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▼ はなはだフライング・スタート


「そんなにおれのこと好きなら、いっそ付き合うか?」

 確信的な笑みを浮かべるエースとは裏腹に、対するサボは、まるで古代語でも聞いたかのようにきょとんとした顔で目を瞬いた。
 そして「うーん……」と思案気な声を上げると、腕を組んで俯いたり、はたまた顎に手を遣って斜め上を見上げたりと、あからさまに熟考の形をとる。
 どうにも風向きがおかしい。エースの予想では、サボは驚くだか狼狽えるだかを一頻りやった後、照れくさそうな笑みと共にエースの申し出を喜んで受け入れるはずだった。こんな風に、冷静な顔つきで時間をかけて悩まれるなんて、有り得ない。
 しかし、こんなことが前にもあった、とエースは思い出す。まだまだ子どもの時分、兄弟盃を交わす直前、サボがエースの船の航海士でなく──。
 淡い記憶を辿りかけた頃、不意にサボがエースへと向き直る。それから「『付き合う』か……おれにそんな……」と確認のように繰り返したかと思うと、エースの想像とは全く別種の笑顔と共に、とても快活に答えた。

「……無いな!」

   ■

 その『事件』から、約一週間が経った頃。
 白ひげの縄張り内の港街で、喧騒にわく酒場のバーカウンターにエースは顔から突っ伏していた。また酒盛りの最中に突然寝たのか、とエースをよく知る者ならば誰しもが頷くだろうが、今回ばかりは事情が違っていた。

「……で、あっさり振られちまって一週間も引きずってんのかよい」

 隣に座ったマルコが、趣味で集めているというバーのコースターを指先でつまみながら呆れた声で言う。返す言葉もないエースは顔すら上げなかったのだが、マルコは慰めるかのように肩を叩いてきた。もしかしたらエースが泣いていると思ったのかもしれない。
 別に涙は流していなかったが、ショックを引きずっているのは本当だった。あまりにも想定外すぎて、どうしてこうなったのかエース自身、未だに理解しきれていないほどだ。

 思い返せば、エースがサボと再会したのは、今から半年ほど前のことだった。
 子どもの頃に喪ったとばかり思っていたのだから、生きていただけでも目玉が飛び出そうなほど驚いたし、その成長ぶりにも大いに目を瞠った。十年ものあいだ記憶喪失だったことも、海賊でなく革命軍の参謀総長をやっていることも、何もかもが想像の埒外で、エースは事実を飲み込むのに随分と時間がかかったものだ。
 そして、離れ離れだった時間を埋めるように、幾度となく顔を合わせては昼も夜もと語り合う内に、エースは再び小さな驚きを得ることとなる──サボが『火拳のエース』のファンとなっていたからだ。
 教えてもいないスペード海賊団時代の航路すら知っているし、メラメラの実の話をすれば「ああ、確かシクシスで食ったんだよな!」とエースですら忘れかけていた東の海の無人島の名を口にしてみせる。
 何故知っているのかと問えば、サボはあっけらかんと「調べた」と答えた。だが、エース本人の口から聞く冒険譚は何にも代えがたいらしく、会う度に「もっと教えてくれよ、エースのこと」とせがむようになった。
 とある島を一緒に歩いている最中に海兵に追いかけられた時なんて、折角の時間を邪魔されたことを厭ったエースが大技を使うと、サボは酷く興奮した様子で「火拳のエースの技が目の前で見られるなんて……!」と頬を紅潮させまでするのだ。

 故に、エースは思った。
 こいつ、おれのこと大好きだな、と。

 ところが、一週間ほど前、再び待ち合わせをしてサボと語らっている際に、サボがバルトロメオと頻繁に会っていると言い出したのだ。
 バルトロメオといえば、一般には人食いのバルトロメオとして悪名を轟かせているが、エースとしてはむしろ、弟であるルフィの熱狂的ファンとして認識している男だ。何と言っても、ファンが高じて陸のマフィアから海賊にまでなったというのだから、筋金入りのマニアである。
 そのバルトロメオとサボが頻繁に会う理由が、エースには分からない。

