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▼ 海賊は唄う


 泣く子も黙るどころか酔った大人ですら素面に戻る、海にその名を知らぬ者なき白ひげ海賊団の船の一隻。その船首で胡座をかいて、エースはぼんやりと午後の潮風を感じていた。能力者なのだから海に落ちかねない場所になど近寄るなと古参の船員たちには口酸っぱく言われているのだが、この場所が一番心地好いのだから仕方がない。少しばかり暴れた後なこともあり、エースは調子の外れた鼻歌すら唄っていた。
 機嫌良く船を率いる二番隊隊長、その背に刻まれた誇り高き海賊旗の後方では、船員たちが先ほど小競り合いで沈めた船からの簒奪品を騒がしく検分している。しかしエースはお宝にはそれほど興味がない。エースは金や宝石と交換で手に入る物よりも、もっと得難い物が欲しいのだ──それが具体的に『何』なのか迷うこともあるのだけれども。

「隊長ォー! 見てくださいよコレ!」

 まだ年若い と言ってもエースとそれほど変わらないが 船員が楽しげに声を上げるので、エースは帽子を押さえながら振り返る。
 どうせ大きな宝石か珍しい金貨だろう。そう思いながらも見下ろせば、予想に反して、船員が手にしていたのは宝石でもなければ金貨の詰まった袋でもなかった。
 特徴的なひょうたん状の括れ、真ん中を貫く細い首の先はぐるりとカメレオンの尾のように巻いている。荒くれ者の手にあっては随分と小さく見えるそのフォルムに、ピンと張られた四つの弦とくれば──。

「──なんだ、バイオリンじゃねェか」

 片眉を上げながら呟くと、何故か船員たちの間に動揺とざわめきが波のように広がる。

「隊長が『バイオリン』って言ったぞ」
「おいエース、バイオリンなんて知ってたのか!」
「言っとくが食いモンじゃねェぞ?」
「そうなのか……って、おい誰だ今の! バカにしやがって!」

 バイオリンくらい知ってる、と鼻息も荒く船首から甲板へと飛び降りる。隊長に対するとは思えないような軽口に未ださざめく船員たちの元へと足を進めれば、その奥に見覚えのない、身なりの良い少年が緊凍りついたかのように直立していた。
 弟のルフィと同い年くらいだろうか。エースは少年を見ながら何度も首を傾げるが、やはり名前の一つも思い出せない。見れば見るほど顔が青ざめていく少年を指差して、エースは傍らの船員に問いかけた。

「こんな奴いたか?」
「えっ! いやいや、隊長がさっき『邪魔だから退けてろ』っておれたちに向かって放り投げたんじゃないっすか! そのまま乗せて来ちまいましたよ!」
「そうだったか?」

 ということは、先ほど沈めた敵船の船員なのだろう。覚えはないが、見るからに非戦闘員なので戦闘の邪魔だと放り投げたのも納得がいく。エースはこの海賊旗に難癖をつけてきた敵船に優しくしてやるような男ではないが、戦う術を持たない相手まで海の藻屑にするほど冷徹でもなかった。

「このバイオリン、こいつのなんすよ。どうもさっきの海賊船に間違って乗っちまった間抜けな音楽家らしいんでさあ」
「なるほど、そりゃあ間抜けだ」

 口さがなく言ってのけると、エースは船員の手からバイオリンをひょいと取り上げる。途端に音楽家だという少年がヒッと息を呑んだ。それを温度のない目で見下ろしてから、エースは船員に顎で合図して、バイオリンの弓も寄越させる。
 右手に弓、左手にバイオリン。
 記憶していたよりも随分と小さいその楽器を左肩に顎で挟むと、エースは無言のままに弦に弓を押し当てる。
 今度は少年のみならず、船員も息を呑んだ。

「嘘だろ、アンタ弾けんのかよ?」
「タンバリンじゃねえんだぞ、バイオリンだぞ!」
「有り得ねえ! 燃やしちまうのがオチだろ!」

 口々に上がる驚愕と懸念の言葉を他所に、エースは大きく息を吸う。弓を引く直前、十年近く昔の記憶が耳をくすぐった。


   ■


 <不確かな物の終着駅(グレイターミナル)>には、まさに玉石混淆とも言うべき大量のゴミと雑多なガラクタとほんの少しのお宝が運び込まれてくる。
 何に価値があって、どうすれば更に磨かれるのか。それを三兄弟の中で誰より知っているのはサボだった。
 エースが拾ってきたくすんだガラス玉を宝石と見抜き、ルフィの見つけた綺麗な絵皿を偽物と見破る。その目利きの良さは恐らくグレイターミナルの他の誰よりも抜きん出ていたことだろう。それゆえ三兄弟は大人たちが散々漁ったあとのゴミ山からでも売り物を見つけることが出来ていた。
 ある日、ルフィが「変なトカゲの置物見つけた!」と喜色満面に両手で抱えてきた物を、即座に楽器だと判じたのもサボだった。

