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▼ 参謀総長は充電式


【前編──優しい副官編】


 ぐっと背中を反らしながら腕を伸ばすと、固まった蝋が割れるような音がした。それが実際に小さな部屋に響いたものなのか、単にコアラがそう感じただけなのかは分からない。

「うーん、さすがに疲れたね。ハック」

 様々な厚みの書類が所狭しと積み上がった机の反対側へと、疲労を隠さぬ声で呼びかける。

「ああ。昼前に言っていた稽古の件はどうする?」

 問いかけを返しながらも、ハックは無骨な見た目に反して殊更丁寧に手元の羊皮紙にペンを走らせてから、【F国停戦協定 これがさいご!】というコアラのメモ書きが貼られたうず高い書類の山へとそれを載せた。コアラはその動きを感慨深い目で追う。長くて肩の凝る残務処理も漸くこれで終わりだ。

「稽古……は、ちょっと無理かな。少し試したいこともあったんだけど、もう眠くって。お願いしておいてごめんね」
「いいや。もし今から『予定通り稽古に付き合え』などと言われたら、どうやって逃げようかと思っていた」

 珍しく軽口めいて肩を竦めるハックも疲労を色濃く滲ませている。コアラやハックに限らず、革命軍はここ数日誰も皆忙しくしていた。明日には次の任務先へ向けて船を走らせねばならないため、この場所を立つ前に、初めて得た自由に戸惑う市民たちへこれからの未来の土台くらいは残して行かねばならないのだ。

「でも、ほら、次の場所まで少し日数かかるみたいだから船の上で──、」

 言いかけたコアラの言葉を遮るように、喧騒の塊が廊下から駆けて来て、中の二人が声を発するよりも先に船室の扉が大きな音を立てて開かれた。

「「「大変です! 参謀総長が倒れました!」」」

 勢いで舞った数枚の書類を慌てて宙でキャッチしてから、コアラとハックは闖入者へと鋭い視線を向ける。

「急に開けないで! 書類が崩れちゃうよ!」
「急に開けるな! ノックくらいしろ!」

 二人分の圧に晒された相手は、この航海が初めての実戦である新入りたちだった。皆、姿勢を正して「申し訳ございません!」と口にするも、仲間内でちらりと目配せをしてから「しかし、それどころでは」と続ける。

「たった今、作戦会議が終わって立ち上がった瞬間に、参謀総長が倒れてしまったんです!」
「参謀総長、ずっと寝てなくて、ろくに食事も取ってなかったみたいで、それなのに下っ端のおれ達なんかより忙しく動かれていて、」
「頭は打ってないようなんですが、声をかけても反応が無いんです! 早く衛生兵か医療班にと思いましたが、まずはご報告を、」
「ああ、分かった、分かりました、ひとまず落ち着いて」

 口々に心配の声を上げる新入り達を宥めつつ、コアラはハックの顔を見上げて意味深な目配せをする。ハックは「……こちらも忙しくて油断してたな」と首のあたりを掻いていた。
 革命軍の要とも言うべき参謀総長が倒れたというのに何を悠長なことを──と新入りの顔に書いてあるのを察し、コアラはどう伝えようかと首を傾けながら切り出した。

「えーっと……結論から言うと、サボ君、じゃなくて参謀総長のことはそのまま放っておいて大丈夫だよ。昼寝と違ってそのまま転がしておくわけにもいかないから、後でハックに部屋まで運んでもらうようにするし」

