▼ よくあるラブコメ
狸寝入りが上手くなっちまった。自分でもそう思う。
数年前までは本気で寝坊していて、揺さぶられたって起きないくらいだったが、今は階段を上ってくる気配だけでも一気に目が冴える。瞼の裏には淡い金色の残像。何か良い夢を見ていた気はするけれど『良すぎる夢』じゃなかったことに、自分の下半身を確認してから安堵した。
寝転んだまま枕元のスマホに軽く触れれば、表示されるのは幾つもの通知と納得の時刻。まあ、そうだよなと内心頷いてからスマホはスリープにしておく。お前も一緒に狸寝入りだ。
そうしている間にも、勝手知ったる他人の家とばかりに、その足音は真っ直ぐおれの部屋へと向かってくる。あと三歩、二歩、一歩。頭の中で数えながら、おれはわざと窓へ向かって寝返りを打った。
「エース! まだ寝てんのか?! 起きろ!」
怒鳴り声にしては爽やかすぎる声と共に、ノックの一つもなく開かれる扉。
おれの一日は大体こうやって始まる──ようにしている。
「おう、サボ……おはよう」
口先だけで呟きながら掛け布団を引き寄せる。本当は今すぐ全力疾走出来るくらいには目も覚めていたが、そうだなんてバレちまったら一巻の終わりだ。サボが二度とおれを起こしに来ないってだけならまだしも、「なんで寝たふりなんてするんだ?」と純粋に問われてしまったら、おれは気の利いた嘘を返せる気がしない。
「『おはよう』って言ってる奴の態度じゃねェ、だ! ろッ!」
呆れ声と共にサボはおれのベッドに近づいてくると、容赦も慈悲もなく掛け布団を剥ぎ取りやがった。
おいおい、今日は最初からフルアクセルじゃねェか。今は大丈夫だったが、もし朝勃ちしちまってたらどうすんだよ。そりゃあサボだって同じ男なんだから生理現象だと分かっちゃくれるだろうが、どうしたっておれは気まずいし、後ろめたいだろ。
確か中学の頃、夢精しちまった朝に同じことをされて、咄嗟に手が出ちまったこともあった。幸いサボが避けてくれたからおれの拳は当たらずに済んだけど「おれじゃなかったら危なかっただろ」とサボは珍しく本気で怒っていたっけな。悪いすまねェ寝ぼけていたんだとその時は平身低頭謝ったが、出た手が握り拳だったのは今になって思えばまだマシだっただろう。誰の夢を見てああなってしまったのかを思えば、あのままベッドに引きずりこんで別の意味で手を出していたっておかしくなかった。
「ほらさっさと起きろって。ルージュさんも困ってるぞ? 朝メシ出来てるって」
「……別におれの前では『おばさん』で良いだろ」
身体を揺すってくるサボの手ではなく、その言葉の方に眉をひそめてからゆっくりと上体を起こす。何が『ルージュさん』だ。
「ダチにおふくろのこと名前で呼ばれるのキツイっつーの」
じとりと湿度の高い視線を向けてやると、サボは焦った様子で両手を振った。
「いや、だってルージュさんがそう呼べって言うから……あの顔でお願いされたら断れねェし」
「やめろよ、サボ。幾らあの野郎が家にほとんど居ねェからって、流石にお前のことオヤジって呼ぶことになるのは勘弁だぜ」
「だから違うって! そりゃルージュさんは美人だし、ソバカスの感じとか似……っつーかそんなくだんねェ冗談言ってる暇あるなら準備しろよ、遅刻するぞ!」
さっさと話を切り上げたサボは、慣れた様子でおれの通学バッグを拾い上げる。
くだんねェ冗談か。それは確かにそうだが、おれが「もし本当にそうだったら」なんて悩んだことあるの、サボは知らねェくせにな。
だって、もしそうだったら自分の母親が恋敵だぞ? 最悪すぎるだろ。
■
「しかし、よく考えるとお前らってスゲェよな」
偶然合流したデュースが感心したように頷いた。こいつは高校の近くに住んでいるから登校中にたまに一緒になる。
「家が隣同士の幼馴染で、中学も高校も一緒なんだろ?」
「小学校も一緒だ。おれが今の家に来たの五歳ん時だったから」
サボの家庭事情は少し複雑だ。おれん家の隣に住んでいるのだって、家族と一緒に引っ越してきたからではなく、元々あったあの家─元はガープのジジイが一人で住んでいた家だった─にサボだけがやって来たのだ。サボの元の家族もどこかで普通に暮らしているらしいが、その辺りはおれも詳しく知らない。
「じゃあ、もう十二年も一緒なんだな。そんで毎朝エースを起こしに行ってるってわけか……なるほどな」
「毎朝じゃねェよ、おれだって自分で起きるときはある」
「いや、ほぼ毎朝だろ。どんだけ連絡しても直接行かねェと起きねェし。もうおれの朝の予定にゃ『エースを起こしに行く』が入っちまってる」
「それなら予定通りにした方が良さそうだな。明日も頼むぜ」
「あのなァ、エース。おれは朝練行くルフィを送り出してからお前ん家行ってんだぞ?朝どれだけバタバタしてると思ってんだ? たまにはお前が起こしに来るくらいしてみせろよ」
おれ達が言い合いをしていると、デュースは「その辺は何でもいいけどよ」と前置きをしてから、些か興奮した様子で言った。
「──これって、もしサボが女子だったら、よくあるラブコメだよな!」
「ラブコメ?」
突然振って湧いた話題に、おれは怪訝さも隠さず眉を上げる。デュースは「そう、ラブコメ」と繰り返してから人差し指を立てた。
