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 白ひげの縄張りの中でも有数の歓楽街とあっては、寄港した船員たちが我先にとタラップを降りていくのも当然だった。
 しかし、エースはというと、最小限の人数を残しただけのモビーディック号の甲板でぬるま湯のような潮風に当たりながら、夕陽が波間に融けていくのを眺めていた。

「エース」
「おう」

 背中からデュースに声を掛けられても、振り向かないまま水平線を見続ける。恋人からの便りを手にした一点の黒い粒がふらふらと飛んでくるのを待っているせいだ──今日の朝からずっと。

「『コウモリ』なら反対側から来たぞ」
「ハァ!?」

 唐突な言葉に驚いて振り返れば、果たしてデュースの手には一通の手紙があった。サボがいつも使っているシンプルな真っ白い封筒だ。

「おいおい、西から来るんじゃねェのかよ?!」

 サボのビブルカードは確かに西へと動いていたというのに、どうして東から伝書バットが来るのか。
 抗議の声に「おれが知るか」と肩を竦めるデュースの手から勢い良く手紙を取り上げる。表書きの簡素な『Ace』という宛名は僅かに滲んでいて、封筒自体も少しばかりしっとりとしていた。もしかしたら、途中で小規模な嵐にでもあって迂回して来たのかもしれない。急激かつ局地的な天候変化はグランドラインの常だ。

「それにしても、見た目が完全に世界政府が使ってるのと同じだから、あのコウモリ──伝書バットを見かける度に一瞬ドキッとしちまうぜ」

 デュースは仮面の奥の目を細めて難しい顔をしてみせる。

「そうか? 革命軍の伝書バットの方が顔つき良いぜ」

 本来、伝書バットは世界政府からの通達に用いられる、特別に訓練されたコウモリだ。そのコウモリを途中で捕まえて独自に繁殖させたのが革命軍の伝書バットなので、種類としては同じではあるが、育て方の違いが顔つきに表れているとエースは思う。
 デュースは「顔まで見るかよ」と呆れた声を上げてから、それよりも、と話を続けた。

「お前は出掛けないのか? 隊長が行かなきゃ下の奴らも繰り出しづらいみたいなんだが」
「あいつらがそんなこと気にするタマかよ」

 エースは鼻先で笑いつつ、焦る指で封筒を開きかけたが、しかし、不意に思い直して顔を上げる。
 普段の態度こそ横柄な輩が多いが、なんだかんだで真摯に慕ってくれる奴らばかりだ。少々くすぐったくもあるが、あの連中ならば「隊長一人置いては楽しめない」と二心なく言う気もした。

「いや……おれも後で合流する。今日は船上じゃあったかいメシは出してもらえそうにねェしな」

 なんといっても、料理人たちですら全力で駆け下りていたのだ。見張り役には差し入れがあるだろうが、船内で待っていれば誰かが食事を作ってくれる、なんて甘い展開にはならないだろう。
 それじゃお先に、と手を上げて去っていくデュースの後ろ姿に、エースは慌てて声をかける。折角大きな島に錨をおろしたというのに、うっかり忘れかけていたのだ。

「っと、そうだ、デュース! 悪ィが、」
「『本屋探しといてくれ』だろ? おれも欲しい新刊小説があるんだ。ついでにサボが興味ありそうな本も幾つか選んでおいてやるよ」

 どうやらデュースはエースの『うっかり』も含めてすべてお見通しだったようだ。外出を促したのも─他の仲間のためというのも本当だろうが─いつもの『手土産』を探さなくていいのか、と言外に伝えに来たのだろう。
 気が利く優秀な仲間がタラップを降りていくのを、今度こそエースは見送った。新刊小説とやらくらい、ついでにエースが買ってやってもいいかもしれない。

