▼ ヒトデバックスではお静かに
トールノンティーオレンジアンドマンゴーパッションティーフラペチーノアドホワイトモカシロップアドホイップクリーム。
エースの目の前に置いてあるドリンクの名前だが、エース自身はそれを知らない。適当にレジで喋っていたら、出て来たのがコレだった。
とはいえ、エースの険しい視線は謎のドリンクではなく、対面に座ったサボにだけ向けられている。
真夏日のデート、いつもどおり無目的にぶらつくには少々熱すぎるコンクリートジャングル。どこか涼しい所で次に行く場所でも決めようと、オアシスを求めて入った路面のカフェ・ヒトデバックス。店内の隅の小さなテーブルで、ストローを咥えながらスマホを操作するサボの姿はこのまま雑誌の表紙にでも出来そうなほど完成されていた。
けれど、紆余曲折を経て最近やっと正式に『お付き合い』とやらを始めた恋人を見つめるエースの目は、どこか剣呑なままだ。
「……流石に最近モテすぎじゃねェの、サボ」
「は?」
唸り声にも似たエースの言葉に、サボはスマホの画面から怪訝そうに顔を上げる。
「何だそれ。そんなことより、ラーメンとすき焼きならどっちがいい?」
「どっちも食うには暑ィだろ。っつーか、そうじゃなくて、お前そのカップ見たか?」
それだよソレ、とエースがサボの片手に収まったアイスカフェラテの透明なカップを指差す。サボは首を傾げつつ、たった今初めて興味を持ったとでもいうようにカップに描かれた文字を見遣った。
「……ああ、ラインのID書いてあるんだろ? こんなところに堂々と個人情報書くなんて不用心だよな」
「『不用心だよな』じゃなくね?! 渡したの男だったろ、チッ、あの野郎どこ行きやがった」
サボに「この店初めてですよね」だの「モデルみたいに綺麗ですね」だの馴れ馴れしく話しかけた挙句、あからさまにナンパまでした憎き男の姿を探し、エースは背筋を伸ばしてきょろきょろと辺りを見回す。しかし、どうやらバックヤードかどこかへ行っているらしく見つからない。
視界に入ったら不快なくせに居場所が掴めないと気持ち悪いのは害虫と同じだな、とエースは内心吐き捨てた。今さっきだって、自分が注文中で物理的に距離が離れてなけりゃ思いっきり牽制してやったものを、とギリリと歯すら鳴らす勢いだ。
見るからに殺気立ったエースを前に、サボは片眉を上げてからカフェラテをちゅうと吸い上げる。
「そんなに騒ぐほどじゃねェだろ。単に友達になりてェだけかも」
「初めて会った客と友達になりてェ店員なんざ碌なもんじゃねェぞ」
冷静なサボの言葉は、何だか相手の肩を持っているようにすら聴こえる。ムッと眉を寄せたエースに、サボはストローを指先で弄びながら言った。
「それを言うなら、お前だって散々レジで女子と喋ってたろ。女子っつーか年上っぽかったけど」
「そりゃ喋るくらいはするだろ。オススメのがあるっつーから」
「そんで、カップにはこれでもかとハートマークが舞ってるってか?」
「あっちが勝手にやったんだ」
「おれだって同じだよ」
「そりゃそうだがよ! 最近お前、やけに『男』にモテすぎなんだよ!!」
ついつい反論に熱が入ってしまい、エースは小さなテーブルの天板に拳を打ち付けてしまう。
「声がデケェって! それにお前、それ今ヒトバで話すことか?!」
余程エースより大きな声を出したサボだったが、すぐに声をひそめると、「それにエース」とテーブル上のカップを指し示す。
「んなことよりも、早く飲まねェとフラペチーノ溶けちまうぞ?」
さらりと話題を変えられたものの、実際ホイップクリーム満載のドリンクは強い冷房にも関わらず既に溶けかけだった。渋々エースは適当に頼んでしまった己のドリンクを片付けにかかる。
「……うわ、甘ェ」
少し飲み食いしただけで、口の中に謎の甘ったるさが広がった。特別甘い物が苦手なわけではなかったが、この味は予想外だ。対面のサボがふふっと笑って肩を揺らす。
「そりゃ甘いだろ。甘いやつ頼んでんだから」
「いや思ったより甘ェんだって。サボも飲んでみるか?」
「ん」
ドリンクを差し出してやると、サボはそれを手で受け取ることなく、髪を耳にかけながら身を乗り出してくる。そしてそのまま、エースの持つドリンクのストローを柔らかく食むと、伏目がちにホイップクリーム下のフラペチーノを吸い上げた。
──なに、こいつ。すっげェ可愛い。