「女子にヤバいほどモテまくってるエースはわざわざフィクションのラブコメなんざ読まねェかもしれないが、あれでいて結構面白いんだぜ? ハーレム物なんかは投稿サイトでも人気あるしな」
「別におれはヤバイほどモテちゃいねェが」
「で、主人公の隣の家に住んでいる世話焼きな幼馴染みたいなのもラブコメの王道の一つなんだ。毎朝部屋まで起こしに来てくれて、どっちの両親からも公認って感じの。『付き合ってない!』って照れたように否定するんだけど、その声がぴったりハモってるとか。そのくせ主人公が他の女子と親しくしていると嫉妬しちまうとか鉄板だよな。結局正ヒロインだからくっつくんだけどよ、そこまでをどう魅せるかが創作者の腕の見せどころっつーか」
差し挟んだおれの言葉も無視して、デュースはつらつらと続ける。妙に詳しいな、ってそういやこいつ、小説書いてどっかに投稿しているんだっけ。
しかし、それにしたって──、
「具体的すぎだろデュース……エロゲの話か?」
「おい、引くな! エロゲとかじゃなくて、よくあるネタなんだって! ただ、そういう『家が隣同士の幼馴染』って現実でも居るんだなって思ってよ。やっぱ珍しいっつーか、特別な関係だろ?」
「特別っつっても……なァ、サボ?」
さっきからやけに静かなサボに話を振る。ハッとした顔で僅かに瞳を揺らしたサボは、もしかしたらデュースの話を聞き流していたのかもしれねェな。それでも、おれはこの機に乗じて、淡い期待と共にサボに問わずにはいられない。ほんの少しでも、その『特別』をサボが意識してくれたらと。
しかし、サボの答えはおれの浅はかな考えをあっけなく打ち崩した。
「……幼馴染なんて、そんな期待するほど『特別』でもねェよな」
冷淡な声でそう口にすると、サボは煩わしげに肩を上下させてから「っつーか全然なじみがねェんだよな、ラブコメって。ジャンプだったらどの作品?」と続ける。
「え? あ、ああジャンプで言うと……ちょっと待てアプリ見る」
アプリ派らしいデュースはそう言うとスマホを取り出した。サボはそれを覗きこむようにして歩いている。おれはというと、一人、その場に立ち尽くしていた。
──特別じゃねェ、か。
想像以上にバッサリ切られちまったな。まあ、仕方がねェさ、おれだってこんな気持ち知らなけりゃ、鼻先で笑って済ますようなつまんねェ言い回しだ。良くも悪くもただの幼馴染で、ただの友達だし、ましてや男同士だし。
この話題を振ったデュースに悪気がないのだって分かってる。おれはこの秘密を誰にも言ってないから、デュースは本当に『よくある話』として語っただけだ。
だけど──どうしようもなく胸が苦しい。漫画やゲームならよくある話なのに、おれの現実からはあまりにも遠すぎる。
立ち止まったままのおれに気付いたのか、顔を上げたサボが心配そうな瞬きと共におれを呼ぶ。
「どうした? エース。大丈夫か?」
「…………っと、いや、なんか忘れ物した気がしたが気のせいだった」
「なんだよそれ。大丈夫、おれがチェックしてっから。エースが数学の宿題してないのも知ってる」
「ヤベェ、そうだった! デュース、写させてくれ!」
「なんでおれなんだよ、サボのにしろよ!」
こうやってバカ騒ぎしながら高校に行って、またいつも通りの日々を過ごして、そして明日もサボは狸寝入りのおれを起こしにやって来てくれる。それで充分はずなのに、どうしてこんなにイライラしちまうんだろう。
ああ、クソ、大丈夫なわけねェだろ、特別なんだよ、サボがどう思おうと、こっちにとっちゃこの関係は『特別』なんだ。いつもどおりの日々だって、いつまでも続きはしないって分かっている。どんどん人間関係も広がっていって、サボだってスゲェ人気あるし、来年は受験だし、そうじゃなくたっていつか誰かが──ああ、畜生。何が『サボが女子だったらよくあるラブコメ』だ。
おれは、サボが女子じゃなくたってラブコメにしてェんだよ。
【完】
【あとがき(というか書ききれなかった設定)】
・サボ:エースがヤバいくらい女子にモテてるの知っているので、自分が幼馴染だからって全然特別じゃないし……と半ば諦めている。ルージュさんがエースに似ている(因果関係的には逆だけど)のでルージュさんのお願いにもちょっと弱い。一目惚れだったのでエースのことは五歳からずっと好き。
・デュース:実はなろう系小説とかでトップ取っててまもなく書籍化する、みたいなレベルの現役高校生小説家。エースがサボへの恋を打ち明けたら「ハッ……! あのときあんなこと言っちまってごめん! 男でもラブコメだから大丈夫だ、そういうのも多い!(?)」って謝ってくれそう。
・ルージュ:エースの気持ちもサボの気持ちも知っているので、毎朝「困ったわ……」なんて言いながらサボを息子の寝室に送り出している。
・ロジャー:めちゃくちゃ子煩悩なのに忙しすぎて全然家に帰れず「あの野郎」呼ばわりされている。
・ルフィ:サボと一緒に住んでいる中学生。たまーーーにドラゴンが帰ってくると一瞬「誰だ……?」って顔をするのでドラゴンは内心凹んでいる。
・ダダン:モンキー家の家政婦さんをしている。ほぼルフィとサボと同居みたいな感じ。普段は尊大だがガープが帰ってくるとペコペコする。