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▼ エース先生とサボ先生って仲良いよね


 昼休憩。
 ノックの位置の高さで、誰が来たかはすぐ分かる。

「鍵あいてるぞー」

 顔を上げながら声をかけると、体育教官室の重い扉の合間から予想通りの金髪が覗いた。するりと猫のように滑り込んできたのは、おれのジャージ姿とは真反対に、きっちりと濃青色のスーツを着込んだサボだ。毎朝器用にネクタイ締めるのもすっかり見慣れたとはいえ、何時間もその格好で肩凝らねェのかと未だに心配になっちまう。

「よう、エース。おつかれ……ってカップ麺かよ」

 しかも名店シリーズ、とサボは後ろ手に扉を閉めながらあからさまに顔をしかめる。
 『名店シリーズ』ってのは、要するに実在する店舗の味をインスタントラーメンで再現しましたっつーノリの商品なんだが、ラーメン好きのサボにとっては『潔くない』代物らしい。その辺りのサボのこだわりはおれにすらよく分からねェ。
 ともあれ、わざわざサボの嫌いな商品を選んで買ったわけでもない。おれは音を立てて麺をすすりながら首を横に振る。

「買って来たんじゃねェよ。職員室に名前書いてないのあったから貰ってきた」
「おいおい、それまたローのなんじゃねェの? 怒られるぜ?」
「職員室は弱肉強食だからな。名前書いてないやつが悪ィ。サボは購買行ってきたのか」
「ああ。お前の分もと思って焼きそばパン余分に買って来ちまったぜ」
「あ、食う食う、これ食い終わったら食う」
「麺と麺になるぞ?」
「構わねェよ。ありがとな」

 一緒に口に入れるわけでもあるまいし、特別気にもならねェ。豚骨ラーメンと焼きそばなら味も違うしな。っつーかおれの中では焼きそばパンは麺というよりだいぶパン寄りだ。

「お前が良いなら良いけどよ」

 サボは少しだけ訝しげな顔をしてから、勝手知ったるとばかりに机を挟んだ向かいのパイプ椅子に腰を下ろす。
 他の体育教師は愛妻弁当を職員室で食べるのが常だから、昼休憩の体育教官室の小さな台所はおれ──いや、おれたちの貸切だ。それぞれ仕事もあるから毎日ってわけにゃいかないが、時間が空いているときは集まって食べるようにしている。
 サボは購買の紙袋から次々とパンを取り出しては机の上へと並べていく。焼きそばパンが二つ、これは片方はおれの分。それから菓子パンが一つ、二つ……三つか。どうやら今日は甘い物が食いたい気分だったらしい。
 しかし、並べるだけ並べたパンを見下ろすサボの表情はどこか曇っている。きっと、おれじゃなけりゃ気付かないくらいの、ほんの少しの疲労と憂鬱。

「──サボ、なんかあった?」

 まさか購買のパンの大きさがおれたちの在校時よりも随分小さくなっちまった、みてェなバカな理由でもないだろう。
 箸を止めて問いかけたおれに、サボは一瞬だけ「しまった」とでも言いたげに眉を寄せたが、すぐに降参の溜息を吐いた。そうだとも、おれ相手に誤魔化しは効かねェぞ。

「……さっき、購買出たところで生徒たちに囲まれちまって。先週の日曜、映画行ったろ? あれ生徒たちにバレてるらしいんだよ」
「はっ?! 誰にも会ってなくねェ?!」

全校生徒の顔を覚えているかと言われるとおれは自信がないが、確かサボは覚えてたはずだ。生徒の姿が見えりゃ絶対隠れただろうに。

「ポップコーンのレジ打ってたのが2年の女子の塾友達だったんだってよ。なんで他校の生徒にまでおれたちの顔がバレてんだか……そんで『先生たち、休日も一緒だなんてすごくすごく仲良いんですね!』って相当騒がれちまって」

適当に誤魔化して逃げてきたけど、と続けたサボは更に大きな溜息を吐いてから額に手を当てる。三つも四つも買ったパンも今すぐ食べる気にはなれないようだ。

「マジか。あっち方面なら通って来てる生徒も少ないと思ってたが……ま、でも大丈夫だろ! 仲が良いっつったって、まさか思っちゃいねェさ──マジで『恋人同士』だとはよ」

 サボとはお互い生徒としてこの高校に通っていた頃に付き合い始めたから、この関係もそろそろ十年近くになる。
 今どき男同士だから肩身が狭いなんざ思わねェし、気持ちとしては堂々としたもんではあるが、けれど『この時』『この場所』において、おれたちの関係は秘密中の秘密だった。