たったこれだけのことなのにエースの胸は高鳴ってしまう。いっそあざとくすらあるが、これが素なのだから恐ろしい。他の奴の前では絶対やるなよ、と言いたくもなったが、それを口に出来ないくらい可愛かったのでエースは黙っていた。
「うーん……入ってないはずなのに桃の味がする」
「そこ?」
何だかズレた感想すらもサボらしくて可愛い、と思ってしまう時点でエースの恋の病も重症だ。
そんなエースのときめきを知るや知らずや、サボは自分のアイスカフェオレを手にすると、今度はそれをエースへと差し出してくる。
「ほらよ、エース。交換しようぜ」
「え、良いのか?」
「そのつもりでおれはノンシュガーのやつ頼んだんだ。エースが限定のやつ頼むの分かってたからな」
こんなにカスタムするとは思わなかったけど。
そう続けたサボは、当たり前だろと謂わんばかりの得意げな表情をしていて、エースの胸は再び熱くなる。別々のレジで注文したというのに、そこまでエースのことを考えていたなんて──。
「──ハッ! あんまりお前が可愛くて、さっきまで話してたこと忘れるところだった!」
「だから、『可愛い』とかそういうこと大声で言うなって!」
ここヒトバだぞ、人居るんだぞ、と言い募るサボに「分かってる」と横柄に返事をしてから、エースは少しだけ抑えた口調で続ける。
「だからな、サボ、お前最近モテすぎなんだよ。この前は飲み会行って潰されかけたし」
「潰れたのは相手だったけどな」
「ちょっと目ェ離すと変な奴に絡まれてるし」
「変な奴もそうじゃない奴もお前が速攻追い払っちまってるけどな」
「しかも、ここ最近はその全部が『男』からだし!!」
そう、『男』、なのである。
ナンパしてくる店員も、潰そうとしてくる大学の先輩も、道端で声を掛けてくるおっさんも、身の程知らずの不逞の輩は揃いも揃って全員『男』ばかりなのだ。
元々エースもサボも女にはモテるし、その自覚もある。だが、これほどまでにサボが『男』に懸想されるなんて、これが初めてだった。
「それは……おれも思ってた」
こればかりはサボも同意ならしく、思案気な沈黙を挟みつつも首を縦に振った。
「だろ? なんでだ? なんかフェロモンとか出てんの? 誘惑するのはおれだけにしろよ」
「バカ言うなよ」
苦笑と共に長い名前のフラペチーノへと口をつけるサボだったが、しかし、エースの方は笑えない。サボから貰ったアイスカフェオレの底面で机に弧を描きながら、エースは苛立ちも露わに答える。
「確かにバカかもしれねェけど……心配なんだよ、仕方ねェだろ。お前のこと狙ってる男が多すぎてイライラする。おれのサボなのに、他の奴が変な目で見るなんて、想像しただけでブチギレそうなんだ」
外気温よりも灼けつくような、じりじりとした視線でサボをじっと見つめる。
真正面からそれを受け止めて、サボは小さく呟いた。
「……おれはエースのせいだと思ってるぞ」
「え」
突然の言葉にエースが二の句を継げないでいると、サボは更に声のボリュームを落として囁く。
「フェロモンがどうとかは知らねェけど、その……お前に抱かれてから、男に声かけられること増えたから……見る奴が見たら何か気付くことがある、のかも」
「えっ……なんだそれ、なんかエロい」
内容は勿論のこと、口元に手を当てながらひそひそと話すサボの目線が泳いでいるのも、僅かに頬に朱が走っているのも、ここが休日の昼間のヒトバなことも、全てが相まってなんだかエロい──が、しかし、だからと言って「じゃあ仕方ねェな」とは行かない。
「で、でも、そうだとしたら余計に心配になるじゃねェか! お前だって、例えばおれが─男でも女でもいいけどよ─言い寄られてたら嫌だろ?」
「いいや? 良い趣味してるなァ、見る目あんじゃねェかって感心する」
「感心すんな!」
なんでそんな余裕なんだ、とエースが叫ぶと、サボはシーッと人差し指を立てて唇に当てる。
「だから声もうちょっと落とせって……ったく何が心配なんだろうなァ、エースは」
だいぶ溶けてしまったらしいフラペチーノを軽く揺らして、サボは事も無げに言う。
「おれはお前に、身も心も、おれが差し出せる物は全部ありったけ捧げてるよ。他の奴なんて視界にも入らねェくらいにな。心配しなくても、エースがおれの最初の男で、最後の男だ」
──そのサボの言葉が、あまりにも、あまりにも分かりきった当然のことだと謂わんばかりの自然さ、だったので。
熱中症かと疑うほどに顔を赤くしたエースは、ともすれば店の喧騒に紛れそうなほど小さな声で、「は、はい……」と答えることしか出来なかった。
【完】