 ハックは心得たとばかりに頷くが、新入りの方は何一つ理解出来ないというように一様にぽかんと口を開けている。

「忙しいには忙しかっただろうけど、過労で倒れたとか、そういうのじゃなくて、なんて言うか──」

 他人に説明するのが久々すぎて、どのように表して良いのかが分からない。するとハックが隣から「体質」と小さく助け舟を出して来た。

「そう、体質! 参謀総長はそういう『体質』なだけだから心配要らないの。まあ、見ていて心臓に良いものではないけど」

 確かに、慣れるまではサボの体質はかなり奇異なものに見えるだろう。サボは一般とはかなり異なった、酷く偏った生活リズムで動いているのだ。
 例えば、食事を摂るのは七日に一日程度だ。ただし、その一日は殆ど二十四時間、睡眠も取らずに食べ続ける。あの身体のどこにそんなに入るのかと訝しむほどだが、本人は無理して詰め込んでいるわけでもなく、ただ空腹に任せているだけらしい。それこそ革命軍トップであるドラゴンが出席する大事な会議であっても平然と骨付き肉片手に作戦内容を語るほどだ。
 また、食事ばかりの一日が終わると、今度は多少の水や酒を飲むだけで全く食べ物を口にしなくなる。勧めれば食べないこともないが、あまり乗り気な素振りは見せない。大体そこから五日間程度はサボにとって活動期とも呼べる時期で、食べないばかりか碌に眠りもしないで動き続けるため、それがサボの体質と分かっていても若干不安になってしまう厄介な代物だ。
 そして、急に、風もないのに蝋燭の火が消えるように、ぱたりと眠りに入ってしまう瞬間が来る。こうなると二十四時間はちょっとやそっとじゃ起きやしない──まさしく、今、新入りが慌てて知らせに来たようにだ。常ならば、いきなり倒れると周りが驚くため、『その時』が近くなったら本人が何を言おうと早めにベッドへと叩きこむのだが、今回はコアラもハックも己の仕事に忙しくてすっかり日にちの感覚を失くしてしまっていた。

「そういうことだから、明日の今頃には目も醒めると思うから大丈夫。医療班への連絡は要らないから、食料庫の在庫のチェックだけお願い出来るかな? 起きたらすっごく食べるから」
「「「しょ、承知しました!」」」

 コアラの指示に声を揃えて答える新入りたちだが、威勢のよい声の割に目には未だに戸惑いが残って見える。それも仕方ないことではあるが、もうこればかりは慣れる他ないのだ。そういう体質とはいえ、どことなく命を削るような生き方に見えてコアラとしても心穏やかではないが、本人が「これが普通」というからには見守る以外に術はない。

「それでは回収してくるか」
「お願いね、ハック。こっちは私の方で片付けておくから──あ、君たちはこのまま食料庫向かっていいよ。会議室にも人は残ってるだろうけど、とにかく、後はハックに任せて平気」

 急に眠ってしまった時のサボが遊び疲れた子どものように妙に無垢な寝顔をしているのを思い出して、コアラは慌てて付け加えた。ハックが横抱きにして寝室へと連れて行く様子はまるで幼子と父親のようですらある──ハックが聞けば、そこまでの歳の差は無いと眉をひそめるかもしれないが。
 ともあれ、あの姿を見せる相手は出来るだけ少ない方が良いだろう。新入りたちが心配そうにハックの背中を見つめてから食料庫へと爪先を向けるのをしっかりと見送りつつ、コアラは一人満足気に微笑んでみせる。年若い参謀総長の威厳をこっそりと保たせてあげるのも、優しい優しい副官の仕事の一つだった。


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【後編──我慢強い恋人編】


 日も傾いてだいぶ経つ頃、停泊している革命軍の船へ堂々とやって来たエースは己のあまりのタイミングの悪さに落胆を露わにした。

「そうなの。ついさっきサボ君寝ちゃって……」
「道理で電伝虫にも出ねェはずだ」

 あからさまに肩を落としたエースだが、それも仕方がなかった。なんといっても、久々に会えるはずの恋人が今から二十四時間は目覚めないのだから。
 サボの『体質』とでも言うべき不可思議な生活サイクルについては勿論エースもよく知っている。だが、サボとて、子どもの頃からこうだったわけでは決してない。まるで荒野の野生動物のような貯め込み式の生活は、どうやら革命軍の勇士として戦地を飛び回る生活の最中に身体が状況に適応した結果のようだった。
 エースとしては変に偏らせずに、もっと頻繁に寝ろだとか、もっと頻繁に食えだとか思うのだが、以前そう伝えてみたところ「食いながら突然死んだみてェに眠り始めるエースに言われたくはねェよ」と呆れ声で反論されてしまった。弟のルフィも、食いっぱぐれるのが嫌だという理由で寝ながらでも食事が出来るようになったと聞いているから、エースたち三兄弟は食欲と睡眠欲に関しては他人と少々様相が異なっているのかもしれない。

「……仕方ねェ、明日の夜に出直してくる。急にすまなかったな」

 頬を掻きながらエースは仕方なく肩を上下させる。
 サボの体質上、こうなったらまず起きては来ない。それこそ敵襲でもあれば別だろうが、基本的には今までの負債を取り返すかのようにひたすら睡眠を貪るのだ。二十四時間眠り続けると言うと怠惰なようにも聞こえるが、数日分の睡眠を賄うのだと思えばむしろ少なすぎるくらいだった。
 すぐに会えないのは非常に残念だが、目覚めた頃に再訪すると決めてエースは潔く踵を返す。
 しかし、話はそう簡単ではなかった。

