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▼ 恋の駆け引き、愛の満ち干き


 好きだ、サボ。

「……って言うと同時に、メラメラの実の能力で花火みたく『愛してる』って文字をドカンと打ち上げるのはどうだ?」
「却下だな」
「デュースお前、さっきからおれが何を言ってもそればっかじゃねェか! 真面目に相談乗る気あんのか?!」

 こっちは真剣なんだぞと声を荒らげて机を叩くと、積み重なった皿が音を立てる。食事の後、エースが『相談』を切り出してから既に一時間ほど経過していた。

「あのなァ……そっちこそ真面目に相談する気あんのかよ? さっきからまともな案がひとつも出てねェぞ?」

 デュースは手にしていた分厚い小説本を閉じつつ呆れたように言い返してくる。横目で本読みながらだったくせによく言うぜ、とエースは唇を歪ませた。

「大体、どの辺がまともじゃねェんだよ。派手だし、感動するだろ? 最高の告白だって後からでも思い出になるだろうが。炎で文字を作るにゃ多少練習が必要だが、今からなら丸二日練習出来る。おれが間に合わせらんねェと思うか?」
「はあ……とにかく、お前がサボからOK貰う気満々なのは分かったが……」

 溜息にしても長すぎる息と共に、デュースは机に肘をついて片眉を上げる。

「『まるで小説みたいに感動的な告白をしたい』って言うんなら、もっとロマンチックな駆け引きをしねェと。お前の案はストレート過ぎるんだよ。相手にとっちゃ寝耳に水かもしれねェんだぜ?」
「大丈夫だ。おれがサボのこと好きなの、多分サボも知ってっから」
「本当かよ。まあ、ともあれ、おれの案は最初に言った通りだ」
「だってそれ今読んでる小説のまんまだろ」
「んんッ、いや、それはそうだが良作だし……花火打ち上げるより絶対マシだ」

 絶対にな、と繰り返し念押しされたところで、どうにもエースは納得がいかない。最近デュースがハマってる小説に思い切り影響を受けた作戦なんてアテになるのだろうか。
 けれど、そういった機微に詳しくないからこそデュースに相談したのだ。ここは助言に耳を傾けてみるべきかもしれない。
 ──とは言うものの。

「すぐにネタばらしするとはいえ、サボを騙すような真似すんのはなァ……」

 あいつのこと、少しだって悲しませたくねェのに。そう呟くように言うと、デュースは小説の革表紙を撫でながら僅かに首を振った。そしてやけに芝居がかった素振りで口元を持ち上げてみせる。

「騙すんじゃない。これがつまり、恋の駆け引きってやつなのさ」


『恋の駆け引き、愛の満ち干き』


 もうすぐ会えるとなると、エースには一ヶ月にも一年にも感じられたが、太陽は規則正しく二度沈んで三度昇った。サボと会う約束の日だ。
 とある島で待ち合わせをして、土産話に花を咲かせ、旨い酒と美味い肉で少なからずあった緊張もほぐれた黄昏時。
 酔ってもいないのに酔い覚ましを理由に波止場を二人で歩きながら、エースは遂に用意していた『その言葉』を口にした。

「──おれ、実は好きな奴が居るんだ」

 視線の先は、薄紫色に染まりつつある水平線へ。
 さりげなさを装った呟き声は、抑揚の小さい平坦さで。
 まるで、サボ以外に誰か恋する相手が居るかのような、とても紛らわしい台詞を。
 「花火の練習に比べれば簡単だろう」とデュースに演技指導とやらを受けてまで臨んだ本番。それなりに上手く行ったはずだ、とごくりとエースは喉を鳴らす。
 こうやって「エースが誰かに取られちまう」とサボの心を揺さぶった後に、頃合いを見て「それはお前のことだ」とネタばらしすることで、ドラマティックな展開になる──少なくとも、デュースは小説片手にそう熱弁していた。曰く、引いた波が大きければ返す波も大きくなるのと同じらしい。その言葉すら手にした本からの引用なんじゃねェの、とエースは怪しんだが、そもそも『小説みたいに感動的な告白』という無茶振りをしたのは己から仕方がない。
 デュースの、そしてエースの目論見通りとなるならば、きっと振り返った先のサボの顔にはあからさまな狼狽が浮かんでいることだろう。そう思えばエースも気が焦った。
 練習通りの思わせぶりな沈黙など忘れ、「なんてな。実は、」と照れた顔を向けたエースの目に映ったのは──想像していたのとは違うサボの表情だった。