「バイオリンじゃねェか! 随分と状態がいいな」

 受け取るなり、元々大きな目を更に丸くして叫ぶ。エースも初めて見る『ばいおりん』とやらに興味津々だったが、それより先に、兄としてはルフィの言葉に口を曲げねばならない。

「ルフィ、お前、これのどこがトカゲなんだよ」
「ここが頭でー、ここが、手と足だ!」

 サボが矯めつ眇めつしている楽器の先端を指差して、ルフィは目を輝かせる。

「こっから後ろのがデケェだろうが。なんで部分だけ見てんだ、全体を見ろ全体を」
「トカゲの尻尾がデカくなりすぎたんだ!」
「まあまあ」

 ヒートアップしていく言い合いを間に入ったサボが宥め、そしてルフィ曰くトカゲの手足である四つの取手を慣れた手つきで回し始めた。どうやらトカゲの手足は糸巻きのような物であるらしく、楽器の表面でうねっていた四本の弦が次々にピンと張られる。
 サボは小首を傾げるようにして楽器の胴へと耳を近づけると、その張られた弦を指先で軽く弾く。途端、高く清らかな、空まで響きそうな音がした。
 こんな音、エースは今まで聴いたこともない。
 驚きに瞬きを繰り返すエースの表情には気付かない様子で、サボは一人で満足気に頷くとルフィに「これくらいの棒が落ちてなかったか?」と手を広げて指し示す。

「細くて、そんで、もし状態が良けりゃ、馬の尻尾の毛が端と端を繋ぐように張られてるはずなんだが……見なかったか?」
「えっと……見たぞ! あっちに落ちてた!」

 言うが早いかルフィは駆け出して、そしてすぐさま棒切れを振り回しながら戻ってくる。

「スゲーな、弓も綺麗だ」

 受け取った棒を『弓』と呼んだサボは、またしても何かエースのよく分からない動作をして垂れ下がっていた馬の毛をピンと張った。
 右手に『弓』、左手に『ばいおりん』。
 サボのその姿は何だか妙に収まりが良くて、エースはどことなく面白くない気分になる。

「一体誰が捨てたんだろな?」
「大方、高町のお貴族様だろうよ」

 ルフィのあどけない声に冷たい返事を投げながら、エースはサボに「だろ?」と同意を求める。壊れてもいない楽器を捨てるだなんて、金と物が有り余っているあの連中以外有り得ない。
 サボは苦々しい表情で「だろうな」と首肯してから、そのまま流れるように左手の『ばいおりん』を顎と肩で挟み、右手の『弓』をそっと当てる。その手つきはまるで空気でも掴んでいるように柔らかく繊細で、普段鉄パイプを握っているのと同じ手とは到底思えないほどだった。
 滑らせるように右手を動かせば、しなった馬の毛が弦を震わせる。
 伏し目がちのサボの手元から鳴り響いた音は、先程弦を弾いた時とはまた違う、子守唄を歌う女の声のような、とても優しい音だった。

「わあ、サボ! 『ばりばりん』弾けるんだな!」

 ルフィが歓声を上げてその場で跳ねる。

「バイオリンな。弾けるってほどじゃねーよ、鳴らしただけだ。これくらい誰でも出来る」

 サボは苦笑しながら肩を竦めて、「でもちゃんと鳴るし、こりゃ高く売れるぞ」と頷く。


 エースは、声も出せなかった。


 知らない手つきで知らない楽器から知らない音色を生み出す、それがよく知っているはずのサボだということが目の前で見聞きしているのに納得出来ない。

「もっと弾いてくれよサボ!」
「そんな上手く弾けねェぞ?」

 甘えた素振りでルフィがねだれば、サボは笑いながら再び楽器を構える。肩幅に開いた足、構える腕の角度、顎の位置まで、何もかもが見覚えのないほどに精緻で、洗練されていた。エースは声も出せない喉で何とか唾を飲み込む。泣き出したいような、怒り狂いたいような、何とも区別のつかない気持ちが胸の中で嵐のように暴れていた。
 サボが弓を手品のように動かせば、魔法のように音が生まれる。