   ■

 サボからの手紙の書き出しはいつも同じだ。
 エースのことを気遣いつつも「お前のことだ、元気でやっていると思う」と信頼の滲んだ言葉で始める。
 船の欄干に両肘をついて見下ろす幾葉もの手紙には、いかにサボがいつもエースを想っているのかが、さりげなくも熱のこもった筆致で書かれていた。新聞記事でエースの名前を見かけたこと、伝統料理がやけに辛いものばかりの島を見つけたのでいずれエースを連れて行ってみたいこと、エースからの手土産の本に書かれた郷土史が非常に興味深いものであったこと、前回の逢瀬で訪れた小さな教会でのひと時を今もよく思い出すこと。
 上品な筆跡をわざと崩すかのように斜めに書かれた文字は、それでもまだ隠しきれぬ端正さをにじませていて、書いた当人の人となりをよく表していた。サボらしいな、と、見慣れた字にも関わらずエースは手紙を優しく撫でてしまう。
 そこから先は、なんてことない天気の話が書いてある──ように他の者が見たら思うだろう。
 だが、それは子どもの頃に一緒に考えた海賊暗号を元にした文章だ。解読方法を知っているエースには、サボの現在地と次の逢瀬の候補地が分かるようになっている。
 万が一だれかに途中で手紙を読まれた時のために、重要な部分だけはこうやって暗号化するのが伝書バットを使う上での約束事だった。多少不便さはあるが、互いに億超えの賞金首だから仕方がない。それに、少し子どもじみた一手間も時には楽しいものだ。
 ちなみにエースとサボが作った海賊暗号については、ルフィにもやり方を教えていたはずだが、あの弟が未だにこれを読めるかは定かではない。今度会ったら覚えているか確かめよう、とエースは心に決める。
 時間をかけながら読み進めていくと、どうやらサボは伝書バットが丸一日程度で飛んで来られるくらいの、随分と近い海域に居るようだった。手紙を書いた日から四日後には移動して、有名な観光島付近で補給をするらしい。革命軍の割には大胆な寄り道だから、今回は少人数で動いているのだろう。コアラやハックとの三人行動といったところか。

「っつーことは、会いに行くならそのタイミングだな」

 久々に恋人に会えるとなって、エースは思わず唇を持ち上げる。ともあれ、ひとまず最後まで読もうと文字を目で追っていると、『愛をこめて』という結びの言葉の下に、いつもは無い余白があることに気がついた。

「ん?」

 その余白には囲むようにぐるぐると幾重かの丸が描かれており、その下には矢印と共に簡素な言葉が書いてあった。


『  追伸 
    この辺りにキスしておいたので
    よろしく頼む            』


「──ぶはっ、なんだそりゃ!」

 どちらかというと、いつもはエースが無茶をしてはサボが止めるというのが幼い頃からの役回りだったが、しかし、時々サボはエースが思いもよらないことを突然やってのける。今回のコレだってそうだ。
 口紅を塗っているわけでもないサボだから、手紙上にはキスマークなんて欠片も残っちゃいない。だからこそ、サボはキスしてみた後に、慌ててその箇所を丸で囲んで、注釈までつけてみたといったところだろうが──。

「頭良いんだから、手紙にキスする前に分からねェか? 可愛いことしやがって」

 サボがどうしてそれを思いついて、どんな風に手紙に唇を寄せて、その後どんな様子でこの注釈を走り書きしたのか。それを想像するだけで、あまりの愛らしさにエースはたまらない気持ちになってしまう。
 柔らかく目を細めたエースは、円で囲まれた空白をなぞる。封筒は僅かに湿気を帯びていたが、中の手紙は乾いていたから、親指にはかさついた紙の感触があるだけだ。
 けれど、エースの指先はまざまざと思い出す。
 日夜戦いを繰り広げている男の唇とは思えないほどに柔らかいあの感触を。
 まるでエースに食まれ、啄まれるために創造されたかのようなあの弾力を。

「……思い出すと変に火ィついちまうだろうが」

 そう呟いたエースは、引き寄せられるように手紙に唇を重ねる。サボもこうしたのだと思えば愛しさは募るが、当然ながらこんな児戯で満足出来るはずもない。

「ったく、間接キスにも程があるぜ。会ったら覚えてろよ? サボ」

 言いがかりのように口にしてから、逸る心で再び水平線の先を見つめた。

   ■

 エースが手紙に唇を寄せたのと、同じ時刻。
 とある小国の戦後処理に追われていたサボは、急に「あっ」と声を上げた。

「どうかした?」
「いや……何でもない」

 尋ねるコアラにそう答えつつも、サボは不思議そうに己の唇に触れる。
 ──一瞬、熱を帯びた、甘い感触があったような。
 しかし、その正体にサボが気付くはずもない。
 数日後、待ち合わせ場所でエースが挨拶よりも先に深く濃いキスを寄越して来た時にだって、その理由がささやかな『間接キス』のせいだとは、ゆめにも思わなかった。

                              【完】


※タイトルが空白なのはそこに見えないサボくんのキスマークがあるからです。




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