「エース……お前が一人に決めるなんて!」
「え?」

 どう見ても、その表情が意味するものは狼狽ではない。そもそもショックを受けた様子すらない。けれど、とても驚いてはいるらしい。
 つまり、これは……いや、分からない。一体それがどういう意味なのか。分からないからそのままエースは疑念を口にしてしまう。

「そりゃどういう意味だ? あっ、まさかその辺の海賊ゴシップ誌の記事を信じてるんじゃねェよな?! あんなの全部ガセだ、ガセ!」

 そういえば、とエースは思い出す。ここ最近、変な連中が低俗なゴシップを好き勝手触れ回っているのだ。どこぞの島の女を全員抱いたとか、どこぞの王女のハートを射止めたとか、根も葉もない噂話ばかりが飽きもせずにバラまかれている。下らなすぎてあまり気に留めていなかったのだが、まさかここに来てそんなものが足を引っ張るとは。やはり最初に記事が出た時点で、新聞社ごと燃やしておくべきだっただろうか。
 サボは「いや、理由はそればかりじゃねェけどな」と曖昧に言葉を濁してから、バツの悪そうな風情で僅かに視線をずらした。

「てっきりエースは誰か一人に決めるなんてことしないかと……そうか、おれの勘違いだったんだな。悪かった。幸せになれよ」

 軽く腕を組んで思案げに喋っていたサボが、今度は急に納得した様子でうんうんと頷いてしまう。「幸せになれよ」という言葉はいつにも増して柔らかい声音だったというのに、まるで強く突き放されたように聞こえて、焦ったエースは大声を張り上げた。

「あああ、なんでそうなるんだよ! お前だよサボ! おれが好きなのはお前!」

 これでは作戦も何もあったものではない。小説のように感動的な告白などという以前の問題である。それでも他に挽回の方法も思いつかないせいでエースは先程までの余裕すら失って半ば怒鳴るしかなかった。

「えっ、もしかして兄弟愛の話だったのか?」
「違ェよ! おれだけのサボにしてェってこと!」

 未だにどこかズレた反応を見せるサボに、一周回って脱力感すら覚えたエースは落胆も明らかに肩を落とす。

「っつーか、サボも気付いてたんじゃねェのかよ……」
「気付いてたって、何に?」
「おれがサボを愛してるって」
「まさか。今初めて知った」

 マジかよ。珍しくくらりと視界が揺らぐ気すらする。サボの心を波立たせるはずが、エースの予想と期待が引き潮に丸ごと持って行かれてしまった心地だ。

「はは、想像もしてなかったぜ……まさかサボに全く脈がねェとはな」

 ここまで来ると笑えてくる。じゃあ、あの時の笑顔は、あの時の切なげな顔は、弟にだって向けないような、自分だけに見せるあの特別な表情は一体どういうつもりだったのか。それを問うのは流石にあまりにも格好がつかないが、恋する相手の気持ちすら酌めないのかおれは、とエースは溜息を吐く。
 しかしサボは、「あっ」と声を上げると、慌てたように、あるいは降参したかのように両手を顔の位置まで持ち上げた。

