「半月の夜以外にも話したいから」と、直接通話しようと提案してくれていたのでした。サボにとっては願ってもない申し出ですし、素直に嬉しくもありました。
 しかし、サボはどうしても良い返事を返すことが出来ません。それというのも、サボの持っている小電伝虫は参謀総長専用のこれひとつきりなのです。幾ら相手が『彼』とはいえ、革命軍参謀総長の電伝虫の番号を伝えるのは憚られました。

「ごめんな……ちょっとワケありなんだ」

 友達だと思っているのに、サボにはこう答えるしかありません。悔しさが声に滲んでいたのでしょうか、『彼』は分かってるさと快活に笑い、すぐに話を変えてくれました。その優しさに、サボは胸の奥がぎゅっと痛む気がしました。

   ■

 サボが話すのは、いつも何の変哲もない日常のことでした。何を食べただとか、どんな風景を見ただとか──自分でもつまらないなと思うのですが、どうしようもありません。革命軍に関することなど何ひとつ話せないからです。それでも『彼』は、サボが何を話しても興味深そうに耳を傾けてくれます。ラーメンが好物だと話した時には、『お前、分かってんなァ!』と声を弾ませていました。

『おれもラーメンにゃ思い入れがあるんだ。最近は食っちゃいねェが……ガキの頃に兄弟と食ったラーメンが忘れらんねェ』

 『彼』は時折、懐しそうに子どもの頃の話をしました。仲の良い兄弟が居るらしく、特に弟のことは誇らしげに語ります。サボは今まで、己の記憶喪失についてそれほど深く顧みることはありませんでしたが、この時ばかりは、自分にも人に語れるような思い出があれば良かったのにと残念に思いました。
 子どもの頃の話を振られる度に言い淀んでしまうサボに、何かを察したのでしょう。次第に『彼』も昔話をすることは少なくなっていきました。
 代わりというわけではありませんが、『彼』は今、ある男を追っているのだと語りました。大切な人かと問うと、真逆だと『彼』は吐き捨てるように答えます。『彼』の方もワケありなのだな、とサボは目を細めました。
 もしかしたら、革命軍参謀総長という立場を使えば、『彼』の人探しの手助けが出来るかもしれない──サボはそうも思いました。しかし、やはり、それ以上その話題に踏み込むことはしませんでした。革命軍は世界政府と敵対する組織であり、誰にでも歓迎されるようなものではありません。サボは自分が革命軍であることを誇りに思っていますが、一方で、自分の所属を明らかにすることで『彼』が離れていってしまうのも怖かったのです。

   ■

 ある夜のことです。『彼』は、追っている男について有力な情報を得たと言いました。今まで耳にしたことのないような、とても真剣な声でした。

『潜伏してるっつー島が分かったんだ。少し離れちゃいるが、逃げられる前には追いつけるだろう。おれはそこでこの旅にケリをつけるつもりだ。だから──』

 『彼』はそこで一度言葉を区切ると、意を決したように続きを口にしました。

『全部終わったら、お前に会いに行っても良いか?』

 サボは驚きました。まさか『彼』の方からそんなことを言い出すとは夢にも思わなかったのです。息を呑んだサボの反応をどう受け止めたのでしょうか。『彼』はわざとおどけた声で続けます。

『あーっと、アレだ、いい加減この電伝虫の顔見て喋るのも飽きたっつーか……まァ、おれが誰か知っちまったら、お前のことびびらせちまうかも知れねェが、』
「んなわけねェだろ!」

 思わずサボは叫びました。相手が恐ろしい形相の大男だったとしてもサボが怯えることなどありえません。それどころか、たとえ彼が大罪人であろうとも構いやしませんでした。むしろ、『彼』が革命軍参謀総長の顔と名前を知っていたら……と危惧もしましたが、それでも今は『彼』に会いたいという気持ちが勝りました。

「──おれも会いたいよ。お前に」

 サボが答えると、『彼』は少し間を置いてから、ほっとしたように息を吐きました。

『……それなら良かった。じゃあ、こっちのカタが付き次第おれの方から出向くつもりでいるが、それで良いか?』
「本当か?! あ、でも、おれも旅続きで、ここだって明日には経つし……どうしたもんかな。今度は一ヶ月くらいはかかりそうだし、互いの居場所がどれくらい距離が離れているかにもよるし──」

 よくよく考えてみると、会おうとしてもそう簡単に会えるわけではないのです。お互いグランドラインに居ることは会話の端々から察せられましたが、この海は広く危険で、気軽に行き来出来るような場所ではありません。どうやって待ち合わせをして落ち合うべきか、サボは頭を悩ませました。いっそ北軍のカラスに頼んで、サボが空を飛んで『彼』の居る島まで会いに行った方が──とアイデアが浮かんだものの、それを『彼』にもカラスにもどうやって説明したら良いか分かりません。
 考えあぐねたサボがああでもないこうでもないと唸っていると、電伝虫の向こうで『彼』が小さく笑った気配がしました。

『何も今すぐ段取り全部決めようってんじゃねェさ。おれもまだどうなるか分からねェし──次の半月の夜にでも、もう一度考えようぜ?』
「え? あ、そうか。悪ィ、つい先走っちまって……」