「あ、待って! それが、明日の早朝にはもう出航しちゃうの!」
「えっ」

 背中に掛けられたコアラの言葉に、エースは勢いよく振り向く。
 聞けば、次の任務先が既に決まっているのだと言う。今度は戦地でなく、怪しい噂のある某国なので急ぐわけではないとのことだが、かといって決まった予定を無闇に曲げるわけにもいかないだろう。
 そうなると、エースにとっては具合が悪い。
 革命軍の大型船とはあまりにも船としての規模が違い過ぎるため、後から追いつくのはかなり困難なのだ。幾らストライカーがある程度は風向きに囚われず進めるとしても、潮流次第では今回の逢瀬は諦めざるを得ないかもしれない。
 折角こんなに近くに居るのにみすみすチャンスを逃すのか、と下唇を噛んで思案していると、暫し「うーん」と唸っていたコアラが急に眼前に人差し指を立てて来た。

「……エース君、ストライカーで来たんだよね?」
「へ? ああ、そうだけど」

 革命軍の船が停留しているこの港からは少し離れた位置に留めていたが、確かにいつも通りストライカーで来ていた。しかし、だから何だと言うのだ。質問の意図が分からず、エースは首を傾げてしまう。
 そんなエースに、コアラは少しばかり悪戯げな笑顔を浮かべて一つの提案を寄越した。

「じゃあ、今夜はうちの船に泊まって行ったら? ストライカーなら軽いから船上に引き上げられるし。後から追いつくのは大変でしょ?」
「良いのか!? そりゃあ助かるぜ、恩に着る!」

 驚きに声を弾ませるエースに、コアラはフフッと声を漏らしながら頷いてみせる。

「だって、折角エース君が来てたのに会えなかった、ってなったらサボ君絶対悲しむもん。それに、寝起きにエース君の顔見たら凄く元気になるだろうしね。最近サボ君も忙しくしてたから」

 ご褒美……なんて言ったらサボ君怒るだろうけど、と続けてから、コアラは一層愉しげに笑った。

 ■

 サボに限らず革命軍全体が多忙を極めていたとのことで、「泊まってもらっても何もお構いは出来ないんだけど」とコアラは申し訳無さそうに両手を合わせていたが、眠るサボと同室に泊めてもらえるという破格の信頼を寄せられてなお更に歓待を求めるほどエースも厚顔無恥ではない。小ざっぱりとしたサボの船室で、ベッドに横たわっている愛しい恋人の寝顔を眺められるだけでも御の字である。
 早速ベッド横に座りこんで、枕元に片肘をつくようにしてサボの顔を覗き込む。仰向けに眠ったサボは殆ど寝返りも打たないからか、掛けられたシーツには皺の一つも寄っておらず、規則正しく上下する胸の動きがなければ不安になるほどだ。精巧な人形だと嘘をついても、事情を知らない者が見れば信じたかもしれない。
 エースと居る時のサボはその体質のせいもあって─意識を飛ばさない限りは─眠らないので、こうやって寝顔を眺めることは滅多にない。そういう理由もあって、ここぞとばかりにエースはサボの寝姿を観察してしまう。

「……かわいー寝顔」

 勝手に零れ落ちた独り言は、普段はあまり口に出して言うことの無いものだった。もしかするとセックスの最中には口走ってしまっているかもしれないが、思っていてもなるべく言わないようにしようとエースは我慢している。それと言うのも、サボは『可愛い』を褒め言葉だと思ってないようなのだ。
 可愛いという言葉で女扱いしているつもりは微塵もないのだが、ただでさえ抱かれる側のサボにとっては不用意な言葉なのかもしれない。エースだって、サボに褒められるなら『格好良い』の方が良いに決まっているから、そう思えばサボの気持ちもわからないでもない。
 とはいえ、可愛いものは、可愛い。
 あまり他の人や物に対してそういった感想を抱かないエースだが、サボの幼子のような寝顔は他に形容する言葉を思いつかないほど愛らしくて仕方がなかった。

「どうすんだよ、こんな可愛くて。なあ、サボ」

 言いがかりのような言葉を並べながら、小さく尖った鼻をつんつんと触ってやる。それでもサボは目を覚まさない。淡く色づいた唇はほんの僅か開かれていて、指で触れれば多忙のゆえか少しカサついていた。この唇が吸われてもっと色濃くなるところをエースは知っている。穢れなんて知らなそうな柔らかい唇がナニを食んで、ナニを滴らせるのかも。
 あーあ、抱きてェな。
 エースは顎を支えていた手で今度は己の額を押さえる。抱きたい。抱きたいに決まって居る。目の前に垂涎のお宝が無防備に横たわっているというのに何も思わないほどエースは無欲な人間ではない。しかし、想いを駆り立ててくる張本人がすやすやと眠っているのだから、エースの欲望は下腹の辺りでとぐろを巻くばかりだ。

