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▼ 十月祭には赤い目印で


 エースが誘ってくれたこの島は、近辺じゃ有名な観光地というだけあって、夜も更けたというのに見通す門の奥も相当な活気に満ちていた。
 しかし、街に入るだけで入場料を取られるだなんて初めてだ。通行料だと言うなら、門など通らずどこかから忍び込んでやろうとも思ったが、どうも事情が異なるらしい。
 門番によるとこの時期は年に一度の祭りの最中で、夜の間は街全体が大騒ぎとなるのだが、酔っぱらいの金勘定にはトラブルがつきものなため、予め観光客から入場料として酒代を徴収するようになったのだという。その代わり地元のビールは飲み放題だというから、逆に気前の良い話なのかもしれないな。
 ふと、篝火に照らされた立派な門を見上げながら、この核は一体どこだろうと考える。精緻に組まれた石造りの大門は堅牢そのものだったが、それだけに核を突けば面白いくらい呆気無く崩れるものでもあった。
 ──触ってみねェと何とも言えないが、多分あの辺りだろうな。
 勿論、意味もなく壊す気なんざ無いが、半ば癖のように核の場所の見当をつけていると、門番が急に声を荒らげる。

「なあ、アンタ、聞いてんのか? リボンどうするんだって何度言わせるんだよ」

 どうやら、さっきからおれに何か話しかけていたらしい。門番は赤く長いリボンを持ったまま「右か、左か。どっちにするんだ」と苛立たしげに言い募る。夜目にも確認しやすい、光沢感のある赤いリボンだ。察するに入場料を払った目印といったところだろうか。

「ああ、考え事しちまってた。えーっと、じゃあ左で」

 どっちでも構わなかったが、適当にそう言えば、ふんと鼻息を慣らした門番はおれの二の腕、丁度コートの袖のベルトあたりにリボンを結び付け、蝶々の形に整えて留める。なんつーか……随分と可愛らしい目印だな。

「それじゃ、十月祭を楽しんでくれ。運命の相手に会えると良いな」

 門番はそう言うと口元を斜めにして意味ありげに笑う。
 会えると良いなも何も運命の相手(エース)はとっくに到着して中で待っているはずなのだが。


   ■


「チッ! 何よ、紛らわしい!」

 声をかけてきた女にまたしても派手に罵倒されつつ、おれは何とかその場を離れる。帽子を押さえつつほうほうの体で路地へと逃げると、もう片方の手に持っていたジョッキから飲みかけのビールが石畳に零れた。
 ──いや、ちょっと待て、この状況は何かおかしい!
 門をくぐって、エースを探そうと街の中心へと向かっている途上に、幾つも並んでいる屋台の呼び込みに負けてビールを一杯だけ買った。そこまでは良かったはずだ。どうせエースもたらふく飲んでるだろうし。
 しかし──飲みながら足を進めるおれに、次から次へと『誘いの声』がかかるのは頂けない。
 情報収集のために立ち寄った酒屋で、手配書を見たこともない連中がからかい半分に腰に手を回してくる程度ならよくある話だ。
 けれど、幾ら酒宴の場とはいえ、数歩歩くだけで男も女もひっきりなしに誘いをかけてきて、断るとまるでおれがとんでもなく失礼な真似をしたとでも言いたげに罵倒してくるとなっては流石に妙だろう。
 おかげで中心部へと向かうメインストリートもまともに歩けやしない。訳の分からない状況への違和感とエースと中々合流できない焦燥感で、美味いビールも何だか悪酔いの元になっちまいそうだ。

「おう、見てたぜ、そこの兄ちゃん」
「あんな美人を振るなんて随分グルメだなあ?」
「それとも『偏食家』か? その方がおれらは都合が良いんだけどよォ」

 そうこうしている内に、今度は男三人組だ。おれは大きく溜息をついて倦んだ目でそいつらを見上げる。この辺りじゃ珍しく、おれよりも随分体格の良い連中だ。

「……何の用だよ。おれは忙しいんだ」
「忙しいようには見えねェぜ?」

 でっぷりと丸まったビール腹をさすりながら「向こうの宿に部屋も取ってあるんだ、四人で一緒に楽しもうじゃねえか」とリーダー格らしい男がおれの肩を気軽に抱く。
行きたい方向とは真逆へグイグイと強引に連れて行かれそうになって、おれは思わず相手の腕を捻り上げたくなってしまう。
 それでも、相手は観光地に居るだけの一般市民だ。殴り倒すのはまだ早いと自分に言い聞かせ、何とか穏便に済ませようと説得を試みる。