 サボは少しばかり恥ずかしくなりましたが、ひとまず次の機会に本格的に話し合うことになったので、それまでに方法を考えておくことにしました。参謀総長の地位は伊達ではありませんから、どれほど不可能に見える状況であってもそれを打破する作戦を考えるのはお手のものです。それに、どういう仕組みかは分からないとはいえ、小電伝虫の音声がこれだけ明瞭に繋がるのです。存外、すぐ近くに居るのかもしれません。
 そう思うと、サボの心臓は急に早鐘を打ち始めました。『彼』に会うというのが、一気に現実味を増したのです。声しか知らない『彼』は一体どんな人でしょうか。『彼』は自分を見て一体どう思うでしょうか。サボにはこの胸の高鳴りが緊張なのか期待なのか、それとも別の何なのか、すっかり分からなくなっていました。

『…………実はすげェ緊張した』

 己の胸に手を当てて密かに深呼吸をしていると、『彼』がぽつりとつぶやきました。何の話か分からず、サボは「えっ?」と聞き返しました。

『会いに行って良いかって切り出すの……断られたらどうしようと思ってよ』
「……お前でも緊張するんだな。新発見だ」
『なんだよ、緊張しちゃ悪ィか!』
「いいや? 普段もっと傍若無人なエピソードばっか聞いてるから、らしくねェなあって思っただけ」
『それは……まあ、おれもそう思うけどよ』

 『彼』の言葉に、あちらとこちらで笑い声が重なります。サボは軽口を返しこそしましたが、本当は『彼』の緊張はとても嬉しいものでした。自分ばかりじゃないのだと思うと顔がにやけてしまいそうです。どうか相手の電伝虫が自分の表情を模していませんようにと、サボは密かに願いました。

   ■

 待ちに待った半月の夜です。
 お誂えのように空は晴れて、雲ひとつありません。いつもは波打ち際を歩くサボですが、今夜は滞在先の宿のテラスで、小さなテーブルに片肘をついていました。テーブルの上には文字と図でいっぱいの紙の束を準備しています。『彼』と会うための作戦をめいっぱい立ててきたのでした。『彼』が今どんな場所に居たって会えるよう、予め幾つものパターンを考えてありました。任務の合間の作業は毎日深夜まで続きましたが、サボには苦でもありませんでした。それどころか考えれば考えるほど、会える日のことが楽しみになって仕方がないほどです。
 用意した紙面が読みやすいようにと、サボはランタンに火を点けようとしました。しかし、どうしても火が点きません。風も無く、蝋も充分残っているのに、どうしてでしょうか。仕方なく、諦めてランタンを足元へと降ろしました。テラスには青い月の光が斜めに射し込んでいるので、目を凝らせば見えないこともないでしょう。
 サボはテーブルの上で休んでいる小電伝虫をじっと見つめました。普段ならとっくに掛かって来ている時刻ですが、今夜は少し遅れているようです。けれど、こうやって心躍らせて『彼』からの連絡を待つ時間のことが、サボは嫌いではありませんでした。
 この約一ヶ月の間、サボはずっと『彼』のことを考えていました。会う方法のことは勿論、もっと別のことにも考えを巡らせました。もしかしたら相手は海軍やCPかもしれないだとか、全てはサボをおびき出す罠かもしれないだとか──最悪の事態まで想定するのは参謀総長としては当然のことです。
 しかし、最悪の想像をする一方で、サボは『彼』の言葉に嘘を感じてはいませんでした。あるいは、もしも全てが嘘だったのななら、もはや騙されたって構わないとすら感じていました。その想いは、友情というより別の名で呼ぶのが相応しいものかもしれませんが、サボには何もかもが初めてなので、そこまで思い至ることは出来ません。

「早く会いてェな──今すぐ会いたいくらいだ」

 サボは、手袋の指先で紙の束をいじりながら、うっとりと目を細めて『彼』からの連絡を待ちます。風のないテラスに響くのは、寄せては返す波音ばかり。それでも、半月が寂しげに海へと沈み、水平線が堪え切れない涙のように淡く輝き始めてからも、サボは、ずっと、ずっと『彼』のことを待っていました。

                                     【完】


------------------------------------

オマケの会話文(生存IFver.への分岐)

更に一ヶ月後の半月の夜

『前回は悪かった! とんでもねェ豪雨が一晩中止まなかったんだ!』
「……いや、いいんだ。今日掛かってきて安心した」
『おれからしか掛けられねェってのに約束も守れず、本当に悪かった。クソ、しかしあの雨のせいで、こっちの用事にも遅れを取っちまった──今度はバナロ島の方だっていうから戻らなきゃならねェ』
「バナロ島だって?」
『ん? ああ、そうだ。そこに行ったって話を聞いてな。マジかは分からねェが──』
「バナロ島、バナロ島……ああ、やっぱり。結構近くだな。その手前の島までなら定期船もあるし、いっそそこで会わないか?」
『えっ? あー……いや、おれは追ってる奴とケリをつけなきゃならねェんだ。だから、その後で、』
「別に邪魔はしねェよ。ただ、タイミング的に今を逃すと会いに行きづらい」
『お、おう……?』

みたいになってバナロ前に会えたら生存IFルートです。


- ナノ -