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▼ いつか南十字星の下で


 電車を三度も乗り換えて、そこからバスで十五分。サボの目当てのラーメン屋はいつになく遠かった。
 直線距離で言えばそう遠いところでもなかったんだが、どうしたって電車とバスじゃ大回りになっちまう面倒な場所だ──とはいえ、おれも別に頼まれたわけじゃなく、勝手に付き合ってるだけだから文句を言える立場でもない。ただ、早くバイクの免許が欲しいとは思う。寂れたラーメン屋でもどこでも気軽に連れて行ってやれるし、サボを後ろに乗っけて風を切って走れたらきっと最高だ。
 そのうちラーメン屋巡りなんていう大義名分無しでも、見晴らしの良い海岸沿いを走りに行ったりして……などと勝手に妄想をふくらませるおれの隣を歩きながら、サボは手にした二枚のチケットを見て未だに眉を寄せている。

「……四等のが良かったよなァ」
「まあ、星なんか見ても腹膨れねェもんな」

 サボが手にしているのはこの街にあるという小さなプラネタリウムのペア招待券とやらだ。勿論、おれたちがわざわざ買った代物じゃない。先程訪れたラーメン屋が商店街の一角にあり、その商店街がハズレ無しのくじ引き大会とやらをやっていたため、なんとなく引いた結果がコレだったというだけの話だ。ちなみに四等はローストビーフ用の塊肉だったので、おれとサボは交換してくれと必死に交渉してみたが無理だった。

「星見るの自体は結構好きなんけどよ。プラネタリウムっていうとちょっと違うっつーか」
「サボ、星好きなのか?!」
「まあ、それなりに……詳しい方だとは思う」

 マジかよ。知らなかった。っつーか、そんなの初耳だぞ。

「……じゃあ、今から行くか」

 なんだか悔しくなって、サボの持つチケットを横から取り上げる。表には夜空の写真─いや、これはプラネタリウムの写真なのか?─と『ヒーリングプログラム南の島と宝石の空』とかいう文字があるだけだったが、裏にはご丁寧に最寄りのバス停からの地図も載っていた。ここからそう遠くもなさそうだ。歩いて十分ってところか。

「えっ、今からプラネタリウム?!」
「わざわざ遠出したんだし、このまま帰るより良くねェ? サボも今日この後用事なかったよな?」
「いや、おれは良いけど、」

 そんな突飛な誘いでもなかったつもりだが、サボはそう言って驚いた表情でおれとおれの持ったチケットを交互に見つめてくる。

「『良いけど』?」
「その、エースとプラネタリウムって組み合わせが、なんか……すっげェ違和感ある。ガラじゃねェっつーか」
「なんだそれ、バカにしてんのか? そういうセンサイそうなのは似合わねェって?」

 そう言って片眉を上げてやるとサボは違う違うと大仰に首を横に振ってみせた。
 そんじゃ、決まりだな。


   ■


 実はプラネタリウムなんざ初めてだった。聞けば、サボもそうだという。
 丁度そろそろ始まる時間だというから、入り口で招待券を渡してそのまま中へと入った。
 思ったより小さなホール状の部屋で、弧を描くように配置された低い座席を除けば映画館に似ている気もした。
 だが、映画館よりも更にカップルの数が─一目でそう分かるような男女の組み合わせがって意味だが─格段に多い。なるほど、デートの定番スポットってわけか。
 この辺じゃ他に何も無さそうだしなと勝手に納得しつつ手近な座席に座りこんで、隣に座ったサボの様子をちらりと窺ってみる。

 周りがカップルばかりの中、男二人で肩身狭そうにしていないだろうか。
 もしくは、逆に少しくらいおれのことを意識してくれたりしないだろうか。

 しかし、サボはというとこちらの心配も期待もよそに、入り口で渡されたパンフレットを熱心に読んでいる。本当に意外と星好きのようだ。おれにはそんな話、今まで一度もしたことないくせに。そういうの、おれからすると多少ショックなんだが、サボは分かってんだろうか。分からねェだろうな、変なところで鈍感だから。
 おれはわざと身を寄せるようにして、自分のではなくサボのパンフレットを覗きこんでやる。

「なんか面白ェこと書いてある?」
「今日のプログラムの説明ってところだな。前半は通年でやってる星座の解説で、後半は南の島のヒーリングプログラムだってよ。見ろよエース、十二星座も載ってる。やぎ座はコレだぞ」

 おれは特にやぎ座とやらに思い入れもないんだが、サボは楽しそうにパンフレットの一角を指さしている。

「こっちのページは後半の……南十字星がメインだな。きっと解説があるだろうけどさ、昔の船乗りなんかはこういう星座で方角をはかったりしたんだ」

 まるで愛おしむかのように、サボは南十字星の写真を指でなぞって続けた。

「南十字星だったら、この星とこの星の間の距離を、こっちの方向に四つと半分進めたあたりが天の南極になるんだ。おっ、比較で北斗七星も載ってる。北斗七星だったら柄杓のこの部分、この星とこの星の距離をこのまま五つ分伸ばしたところが北極星。数限りなく星が見える海の上じゃ星座探すのも大変だけど、普通の羅針盤が信用出来ない海じゃ停泊中に大雑把な方角が分かるだけでも役立つこともあるから、見張り番でもねェのに夜の間ずっと空を眺めていたり……するような奴も居たらしい」

 親指と人差し指を尺取り虫みたく動かして星空を辿りながら、サボは少しばかり目を伏せる。その横顔を見ていると、急に眼の奥にほんの少しの痛みを感じた。同時に、焼けつくような懐かしさに襲われる。