「あのなァ、おれは今、人を探してて、」
「──サボ!」

 話の途中で急に名を呼ばれ、咄嗟に振り向くと、路地の入り口あたりに男のシルエットが浮かんでいた。逆光でも分かる。どう見たってエースだ。
 エースはすぐさまこちらへ駆け寄ってくると、男の手からおれを無理矢理引き剥がして間に入り、じっと相手を睨み上げた。やべェ、おれがどうこうする前にエースが相手をぶん殴っちまいそうだ。慌てておれはエースの肩に手を置いて宥める。

「エース、おれはもう大丈夫だから、」
「悪かったな、おっさん達」
「え?」

 ──今、謝ったのか? エースが?
 思わぬ出来事に目を丸くしていると、エースはなおも続ける。

「こいつはおれの連れなんだが、ちょっとした手違いで『こう』なっちまってたんだ。他を当たってくれ」

 落ち着いた口調でそう告げるエースに対し、男達は驚いたことに「なんだよ」と小言を言いつつもあっさりと身を引き、連れ添ってメインストリートの方へと戻っていく。
 一体、何がどうなっているのか。おれにはさっぱり分からない。

「……どういうことだ? エース」

 すっかり静かになった路地裏で首を大きく傾げて問いかける。すると、エースは「その前に消毒」などと言いながら、ぎゅっとおれに抱きついてきた。消毒ってなんだよ、消毒って。
 ひとしきり抱きしめ合った後、エースはぐいっとおれの両肩を掴むと左腕の赤いリボンを見下ろして「ああ、やっぱりな」と口を曲げた。

「サボ、お前、この『リボン』──右か左か訊かれて適当に返事したろ。係の奴の話も聞かねェで」
「ん? ああ、うん」

 そういえば上の空だったから適当に左で良いと言ってしまっていた。それが拙かったのか? 言われてみりゃエースはおれと違って向かって右腕に巻いているけれど。

「このリボンは右か左かで意味が違うんだよ。左腕に巻いてたら『今夜の相手を募集中』って意味。そんで、右腕に巻いてたら『既婚、あるいは相手が居る』って意味らしい」

 だからサボは右、と少しばかり拗ねたように言ってから、エースはするりとおれの二の腕からリボンを解き、代わりに右腕にしっかりと結び直す。門番が結んだのよりも些か固く結ばれたリボンを見て、おれは漸く状況を理解した。
 つまり、おれは「誘ってくれ」という意志表示をしながら街を歩き、声を掛けられると迷惑そうに断る、という真似を延々と繰り返していたらしい。

「──悪いことしちまったな」
「まあ、さっきのオッサンらも三人がかりでどこ連れ込もうとしてんだっつー話ではあるけどな。サボに気軽に触りやがって……事情が事情じゃなけりゃブッ飛ばしてるところだ」

 エースはメインストリートの方に視線を遣りながら、既に去った男達に向けるようにして悪態をつく。
 けれど、おれが悪いと思ったのは、そいつら相手じゃない。

「そうじゃなくて、お前に悪かったって話だよ。エース」

 少しの間だったからとか、無自覚だったからとか、そんな言い訳したくもない。エースという恋人がありながら、今夜の相手なんか募集して歩いてたのかと思うと己が恥ずかしいし、エースに心底申し訳なくてたまらなかった。

「お前という者がありながら『こっち側』にリボン巻いてちまって、ごめん」

 そう言ってじっと見つめると、エースは何故かあんぐりと口を開けて驚いた顔をした。暫しそのままだったが、やがてごくりと唾を飲み込んでから「あのなァ、サボ」と困ったような声を上げる。

「……おれは今から『改めて呑んで騒いで楽しもう!』って言うつもりだったんだぜ?」
「おう」

 勿論おれもそのつもりだったと続きを促せば、エースは肺の中の息を全部出すかのように大きく溜息をついた。

「んな可愛いこと言われると、すぐに宿に連れ込みたくなっちまうじゃねェか……」
「いや、そこはもうちょっと我慢してくれ。おれ、殆ど飲み食い出来てねェんだ」
「そう言うと思った」

 エースは即答すると、再びおれの肩を引き寄せる。また抱きついてくるのかと思いきや、今度はシャツの襟を引っ張ってきた。
 あ、と思った時には既に遅い。止める暇もなくエースは無遠慮におれの首筋にキスを落としてくる。皮膚の薄いところをいやらしい音を立てて吸い上げられると、薄く開いたおれの口からは自然と小さな声が漏れた。

「祭に戻るなら、今度こそ『おれの』って印付けとかねェとな。リボンよりも分かりやすいだろ?」

 からかうように笑うエースが唇を外しても、吸われた肌は燃えるように熱い。思わず押さえたおれの手の手袋越しにも熱が伝わってくると錯覚するほどに。

「……やりやがったな、エース」

 まんまと火を付けられたおれが、すぐさまエースの首筋に同じ印を付け返したのは、言うまでもない。

【完】



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