「ビンクスの酒だ! シャンクスたちも唄ってた!」

 ルフィは愉しげに手を叩き、すぐさまコーラスで演奏に参加した。
 海賊は唄うものだ。エースだって歌は嫌いじゃない。
 けれど、どうしても……どうしても、今だけは。

「──やめろッッ!」

 想像以上に鋭い声が出たことに、エースは己のことながら驚いた。途端に静まり返る場の空気に、しまったと口を覆いかけたが、それより先にサボが『ばいおりん』を肩から下ろして「そうだな」と笑う。

「あんまりうるさくして、他の連中にこのお宝拾ったことがバレるとまずいしな」
「えー、じゃあ高町で弾けばいいよ、おれ見たことあるぞ! 缶を置いて楽器を弾けば、みんなそこにお金を入れてくれるんだ!」
「何言ってんだルフィ、高町の連中からすればこんなの演奏の内にも入らねェよ。そんなことより売りに行こう、なあ、エース。そしたら、またラーメン食えるぞ!」

 サボは笑いながら『ばいおりん』をエースへと押し付けてくる。反射で受け取りながら、エースはやはり何も言えず、サボの目を見ることも適わず、ただ、何度か頷いてみせるだけだった。


   ■


 後から思えば、それはサボが高町で育った五歳までの間に、親から習わされた貴族の嗜みだったのだろう。サボの口ぶりから察するに、きっと、サボの演奏は両親の求める水準には達していなかったに違いない。誰にでも出来る、弾けた内にも入らないと繰り返していたサボの横顔を思い出すと、エースは胸が苦しくなる。
 けれど、あれから何年も経って、栄えた街の酒場などで軽快に奏でられるバイオリンの音色を幾度と無く聞いてきたが、あの日サボが奏でた音よりも優しい音など、エースは一度たりとも聞いたことがない。
 右手に弓、左手にバイオリン。
 あの日のサボを真似て、出来るだけ優しく、真綿を掴むように握った弓を、そっと弦に押し当てる。皆が息を呑む最中、ぐっと力を込めて弓を引いてみた。

 まるで、錆びた鉄扉を爪で引っ掻いたような、耳障り極まりない音が辺りに響いた。

 一瞬の沈黙の後、風船が弾けたかのように甲板を笑い声が埋め尽くす。

「ちょ、隊長、弾けてないじゃないっすか!」
「なんだ今のヒキガエルみてぇな音は!」
「見た目は良かったのに!」

 次々に上がる揶揄の声に、同じく大声で笑いながらエースが答える。

「バーカ、お前ら、バイオリンなんて素人がそう簡単に弾けるわけねェだろ!」

 そう、誰にでも出来ることなんかじゃねえよ。ここに居ない相手に向かって、エースは心の中で語りかける。
 あの時あの場で言ってやれば良かった。『自分の知らないサボ』が居る予感に嫉妬の炎を燃やすのではなく、ただ純粋に、サボの奏でるその音色が好きだと正直に言えたならば。
 けれど、どれだけ願っても、『もしも』なんて有り得ない。
 爆笑の渦の最中ひとりだけ青ざめたままの音楽家少年に視線を向けると、エースは手にしたバイオリンと弓を放り投げる。慌てて駆け寄った少年は甲板にうつ伏せに転がったが、楽器だけは落とさないようにキャッチしてみせた。大事そうに胸に抱えるその仕草を見て、エースは鼻を鳴らす。

「そんなに大事な物なら、勝手に奪われたってのに突っ立って震えてんじゃねえよ。男なら敵わずとも取り返しに行け」

 そう言うと、エースは少年の前に屈みこんで、帽子を押さえる。逆光になったエースの表情は少年からは窺えないことだろう。

「これも何かの縁だ、次の港に着いたら降ろしてやるよ。その後はどこへ行って何しようとお前の自由だ」

 泣く子も黙れば、酔漢も素面に戻る、悪名高き白ひげ海賊団の二番隊隊長とは思えないその言葉に、少年は心底驚いたようだ。呆けたようにエースを見上げて口をあんぐりと開いている。
 しかし、すぐさま「だがな」と付け加えれば、今度こそ息が止まってしまったのではというほどに身を固くした。その緊張が面白くて、エースは軽く笑ってから少年の頭を小突く。

「──それまではおれの船の船員だ。一曲頼むぜ音楽家、そうだな……『ビンクスの酒』がいい」

 そしてエースは前奏も待たずに、先んじて唄い始める。すぐさま船員たちが我も我もと声を重ねて、遂にはバイオリンの音色がそこに華を添えた。
 海賊は唄うものだ、だからエースも唄う。
 嬉しいときも、悔しいときも、その船の旗にドクロのマークが翻っている限り。

   【完】




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