 昔、どこかで、同じことを訊いた気がする。
 こうやって、説明なんかそっちのけで、サボの横顔ばかりを眺めながら。

「──前にも教えてもらったっけ?」

 思わずサボに問いかける。サボは驚いたようにパンフレットから顔をあげた。

「え?」
「星座から方角を調べるってやつ。一緒に寝転んで、キラッキラの星空眺めながら、アレがどうでコレがそうでって……おれは全然覚えらんなくって、でもサボは何度も教えてくれて……いや、そんなはずないか。おれもサボもプラネタリウム初めてだもんな。勘違いだったわ、忘れてくれ」

 こんな都市部じゃ星なんてロクに見えやしない。満天の空なんて、サボとじゃなくたって見上げた覚えがない──はずだ。
 それでも妙にその場面をリアルに想像出来てしまって、おれは少し混乱する。なんかの映画のワンシーンと混同しちまってるのかもしれない。なに変なこと言っちまってんだか。

「それって──、」

 サボが何かを言いかけた瞬間、被さるように開始を知らせるアナウンスが流れる。急速に静かになった客席で、照明はまるで陽が沈むようになだらかに落ちていった。


  ■


 開始五分で、撃沈だった。

「ふぁーあ、よく寝た」

 外に出ると午後の光がまだ眩しい。背を反らすように大きく腕を伸ばしていると、サボが「寝るだろうとは思ってたが一度たりとも起きないとはな」と呆れた声を上げる。
 おれだって、本当はしっかり起きて星空──ではなく『星空を見て愉しげにしているサボ』を見ていたかったさ。でも無理なもんは無理だった。ラーメン食った後に、暗くてほのかに涼しい環境で、意外と心地の良い椅子に座って聞く、抑揚の少ない声で淡々と続く解説。ここまで揃っちまえば、五分保ったのが奇跡なくらいだ。

「チケットに『ヒーリング』って書いてあった時点で、即寝回避出来ねェことはおれも薄々気付いてたんだ」
「前半はヒーリングプログラムじゃなかったけどな?」

 ただのちょっと贅沢な昼寝タイムじゃねェか、とサボはじろりとした視線をおれへ向けてくるが、その目が少し潤んでいる気がした。おれと違って欠伸してたわけでもねェのにな。何か感動的な解説でもあったんだろうか、っつって、プラネタリウムの『感動』ってなんだ?

「サボが楽しけりゃ良いんだよ。サボは寝ないで見たんだろ? 良かったか?」
「まあな。実際見てみると思ったより楽しかったよ。作り物とはいえ、久々に……すっげェ久々に、あんないっぱいの星見たし。首はちょっと痛ェけど」

 サボはそう言って笑いながら白いうなじを擦る。少し照れたようなその仕草すら可愛い。ああ、クソ、サボが喜ぶことなら何だってやってやりたい。

「──それなら、今度は『本物』見に行こうぜ」

 だから、なるべく気軽に聴こえるように、軽薄な声で誘いかけてみる。

「本物?」

「思い切り寝ちまってたけどよ、おれも南十字星は見てみたかったんだよなァ。サボが言ってた、方角示すってやつ」
「エース、南十字星はこの辺じゃ見られねェぞ? もっと南ギリギリか、それか南半球まで行かねェと。何度も解説で言われてただろ?」

 本当に寝てたんだな、と苦笑混じりに笑われるが、ここで折れたらマジで夢物語で終わっちまいそうだ。たかが星を見に行こうってだけの話なのに。
 おれはもう取り繕うこともせずに本気の声で畳み掛ける。

「じゃあ南の島まで行けば良いだけだろ? 飛行機でも船でも何でも乗ってさ。おれは解説全然聞けてねェからサボが教えてくれよ。南十字星の見つけ方から」

 両方の人差し指を重ねて、始まる前にパンフレットで見かけたその星座の形を真似してみせる。十字架のように組んだおれの指を見て、サボは一瞬目を見開いたものの、すぐに「ああ、そうだな」と柔らかく笑ってくれた──けれど。

「……行けたら良いな、エース」

 ──そこで、「必ず一緒に行こう」とは、言ってくれねェんだよな。
 誰より仲が良い自負はある。誰より好かれている自信もある。男同士だからって差別するようなタイプじゃないのも知っている。
 でも、どこかサボとの間に<遠さ>があるのも痛いくらいに分かっている。
 近づけば緩やかに遠ざかり、詰め寄れば咄嗟に逃げていく。きっとそれは、サボが意図的におれとの間に設けている<一定の距離>なのだろう。
 <それ>を飛び越えてしまって良いのか分からない。飛び越えてしまったら、おれたちの関係がどうなるのかも。
 それでも、おれは。

「……本気だからな」

 南十字星の話なのか、この想いの話なのか。
 自分でも曖昧なままに呟いた決意の言葉は、サボの耳に入ったのかも定かじゃなかった。
 いつか、どこかの南の島で、その星座を見上げる時が来るとして、その時のおれたちは一体どんな関係になっているんだろう。
 寝転んで星降る空を見上げる二人が、見えない距離すら超えて、本当の意味で隣り合っていられたならと──願えばガラでもねェのに何かに祈りたくすらなってくる。
 こんなことならさっき意地でも起きてりゃ良かったな。相手は偽物の星だ、叶えてくれなんて贅沢言いやしない。ただ、誰にも言えない願いを聞いてくれるだけで構わないから。

 いつまでも『隣』に居たい。
 好きなんだ。昔からずっと、あいつのことだけが。

                       【完】





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