「違うんだエース。おれも好きなんだ、エースのこと」
「そうかよ。そりゃあ良かった……って、何だって?!」

 あまりにもさらりと告げられた言葉に、反応が一瞬遅れてしまう。サボもエースのことを好きだと、今、そう言われた気がしたが、愛の告白をしたにしてはサボの表情は随分と落ち着き払っていた。これは、もしかして。

「……アレか、『兄弟として』ってオチか?」
「いいや。お前の言い方に揃えるなら──おれだけのエースだったら良いのにって」

 ──『だったら良いのに』?
 サボにしては珍しく消極的な言い回しだった。なんだか雲行きがおかしい。サボは訝しむエースの視線に苦笑で返す。

「ただ……おれはエースが世界中から愛され必要とされてほしいって思ってたんだ。勝手だけど、それがお前の幸せなんじゃないかって。誰か一人に縛られるのは違うっつーか……だから『島の女を全員抱いた』って聞いても納得しようと」
「だから、それガセだっつってんだろ!」
「分かったって。完全に真に受けてたわけじゃねェよ、そういうことがあっても仕方ねェよなって話だ」

 肩を竦めてみせるサボの、言っていることがエースには全く分からない。
 サボはエースのことが好きらしい。
 兄弟愛ではなく恋愛としてで合っているらしい。
 けれどエースは一人に縛られず皆から愛されてほしいと願っているらしい。
 だからエースが誰とどうなろうと仕方がない、らしい。
 ひとつひとつ順を追って考えてみても、どうしてそこへ行き着くのか、エースの頭では理解出来なかった。

「あー……全ッ然分からねェ。おれの頭が悪ィのか? こういうことってもっと単純なんじゃねェのかよ。おれの『幸せ』は、今、目の前に居るんだぜ?」

 片手で頭をかきむしるエースに、サボはふっと小さく唇から息を零す。まるで何かを慈しみ、同時に憐れむような吐息だった。

「──正直言うとな。お前に片想いし続けるのは、まるで海の水でも呑んでるみてェな気分だった」

 サボの視線が不意に遥か海へと向けられる。もうすっかり太陽の姿はなく、夕焼けの気配がほんのりと空と海の境目に残っているばかりだったが、しかしエースの目がそちらへ向くことはなかった。エースの視線は、お伽話でも語っているかのごときサボの横顔に縫い付けられて動かない。

「呑めば呑むほど渇いて、胸は苦しいし、息も出来ない。『恋に溺れる』ってのはよく出来た言葉だなって感心してたくらいだ。おれは他に恋を知らないから、全部がそうかは分からねェけどさ。とにかく、おれの想いがいつかお前の幸福を奪っちまうんじゃと思って、それなのに想いを捨てられないから罪悪感もあって……でも、」

 そこで一度区切ると、サボはゆっくりとエースを振り返る。今にも泣き出しそうに歪む目、涙を零すまいと震える睫毛、それでいて花が綻ぶように弧を描く唇。

「そうか。おれがお前のこと、幸せにしても良いのか」

 そう言った途端、サボの潤みきった瞳から、夕焼けの最後の残滓を映し込んだ雫が真っ直ぐに流れ落ちた。それを雑に手袋の甲で拭い、涙の滲んだ声で、けれど、おどけた様子でサボは続ける。

「……そいつは腕が鳴るな。すげェ嬉しいよ。ありがとう、エース」

 その言葉がエースの告白に対するサボの答えだと、理解する前からエースはサボに抱きついていた。

分かりにくいんだよ、サボ! 何一人で溺れてんだ、さっさとおれの手くらい掴め!」
「あはは、両想いだったんだな、おれたち。なんか照れるな」
「『照れるな』じゃねェよ、クソ、もう、全然訳が分からねェのに心臓飛び出しそうなほど幸せで、なんだよこれ」

 今すぐ花火で愛してるって打ち上げたい気分だ。掻き抱く腕に力を込めながらそう呟く。なんだそれ見てみてェと、エースの気も知らずにサボは笑った。

【完】


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