「ったくサボ、王子様が来てるってのに眠りっぱなしか?」

 決して起きないと分かりつつも口にした揶揄──その『王子様』という単語があまりにも自分とかけ離れていて、エースは己の言葉に笑ってしまう。どちらかと言えば、まだサボの方が似つかわしい。

「お伽話なんてガラじゃねェけどな」

 そう言いつつも、眠るサボの髪を撫でながらエースは連想してしまう。薄青く血管の透けた瞼や光りそうなほどの金色の睫毛は、それこそお伽話に出てきそうな代物にも思えた。
 普段見慣れないせいだろうか、目を覚ましているときはあんなにも頼もしいのに眠っている今は妙に儚くて──寝顔は確かに可愛いが、起きているサボの方がずっと好きだとエースは目を細める。

 その方がずっと安心していられる。
 このまま目覚めないのでは、なんてサボ相手に思う方がおかしいというのに。

 撫でる手を止めて僅かにベッドの上へと身を乗り出すと、エースは薄く開いたサボの唇へ祈るように己の唇を重ねた。慣れた感触のはずなのに、相手が眠っているというだけでまるで違うもののようにも感じられる。
 ──無論、一度眠ったサボがキス一つで目覚めるはずもないのだけれど。

「……やっぱ起きねェか。そりゃあそうだよな。おれ、海賊だもんな」

 自嘲なのか自負なのか分からない言葉を吐いてエースは肩を揺らす。バカみてェだと笑ってから、おまけとばかりにサボの唇をちろりと舐めてやった。それでもサボは甘い吐息ひとつ零さない。
 しかし、エースの方は、触れてしまえば気持ちは堰を切ったように溢れ出す。寛げられた首元にまで口付けると、もう、寝ていようが構わずにこのまま手を出してしまおうかという気にもなった──のだが。

「泊まって良いとは言ったが、眠っている相手に手を出すような不逞を許すとは言ってないはずだが」

 不意に背後から声がしてエースは慌てて振り返る。そこには、傷病者用らしき簡易ベッドを抱えたハックが立っていた。どうやらエースのために寝床を準備しようとしてくれていたらしい。もっとも、エースはサボの隣にもぐりこむ気満々だったが。

「火拳のエースがこんなに卑劣な漢だったとはな」

 二つ名と共に吐き捨てるように言うハックの冷たい視線に、エースは両手を上げながら言い訳をする。

「み、未遂! 未遂だ!」
「お前用のベッドを持って来てやったが……欲に耐えられんのならいっそ向こうの部屋でおれとベッドを並べるか? エース」

 なおも冷え切ったハックの言葉に、エースは思い切り首を横に振ってみせる。
 どうせ明日の夜には目覚めるのだ。会えない期間の長さに比すれば、こんなたったの一晩くらい我慢出来ない、こともないと──思う。

  ■

 そうして何とかギリギリのところで一晩耐え抜いた後は、食客の礼儀として雑用を買って出るなどしていたエースだったが、元より時間感覚などあってないような気ままな海賊暮らし。供された三時のおやつの後には他人の船だろうとお構いなしに昼寝を決め込み、漸く起きた頃にはとっくに日も沈んでいた。

「起きたか! おはようエース! 悪かったな、寝ちまってて」

 目覚めた視界には夢の中で散々抱いた恋人の顔があった。本当ならば目覚めたサボを出迎える予定が逆になってしまったが、これはこれで気分が良い。

「おう、おはようサボ。おれが勝手に邪魔してたから構わ……って、なんだ? 肉?」

 視覚と嗅覚が一斉に目の前の現実を突きつけてくる。会えて嬉しいと満面の笑みを浮かべるサボは、両手に肉汁の滴る骨付き肉を持っていた。大きく口を開けて交互に噛み付く姿には昨夜の寝顔の儚さなど欠片もない。いっそ骨ごと噛み砕かんばかりの健啖ぶりだ。
 そこでエースは急に思い出した。
 一週間分眠ったサボが目覚めたら、その次には。

「そういや、お前、滅茶苦茶眠った後ってずっっっっっと食ってるんだったな……」
「ん? ああ、なんか腹いっぱい食いたくなるんだよ。冬眠みたいだよな?」

 ああでも冬眠だったら寝る前に食うか、と屈託なく笑うサボはやっぱり可愛い……等と思いつつもエースは昨夜の我慢を反芻して唇の端を引き攣らせる。きっとサボは今晩もこのまま延々と食事をし続けることだろう。果たして食べながら『出来る』のか──軽く食べるなどというレベルじゃないから無理だろう。下から突いたら上から出そうだもんな、と結論付けてエースは密かに目をぐるりと回す。
 恋人の極端な睡眠欲と食欲に阻まれた『三つ目の欲求』を満たすには、あともう一晩は我慢を強いられそうだった。


【完】



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