「なんで? おれよりあいつと会いてェ理由なんてあんのか?」

 正体不明の苛立ちを抱えつつも努めて冷静に訊いてみたところ、サボは気恥ずかしそうに声をひそめて答えた。

「実は……おれ、『火拳のエースファンクラブ』ってのに入ってて、その会長がバルトロメオなんだ。だから会って色々教えてもらってる」

 バルトロメオは時間や場所の融通も効くみてェだから顔を合わせやすいんだ、とサボは顔を赤らめる──『それ』がエースの気に障った。
 そんなものあるなんて初耳なんだが、だの。
 ファンクラブに入るほどだったのか、だの。
 バルトロメオと随分仲良さそうだな、だの。
 思うところは多々あれど、最もエースの頭の中を黒く塗りつぶしたのは『なんでおれじゃなくバルトロメオなんだ』という一点だった。
 お前が好きなのはおれだろう、それならおれ本人と会えば良いのに──そう思ってしまったエースは、その後、完全なる上から目線で交際を申し出たのだが。

「──まさかNOと言われるなんざ思ってもみなかった……」

 バーカウンターに突っ伏したまま、エースはくぐもった声で言う。何度振り返っても分からない。どうして断るなんて選択肢が出て来たのか。多少言い方はまずかったかもしれないが、ファンクラブに入るほど好きだというなら、絶対に喜んでくれるはずだったのに。

「あんなに可愛い顔して、こっちが息するの忘れちまいそうなくらいおれのこと見つめて、宝石みてェな目を輝かせながら『エースは凄いな』『もっとお前のこと教えてくれよ』『次に会える日が待ち遠しい』とか言われたらよ、絶対惚れられてんだと思うじゃねェか……いつの間にあんな小悪魔に……子どもの頃は天使みてェだったのに……」
「もうそれはサボがどうとかいう以前に、お前の方が惚れてんだよい」
「──えっ?」

 エースは即座に顔を上げる。マルコは疲労すら滲ませて両肩を竦めたが、それ以上エースには何も言わず、マスターに追加の酒を注文した。

「おれが、サボに、惚れてる……?」

 口に出してみると、途端にしっくりと馴染む気がする。
 一緒にいると落ち着くのに、同時に全然落ち着かなくなってしまうのも。
 サボの声を聞くだけでも心が躍るのに、同時にギュッと心臓握られたような気になってしまうのも。
 バルトロメオと頻繁に会っていると聞いて、寂しいような、悔しいような気分になってしまうのも。
 エースが咀嚼しきれないでいた複雑な感情が、そのたった一言だけで、あまりにも分かりやすい形へと姿を変える。


「──おれ、サボに惚れちまってんじゃねェか!!」


「うるせェよい、エース! そこに気付かねェまま一週間近くも燻ってたのか」
「全然気付かなかった……えっ、じゃあおれ、惚れたって自覚する前に失恋しちまったってのか!?」

 嘘だろ、とエースは両肘をカウンターについて頭を抱える。マルコはというと、言うべきか言わざるべきか、いくらか逡巡した様子ではあったが──しかし、海賊団の大事な末っ子の一大事とあっては仕方がないと口を開く。

「いいや、今まで見てきた限りじゃ……『失恋』はしてねェよい」
「どういうことだ?」
「要するにここがスタートラインだってことだ」

 口説き方まで教えるつもりはねェからなァ、とマルコは新しく出されたショットグラスを勢い良く傾ける。そして空となったグラスの底でカウンターに小気味良い音を響かせると、除けていたコースターを取り上げて颯爽と店を後にするのであった。

   【完】


※周りから見ても明らかにサボはエースのこと大好きだけど記憶喪失など色々引け目がある感じで、「無いな!」という答えも「(おれが幾らエースのこと好きだからって、エースと付き合うなんておれにそんな資格)無いな!」の意味でした。なので、ちゃんとエースが「おれがサボのこと好きなんだ」と告白したら大丈夫なやつです。




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