「でも、あの映画館行きたいっつったのおれだし……あと三年は絶対ボロ出せねェって分かってんのに、迂闊だったかもしれねぇなって」

 ──あと三年。正確に言えば、あと二年半。
 それは、今年入学した弟分のルフィが、この学校を卒業するまでの最短期間だ。
 おれたち自身は誰に何を言われようとどう扱われようと構やしないが、この関係が人目に晒されることで、弟の高校生活に悪影響が生じるのだけは何が何でも避けたい。
 特にサボは、楽観主義のおれなんかより余程気を張っている。
 通勤だって、最初は「遠回りしてでも電車で通う」と頑なに言って聞かなかった。なんで同じ家に住んでて同じ職場に行くのに別々で行かなきゃなんねェんだって散々揉めて、今はバイクに二人乗りで落ち着いてるが、それだって学校から少し離れた駐車場での待ち合わせしているくらいだ。
 深く息を吐いたサボは、机の上に視線を落としたまま「それにさ」と嗤う。

「気ィ抜けてたなって反省してんのに、こうやってお前んとこ来ちまうし……今のおれってすげェ中途半端だよな」

 格好悪ィ、と呟いたサボの、その口元の自嘲めいた笑みが気に入らない。
 まるで自分が悪い、自分だけの責任だとでも言っているようで──だからおれは半ば被せるようにしてサボの言葉を否定する。

「良いって。おれは嬉しいぜ?」

 机の上のサボの手を勝手に握る。びくりと一度跳ねたその手は少し冷えていて、生徒たちに素知らぬ顔で嘘を吐くそのときに、サボがどれほど緊張していたかが伝わってきた。
 バカだなァ、サボ。あいつらの軽口なんて、ただその場で盛り上がって話しているだけなのに、しっかり真正面から真面目に受け取っちまって。
 それでも、そういうサボだからこそ良いとも思う。そして、この冷えた手が求めずにはいられないのが、唯一『おれ』であることも。

「……なあサボ、『二兎追う者は三兎仕留める』って言うだろ? おれはルフィの奴もしっかり卒業させるし、お前との関係も誰にも邪魔させねェ──そういう覚悟でここに居る。弟(あいつ)を思う気持ちは同じだけどよ、お前はもう少し肩の力を抜けよ。大丈夫さ、おれがついてるんだから」

 サボの冷えた手は、おれの熱い手で握り込めばすぐに温度を上げた。そのままやわやわと握っていると、くすぐったそうに微笑んだサボが「触り方がやらしいぞ、エース」といつも通りの声音で言う。

「それに、なんだよ、その『二兎追う者は三兎仕留める』ってのは」
「そういうことわざあるだろ? サボ、国語教師のくせに知らねェの?」
「そんな強欲なことわざ、初めて聞いた」

 あれ、違ったっけな。二兎追う者は……その先を思い出そうとしている内に不意にサボが「ありがとうな」と口にする。
意味を持って通う視線、重なる心、握った手、ぬるく混ざり合う温度、二人きりの部屋、自然と近づく顔と顔──しかし、唇が触れ合う寸前で、ピンポンパンポンと間抜けな校内放送の音が鳴り響いた。

「うるせェな、今いいところだったのに」
「あっ」

 憤るおれを他所に、サボが何かを思い出したかのように目を丸くする。
 その『何か』は数秒も待つことなくすぐに知らされた。

『えー、文化祭実行委員の先生方のうち、本日のランチミーティングにまだ参加されていない方は…………っつーか、エース!! サボ!! お前らだけだよい!! 朝礼でも言われただろうが!! さっさと大会議室まで来い!!』

 響き渡る怒号は二年A組の担任にして、おれの大学の先輩でもあるマルコのもの。
 おれとサボは二人して、今度は全く違う意味合いで視線を合わせた。

「「ランチ……ミーティング……!!」」

 そういや先週も昨日も今朝も散々言われていたんだった。
『昼休憩から次の時限まで、授業の入っていない文化祭実行委員の教員は大会議室へ集合し、今後の運営に関する大切な打ち合わせを行う。なお、弁当は食堂にて山賊弁当を人数分手配済み』──すっかり忘れちまってた!

「最悪だ、急げエース!! ドラゴンさんも出席してるんだ!!」
「ま、待て、まだおれカップ麺食い終わってねェ!!」
「もう全部飲め!! 噛むな、飲み込め!!」

 おれはそれなりに中身の残ったカップ麺を一気飲みし、サボは机の上に広げていたパンを急いで紙袋に入れ直して、そして二人で勢いよく体育教官室の扉をぶち開けて走り出す。
 エース先生とサボ先生が先生なのに廊下爆走してる、と可愛い生徒たちの笑い声が校舎に響いた。

【完】


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